まとめて発車

鳴子へ 015-2s
拡散する朝の光

この頃,興味が鉄道から栗駒山の歴史に少し移り始めました。
そこで撮りためてアップできなかった写真などをまとめてアップします。ですからタイトルは「まとめて発車」です。

鳴子へ 037-2s
朝日に向かって

今日は「日本白鳥の会」研修会が伊豆沼・内沼サンクチュアリーセンターで開かれ,鳥専門の方々の研究発表を興味深く聞いてきました。本当に鳥が好きなんだなあと聞き入りながら,鳥インフルエンザ予防のために,迅速な初期対応が大切だと改めて確認されました。

大船渡線1月4日 023-2gs
大寒の時

読書は殆どが歴史関係になってきました。
でも今夜はカシオペアの日。行ってみます。


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栗駒山に沈む太陽

毛越寺庭園 065s
若神子社(わかみこ社)幣束  中尊寺の寺領だった骨寺村の田んぼの中にぽつりと立つ社です

先日,お彼岸の中日に栗駒山の頂上に太陽が沈む,ダイヤモンド栗駒が見られる場所はどこかとカシミールを使って調べていた。答えは意外でした。
「達谷の窟(たっこくのいわや)」と出たのでした。
同時に達谷の窟の背後にある世界遺産の平泉の周到な立地に,はっと気付かされた思いがしました。

達谷の岩屋
2017.3.20の太陽が沈む栗駒山(達谷の窟から見て)

「達谷の窟(たっこくのいわや)」は重要な土地で,奥州征伐を果たした源頼朝も立ち寄っていることが「吾妻鏡」にも載っています。坂上田村麻呂の鬼征伐伝説の舞台がここです。

達谷の窟 042-2s

平泉の南側を東西に区切る太田川を遡ると,この達谷の窟にたどり着きます。達谷西光寺達谷窟毘沙門堂と言われ,北を守る毘沙門天が本尊となっています。天台宗です。かつては中尊寺も天台宗で,北上川流域の天台宗の寺は黄金時代を築いた時代が偲ばれます。
この地にちなんで鬼伝説があるのです。
この地に悪路王・赤頭・高丸という蝦夷がいました。坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じ、蝦夷征伐の勅令を下します。延暦20年(801年)、坂上田村麻呂は窟に籠る悪路王等と戦い、激戦の上これを打ち破り首を刎ね、蝦夷を平定しました。
そしてこの地に毘沙門堂を建てたのです。この辺りの経緯を知りたい人は高橋克彦のアテルイの話「火怨 北の燿星アテルイ」(講談社文庫)を読むと分かりやすいです。

毛越寺庭園 148s
毘沙門堂の隣にある磨崖仏  目鼻とか分かりますか。

坂上田村麻呂伝説と鬼退治,そして修正会(追儺ついな-鬼やらい)が密接に結びついているのです。
「田村三代記」に載る達谷の窟を舞台にした辺りを内藤正敏氏の訳で引き出してみましょう。第四之巻です。
田村丸は都に着くとすぐ参内し,一部始終(高丸を討ち取ったこと)を奏聞した。帝は御感浅からず,田村の高名,立鳥帽子の神通に,言葉も述べられずとの宣旨だった。
翌年四月,勅使が来て参内すると,奥州桐山の絶頂に大嶽丸という鬼神が現われた。このままにしておくと日本の人種が全滅するという加茂の神勅が出た。急ぎ奥州へ下って大嶽丸を征伐せよ,という宣旨が下った。
田村丸は家来の霞野忠太を連れ,王城鎮守の稲荷,祇園,加茂,春日,貴船,男山八幡,特別に清水の観世音に深く祈り,吉日を選んで住吉,四社を拝んで出発した。
田村主従二人は商人の姿に身をやつし,逢坂の関を越え,(中略)古川,一ノ迫,二ノ迫,一ノ関,二ノ関を通って磐井川近くの達谷の麓にたどり着いた。(ここで四之巻は終わり)
立鳥帽子は眷属共を神通の縄をかけて,大嶽丸が留守の間に達谷の窟の門を開けて,田村丸を奥へと案内した。そこへ出かけていた大嶽丸が帰ってきた。大嶽丸はすぐさま桐山(岩手山か)に籠り,都へ上り帝を微塵にする神通力を身に付けようとしていた。大嶽丸によって神通の縄を解かれた眷属共は田村麻呂の四振の剣で討ち取られた。大嶽丸は桐山から箟嶽山きりんの窟に逃げ込んだ。四振の剣は隠れていた大嶽丸の身体を四つに切り裂いた。首は「鬼首(おにこうべ)」に飛んだ。身体は佐沼の郷に守らせておかせた。後に地名も大嶽とし観音堂を建立した。

