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詩集 いのちの芽3-東北新生園葉ノ木沢分校-

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東北新生園 見晴らしの丘への道

毎日「詩集 いのちの芽」を少しずつ読んでいますが,心がしんとする詩の自然描写に,自分の幼い頃の思い出が重なって,二重写しになっていきます。そのことに不思議なデジャヴを感じます。深い癒しという心情に自分が沈んで透明になっていくような放心状態に陥るのです。文字言語でこのような心情が引き起こされるとは,書かれた文字が全く透明な鏡となって自分を反射しているからだとも思えます。言葉を使って何かをまさぐるように創り出していくような感情の方向性もなく,ただ波紋や風や光がゆっくりと拡散していくようなものです。葉が落ちるとか,そのような物理的な運動の場が一瞬この世に現われ,一刻のうちに消えていく,それでいてその一瞬のこの世への現れを自分自身が見届ける事実が奇蹟になるのです。
あなたと歩いた径(こみち)のそばの
梨の花はもう散ってしまった
夏のはじめのいさぎよい雨にいくども打たれ
それはもう土になってしまったのだろうか
「風によせるソネット」厚木叡


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冬桜咲く葉ノ木沢分校

これも詩を読んでいて,はっと思い出したことだが,中学校の図書室にこもっていた時のことだ
午後のほの明るい陽差しが差す書棚の隅の古ぼけた本の一冊を引き出してめくったとき
「葉ノ木沢分校」という押印を見つけた
新生園の葉ノ木沢分校が閉校した後に,中学校の図書室の蔵書になったのだろう。
その本の荒い紙質の指触りを思い出した
あの時は私もたった一人の苦しみを抱えたまま林を彷徨っていた
拠り所なくただ打ち捨てられていた自分がはっきりと息が止まるように思い出された

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懐かしい校舎のドアノブ

教員だった母親が若い頃,週に何回か,この東北新生園の葉ノ木沢分校に行っていたという。
以前,葉ノ木沢分校に遊びに行ったことがある。かわいらしい教室に木製の机と椅子が並んでいた。もう70年も前の子ども達はどんなことを学んでいたのだろうか。そうした感慨に満ちて帰り道についた。

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掲示板

新生園の至る所に看板がある。
園に来ると名前はどうするかと聞かれました。
それは出身地等も分からないようにするために名前を変えるかということでした。
そして「どこの教会に入るか」と聞かれました。これは死んだときに葬儀をあげてもらう教会を決めなさいということで,「数ヶ月で治って帰ってこられる」と言われていた人は,大きな絶望感を味わいました。
改名して,たったひとりになり,父や母からも,この世からも隠された存在となりきるしかなかったことはどんな思いだったか。また死んでも自分の戸籍上の本名に戻ることはなかったとも言われます。また父や母も家族も,本名に戻す必要はないと打診された際に答える血縁者も多かったと言います。
彼等は全く打ち捨てられ,天涯孤独で死んでいったのでしょう。

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新生園に続く道

彼等の存在や書かれた詩や文芸をもう一度見直す価値があります。

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教会のサザンカ

こんな隔離政策があったのかと,驚く方もいるかもしれませんが,コロナで患者が隔離されたのはつい最近のことですよ。


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新田地区イルミネーション始まる

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イルミネーション始まりました

星空を駆けるISS(国際宇宙ステーション)とイルミネーションを組み合わせて新田らしい雰囲気にしてみました。
イルミネーションは夜は9時までで,来年1月15日まで行なわれるそうです。子ども達がつくったペットボトルが輝きます。

