FC2ブログ

三次元の哀しみ 賢治の認識論

星2-827 007-2s

下流の方の川はば一ぱい銀河が巨きく写ってまるで水のないそのままのそらのやうに見えました。

深山牧場 053s

それは四つに折った はんかち はがき ぐらゐの大さの緑いろの紙でした。
「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」車掌がたづねました。
それはいちめん黒い唐草のやうな模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものでだまって見てゐると何だかその中へ吸ひ込まれてしま ってまた新しい世界の中へでも入るやうな気がするのでした。
「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんたうの天上へさへ行ける切符だ。天上どこぢゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈でさあ、あなた方大したもんですね。」

星 043-s

「ありがたう。私は大へんいゝ実験をした。私はこんなしづかな場所で遠くから私の考を 人に 伝へる実験をしたいとさっき考へてゐた。お前の云った語はみんな私の手帳にとってある。さあ帰っておやすみ。お前は夢の中で決心したとほりまっすぐに進んで行くがいゝ。そしてこれから何でもいつでも私のとこへ相談においでなさい。」

044s.jpg

泣きながら目覚めた朝
光によって呼び起こされた
影によって夢だと知った
きれいな音でさへこの世に引き戻すレクイエムとなる
あらゆるものすべてが
旅立つための
とうめいな食べもので、とうめいな水
それを知った時には哀しかった
いっそ隔てているものを消し去ることができたのなら
あの人は私の前に立っていたのに


にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村
にほんブログ村 写真ブログへ
にほんブログ村

銀河鉄道の夜―賢治の認識論

北山崎-2s
夜の北山崎  イカ釣り船の明るい光が海の暗い水面に映えます。

賢治の「銀河鉄道の夜」のお話を始めて4回目になります。
しかし、なかなか思い通りに核心に辿り着けません。今日は最も手強いと思う部分です。一緒に銀河鉄道に乗っていたカンパネルラが突然にいなくなる場面です。ジョバンニが「カムパネルラ、僕たち一諸に行かうねえ」と言って振り返った時にカンパネルラは消えてしまいます。そしてカンパネルラが座っていたその席に「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人がやさしくわらって大きな一冊の本を持ってい」たのです。この部分は初期形から残っていた部分です。不思議なのはこの黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人が語り聞かせる内容です。その部分を引用してみます。
そしてみんながカムパネルラだ。
(中略)一しんに勉強しなけぁいけない。おまへは化学をならったらう。水は酸素と水素からできてゐるといふことを知ってゐる。いまはだれだってそれを疑やしない。実験して見るとほんたうにさうなんだから。
けれども昔はそれを水銀と塩でできてゐると云ったり、水銀と硫黄でできてゐると云ったりいろいろ議論したのだ。みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。それからぼくたちの心がいゝとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考えとうその考えを分けてしまへばその実験の方法さえへまればもう信仰も化学と同じやになる。


実験による証明が大切だと強調しています。今でこそ水は水素と酸素でできていると分かりますが、昔は様々な呼び方をしてきて、互いに自分の考えが正しいと論争してきました。どちらが正しいかは後世になって実験と証明によって明らかになります。だからしっかり勉強することで正しいことと間違いであることを区別できるようになることが大切だよと言っているのです。この考え方だと正しいことと間違いであるということの区別を実験によって知ることで信仰さえも科学的に証明されると主張しています。

このような考え方は賢治が科学的な実験を基本として思考や感情、信仰等を再読み込みさせ、ついには科学も芸術も統合させていこうとする前提があると思われます。ここで29歳の賢治がしきりに口にした「われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについてどうもおかしな感じ」とか「或る心理学的な仕事の仕度に」とか『春と修羅』の序文で書いたような「歴史や宗教の位置を全く変換しようと企画」することを目論んでいるのはこの方法によってではないかと思われます。
そうすると『春と修羅』の果てにある世界の構築は『春と修羅』第二集や大作『小岩井農場』の記述の過程で実験され続けているのでは・・・と考えられます。
『銀河鉄道の夜』の「大きな一冊の本を持っている黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人」の話には続きがあるので読んで見ましょう。

異途への旅立ち 094-2s
朝の一番列車
八戸線 宿戸-陸中八木


けれども、ね、ちょっとこの本をごらん、いいかい、これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこの頁はね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。よくごらん紀元前二千二百年のことでないよ、紀元前二千二百年のころにみんなが考へてゐた地理と歴史といふものが書いてある。だからこの頁一つが一冊の地歴の本にあたるんだ。いゝかい、そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいてい本統だ。さがすと証拠もぞくぞく出てゐる。けれどもそれが少しどうかなと斯う考へだしてごらん、そら、それは次の頁だよ。紀元前一千年だいぶ、地理も歴史も変ってるだらう。このときは斯うなのだ。変な顔をしてはいけない。ぼくたちはぼくたちのからだだって考だって天の川だって汽車だってたゝさう感じてゐるのなんだから、


