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伊豆沼読書会4月ありがとうございました

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萌え色さんぽ道 今日5月1日撮影

4月30日毎月最後の土曜日に行われている伊豆沼読書会が昨年12月以来やっと再開できた。
まず「鳥と文学-雁の話-」2021年シーズンも18万羽のマガンが訪れたこの伊豆沼・内沼で雁の話は必須の話である。雁の話では漢書にある「蘇武」が雁に手紙を託したことを中勘助の「鳥の物語」から解説し,そして「雁風呂」の話。この雁風呂の話は青森の十三湊や外が浜に残っているというもっぱらの話だが確かめてみると,そのような話や伝説は青森にはなく,中国山西省あたりの話が流れ着いたということになるのだろうという話,そして西行や菅江真澄の話にも雁風呂に言及した文章や歌はみつからなかったという話をした。

その次に「伊豆沼八景」作成の話になったが,話は意外にも伊豆沼がラムサール条約によって住民からすっかりと切り離されてしまったという話が続出し,一切地元の住民でも沼に手を付けられないことってどういうことなのかと集まった人達が憂いた。
気軽に釣りもできず,お盆には蓮の花一本沼から取って来て仏壇にも供えられない。花一輪,虫一匹も取れない。鳥たちには苦労して育てた米を黙って提供しなくてはいけない。勝手に取ったら罰せられると沼との共生を断ち切られた現状を嘆くことが多かった。一体この断絶は歴史的に古く,もう昭和40年代にはテレビで伊豆沼がハクチョウの湖として有名になるにつれて更に顕在化してきたのだった。自然保護が叫ばれると手をつけるなと言うし,水害予防の工事というと自然保護団体がいきり立つし,結果的に地元住民は手を引いて諦めたりした。そして最後に農民が我慢してきたという論理である。マガンが稲を食べるというのはそうあることではないよ,落ち穂を拾って食べるというマガンの礼儀正しさを伝えても田んぼを作る者は鳥はすべて害鳥と考えている。これが実態なのである。

ラムサール条約にある「ワイズユース」の考えとはどこにいったのか。勝手に手をつけると罰せられるという法律はなんの法律か,このような無理解の狭間で伊豆沼の人々は苦しみ,やがて沼の水辺から遠ざかって行った。

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雨に濡れる山桜

伊豆沼・内沼環境財団の嶋田哲朗氏はサンクチュアリーセンター設立30周年を迎えたときに次のように書いた。

伊豆沼・内沼は農業や漁業など人の生活の中で維持されてきた沼です.たとえば,沼の水を灌漑に利用する,ヨシを屋根葺きに利用する,マコモを家畜の餌にする,コイやフナ,エビなどを採るなど,さまざまな方法で沼を利用してきました.こうした二次 的自然に対して,知床や白神山地のような原生自然に対して適用される,手をつけないという考え方で 取り組みが進んでいきました.当然のことながら, そういう考え方は沼から人を遠ざけます.ラムサー ル条約の 3 本柱のひとつにワイズユースという言葉 があります.皮肉にも伊豆沼・内沼は登録後にワイズユースから遠ざかってしまったのです. 2000 年代に入ると,手をつけない保護だけではなく手をつけて保全するという考え方があらわれ, 里地里山という言葉も世の中に広まりました.伊豆 沼・内沼では 2009 年に自然再生事業が始まり,植生管理や外来種駆除など総合的な保全に取り組んでいます.これまでにない積極的かつ大規模な保全を行うことによって,少しでも生態系の改善を図ることはもちろんのこと,手をつけてはいけないというこれまでの考え方を払拭するねらいもありました.

一体魚一匹,虫一匹,お花一輪摘むだけで罰金刑になるという考えはどこから来ているのだろうか。そのような誤解がなぜそのままになっているのだろうか。どうもこれはラムサール条約だけでなく,鳥獣保護法,文化財保護法,自然保全地域というラムサール条約にのっかる様々な法的な規制の細目が絡み合ったことがラムサール条約に上書きされた形ですり込まれていると解してよさそうだ。ではこのように複雑に絡み合った規制が地元住民になぜ分かりやすく浸透されなかったのだろう。
実はこの問題は伊豆沼の干拓当初から引きずってきた問題でもあろう。例えば伊豆沼を干拓すると悪水池の機能を果たさなくなり下流域に水害をもたらすという考え方や自然保護という観点から人間が勝手な造作を禁止するという法的な規制とこういう行為は罰則は伴いませんよという啓蒙の不足,動植物の保護のためには農家も少しは我慢して下さい,協力して下さいという勝手な思想の押しつけにつながり,それらから派生する問題を解決してこなかったのではなかったろうか。
蕪栗沼とその周囲の水田がラムサール条約に指定された意味は大きい。「その周囲の水田」が入っているからである。伊豆沼の問題を見て人間の関わらない自然とはあり得ないのではないだろうか。その問いに対する答えを「水田」の中に人間も入れて考えようとしているからである。

