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朝靄立つ

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朝靄に霞むハスの景色 長沼

晴れた夜は幾分か空気が冷やされるのか,朝靄が立つようになった。
夏休みなのに,子どもが遊ぶ姿を見ない。

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朝靄が立つと幻想的な景色になる


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春告花 ミズバショウ-透明さへの希求-

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ひたすら光を待ち望む姿

誰よりも先に春を告げようとするミズバショウ
まだ雪が降るというのに
西に傾いたシリウスにさえ光を求め
果敢に春を告げる


焼石6.24 293-2s
ミズバショウ
白が透明になっていく
茶色に枯れてゆくことを拒み,地に同化するよりも,天の色に融け込もうとする意志
自らの終わりまで,激しく希(ねが)うことをやめない。

リコーダー講習会 756-2gs
このミズバショウ今日咲いたばかりです。

リコーダー講習会 977-23s
ミズバショウの唄

ミズバショウ 417-2gs
ひっそりと

今日はミズバショウのかわいい姿を集めました

春の湿原 423-2gs
スノーブリッジの下にさくミズバショウ

ミズバショウに桜
ミズバショウの髪飾り



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貴婦人の佇まい-シラネアオイ-

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貴婦人の佇まい-シラネアオイ


山を歩いていてこのを見つけると
貴婦人に会った気持ちになる
謙虚で
上品で
慎み深いこの
近づくことは勿論
触れることなども絶対にできない
生きるために人には裏と表があると言うが
このはそんな裏表すら持つ必要もないと思わせる
このの人格がすべての隅々まで現われているからだ
言わば昇華されている美である

だから言葉は「優美」「完全な美」「完璧な美」だという
四月二十七日生まれの誕生花になっている

この花の写真を撮り始めると
先へ進めなくなる
失礼な写し方をしたら花にも失礼である


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ヴァレリー・アファナシエフに会う

栗駒520 123ssss
ブナ展葉

わたしが手を差し出すとアファナシエフはそれに応えて手を出した。
名ピアニストの手はとても柔らかだった。
私はブナの展葉の季節の柔らかなブナの葉を触ったのかと思った。
手のひらから淡い緑色が広がった思いだった。

学習発表会一般公開 439-2s
アファナシエフ

彼の演奏を聴いてすぐ好きになったのは「モーツァルト 幻想曲ニ短調K.397」だった。
アファナシエフの音の響きの底にある間(ま)や余韻にたちまちのうちに魅了された。間のかすかな沈黙の中にしきりに降りしきるものが見えた。見えないが夜の間中,沈黙と共に何かがいつも降り注いでいる。夜の撮影の中で感じていたものが彼の演奏の間にありありと見えていた。彼は違うと思った。鍵盤を打つ一音一音に幻のようなものが白く立ち昇る気がした。旋律を待つ聴き方はできないと思った。

栗駒 780-2-2s
光差す

ベートーベンのピアノソナタ「悲愴」「月光」「熱情」のプログラムだった。
アファナシエフは深呼吸もせず何も構えずに座るとすぐ弾き始めた。もう湧き出てくるものは止めようがないという雰囲気だった。アタックが世界に割って入るという感じはしない。彼のアタックは何かが世界に立ち昇ってくるという感じだ。突然に空に現われた虹のようだ。もう「悲愴」の第一楽章の後半で胸に迫るものがあった。知らないうちに涙がこみ上げていた。「月光」も,今まではギレリスのレコードで聴いてきたが叙情的というものに収まっていた部分がアファナシエフの演奏ではクールに聞こえてくる。音が立っている。右手と左手の音同士が補完し合っている感じがしない。音同士が同時に立ち上がってそのままに屹立している。

リコーダー講習会 096-2-2s
霧立つブナの林

音楽を風景に移し換えることはできない。
しかし何かどこかにある景色を思い出すことができる。それは映像というよりは前世の記憶の景色かもしれないし,かつてどこかで見た景色なのかもしれない。林の中を細く穏やかに曲がりくねる道である。タルコフスキーの映像のようでもある。ツルゲーネフの描く林の中の「逢い引き」の景色かもしれない。アファナシエフの打つ音はやはりロシアを感じさせる。音の底にある深い部分に滲んでくるかすかにむき出しになって見える情動のようなものがそう思わせるのかもしれません。夜明け前のうごめく霧を動かすものとも言えます。それがタルコフスキーを思い出させるんです。それもタルコフスキーの「鏡」に出てくる草むしている道や家の中にある鏡に映るほの暗さに似ているものです。

リコーダー講習会 754s
光と戯れ歌を歌う

それにしても宮城でアファナシエフが聞けるとは思ってもいませんでした。
彼の手はブナの若葉のように柔らかでした。
改めて彼のファンでよかったと思いました。
彼も69歳。何かを求め続けているから詩も書くし,本も出します。彼の思索はこれからも音の原点を深く彷徨い続けるでしょう。彼のバッハが聴けるのも近いかもしれません。


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