この頁はね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。
よくごらん紀元前二千二百年のことでないよ、
紀元前二千二百年のころにみんなが考へてゐた地理と歴史といふものが書いてある。

この文章は何を言っているのか難しいですが、「紀元前二千二百年のころに(現代の)みんなが考へてゐた地理と歴史といふものが書いてある」のであって、「紀元前二千二百年にあったことの地理と歴史」と一致するわけではないと言っているのでしょう。現代人によって読み換えられた、つまり解釈された「紀元前二千二百年の地理と歴史」なのだと強調しているようです。解釈され、表現された歴史や地理はそれを表現した人の考え方であって「ほんとうは」分からないという意味にも感じます。だから鵜呑みにせずに更に勉強して、正しいものを見つける努力をしなくてはいけないということです。この方向性が一緒であれば、カンパネルラとも一緒に歩んでいけるんだよ。と言っているようです。

DSC_8199-2s.jpg
-9℃の朝 結局この日が今シーズンで最も寒い朝となりました。2/13の日でした。

もう飽きてきましたが、「大きな一冊の本を持っている黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人」はジョバンニに更に手品のような訳の分からないことを言います。今日の最後ですのでなんとか付き合ってください。引用します。
そのひとは指を一本あげてしづかにそれをおろしました。するとジョバンニは自分といふものがじぶんの考といへものが、汽車やその学者や天の川やみんないっしょにぽかっと光ってしぃんとなくなってぽかっとともってまたなくなってそしてその一つがぽかっとともるとあらゆる広い世界ががらんとひらけあらゆる歴史がそなわりすっと消えるともうがらんとしたたゞもうそれっきりになってしまふのを見ました。だんだんそれが早くなってまもなくすっかりもとのとほりになりました。

賢治独特の明滅を繰り返すという描写ですが、はっきり言ってさっぱり分かりませんね。私はこのような見え方や考え方が賢治独特の認識論だと考えています。つまり今、自分が堆積した地層が見える露頭、崖下にいると思ってください。露出して横縞模様に見える地層が見えています。その時代の姿をそのままに現在にむき出しになっているわけです。もう何百万年前から最近の地層まですべての堆積した時間と岩石が自分の目の前に同時に見えている状態。この状態はわれわれの通常使っている時間の感覚過去から現在へと続き、未来へとつながる一本の線という時間のイメージと全く違うものだということです。賢治は現代にいながら一瞬で第三紀へ飛び、また現代に戻りすぐ中畳紀に飛ぶ視点を持っていたのだと考えられないでしょうか。まとめると賢治にとっては時間を遡ったりせず瞬間的に「多世界にシフトする」ことができた稀な人であったと思うのです。


この話はつづきます


にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村
にほんブログ村 写真ブログへ
にほんブログ村

銀河鉄道の起こり3

DSC_8306-2gs.jpg
伊豆沼に光舞い降りる

「銀河鉄道の夜」の作品についてお話を始めて3回目です。
「銀河鉄道の夜」が賢治自身によって紹介された1924年(大正13)12から年が明けすぐに「異途への出発」と称される三陸への旅を敢行したことは「銀河鉄道の夜」の作品の中に「異途への出発」の成果が現れ出て来るのではないかと考えることは自然のように思います。

この賢治の三陸旅行について、私自身も三陸を訪ねた記事は以下の通りです。

異途への出発
夜明けの海に立って-異途への出発-
異途への出発 その4-異界の旅は最後を迎え-

今回は賢治の三陸旅行が「銀河鉄道の夜」の作品にどう現われ出ているかを探ってみたいと思っています。この三陸旅行の旅の作品は次のようになっていて、「春と修羅」第二集に入っています。
異途への出発 1925/01/05
暁穹への嫉妬 1925/01/06
〔水平線と夕陽を浴びた雲〕〔断片〕 1925/01/07
発動機船〔断片〕 1925/01/08
旅程幻想 1925/01/08
峠 1925/01/09

