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写真展を構築する力を考えてみる

雨のブナ林 192-2tr-s
ブナの匂いのする雨の日

今日は写真展を構築する力と題してまたつらつらと話してみたいです。
およそ写真が好きという方は,どこでどんな写真をどう撮るかという,撮る楽しみに尽きると思います。コンテストなどもそうした撮った写真一枚だけを見てその完成度を競うわけですから,とにかく自分の好きで気に入っている写真を一枚選んで出すだけでいいわけです。しかし,同じ写真でも全く違う,写真展を開いて人に自分の作品群をどう見せるかという分野もあります。自分の作品を総合的に世に問う大切な写真活動になるわけです。これがまた実に難しいことです。
私は自分の拙い作品ながら,写真展を開き,写真展で発表することに重きを置く傾向があります。1枚一枚は良い作品であってもただ無秩序に並べられたり,バランスも考えない展示はかえって見る人を苦しめることになります。そして疲労感だけを感じて展示会場を後にしてしまうことになります。それくらい写真展を開くと言うことはテーマなり,統一性があってこそ1枚一枚の写真の価値が生きてくる究極の世界だと思います。
では一体どうすればいいのでしょうか。どうすればただの写真の羅列ではなくなるのでしょうか。その問いがいつも自分を苦しめています。言わば最後の産みの苦しみです。しかし満足できる写真展になった時は実に努力がむくわれた充実感にひたることができます。

星産業-2s
廃工場の窓をゆらす電車

第一に写真展のテーマが何であるか。何を伝えようと写真展を開くのか。テーマの模索はそのまま自分のこれまで撮ってきた写真がどういう指向性を持つかという原点に立ち返る自分への問いとして現われてきます。むしろなんでも撮るというよりはどこか偏って撮っていることは自分がそこにこだわり続けているという証拠で,望ましいことになると感じます。どうしてこだわるのか。例えばどうして鳥の写真を,鉄道の写真を,山の写真にこだわって撮り続けているのか。その方向性を見定め,観る人と作者が共に旅する空間が写真展となるでしょう。ですから自分の写真を代表する写真がテーマ写真として展示の中心となります。大体は一番奥に展示され,最も工夫された空間がそこに出来るようにします。ライティングもそこだけ違っているような演出がなされます。するとテーマの中心に辿り着く前に観ておいてほしいことや自分の写真世界を理解してもらえる導入部がエントランスから中心に向かって続きます。これが写真展の構想力の力となってきます。小説だと引き込む力,展開の妙と言えるでしょうか。観る毎に写真1枚一枚が互いに関連性を持ち,違った質が醸し出されてきたらうまく行っている証拠です。そこで大抵,人は文脈を辿り直すように展示された写真を戻って観て,また進んだりします。つまり観た人の中で作品を自分なりに味わい尽くそうとする態度が出てきます。これは写真をどのように並べるかにかかっていますが,これまた難しいことです。私などはついコーナーをつくり○○コーナーという表示を付け勝ちになってしまいます。でもこちらの意図を理解してもらうためにコーナーを設置することはテーマの理解を促していい</span>のかもしれません。
コーナーを作ってもその中でまた工夫することになります。それは写真の大きさに変化をつくることだったり,2段にするとか,観る者をリズムに誘う工夫です。例えば最後まで同じ展示で続けると,観る者にリズム感がなくなり飽きやすくなってそのまま素通りしてしまいがちになってしまいます。途中でリズムをわざと崩して,観る者を立ち止まらせることも必要です。写真の大きさがA4,A4,A4と来たら最後にA3ノビではっとさせるような工夫です。よく絵本などで1ページ,1ページ,1ページと来たら,突然見開き2ページの大きな絵というような新しいリズム感という趣向です。

海沿いにて 163_4_5_tonemapped-2s
ある海沿いの風景―震災後―

次に意外と大切なのは写真のタイトルとキャプションです。これは観る人を写真の世界に引き込む働きをしますから,体言止めではなく,物語の始まりのような語りかけのことばがふさわしいように思います。またキャブションはタイトルで語られたことの続きが語られると観る者が感情移入しやすくなると思います。テーマとは物語です。物語がどう写真で語られていくのかが展示の工夫となります。
私は写真を一旦並べた後,移動してまた見直します。そしてそれを何度も繰り返します。すると不思議なことに並べられた写真達の新しい意味が浮かび上がって来たりします。この作品の次はこれだと観る筋書きができてくるのです。この連なりができてくると並べているのに違和感が感じられる写真も出てきます。そういう写真は思い切って除きます。