毛越寺庭園 352-2s
中尊寺の寺領 骨寺村にある若神子社

そこで早速達谷の窟に行って栗駒山がどう見えるか,確かめてみました。
しかし,どこからも栗駒山を見ることができませんでした。不可能な夢になったのです。

しかし,栗駒山周辺と平泉と古代の物語が不思議に照合することを感じました。地形地勢に埋もれた大地の原理が顔を出した思いです。ダイヤモンド栗駒を辿ると新しい発見が見つかりそうです。



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-11℃の日曜朝

-12℃の朝 130-2s

1/15の日曜朝は,日曜なのでカシオペア上りが通過するかなと待っていたらさっぱりやってきませんでした。
しかし冷え切った空気の中伊豆沼は美しい朝を迎えました。ガンが空を埋め尽くす程の一斉に飛んだ朝でした。めったにないことでした。

-12℃の朝 094-2s
窓越しの朝日

体調が思わしくなく,お休みをしてしまいました。
復活したのでまた開始します。


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夜のとばり下りて

始業式 023-2trs

あんまり寒くて外に出にくくなりましたね。
明日は-10℃を下回るかも・・・。

御岳堂駅に-2gs
通過する光を入れて

博物館に行って調べ物をしました。


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ご来迎

栗駒山1014 248-2gss
名取老女が見た阿弥陀様はブロッケン現象ではなかったのか

宮城県には熊野信仰と関連して「名取老女」という話があります。

遠い昔。
陸奥の国,奥州名取郡に名取老女というお年寄りの女の人が住んでおりました。
名取老女は,大変信心深く,毎年,遠い熊野まで詣でることを欠かしませんでした。
その年も連れと共に熊野の那智の宮までやって来ました。すると山あいの方から紫色の雲が湧き上がり,その雲の上に忽然と阿弥陀如来が現れたのです。

この阿弥陀如来を見た名取老女の作った歌が,「熊野御歌」として,平安末期(1125)成立の藤原清輔の歌学書「袋草子」に出ています。
道遠し年もやうやうおひにけり思いおこせよ我も忘れし
是陸奥ノ国ヨリ毎年参詣シケル女ノ年老イ後夢ニ見歌也

名取老女は,歌詠みとしても有名だったのかもしれません。それで時の人となり,その時の歌が取りあげられたのかもしれません。

更にこの出来事は,大きくなり,動かぬ伝説として,世阿弥の謡「護法」の中に「名取老女」として出て来ることになります。そしてその話を基に熊野権現影向図が描かれるようになったといわれています。

熊野信仰 002s熊野権現影向図 京都 檀王法林寺蔵,元徳元年(1329)

山岳宗教では,ご来迎と言って阿弥陀様に出会う事が何よりの最高の体験とされます。そしてその徴(しるし)としてブロッケン現象が上げられます。朝日でも夕陽でも起きますが特に立山では朝日で阿弥陀様に出会うブロッケン現象が大切と思われています。
苦心惨憺してお参りをする「名取老女」が,日が出て霧渡るという気象条件の中で,偶然に西方浄土の西に特別な色の雲が沸き立った彼方に阿弥陀如来が来迎する最高の幸せに出会ったことはブロッケン現象を介してではなかったのかと思います。


今日の写真は栗駒山で見たブロッケンです。2012.10.14のことでした。


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