これらの作品を改めて読んで見て、銀河鉄道の夜の中の文章や語彙に使われている様子はないかを確かめてみたのです。

結果的には類似点はあまり見つかりませんでした。ただ三陸旅行で見た景色が「銀河鉄道の夜」の「六 銀河ステーション」の文章に生きているのではないかと思えたのです。その部分を書き出してみます。最終形で追加された部分です。
ジョバンニは一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きはめやうとしましたが、どうしてもそれが、はっきりしませんでした。
(どうもぼくには水だかなんだかよくわからない。けれどもたしかにながれてゐる。そしてまるで風と区別されないやうにも見える。あんまりすきとほって、それに軽さうだから。)ジョバンニはひとりで呟きました。
 すると、どこかずうっと遠くで、なにかが大へんよろこんで、手を拍ったといふやうな気がしました。
 見ると、いまはもう、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとほって、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のやうにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立ってゐたのです。遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、或ひは三角形、或ひは四辺形、あるひは電や鎖の形、さまざまにならんで、野原いっぱい光ってゐるのでした。ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけに振りました。するとほんたうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろかゞやく三角標も、てんでに息をつくやうに、ちらちらゆれたり顫えたりしました。(打ち消し線は削除された部分です)

この幻想的な天の川の透明な水のゆらぎの描写はとても素晴らしい文ですが、三陸旅行の詩群の「発動機船[断片]
                  一九二五、一、八、   
   水底の岩層も見え
   藻の群落も手にとるやうな
   アンデルゼンの夜の海を
   船は真鍮のラッパを吹いて〔以下空白〕」

この景色の透明性と夜の海の景色に通じるものがあります。この描写では発動機船に乗って夜間に進んでいますが夜の中でも深い透明性を知る水底の様子や藻の群落がすぐそこに手に取るように分かります。この 一九二五、一、八の日付のある断片「発動機船」の夜はどんな夜だったのでしょう。実は満2日前の13のが空高く皓々と海原を照らしていたのです。この夜の星図を見てみましょう。
発動機船の夜
発動機船に乗って1925.1.9の夜

どうでしょうか。夜の透明性の高い水の揺らぎや視線を起こすと夜の海の広がりや漁り火。西を見ると陸地の港や人家の灯の描写が文章によく合うと思います。
いまはもう、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとほって、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のやうにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立ってゐたのです。遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、或ひは三角形、或ひは四辺形、あるひは電や鎖の形、さまざまにならんで、野原いっぱい光ってゐるのでした。ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけに振りました。するとほんたうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろかゞやく三角標も、てんでに息をつくやうに、ちらちらゆれたり顫えたりしました。
しかしこの景色の描写が満近い夜で夜の船の上で太平洋を臨んだ景色だともちろん断言はできません。そして晴れていたならば星々が明るい夜に南まで連なっています。夜明けであれば天の川が水平線上に見え始めます。
異途への出発-2s
異途への出発
このようなイメージで1/6の日付のある「暁穹への嫉妬」を読んで見ましょう。
薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて、
ひかりけだかくかゞやきながら
その清麗なサファイア風の惑星を
溶かさうとするあけがたのそら
さっきはみちは渚をつたひ
波もねむたくゆれてゐたとき
星はあやしく澄みわたり
過冷な天の水そこで
青い合図(wink)をいくたびいくつも投げてゐた
それなのにいま
(ところがあいつはまん円なもんで
 リングもあれば月も七っつもってゐる
 第一あんなもの生きてもゐないし
 まあ行って見ろごそごそだぞ)と



にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村
にほんブログ村 写真ブログへ
にほんブログ村




銀河鉄道の起こり2

DSC_7691-2gs.jpg
月に並ぶ

1925年(大正14年)に入り、正月の冬休みに異途への出発と称した冬の三陸の旅に出た賢治が家に戻り森佐一に手紙を書きます。
「・・・前に私の自費で出した「春と修羅」も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。」


 「われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについてどうもおかしな感じ」、 「或る心理学的な仕事の仕度に」
 この部分を読むと,賢治は一体何を考えていたのだろうと思います。

もう一度書きます。
「われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについてどうもおかしな感じ」
「或る心理学的な仕事の仕度に」