上記の論文の最後で嶋田氏はこうまとめている。

しかしながら,ラムサール条約湿地になると手をつけられない,という誤解はまだま だ根強くあります.これからも研究,保全,普及啓 発などさまざまな環境保全活動を展開し,ラムサー ル条約湿地にふさわしい歩みをすすめたいと考えて います.




幻日について

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幻日現る 2022/2/9 午後4時26分

大雪が予想されるという9日の夕方
幻日が見えた
今までにも多くはないが何回か幻日を見たことがあった。この幻日が発生するには何か同一条件があるのだろうか。確かめてみようという気になった。自分が記録してあった3回分の幻日の写真を見てみましょう。冷たい空気が流れ込んでいたのであろう。夜は月暈が見えていた。

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幻日現る 2020/11/10 午前6時53分

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幻日現る 2019/1/13 午前7時40分

ここで3回分の幻日発生時の天気図を比べて見たい

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2022/2/9の天気図
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2020/11/10の天気図
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2019/1/13の天気図

これらの天気図を注意深く比べるといずれも日本海に高気圧が張り出してくる時で,風は西側からの風が吹いている。冷たい空気が流れ込んで来るのであろう。実際の幻日は殆ど風がない朝に多く見られる。また早朝で気温はかなり低くなっている。これらの条件が揃ったときに幻日が見えるようだ。
実は江戸時代の暦面裡書にも同様の幻日の現象が書かれていた。寛政四年の「日が三つあり」という記録である。次の写真を見てください。

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北方村阿部家暦面裡書から寛政4年の幻日の記録

寛政4年(1792)の記録だが,記録の上に追記されていて太陽が三つ見える同じ現象が沖縄那覇付近で2日連続で見えたという大正4年の9月2日の記事である。この現象は台風発生の前兆と記してあったようだ。実は阿部家の記録でも寛政4年の幻日は二日連続で見えている。

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北方村阿部家暦面裡書から寛政4年の幻日の記録

以上今日は「幻日」についてお話ししてみました
天文現象は天からの大切なメッセージです。しっかり受け取っていきたいものです。


マガンという鳥

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今朝1月6日の-9℃の蕪栗沼

 マガンという渡り鳥は昔の短歌で詠われているように迎えては秋を告げ,見送っては春を告げる渡り鳥です。見ては鉤になり,棹になり,聴いてはその鳴き交す声が色が寂しくなった田畑に独特の寂しさを感じさせます。季語も「雁(がん)、かりがね、真雁、菱喰、沼太郎、酒面雁、雲井の雁、小田の雁、病雁、四十雀雁、白雁、黒雁、初雁、雁渡る、天津雁、雁の棹、雁行、雁の列、落雁、雁鳴く、雁が音」と様々です。文部省唱歌の『雁がわたる』は明治45年(1912年)に紹介されたものでした。
雁(かり)がわたる
鳴いてわたる
鳴くはなげきか喜びか
月のさやかな秋の夜(よ)に
棹(さお)になり かぎになり
わたる雁 おもしろや

雁がおりる
連(つ)れておりる
連(つれ)は親子か友だちか
霜(しも)の真白(ましろ)な秋の田に
睦(むつ)まじく つれだちて
おりる雁 おもしろや

雁と言えばここで「雁風呂」の切ない話も紹介したいのですが,以前に載せていますのでそちらをご覧下さい。

さて,このような人の近くにいながら,特に警戒心が強く,人が近づこうものならすぐ警戒の声を上げ,飛立つ用意のために首をまっすぐに伸ばします。よく言われる「雁首がそろう」光景となります。雁が田んぼで休んで居る場合には数十㍍までは近づけます。雁首がそろったら,それ以上は近づかない方がいいのです。車で近づく場合もゆっくりと何回か停まり,様子を見てまた車で数㍍ずつ近づくといいですね。警戒音を上げたり,雁首がそろったらその距離が限界距離です。この姿勢がそれ以上近づかないでという彼らのメッセージなのです。


