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弔いの声

神割崎 051s

死んだおっ母の声が聞えて,平次郎は目が覚めた。
まだその声が夜の中空に漂っている。懐かしい声が残っている天井の暗闇を見た。

また,声が聞えた。夢の中の声ではなかったのだ。夜の中に消え入りそうになりながら,細く歌うような女の声。

月が出ている。板戸の隙間からはっきりと月の光の帯が差し込んでいた。

「こんな遅くに,誰だろう」
平次郎は身を起こして声のする方の板戸を少し明けて外を覗き込んだ。

声の主は岬へ向かう人だと分かる。誰かの命日に当たるのだろう。
岬へ続く道のたもとから崖沿いに浜に下りて行く道がある。そこに賽の河原がある。崖の中が波でくりぬかれて出来た死者を弔う墓場だ。人が死ぬと魂はこの賽の河原に行くと言われていた。夜の道を覗き込んだ平次郎の目に提灯の明かりが動いている。
「ああ,たつだろう」

たつの夫は去年の初めにみまかったのだった。たつの夫は百姓をしていたが,冬の初めに山に木を切りに行って戻ってこなかった。切り倒された木の下敷きになって死んでいたのだった。
その夫の弔いに行くのだろう。皓々とした月の光に踊るように提灯の明かりが揺れると,たつの歌う声が風に乗って聞こえて来る。

夜気仙沼線 292-2gs

平次郎には,たつの歌声は悲しいというよりは,何か明るささえ感じられた。月夜に消え入りそうな声だがはっきりとした希望が読み取れる芯のようなものを感じた。夜に弔いに行く哀しさをどこか越えている。滲み出るような喜びが籠っていたのだ。その歌に合わせて提灯も揺れている。その踊っている提灯の奥に,広々とした海が黒く刷毛で引いたように重く広がっていた。

この岬への道を辿る者は皆死者に会いに行く。その道すがら歌は歌われてきた。
岬から賽の河原に下り,祈りを捧げ,残された者の息災を祈った。賽の河原から帰る者たちの歌は幾分安心したように穏やかな声色になった。平次郎は幾度となく海鳴りの奥に聞える女達の歌声を聞いてきた。


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伊豆沼の里 新田中学校-「歓喜に寄すを歌う会」-

歓喜に寄す 062s
登米市立新田中学校「歓喜に寄すを歌う会」後ろの体育館の上に金星

昨夕,登米市立新田中学校の年末の恒例行事「歓喜に寄すを歌う会」が星空の下で行われました。
中学生70名の皆さんの素晴らしい歌声に今年も涙しました。
折りしもマガンが塒入りする時刻。
中学生の皆さんの歌に合いの手を入れるようにマガンの鳴き交わす声も聞こえていました。
遠くからはさざ波のように伊豆沼のハクチョウやマガンの声が聞こえています。
日本一の冬鳥の越冬地に住む中学生の皆さんの美しい歌をつくる姿と自然のコラボレーション。
西の空には最大光度-4.7等の金星が中学生の背中に光り,南の空には南中をむかえようとする月齢10.5の月が輝いています。

何という素晴らしいシチュエーションでしょうか。
自然が中学生を祝福してくれているのです。

歓喜に寄す 114s
一般の人たちも入ってのべートーベンの「歓びの歌」の合唱シーン

電飾されたヒマラヤシーダーの樹の下に人々が集い,美しい星空と月と渡り鳥の声とコラボした新田中学生の皆さん。その一時間は何にも代え難い時間でした。その場に居合わせた幸せを感じました。
70名だけでもあれほどの歌が歌える。いや,70名の思いが美しい音楽をつくる。

すべて集約化され,効率性が優先されるこの世の中で,大切なものは何かをいつも教えてくれるこの行事に私は心からありがとうと言いたいです。

雪の朝 222s
今朝-3℃の内沼の朝(12/14)
雪の朝 297s
幻日(12/14)

この「歓喜に寄すを歌う会」が終わると,空からは師走の雪が降り始めました。


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