2023/12/07
詩集 いのちの芽3-東北新生園葉ノ木沢分校-

東北新生園 見晴らしの丘への道
毎日「詩集 いのちの芽」を少しずつ読んでいますが,心がしんとする詩の自然描写に,自分の幼い頃の思い出が重なって,二重写しになっていきます。そのことに不思議なデジャヴを感じます。深い癒しという心情に自分が沈んで透明になっていくような放心状態に陥るのです。文字言語でこのような心情が引き起こされるとは,書かれた文字が全く透明な鏡となって自分を反射しているからだとも思えます。言葉を使って何かをまさぐるように創り出していくような感情の方向性もなく,ただ波紋や風や光がゆっくりと拡散していくようなものです。葉が落ちるとか,そのような物理的な運動の場が一瞬この世に現われ,一刻のうちに消えていく,それでいてその一瞬のこの世への現れを自分自身が見届ける事実が奇蹟になるのです。
あなたと歩いた径(こみち)のそばの
梨の花はもう散ってしまった
夏のはじめのいさぎよい雨にいくども打たれ
それはもう土になってしまったのだろうか
「風によせるソネット」厚木叡

冬桜咲く葉ノ木沢分校
これも詩を読んでいて,はっと思い出したことだが,中学校の図書室にこもっていた時のことだ
午後のほの明るい陽差しが差す書棚の隅の古ぼけた本の一冊を引き出してめくったとき
「葉ノ木沢分校」という押印を見つけた
新生園の葉ノ木沢分校が閉校した後に,中学校の図書室の蔵書になったのだろう。
その本の荒い紙質の指触りを思い出した
あの時は私もたった一人の苦しみを抱えたまま林を彷徨っていた
拠り所なくただ打ち捨てられていた自分がはっきりと息が止まるように思い出された

懐かしい校舎のドアノブ
教員だった母親が若い頃,週に何回か,この東北新生園の葉ノ木沢分校に行っていたという。
以前,葉ノ木沢分校に遊びに行ったことがある。かわいらしい教室に木製の机と椅子が並んでいた。もう70年も前の子ども達はどんなことを学んでいたのだろうか。そうした感慨に満ちて帰り道についた。

掲示板
新生園の至る所に看板がある。
園に来ると名前はどうするかと聞かれました。
それは出身地等も分からないようにするために名前を変えるかということでした。
そして「どこの教会に入るか」と聞かれました。これは死んだときに葬儀をあげてもらう教会を決めなさいということで,「数ヶ月で治って帰ってこられる」と言われていた人は,大きな絶望感を味わいました。
改名して,たったひとりになり,父や母からも,この世からも隠された存在となりきるしかなかったことはどんな思いだったか。また死んでも自分の戸籍上の本名に戻ることはなかったとも言われます。また父や母も家族も,本名に戻す必要はないと打診された際に答える血縁者も多かったと言います。
彼等は全く打ち捨てられ,天涯孤独で死んでいったのでしょう。

新生園に続く道
彼等の存在や書かれた詩や文芸をもう一度見直す価値があります。

教会のサザンカ
こんな隔離政策があったのかと,驚く方もいるかもしれませんが,コロナで患者が隔離されたのはつい最近のことですよ。
