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竹藪の思い出

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私の家の西側に竹藪が広がっていた
西日を受けて竹藪を通したちろちろと光がよく奥の障子や畳の上を踊っていた。
雪が降って晴れた朝は天井を見ると,すぐ雪が降ったと分かった。朝の勢いのある光が雪面に反射し,回って家の隅々を明るく輝かせている。しばらく西側を見ていると雪で重く垂れた孟宗竹が障子に重く映っている。見取れていると日の光で解けた雪を勢いよく払いのける竹のすばやい動きが障子に幻灯機のように映る。青竹のはじけた拍子に舞い上がった細かい粉雪が障子全体に降り注ぐ。
風のある夜は竹林のさざめく音で夜の深さを知る。月のない夜は少し重い音で,月の明るい夜は少し乾いた音でさざめいている。
竹のさざめくその音で,風の輪郭を知ることができる。

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その竹林の中に一週間ほど蒲団を敷いて泊ったことがあった。
とても強い地震が起きたときのことだ。後で知ったことだが私が三歳の時だった。竹林の下は根がよく張っており地震の時でも安全だと言うことだった。夜の風を頬に受け,蒲団に潜り込み上を見ると,星々を交互に消すように高い竹の先が揺れていた。そうして眠りに就いた。

「 その夜から私たちと隣の寺の家族とは、つい前の孟宗藪に寝た。
 さうして簡素な竹林の生活が初まつたのである。
 月が消え、雨がふり、闇にも人人が棺をかついで来た。
 後には夜だけ裏の竹林に移つた。傾いた、壁も戸も無い私の庵室に支柱をして、兎に角私たちは辛うじて安きを得た。掛を引きはがして来て夜風をふせいだ。
 昼間は前の竹林にゐた。私たちは卓子や曲木の椅子や、籐の寝椅子やをその中に据ゑた。
 誰やらが、竹のひとつに壊れた六角時計を掛けた。青銅の仏の面を掛けてくれた人もあつた。
 その竹林からはよく海が透いて見えた。
 私は笑つて、私の竹林生活がいよいよ簡朴になることを思つた。」北原白秋「竹林生活」から

満月-2s
今夜の月 満月

こんな冬枯れた景色の中でも竹林は蒼く,芯のある風に揺れている。
ただ揺れている竹林が立てる音は外側からでは聴くに堪えない。竹の音は是非竹林の中でこそ味わってほしい。冬の竹は乾いた音を立てる。地面に落ちて揺れる木漏れ陽に呼応する音は高く晴れた空には昇らず折り重なるように次の音にかき消されてしまう。

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竹林の中は下生えがなくまっすぐに縦に伸びる竹の間隔を見ながら屈む必要もなくただただ歩きやすい。
林の底に広がる少し湿った竹の葉は足に優しく,狐か狸かが踏み通った獣道は奥に心地よい曲線を描いて消えている。



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新・遠野物語-水の物語-

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水辺を歩く。
水面(みなも)を見詰めていると,いつの間にか自分の意識が水に溶けて戻って来ないことにはたと気付く。
何秒だったのか,それとも何分だったのか。ふと我に返る。
すると夕闇が前よりも濃くなっていたりする。
「おれの汚れを洗ってくれるかのように、海を愛していた」と書いたのはランボーだが,人の捕らわれや汚れを払ってくれるのが海,つまり水辺なのだ。

このように水辺には人の意識を溶かしてしまう力があるようだ。遠野物語にも水辺の話はたくさんある。
前にいう松崎沼の傍らには大きな石があった。その石の上へ時々女が現れ、また沼の中では機を織るひの音がしたという話であるが、今はどうかしらぬ。

元禄頃のことらしくいうが、時の殿様に松川姫という美しい姫君があった。年頃になってから軽い咳の出る病気で、とかくふさいでばかりいられたが、ある時突然とこの沼を見に行きたいと言われる。家来や侍女らが幾ら止めても聴入れずに、駕籠に乗ってこの沼の岸に来て、笑みを含みつつ立って見ておられたが、いきなり水の中に沈んでしまった。