ところで,今度の金曜日は新田中学校「歓喜に寄すを歌う会」ではないでしょうか。


詩集 いのちの芽2-自然と共に生きる意義-

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今朝12月4日のガンの飛びたち

詩集「いのちの芽」を読むと,詩の言葉がつくる世界の平穏さに出会う
やがて合歓の葉が
一枚 一枚
たたまれてゆく時
その花は
ほんとうに
匂いはじめたのです

だが

そんな静かな景色が
いつのまにか
私の眸(ひとみ)の中で
歪みながら
くずれていくのです
奥 二郎「景色」
彼等が生きる現実は,,むしろ死と隣り合うハンセン病という運命の不条理に叩きつけられた患者達だ。そんな苦しみの極にいる患者達が,なぜこのように自然を愛おしく書けるのであろう。何に対し,このような静謐な心象で自然を見ることができるのだろう。彼等の詩の言葉には,現実を突き抜けた,祈りに似た生き様が見える。
人間がいきるという,根源的な世界にさかのぼって追求するとき,ここはもはや健康者であると病者であるとを問わず,皆おなじ欲求をともなった問題であるように私は考える。志樹逸馬「生きるということ」
何という突き抜け方であろう。

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今朝12月4日のガンの飛びたち

2014年7月22日,天皇、皇后両陛下が宮城県を訪れた。
まず全国で14か所あるハンセン病療養所の一つ「東北新生園」を訪問されたのだ。新聞にはこう書いてあった。
 ◇半世紀かけ全14施設の入所者と懇談

 天皇、皇后両陛下は22日、宮城県登米(とめ)市のハンセン病国立療養所の東北新生園(とうほくしんせいえん)を訪れる。全国には14カ所(国立13、私立1)の療養所があり、両陛下の視察は13カ所目。ただ、唯一訪問していない大島青松園(おおしませいしょうえん)(香川県)の入所者とも施設外で会っており、今回の訪問ですべてのハンセン病療養所の入所者と懇談することになる。〈毎日新聞〉
天皇、皇后両陛下が半世紀をかけて全国にあるすべてのハンセン病療養所を訪問され,自ら声を掛けられたことは病気と偏見と差別の歴史を天皇陛下自らが身をもって正そうとすることになります。天皇陛下・皇后陛下に心より御礼申し上げ,敬意を表します。
 実は東北新生園は私の家の近くにあります。不治の病と言われたハンセン病は,私の子どもの頃は「らい病」と言われていて,あまり遊びに行くなよと家の人から言われていました。それでも友達と新生園に釣りに出かけたり,虫を捕りに出かけていたのです。よく山を散歩していた新生園の人たちとも会いました。

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今朝12月4日のガンの飛びたち

東北新生園の近くにいて,ごく当たり前のように子供時代から過ごしてきた私が,外からの目でハンセン病に向き合うことになったのは北条民雄の「いのちの初夜」を読んでからでした。そして大変な迫害の歴史があったことも知りました。そして遠藤周作の「わたしが・棄てた・女」を読んだりもしました。この作品は,のちに熊井啓が「愛する」という映画にしました。遠藤周作の作品は私にいつも現実の中にある倫理性の高さを要求してきました。例えば,隠れキリシタンの受難の歴史は,同じ人間がどうしてこんな残酷なことができるのかと涙を流したのも事実でした。遠藤周作はまっすぐな視線で隠れキリシタンやハンセン病の現実を通して私たちに語り続けてきました。

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ハクガンの群れ

山伏修行をしていたアメリカ人の若者が私に言いました。
「うちのお祖父さんはベトナム戦争を経て,ひどい鬱病になった」
その時,お医者さんはこう言ったという。
「自然の中で暮らしなさい」
病気でも,戦争でも,現実でも,人は極限まで行かされた時,自然の中で癒されることが必要になる。
詩集「いのちの芽」がこれ程に美しい詩に昇華しているのは,極限まで苦しんだ人間が自然の癒しによって,自然と共に生きる意義を見いだせたからであろう。


