描き加えられた星-東山魁夷絶筆の意味-

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海から昇る天の川

先日宮沢賢治の「チューリップの幻術」の話をしましたが,最後に引用した川端康成が妙に懐かしくなってしまって,ちらちらと「巨匠の眼」という本をめくっていた。
巨匠の眼


現在,岩手県美術館では「巨匠が愛した美の世界 川端康成・東山魁夷コレクション展」が開かれています。川端康成のコレクションと親交のあった東山魁夷のコレクションを展示して彼らが求めた美の世界を浮き彫りにしようという企画展です。新資料展示もあります。行けるといいですね。

さて川端と深い交友のあった東山魁夷が川端康成の死を知ったのは天草灘を見る九州天草下島の下田温泉の旅館から星の光を見て,妙に気にかけて床についた夜でした。
1972(昭和47)4月16日でした。川端が自殺したのは。
空に低く上弦の月が懸かっていた。弓弦を水平に張って,安らかな,ひかえめな月の姿だった。その真上に,明るい,大きな星が一つゆらゆらりと光り輝いている。
その星は何か尋常ではないものと感じさせた。澄んだ涼しげな宵の明星であるが,その閃き,迸(ほとばし)り出る光睴(こうこん)は,今にも,空に流れ出して,透明になり,消え去ってしまうのではないかとさえ思われた。生命の瞬間の輝きとも見えた。
この後,眠りを絶たれたのは川端の訃報を知らせる電話でした。

何とも魅力的な文章ですが,ステラナビゲータで東山魁夷が天草の下田温泉で見た星空を再現してみました。

川端が死んだとき-2
川端康成が死んだ,1972(昭和47)4月16日の宵の刻の星空

三日月が懸かり,その上に一際輝く金星が見えます。星の名前を入れてみましょう。確かに忘れられない夕暮れの星空です。

川端が死んだとき-2ロゴ入り
川端康成が死んだ,1972(昭和47)4月16日の宵の刻の星空

話はここからです。
今日話したいことはこの川端が死んだ日から27年経った東山魁夷の最後の作品「夕星」についてです。

まず東山魁夷が最後の力を振り絞り,構想を固めていった「夕星」の習作から見てみましょう。
「夕かげ」と名付けられた平成7年の習作です。

夕かげ 平成7
習作として描いた「夕かげ」1995(平成7)

そして完成したのが1999(平成10)年です。東山の最後に辿り着いて仕上げた作品は「夕星」というタイトルになりました。
そうです。彼は画面真ん中に輝く星を描き加えたのです。

夕星-2
東山魁夷の絶筆「夕星」

星が描き加えられた意味はなんだろう。
「巨匠の眼」の著者は,「夕星」の作品解説でそのように読者に語り掛けます。

私は「星を描き加えた」意味が分かるような気がします。東山魁夷が「描き加えた星」こそ,川端の死を知らされた,あの天草の地で見た星そのものなのです。1972(昭和47)年4月16日。この日の金星の光度は-4.4等。金星の出は8:05。入りは22:37。

東山魁夷は最後の作品に川端康成を永遠の星の光として描き加えたのです。
美を追究する仲間として尊敬の念をもって自分ができることはやり遂げて東山魁夷はこの世を静かに去りました。今日東山魁夷の作品は美の星となり光り輝き続けています。



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ポケモン列車が往く-合同写真展始まります-

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雨の日のポケモン列車 今日7/23撮影

7/15にポケモン列車がリニューアルしたと聞いていました。
なるほど。そうかと思っていたら,ラッピングも変えたようで「まっ黄,黄」になった車体を写真で見て,びっくりしました。
先日,一ノ関駅で停車した「四季島」を見た時に,3番線がやたらと明るく,ポケモンの旗が翻っていたりしていたので,ここからポケモン列車が出るんだなと思いました。そしてポケモン列車の発着する3番線だけ待合室がリニューアルされていた。


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リニューアル前のポケモン列車 2016/7/16撮影

こちら東北で,黄色の電車というと思い浮かぶのは秋田や山形のラッピング列車で,むしろ太平洋側は地味だったのでいいかもしれません。雨の中でもやはりインパクトのある車体だなあと思いました。

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リニューアル前のポケモン列車  2016.7.16撮影

よく見るとブルーもよかったですね。
しかし,黄色は今の夏の緑の中では鮮やかです。

合同写真展
写真展やります。伊豆沼・内沼サンクチュアリーセンター新田館の方です。



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宮沢賢治「チューリップの幻術」-20世紀トレンド-

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ひまわり畑の夕暮れ

「宮沢賢治の「チューリップの幻術」を読みましたか」と聞かれた。
「はて。どんな話だったのだろう」と思い,家に帰って読んでみた。

そして,すぐ思い出したのがタゴール(1861年5月7日 - 1941年8月7日)の「園丁(gardener)」だった。登場人物が「園丁」だったということもあったのかもしれません。どうしてだか「チューリップの幻術」と賢治とタゴールが結びついたのです。今日はそのつながり方を綴ってみたいと思います。

