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雪の降り方が・・・

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の降り方が・・・

の季節に雨である
どうしたわけかと思う
よく思い返してみると昔は
雨に傾きかけたでもなんとかだった
の降り方にも意地があった
ぼただったり
みぞれだったりした
津軽でなくても
雪の種類はけっこうあった
また降り方もいろいろだった

胸を苦しくさせるばかりに隙間なく濃く降る雪もあれば
初雪の便りようにちらほらと風になびく雪もある
風のない時には律儀にまっすぐに暖簾のように降った
差し込んだ雲間からの光に朱色に浮かび上がる雪もあった
夜の街頭の光にせわしく浮かび上がる横殴りの雪もあった
明るい雪
暗い雪
乾いた雪
よい音を立てる雪
吹雪の夜
雪が降りやんだ朝の雪の吹きだまりの美しさ
きらきらと舞うダイヤモンドダスト
学校の鉄棒に触ると寒さのために手がくっついた
雪降りのために学校が休みになった


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降り積もる雪雪雪また雪よ
津軽には七つの雪が降るとか
こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪
みず雪 かた雪 春待つ氷雪
「津軽恋女」新沼謙治

時々無性に雪深い山里の景色に会いたくなる


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写真に深度をつくる表現

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写真の地層 深度1

まず,上に掲げた「深度1」という写真を見ます。

普通私たちは一枚の写真を見たときに直感的にその写真を理解しようとします

何を写そうとしたのか
テーマは何か
写真のリアリティーはどうか
ピントは合っているか
画面の構成は無駄がないか等
それらは写っている物の明確さや力強さによって伝わってくると考えます
一枚の写真の表現は鑑賞者に一つのまとまったテーマとして訴えてくるように読み込まれていきます。

しかしです
そのような写真の鑑賞の仕方や読み方は正しいのでしょうか

写真にはそれ以外にも埋め込まれた深さが秘められています
つまりそうした鑑賞者の理解へと向かわせる表現とは別の次元の深さがあるような気がします
例えば,このマッス(かたまり)と化しているピントが外された領域は一体何だとか
浮かび上がる曖昧さのかたまりはどうしてこんな色なのか
輪郭が消え,ただのグラデーションとなった物体の本質とか
テーマに引きづられることのない世界の現在が露わになってきます
分かったつもりになればなるほどあなたの自分勝手な解釈の序列化の中にすべてが階層化されていく

そこで,次に「深度2」の写真を見て下さい

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写真の地層 深度2

「深度1」の写真のピント位置を数㎜変えるだけでこのようになります
全く違った印象になり,視点は今度は奥の血管のように浮き出た葉脈に向かいます
この写真の読み解きは1枚目の「深度1」と違ってくるでしょう
数㎜のピントの違いだけで,この写真の表現者の持っているテーマがまた違って理解されるようになるでしょう。

まとめます
写真の理解とは表現者の意図を汲み取りながら構築されていきます
今日の場合,数㎜のピントのずれが鑑賞者にどんな理解の変化をもたらすのか
表現する者はファインダー内で細部に渡る計算をします
その計算から出てきた表現が鑑賞者の読みにダイレクトにつながっていきます


年越し写真帖2

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冷たい霧の雑木林

林に入る
万華鏡のような光の切片が木々の枝先に踊る
林床にも踊る
カラ類の澄んだ声
落ち葉を踏むキツネやタヌキ
また静かに沈んでいく沈黙
枝先を翔けていく風の音
こんな雑木林も殆どなくなってきた

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朝日に飛ぶ 蕪栗沼

日が高くなってから飛び立つガンの数は少ない
いつもながらいつ背を向けて家に帰るのか迷う
撮影を止めた途端に最後の見せ場がやってくるからだ

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夜明けの林から望む星たち

林の中,木々の合間から見える星の光は存在感が少し弱くなる
やっぱり少し光跡を長くした方がいいかも

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川面に降るみぞれ

雨を多く含んだみぞれが降る元旦となった
向こうに虹が立っている
カモたちが去った水面は静かだ

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年越ししたバラの蕾

ここを通ると決まってこのバラの蕾を覗き込む
もう花となって開くことはないようだ
冬の寒さにじっと耐えている





母が一番喜んだ贈り物

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草刈りをやめたらお花畠 今朝8月29日撮影

草刈りをやめたらユリのお花畠ができた

毎年のことだが春から夏にかけて炎天下の中,汗だくになって家の草刈りをしてきた
隣の畑や南側の田んぼに迷惑を掛けてはいけないという気持ちだった
ところが今年田んぼへのカメムシ防除の薬剤散布まで3回目の草刈りが終わらず,お盆を迎えてしまったのだ(カメムシ防除の薬剤散布をした後に草刈りをすると田んぼにカメムシなどが戻ってしまうので,草刈りの機を逸してしまったのだ)

するとどうだろう。お盆過ぎからユリの花が群生してきたのだ
草刈りを怠けたお陰で今はユリ園のようにユリの清楚な花が見渡す限りに目を楽しませている
やたらに草刈りをしていたが,草刈りも程ほどにした方がよいと気付かされた

ふと一昨年の登米町の北上川堤防のジャコウアゲハの大量発生を思い出した。
実はコロナで草刈りを延期したことが幸いしてジャコウアゲハの食草であるウマノスズクサが刈り払われずに残ったことがジャコウアゲハたちを喜ばせたのだった。
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2020年の登米町北上川堤防で大発生したジャコウアゲハ

そして家では,このユリの群生である。
やたらに草刈りをするものではないと教えられた出来事だった。
考えてみれば蛍もそうである。やたら草刈りをすると蛍の発生は少なくなる。きれい好きで勤勉な農家の友だちと少し話し合って,草刈りの時期などを見直すことも大切だと感じた。

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家のユリのお花畠の誕生に一番喜んだのは92歳のであった

偶然ながらにユリのお花畠のプレゼントができたことは何よりのことだった
自然をよく見ていないために幸せをのがしていたのだ
私は実に浅知恵であった


穏やかになる風景

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八重の朝

心が穏やかになる風景があります
単純であっても心が穏やかに静まっていくことが感じられます
小波がやがて収まり,凪になる時の心持ちに似ています
澱が静まり,先の見えない人生の朧気な自分の願いがはっきりする時に似ています

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夕暮れの散歩

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朧な朝の光

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靄たなびく朝

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ウワミズザクラ咲く

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春のせせらぎ