詩集 いのちの芽

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詩集 いのちの芽

このところ毎日少しずつ本当に丁寧にこの詩集を読んでいる
一度に読むにはもったいなく,少しずつ大事な宝物にそっと触れるように読んでいる
そっと手に取りたいと思える詩群なのだ
ふかぶかと繁った森の奥に
いつの日からか不思議な村があった
見知らぬ刺(とげ)をその身に宿す人々が棲んでいた (後略)
「伝説」厚木叡
心地よいに自然にすっかりと埋もれた中,かすかな心の叫びをそっとあげている詩が多い。わたしはこんなそっと世界に触れようとする詩が好きだ。
同じ人の「路」という詩は,こう始まる。
村のなかで私はその路をひそかに愛した。
プラタナスと銀杏の若い並樹にはさまれ,遠く
まっすぐに見透しになった路。その遠景にうすみ
どりの絵具皿を溶いたように山原がみずみずしい
膚(はだ)の一部をためらいがちに覗かせていた。
いつ見ても人の影も疎らで,物思うに適していた。(後略)
この後並木の間から人形のような次々と生まれ出て,彼方の靄の中にのろのろと吸われていく幻想を見る。

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エナガ

いつからなのか 何故なのか知らないのです
私の唇は突然歌を喪ってしまい
私の喉はわたしの体にあいたまっ黒なただの洞穴になってしまい
私の中におやみなく湧きいでた美しかったもろもろの
思念たちは(後略)   同「唖の歌」

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今朝12月2日のガンの飛びたち

暖流
            伊藤 秋雄
ひとりは ひとりの苦痛が
幾らかでも
小康(やす)らぐようにとつとめ
病み衰えた ひとりは
冷えるからもう帰ってもいいと
ひとりを気遣う

ふたつの 心とこころが
とたんに ばったり 衝きあたり
美しい涛(なみ)しぶきとなって
崩れ
そのまま暖流に乗って
冬の海を流れて行った

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今朝12月2日のガンの飛びたち

風景
                國本 昭夫

三日月がほんのりと武蔵野に

襤褸をまとった女が通っていった

風は凪いでいた。

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西日を浴びて

芽  
                 志木 逸馬
芽は
天を指差す 一つの瞳

腐熟する大地のかなしみを吸って
明日への希いにもえる

ひかりにはじけるもの

芽は渇いている 餓えている
お前はもはや誰れのものでもない
(廻転する地球の風にゆれる
 花のものだ)

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今朝12月2日のガンの飛びたち

この詩集「いのちの芽」は,全国のハンセン病療養施設にいる73人の詩を集めて1953年に発刊されたもので,70年振りに国立ハンセン病資料館が復刊させた詩集です。この詩たちを読むと,実に素直で,苦しい中でも光差す方を見上げようとする生きるという姿が浮かび上がって来ます。
私は全国に7か所あるというハンセン病療養所の一つ,東北新生園がある新田に住んでいます。子どもの頃は山深い新生園によく遊びに行ったものでした。緑深い森の中で,秋の落ち葉敷く山道で,桜の花びらが舞い落ちる中で,私は散歩する患者の方々と挨拶を交したことを憶えています。この詩集を大切に読みたいと,そっと手に取るのは,埋もれてしまった子どもの頃の思い出をそっと呼び戻そうとしているからかもしれません。
北條民雄「いのちの初夜」を読んだのは,高校を卒業した頃でした。


太陽と向かい合う阿弥陀如来来迎図

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阿弥陀如来来迎図

いろんな朝が訪れるが,昨日の朝はちょっと違っていた。
昨日の日の出の写真を見てほしい
分かるでしょうか

あれっと思いました
雲の周りのうっすらとした円
そしてその円の中心に暗い影

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線を引いてみました
太陽光を遮った雲が光を受けて放射状に明るくなり,その中心に暗い雲があります。
誰も気付かない程のことで,それも数分で終わりました。
しかし,いつも御来迎(ブロッケン現象)などを気にしているわたしにとっては,太陽と向かい合って阿弥陀如来来迎図に出会えたことは昨日一日を明るくしてくれました。つまり雲がスクリーンになって背後から太陽の光が差し込むという構図です。これはプラトンの洞窟のイデアを思い出させます。さっそく「向かい合い来迎図」の可能性を考えようと思いました。