もちろん賢治はタゴールのことを知っていたでしょう。賢治が盛岡高等農林に入学した時の年譜にはこう書かれています。
1915(大正4)年 19歳
1月  受験勉強のため、盛岡市北山の時宗教浄寺に下宿
4月  盛岡高等農林学校主席入学、寄宿舎へ。級長
     主任教授関豊太郎を知り、生涯にわたり指導を受けることになる。 「化学本論」、「タゴール詩集」愛読
     妹トシ、日本女子大学入学
8月  願教寺で島地大等の歎異妙法を1週間聞く
>「タゴール詩集」愛読とあるのです。タゴールは1913年にノーベル文学賞を受賞し,時の人となっていました。また,この翌年の1916年7月,賢治が20歳の時に来日していてるのですから賢治が知らないはずはありません。この時タゴールは56歳だったといいます。では賢治はタゴールの何を愛読していたのでしょうか。『ギータンジャリ』か『園丁』かもしれません。来日に合わせて出版物もたくさん出たと思います。

これに加えて年譜には「4月 妹トシ、日本女子大学入学」とあります。この日本女子大学に成瀬仁蔵がいたのです。トシが日本女子大学に入学して,成瀬仁蔵の倫理講義を受けたことは,今の自分が生きていく意義を見つめ始めるきっかけになったことは確かでしょう。成瀬仁蔵はメーテルリンクやタゴールを取り上げて熱心に講義を行いました。その講義にトシは深い感銘を受けたでしょう。メーテルリンクの『青い鳥』はもちろん『万有の神秘』1916,『タンタジールの死』1914 を知り,トシは熱心に賢治に読むように勧めたと思われます。タゴールについても成瀬は大きく取り上げたでしょう。何せタゴールを初来日させるのに成瀬はひとかたならぬ役目を果たしたのですから。成瀬の尽力でタゴールの来日ができたと言ってもいいでしょう。日本女子大学での講演がタゴールの来日毎に続いたのは,こうした成瀬とタゴールとの親交の厚さが感じられます。当の成瀬は1919年3月に亡くなっていますが,タゴールは日本女子大学での講演を続けています。実際にトシもタゴールに会い,タゴールの講演を聴いています。トシのタゴールを語る手紙や故郷に帰ってきての熱いしゃべり方で,賢治はタゴールの作品や思想に大きな興味を持ったことでしょう。これは賢治にとって大きな思想的な礎になったことは確かだと思います。

タゴールの作品を読んでみると,どこか賢治の自然に対する「心持ち」と似ているところがあったりします。それが作品成立上どんな影響が読み取れるかは研究者にまかせるとして,そのタゴールと賢治,2人の自然に対する見方や「心持ち」の面が,同時代的な息吹として当時の世界,20世紀初頭に満ちていたのではないかと思われるのです。この20世紀初頭という時代は,心霊主義,推理小説の台頭,フロイトによる精神分析学の成立,シュールレアリスム宣言とパラダイムそのものが一新する時代だったのです。20世紀トレンドです。賢治もその流れの中にいて,同じ空気を吸って生きていました。

夏の朝の伊豆沼s
ハスの花咲く朝

例えばオカルティズムと言われる「心霊主義」の嵐が押し寄せ,日本でも吹き荒れたのが同じ時代です。この心霊主義の流れを文学では川端康成らがいち早く受け入れました。その同時代的な考えが賢治自身の感覚の持ち方や構えとシンクロしていくのではないでしょうか。認識構造のコペルニクス的転回と言ってはおおげさですが,少なくても感じ方が変わってきたのです。

よく賢治のことで,唐突で不思議な出来事として語られている岩波茂雄への手紙を読みましょう。
「・・・わたくしは岩手県の農学校の教師をして居りますが六七年前から歴史やその論料、われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについてどうもおかしな感じやうがしてたまりませんでした。わたくしはさう云ふ方の勉強もせずまた風だの稲だのにとかくまぎれ勝ちでしたから、わたくしはあとで勉強するときの仕度にとそれぞれの心もちをそのとほり科学的に記載して置きました。その一部分をわたくしは柄にもなく昨年の春本にしたのです。心象スケッチ春と修羅とか何とか題して関根といふ店から自費で出しました。友人の先生尾山といふ人が詩集と銘をうちました。詩といふことはわたくしも知らないわけではありませんでしたが厳密に事実のとほりに記録したものを何だかいままでのつぎはぎしたものと混ぜられたのは不満でした。…」

これが書かれたのが1925年です。アンドレブルトンの「シュールレアリスム宣言」とそんなに変わりありません。むしろ1925年2月にはもう森佐一にこう書いています。岩波茂雄への手紙の10か月前です。