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 この頃は寒さも厳しく,水面も氷結して,特に警戒を怠らなくなっています。急に飛立ったりした場合,周囲をよく見ると,キツネなどがいて飛立ったのだと分かります。広い田んぼまで飛んで,そこでまた眠りの体勢に入ります。吹雪などの場合,彼らは風上に向かって低い姿勢を取って首も沈め対風姿勢を取ります。これは突然何かあって飛立つ場合には羽が風を受けてすぐ舞い上がれる状態ですし,また強風で思いがけなく羽が持ち上がり,羽を痛めてしまったら大変です。ですから風上に体をむけるのは彼らの理にかなっています。
 私は毎朝マガンの飛立ちを観察してもう20年以上になりますが,未だにどこから,どのようにマガンの飛立ちが始まるのか,どんな合図が出されているのか,その合図はどんな鳴き声か,または動きなのかを突き止めようとしていますが全く分かりません。「きたか」と思うと2・3羽だけのファミリーだけだったりすることも多いです。私の「マッス(かたまり)に挑む」という一連のシリーズはこうしたマガンが大群で飛立つ数秒間の全体が創り出すカーブ,輪郭,ラインを撮る試みです。とにかく全体で飛立った時には先頭がライン決めていきます。すべてはこの先頭の取るラインに従い,高さも殆ど同じです。急に高度を上げたり,向きを変えたりはしません。この全体のフォルムが出来上がってから方位の修正等が施されます。彼らの飛立った直後の高度は大体周囲にある樹のような障害をクリアする程の高度で,すぐそう高くは舞い上がりません。例えば全体が向こうへ飛び立った後に,全体がUターンしてこちらに向かって飛んで来るという場合もあります。こういう時は圧巻の迫力です。

次に声ですが,よく聴いていると水面にいて鳴き交わしている声と飛行中の声とでは調子も大分違っています。腹の白いその年に生まれたような若い雁が飛行中によく確認するような声を立てます。ファミリーで飛ぶ場合には春が近づくにつれて子どもが先頭をまかされることも多くなるような気もします。またはぐれてしまったのか一羽だけの飛行中の雁が一定間隔で家族を探すように鳴いていることもあります。不思議なのは真夜中にもかかわらず全体が激しく鳴いていたかと思うと,数分から数十分にわたって一斉に沈黙することもあります。

現在のような寒さの厳しい時期は微妙に日の出30分前に飛び出たりしますが,飛立った殆どが「早すぎた」と思うのか,またスタート地点に戻ってくることも多くなります。所謂一回目の飛び立ちは慣らし運転のようなもので,日の出前間際の本番の飛立ちまで二回楽しめることもあります。
彼らの渡りのコース取りや中継地,繁殖地などの移動等に関する生態はかなり分かってきていますが,それでも不思議なことはたくさんあります。ガンガンカモ科に属しますがガンとカモでは全然また生態が違います。大体がカモは夜行性です。ガンは昼に動きます。彼らの習性について確信を得る程の観察がまだできていないようです。


ご来迎

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白い虹の中心が川に懸かっています そこが少し虹色に丸くなっています 蕪栗沼堤防

ブロッケン現象です

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ラインを引いてみました むーん 分かりにくい

背景にもっと霧が密度高くあるとはっきりすると思います

2012101705231345csブロッケン
ご来迎 栗駒山で

これが歴史書で指定された地域でブロッケン現象が実際に北上川に映る場所があるのかを探しています
何も高い所ばかりで起きるわけではありません
平地でも起きています
すると堤防なのだろうか
背後が崖などで遮られない小高い堤防だろうか


霧晴れ往く

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霧晴れ往く

この頃いろいろな場所に行くのは,ブロッケン現象がどのような場所で起きるかを確かめたいためです。
なかなか難しい
やっぱり高山に行かないと駄目なのかな
大正時代に編集された本に割合に平地の山里でもブロッケン現象が古くから起きていることが書かれていました
その場所を特定したいと思っています