「銀河鉄道の夜」の終わりにいよいよ不思議な描写が出てきます。カンパネルラが突然消えた場面です。
おまへはさっき考へたやうにあらゆるひとのいちばんの幸福をさがしみんなと一しょに早くそこへ行くがいゝ。そこでばかりおまへはほんたうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ。」「あゝ、ぼくはきっとさうします。ぼくはどうしてそれをもとめたらいゝでせう。」「あゝわたくしもそれをもとめてゐる。おまへはおまへの切符をしっかりもっておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。おまへは化学をならったらう。水は酸素と水素からできてゐるといふことを知ってゐる。いまはだれだってそれを疑やしない。実験して見るとほんたうにさうなんだから。けれども昔はそれを水銀と塩でできてゐると云ったり、水銀と硫黄でできてゐると云ったりいろいろ議論したのだ。みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。それからぼくたちの心がいゝとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考えとうその考えを分けてしまへばその実験の方法さえへまればもう信仰も化学と同じやになる。けれども、ね、ちょっとこの本をごらん、いいかい、これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこの頁はね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。よくごらん紀元前二千二百年のことでないよ、紀元前二千二百年のころにみんなが考へてゐた地理と歴史といふものが書いてある。だからこの頁一つが一冊の地歴の本にあたるんだ。いゝかい、そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいてい本統だ。さがすと証拠もぞくぞく出てゐる。けれどもそれが少しどうかなと斯う考へだしてごらん、そら、それは次の頁だよ。紀元前一千年だいぶ、地理も歴史も変ってるだらう。このときは斯うなのだ。変な顔をしてはいけない。ぼくたちはぼくたちのからだだって考だって天の川だって汽車だってたゝさう感じてゐるのなんだから
賢治は一体何を言おうとしているのでしょうか。


DSC_6710-2gs.jpg

この考えは賢治独特の考え方です。
賢治はよく浴びる人だと言われます。雨でも、光でも、雪でも霧でも何でも浴び続けるのです。そしてまるで断片が明滅するように身体に刻み込まれて堆積していくのです。彼は時間は降り積もり、堆積すると言っているようです。この考え方は時間は時間軸というラインがあって連続して遡行できるようなものではなく,堆積して断続していると考えているようです。だからその堆積を表現する本の体裁が適切な表現となるのです。本は時間を頁に刻んで堆積させる考え方で成立しています。だから「この頁一つが一冊の地歴の本にあたるんだ。いゝかい、そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいてい本統だ。さがすと証拠もぞくぞく出てゐる。けれどもそれが少しどうかなと斯う考へだしてごらん、そら、それは次の頁だよ。紀元前一千年だいぶ、地理も歴史も変ってるだらう。このときは斯うなのだ。」という表現になるのではないでしょうか。


「銀河鉄道の夜」の「七、北十字とプリオシン海岸」でバタグルミを掘り出すときの描写です。
いや、証明するに要るんだ。 ぼくらからみると、ここ が は 厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたといふ証拠もいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかといふことなのだ。
この「百二十万年ぐらい前にできたといふ証拠もいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかといふことなのだ。」というくだりは何を言っているのでしょうか。
どうもこのように証拠もそろうのだけれど他から見ると「こんな地層」に見えているのか「風か水やがらんとした空かに見えやしないか」という疑いをもっているのです。この考えが森佐一とこの年の暮れに岩波茂雄に送った手紙の「われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについてどうもおかしな感じ」に対応していると思われます。そして「春と修羅」ではできなかった「私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度」で解決の糸口を探そうとしているわけです。「銀河鉄道の夜」ではそうした賢治の中で永遠に繰り返されているテーマに物語としての価値を与えようとしていると考えられます。

DSC_7399-2gs.jpg

賢治の中で永遠に繰り返されているリフレインとは何なのでしょうか。
「なぜ通信が叶わないのか」ということになります。
他の次元との交信がなぜ叶わないのかということになります。死んだ妹トシとの通信はできないのかということです。ちがった空間とはあの世のことです。けっして一人を祈ってはいけないならば実験して証拠を残せないかということです。

つづく

にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村

銀河鉄道の起こり

DSC_7374-2gs.jpg
春の光感じられる今朝のさんぽ道

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は賢治作品の中でも最も美しく燦然と輝いている。
大人の世界にも十分に通用する作品だと断言できる。そしてその価値はなんと夏目漱石以上と見ている(怒られるかもしれないが)。夏目漱石は近代化というものを近代化した人間に確かに言い換えてきた。西洋の思想との違和感も描くこともできた。その点では日本人の西洋化の姿を描ききったと言える。一方「銀河鉄道の夜」はまさに近代化を体現しようとした東北人が描いたという点に価値がある。それもイメージを昇華させたファンタジーとしてである。文章から溢れる抒情やイメージはまさに夏目漱石以上と言える。まあ,比べようもないことだが・・・。
私はこの大作に見合う見識が備わったら何か述べたいと思ってきた。一賢治ファンとしては「銀河鉄道の夜」は究極の体系化された最も畏れ多い作品なのだ。小昧がちくちくと部分だけを拾い上げて述べたりしても失礼なことだと思ってきた。しかし,そんなことを思っているうちに私も齢を重ね,また後でとか言っている場合ではなくなってしまった。