「・・・前に私の自費で出した「春と修羅」も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。」

もう一度出してみます。「或る心理学的な仕事の仕度」とは何か。『春と修羅』はただのラフスケッチで本当は最後に「或心理学的な仕事」を仕上げてみせる。このような考えがあったのです。


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遠野黎明のとき


賢治の「チューリップの幻術」にもいたるところ現実世界の認識の枠からはみ出ているところがたくさんあります。それがおもしろいことも確かです。「光の酒」「エステル」「溶けてしまうヒバリ」 まさに賢治ワールド万華鏡です。

最後に川端康成の感覚と賢治の中にある感覚の同時代性を川端の「抒情歌」から見てみたいと思います。どうも「或る心理学的な仕事」が薄く見えてくるような気がします。
「私」は輪廻転生を、「人間が作った一番美しい愛の抒情詩」だと思いながらも、昔の聖者も今の心霊学者も人間の霊魂だけを尊び、動物や植物を蔑んでいるようにも感じた。人間は結局何千年もかけ、自身と自然界の万物とを区別する方向ばかり進み、その「ひとりよがりの空しい歩み」が、今こんなに人間の「魂」を寂しくしているのではないかと「私」は考える。
    
「あなた」に捨てられ、アネモネの花の心を知り、「哀れな女神」でいるよりも美しい草花になった方がどんなに楽しいか、綾子や「あなた」への恨みに日夜苦しめられる哀れな女でいるよりも、アネモネの花になってしまいたいと「私」は何度も思った。愛を失い、全てが味気なくなっていた「私」は「輪廻転生の抒情詩」を読むうち、禽獣草木のうちに「あなた」や「私」を見つけ、次第に天地万物をおおらかに愛する心を取戻していった。                 wikiによる川端康成「抒情歌」より



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今が盛りと咲くネムノキ

「禽獣草木のうちに「あなた」や「私」を見つけ、次第に天地万物をおおらかに愛する心を取戻していった。」
これは人間にとって感覚を土台に据え直して,もう一度世界を「再読み込み」しようという試みです。リセットボタンを押したいのです。こういう土台に立てば,「チューリップの幻術」は賢治ワールドを代表する極めて優れた作品の一つだと言えます。



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四季島を見る

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四季島入線

それは静かに入ってきた。

カシオペアの時のような展望車に出てきた乗客とホームから見送る人たちとの手を振っての交流もなかった。
四季島は静かに入ってきて静かに発車した。間近に見てみたいと思い,一ノ関駅に来てみた。停車した。運転士の交代はカシオペアと同じだ。でも交代したのは2人だった。

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展望車にはだれもいない。車体のクリーム色が明るく感じられる。窓のデザインが斬新だ。

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この窓のデザインは何かをモチーフにしているのだろうか。

私にはこの窓のデザインが立ち並ぶ木々のシルエットのように見えた。

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これが四季島のロゴマークなんだ。

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わずかの停車で出発していった。

もうちょっとゆっくり見たいと思った。

ドラマでは「月9」(月曜日の夜9時)がゴールデンタイムの視聴率を左右する大切な曜日だと言うが,月10時は宮城県北では四季島のゴールデンタイムとなりそうだ。


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夜の写真の撮り方

月曜十六夜の月 138-2s
一枚撮りの魅力 3分37秒

この写真は一枚撮り3分37秒です。ISOは200。絞りはF8,SSは217秒となります。

今日は,夜の写真を撮る場合に,どんな撮り方をしたらよいのか考えてみます。
と言うのも夜のシーンを撮る場合に,今日のような一枚撮りの長時間露光なのか,それとも比較明合成にするか,どう使い分けたらよいのかということを比較してみたいのです。あまりに比較明合成だけに頼ると表現が形式的になってしまうことになると思います。このことに気付くことは大切なことのように感じます。一枚撮りの良さと比較明合成の良さを注意深く使い分けることで夜のシーンの表現が豊かになります。

画面左の地平線沿いの街灯りで明るくなった景色は217秒間で蓄積された光によってしか表現されないものです。この写真の場合はずばり長時間露光の一枚撮りで撮ったことが「正解」だったと思うのです。この写真を比較明合成でつなげると街明かりはこのようにふくらんで豊かには表現できないのです。また,この写真を比較明合成で撮った場合に,月の動きのラインが歪んでくるのです。このように考えると一枚撮りと比較明合成の長所や短所が明らかになっていきます。十分な計算とテストで一枚撮りの方が豊かな階調を残す写真になる可能性があります。しかし,それもある程度までと限定付きで,言えることです。強い光が画面上にあるときなどは特に気を付けなくてはいけないでしょう。そしてどの程度の時間なのかも決定的な要素となるでしょう。

結果としては長時間露光の一枚撮りが基本と考え,うまくいかない要素があったら比較明合成,露出合成と考えていく方法がいいのかもしれません。その点では昔のやり方が基本なのでしょう。昔はみんな長時間露光一枚撮りしかなかったのですから。基本に立ち戻りながら表現の豊かさを追究する努力を重ねたいものです。


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