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伊藤正子の昔話を読む-兄弟物 忠兵衛と忠太郎②-

3月20iss-7s
天の川を駆けるISS

伊藤正子の語る「忠兵衛と忠太郎」は如何でしたか。結構丁寧に読めば,時間もかかりますね。
伊藤正子の「忠兵衛と忠太郎」は,文字数にして3281文字で,ゆっくり読んでも15分はかかります。内容描写も的確で,丁寧に語られ,構成の緻密さが感じられる話になっています。この話に限らず,伊藤正子の語りは,丁寧で細部まで行き渡った背景まで語られ,聞く者に寄り添ってよく理解されるように語られていきます。
今回の「忠兵衛と忠太郎」について比較してみても,伊藤正子の「忠兵衛と忠太郎」は,3281文字,永浦誠喜は,1395文字となっており,伊藤正子の話は,永浦誠喜の語りの2.5倍弱に達しています。
伊藤正子は,よふさんの娘であるよしのさんを母として昔話を聞いてきました。つまり母から娘へ,そしてまたその娘へと三代にわたる母からの直伝という伝承経路です。普通は,昔話も経由地(人)が多くなるほど変異は進む確率は高くなるでしょう。しかし,むしろここで注目したい点は,伝承経路が,女性同士の空間を伝っているということ。女性ならではの社会環境を受けながら話も進化していったことが考えられます。女性として,嫁に行って家庭を持つこと,母になること,子どもを育てる事などの社会環境を受け入れて生きる女性の智恵が,昔話の伝播と重なり合いながら語られていたということです。語り手は,常に昔話を聞いてくれる相手に(男性だったら男性,女性だったら女性)配慮しながら,相手の幸せを願いながら語っていたことがこのことから分かります。
その語り手と聞き手の間に生まれる,かけがえのない空間が,相手を大切にしてあげる配慮に満ちていたのです。
それでは,今度はよふさんから内孫として直接聞いてきた永浦誠喜さんに,伊藤正子さんと同じ「忠兵衛と忠太郎」を語っていただきましょう。聞いた後で,二人の「忠兵衛と忠太郎」を比べて見て下さい。あれっ。と気付きます。

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伊藤正子の昔話を読む-兄弟物 忠兵衛と忠太郎-

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灯台の光 3月20日撮影

夕方にまだ雁の声がします
声のする方を見ますと,三羽の雁がくっつくように飛んでいました
もう北へ帰るよと残っている仲間に知らせているように感じました

さて,伊豆沼読書会は,今年,「伊藤正子の昔話を読む」というテーマで新田出身の昔語り伊藤正子の語りをもう一度皆で味わっていこうと取り組み始めました。伊藤正子さんは大正15年(1926)生まれ,平成29年(2017)5月31日に亡くなりました。享年92歳でした。あと3年で伊藤正子生誕100年という記念すべき年を迎えます。97年前の人を再度取り上げるのは,何よりも伊藤正子さんが優れた昔語りであり,その昔話の数々が今に伝えられているからです。
これから何回かにわたり,伊藤正子さん自身が文字に起こした昔語りを紹介していきます。
今日は,聞いた人達が皆,もう一度あの話を聞きたいという人気の作品,兄弟ものの「忠兵衛と忠太郎」です。この作品も「雉も鳴かずば」と同じようにルーツを辿るために,永浦誠喜氏の「忠兵衛と忠太郎」と比較しながら読んでいきます。同じルーツを持つ二人の話が思わぬことで違いを生んでいきます。今日はまず伊藤正子の語る「忠兵衛と忠太郎」です。
少し長いのでたたんでおきます。クリックして開いてお読み下さい。

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お彼岸の中日に起こる奇蹟

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祈りの星々

太陽黄経0°のお彼岸の中日
私は毎年この日に沈む太陽を「阿弥陀如来来迎図」と称して撮影してきました
つまりお彼岸の中日に沈む太陽の光の中から阿弥陀如来が現れるという奇蹟を記録したいという意味です
何もこの謂われはただの伝説ということだけではなく,それなりの意味があって伝わっていることではないかと思っています。実際に大阪四天王寺では日没に合わせて「日想観法要」が執り行われます。太陽黄経0°のお彼岸の中日に太陽信仰の儀式が執り行われる。ごく自然なことです。その特別な日に奇蹟が起こると言われると,やはりそうかもと思われます。

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お彼岸中日の落日

さて,最近私は,新田生まれの伊藤正子さんの昔話にある「小夜姫」に興味を持ち,その構造を探るために説教物をよく読んでいます。その一つ安寿と厨子王の「山椒大夫」を読み返していますと,ある一箇所に目が留まりました。
厨子王が助けられて,天王寺に行き着くと,そこに梅津の院がやってきます。当時の天王寺は行きあぶれた者や旅行者や子どもで溢れていて,寝泊まりをしている所でした。水上勉に依れば,天王寺ではそうした行きあぶれた子どもの中から臨時に雇い入れたり,施食してあげることで救済も行なっていたものですから,厨子王もそういった経緯で天王寺に運び込まれてきたといえるでしょう。さて高貴なる梅津の院は帝の重臣ではあったが,世継ぎの子がおらず,清水の観音に願を掛けた所,天王寺に行けば見つかるであろうという夢告げを受けたことで厨子王のいる天王寺にやってきたのでした。押並ぶ数多くの子ども達の最後尾に一際目立つ厨子王を見つけ,お茶の給仕をさせようと着替えさせると,他の稚児達と比べて格段に上の雰囲気です。厨子王もこの時と自分の身を明かし,自分は奥州,日の本の将軍,岩城判官正氏の子であると名乗ります。
この日が彼岸の中日のことであったと書かれていたのです。

奇蹟はお彼岸の中日に起こる
そんなことをまた知らされた日でもありました。


岬にて祈る2023

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祈りの岬

午前二時
このベンチに座り
海潮音を浴びて
目をつむる

「助けて」って言われたのに
「大丈夫だよ」と手を握って,ごまかした
あの朝は朝の光でとてもきれいな顔をしていた
今までにもそんな朝が2回ほどあった
じっと私の顔を見ていた
どうしてこんなに若くして,死なせてしまったのか
その悔いだけが
大きく深い穴となって
私に襲いかかる

いくら祈ってもたりない
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立ち上がる希望の光


祈り

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2022年3月10日

この写真は昨年の震災11年目の祈りを込めて撮影した一枚でした。

今年は3月11日辺りの月が明るすぎて,実はまだ撮影しておらず,やっと今晩からの撮影となります。
この時期は,春を感じさせる天の川がやっと夜半過ぎに昇ってくる,そのにぎやかさが
祈りに少し希望を添えてくれると感じています

いつまでも,いつまでも。
この祈りの一瞬がこれからの私たちの永遠の道しるべとなると信じています