まず「銀河鉄道の夜」が賢治自身によって語られたのは大正13年12月にイーハトーヴ童話『注文の多い料理店』が世に出て,その出版記念の席上だと言われている。もう初稿が成立していたと思っていいだろう。そして翌年大正14年(1925年)賢治29歳の正月,異途への出発となる三陸旅行に出かけていく。とすると,銀河鉄道の夜の成立と時期的にもすぐ訪れる三陸への異途への出発が密接な関係にあると十分思われる。つまり三陸旅行では何かしら銀河鉄道の夜の描写について突き止めたかったために三陸旅行に出かけたのだと考えてもよいはずである。

先日私が図書館でコピーを頼んでの待ち時間に今野勉の「宮沢賢治の真実 : 修羅を生きた詩人」 単行本 – 2017/2/28新潮社をぱらりとめくっていた。するとやはり銀河鉄道の夜と三陸旅行でケンタウル座が見えたのではないかという予想を立てていた。ケンタウル座の見え方などが作品の中に反映されてきていると第7章 「銀河鉄道の夜」と怪物ケンタウルスで語っている。
51FB780ImRL__SX345_BO1,204,203,200_
今野勉の「宮沢賢治の真実 : 修羅を生きた詩人」2017/2/28新潮社

結果はどうでしょう。日の出寸前に晴れていたら賢治はケンタウル座は見えるのである。その朝の星空です。
異途への出発ケンタウル座
1925年(大正14)1月7日日の出直前6時の星空
銀河鉄道の夜にはもちろん「四、ケンタウル祭の夜」という章もありますし,検索すると「ケンタウル」という言葉が7回出てきます。
「四、ケンタウル祭の夜」の中で時計屋にある星座板に見入るシーンがあります。その星座板の「まん中に円い黒い星座早見が青いアスパラガスの葉で飾ってありました。ジョバンニはわれを忘れて、その星座の図に見入りました。」
そしてその星座板の描写です。「いちばんうしろの壁には空ぢゃうの星座をふしぎな獣や蛇や魚や瓶の形に書いた大きな図がかかってゐました。ほんたうにこんなやうな蝎だの勇士だのそらにぎっしり居るだらうか、あゝぼくはその中をどこまでも歩いて見たい」と思うわけです。この中の「ふしぎな獣や蛇や魚や瓶の形」「蝎だの勇士」を確かめるわけです。ここでもう一度賢治が北三陸を旅した1月7日夜明けの星空の星座を見て下さい。この記述の中の「ふしぎな獣」「蛇」「蝎」「勇士」が出てきます。そして勇士はケンタウルのことです。

DSC_7419-2gs.jpg
春の予感

ここで注目したいことは「四、ケンタウル祭の夜」の中の引用した部分が《最終形で追加された文》だということです。この部分だけを引用します。
ジョバンニはわれを忘れて、その星座の図に見入りました。
 それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですがその日と時間に合せて盤をまわすと、そのとき出てゐるそらがそのまゝ楕円形のなかにめぐってあらはれるやうになって居りやはりそのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったやうな帯になってその下の方ではかすかに爆発して湯気でもあげてゐるやうに見えるのでした。またそのうしろには三本の脚のついた小さな望遠鏡が黄いろに光って立ってゐましたしいちばんうしろの壁には空ぢゃうの星座をふしぎな獣や蛇や魚や瓶の形に書いた大きな図がかかってゐました。ほんたうにこんなやうな蝎だの勇士だのそらにぎっしり居るだらうか、あゝぼくはその中をどこまでも歩いて見たいと思ってたりしてしばらくぼんやり立って居ました。
 それから俄かにお母さんの牛乳のことを思ひだしてジョバンニはその店をはなれました。そしてきうくつな上着の肩を気にしながら、それでもわざと胸を張って大きく手を振って町を通って行きました。
この部分は原稿の13葉の後半が消されて,この部分が追加されたのです。それが原稿14葉になっています。

これらの具体的なケンタウル座付近の星座の記述になったのは賢治が異途への出発三陸旅行で何かしらの確信を得て書き換えられたのではないでしょうか。こう考えることは自然です。
つまり銀河鉄道の夜の最終形に追加されて書き換えられた部分に三陸旅行の成果が現れ出ていると考えることができます。この考え方で最終形に追加された他の箇所を三陸鉄道の旅と照合させていく作業がどの程度の効果を得るか,それはまた続きで行います。

DSC_7431-2gs.jpg
さんぽ道の朝


にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村