そうして駕籠の中には蛇の鱗を残して行ったとも物語られる。ただし同じ松川姫の入水したという沼は他にも二、三か所もあるようである。                            「遠野物語拾遺31話」
「笑みを含みつつ立って見ておられたが」とあるが松川姫はその時一体何を思って微笑んだりしていたのだろう。彼女もまた入水し自らが龍神と化してしまう話です。
同じように年頃の娘が水に沈んで行く話が「山椒大夫」,「安寿と厨子王」で知られている十五歳の姉安寿が厨子王を逃がすために,入水します。
安寿は泉の畔(ほとり)に立って、並木の松に隠れてはまた現われる後ろ影(逃げていく厨子王)を小さくなるまで見送った。そして日はようやく午(ひる)に近づくのに、山に登ろうともしない。幸いにきょうはこの方角の山で木を樵(こ)る人がないと見えて、坂道に立って時を過す安寿を見とがめるものもなかった。のちに同胞(はらから)を捜しに出た、山椒大夫一家の討手が、この坂の下の沼の端(はた)で、小さい藁履(わらぐつ)を一足(そく)拾った。それは安寿の履(くつ)であった。
沼端にきれいに揃えて置かれていた藁靴。安寿が履いていたものでした。

なぜに水辺はこのように人を誘い続けるのでしょう。オフェーリアもそうでした。

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〈オフェーリア〉ジョン・エヴァレット・ミレー

「すてきな花輪を、垂れた枝にかけようと、柳によじ登ったとたん、意地の悪い枝が折れ、花輪もろとも、まっさかさまに、涙の川に落ちました。裾が大きく広がって、人魚のようにしばらく体を浮かせて―――そのあいだ、あの子は古い小唄を口ずさみ、自分の不幸が分からぬ様子―――まるで水の中で暮らす妖精のように。でも、それも長くは続かず、服が水を吸って重くなり、哀れ、あの子を美しい歌から、泥まみれの死の底へ引きずり下ろしたのです。」
オフェーリアは歌を口ずさみながら入水していったのです。美しい絵です。


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小友村字上鮎貝に、上鮎貝という家がある。この家全盛の頃の事という。
家におせんという下女がいた。おせんは毎日毎日後の山に往っていたが、そのうちに還って来なくなった。この女にはまだ乳を飲む児があって、母を慕うて泣くので、山の麓に連れて行って置くと、おりおり出ては乳を飲ませた。それが何日かを過ぎて後は、子供を連れて行っても出なくなった。そうして遠くの方から、おれは蛇体になったから、いくら自分の生んだ児でも、人間を見ると食いたくなる。もはや二度とここへは連れて来るなと言った。そうして乳飲児ももう行きたがらなくなった。

それから二十日ばかりすると、大雨風があって洪水が出た。上鮎貝の家は本屋と小屋との間が川になってしまった。その時おせんはその出水に乗って、蛇体となって小友川に流れ出て、氷口の淵で元の女の姿になって見せたが、たちまちまた水の底に沈んでしまったそうである。

それからその淵をおせんが淵といい、おせんの入った山をば蛇洞という。
上鮎貝の家の今の主人を浅倉源次郎という。蛇洞には今なお小沼が残っている位だから、そう古い時代の話では無かろうとは、同じ村の松田新五郎氏の談である。                                   「遠野物語拾遺30」

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水辺には龍神や蛇神がいるという。これは水神弁財天がこの世では龍や蛇として顕現しているという考え方に依るのだろう。
言わば水の神の使いが龍や蛇という形を取っている。そうして松川姫や安寿が水底に沈んで浮かんでこないのにはわけがあります。
そうです。美しい娘達は「竜宮城」に行くからです。

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平時子がまだ幼さが残る安徳天皇を抱きかかえて船縁から海に飛び降ります。平家最後の天皇が八歳にして水面に消えます。

山鳩色の御衣に、びんずらをお結いになって、お涙をたくさんお流しになり、小さくかわいらしい御手を合わせ、まず東を伏し拝み、伊勢大神宮にお別れを申し上げなさり、その後、西にお向きなって、御念仏をお唱えになったので、二位殿(平時子)はそのままお抱き申し上げ「波の下にも都がございますよ。」とお慰め申して、深い海の底へお入りになった。悲しいことよ。無常の春の風が、たちまちに花のような(美しい天皇の)御姿を散らし、痛ましいことであるよ。分段(ぶんだん)の荒き波、玉体を沈め奉(たてまつ)る。」「平家物語」から

美しき娘達や幼き皇子はいまだに竜宮城にて龍王に守られながら幸せに過ごしている。



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春のきざし

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長沼の夜明け

春霞立つ今日の夕ぐれの空を長く編隊をつくった百羽ものハクチョウの群れが夕日を横切って行った
もうさよならの声も届かない遠くだった

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高く架かる金星

金星が西の空でだんだん高くなっていると感じる
気のせいだろうか



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新・遠野物語-竹取の翁の家-

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新・遠野物語-竹取の翁の家-

石碑調査を続けていますが,むしろ大きな発見は,人に顧みられなくなって,山の奥に消え去ろうとしている中世の景色に辿り着けるということです。調査の後にいただいた永田地区のおばあさんの「はっと」は本当においしかった。感謝しています。15日のご恩返しには努力したいと思います。よろしくお願いいたします。


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別れる哀しさ

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帰るハクチョウ達 今朝2/2撮影

昨日の夜は風もなく,ただ星の光ばかりが降り続ける哀しい夜となった。
雁やハクチョウ達が鳴き交わしながら星の光の中を北に向かってしばらくの間飛び続けていた。
渡り鳥が北に向かって帰り始めたのだ。いよいよお別れの時だ。
こう思うと毎年やるせない気持ちになる。
当然のように居た鳥たちがいなくなる寂しさにまた耐えなくてはいけない時期に差し掛かった。雁やハクチョウが飛ばなくなった空はがらんとして虚ろである。静かすぎる時間もまた苦痛になる。雁やハクチョウの鳴き声でつくられていた時空間が無くなってしまう。ただの青空だけが,ただの静けさだけががらんどうの春を連れてくる。

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昨夕月齢7の月と金星 雁もあまり飛ばなくなった。北へ帰ったのだ

西行の雁の歌を「山家集」から探してみた。
全千五百首ほどの歌に12首の雁の歌があった。

その中の一首に眼が留まった。「寄歸雁戀」というタイトルが附いている。恋の歌である。

つれもなくたえにし人をかりかねのかへる心とおもはましかは
<意訳>連れもなく付き合いも絶えてしまった私だが,かりがねのようにひたすら帰ろうとする心を知っていたならば帰る道も歩けたのに

西行は渡り鳥の雁の帰ろうとする気持ちの力強さに憧れを感じているが,それに引きかえ自分はどうだ。誰も待っていないし連れ添う相手もいないと苦り切っているようだ。人を思うことで恋の歌に入っているらしい。このような雁の帰ろうとする渡り鳥の本能は誰でも知っている。しかし実際雁やハクチョウの飛ばなくなった空や夕焼けはただ虚ろに美しいだけである。どこか耳の遠くに聞こえていた彼らの声が静寂の見えない底に沈んで行くことは懐かしい景色がなくなってしまうように感じる。つくづく彼らの声が,つまり音が私の世界をつくっていてくれたと改めて思い知らされるのもこの時期だ。「枕草子」で,嵐や台風の後の無造作に散らばった庭を見て,去っていってしまったものが残していったものに特段愛着があるわけではないのに何か妙な寂しさを感じるあの思い・・・。

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長沼の朝 今朝2/2撮影

理由無く生まれ出たものは見る夢も思い出せず一体どこに帰ればいいのだろう。
こう自分自身に尋ねてみると,夜に星の光を燈台として,星の光をまたたきにして山を越える雁やハクチョウ達の野生の帰巣本能の素晴らしさがつくづく理解できる。
彼らに大きく大きく手を振る。空から彼らの最後の声が降ってくる。青空に溶けて見えなくなるまで手を振り続ける。
自分の心の憂鬱をむりやりに掻き消すかのように空の果てに手をぶんぶんと振り続ける。

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雁やハクチョウ達が消えていった空 今朝撮影


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