また工夫としては,どんな年齢層の人達が観に来るかで,参加型のコーナーを設けたりもします。例えば人通りの多い場所での展示ですと子ども連れも多くなり,数点選んでわざわざ投票をさせたり,子ども向けコーナーをつくると大人は作品を観て,子どもはその間自分で楽しむという互いに牽制しないですむ時間が生まれます。

以上のように考えただけでも写真展が総力戦そのものだということが分かります。つまり鑑賞者を観ることに集中させる仕掛けの数々が巧妙に出口までの間にしつらえてあること。これまで難しく書きましたが,ちょうどヒッチコックの映画を思い出せばいろんな仕掛けが全編を通して仕掛けられている様子が理解できると思います。あの感じです。

今日お話ししたことは私が写真展を開く際に特に感じてきた課題のようなものでもあります。
ありがとうございました。
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理容店にて

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霧立ち込める

どうも自分は人とのコミュニケーションの取り方で悩む性質(たち)だといい歳をして薄々と感じてはいたがやはり気になることがあった。コミュニケーションなので相手が悪いわけでもなく,自分が悪いと言うことでもない。ただ交わされる言葉の意味疎通が互いに大きくずれてしまうのだ。そのずれがどうしても不快になってしまう。

先日娘の結婚式に参列するために理容店に行って髪を切りそろえた。
「結婚式に出るので少しはっきりとした感じにしたい」
普段は何も言わずおまかせでやってもらう私だが今回だけは結婚式なのでそう言ってみた。
「どこをどうしたいのですか」と若い男はハサミを持ちながら鏡の中の私に言った。
正直私はとても驚き,言葉が詰まった。明らかに鏡の中の若い男の「どこをどうしたいのですか」という返事には柔らかな拒否が感じられたからだ。「どこをどうしたいのですか」,普通そのような返事はしないだろう。私は髪のプロに結婚式向きのカットを注文したのである。髪のプロが結婚式に参列するという客の言葉を聞いて一体どのような点に気を付けてカットすればよいかは理解できるのではないかと私は予想してそれも幾分下手(したて)に注文したのだ。いや,少なくても髪のプロだったらそれくらいは知っているだろうという勝手な値踏みを私もしていた点に落ち度があるということなのか。ところが何度も言うが髪のプロフェッショナルからの返事はこうだった。「どこをどうしたいのですか」だ。
正直私はその返事にとても驚いた。二の句が継げないほどだった。しまったと思った。こんな若造にこんなことを言うんじゃなかったと思った。大きな鏡の前に人生のフィナーレの黒い幕がするすると下り始めた思いだった。返事の言葉自体に明らかな拒否が感じられた私には次の瞬間,むらむらと湧き上がって来るものを感じた。「どこをどうしたいのですか」という無礼な言葉に対して,それを受けて立つ正統的で紳士的なやり返す言葉だ。私は自然と鼻息が荒くなるのを抑えて言った。
「例えば生え際をきれいにそろえるとかさ・・・。」私は自虐的な照れ隠しのような笑みを浮かべていった。ところがこう言った。
「それは顔そりがやります。どこをどうしたいのですか」
(言葉ではっきりと自分の考えを言え。そうでなければやらんぞ。)こう言われているような気持ちになった。それも少なくても100字以内で簡潔に要点を押さえて言うこと,そんなテストを受けているようだ。

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赤い朝

仕方なくこう言った。「短めの髪で六対四くらいの分け方。後ろは軽く刈り上げるように」(これじゃ。普段通りじゃないか)
「承知いたしました」若い男は言われたように切り始めた。そして顔そりの係の男には「結婚式だそうです」も何も伝えはしなかった。自分の仕事は言われたようにやった。顔そりの同僚も仕事に自信を持っているから客がサミットに出ても結婚式に出ても恥ずかしくない顔そりをするだろうと思っているのだろうか。だから客の情報も伝えないのか。とんでもねえ思い違いをしてねーか。若者っ。成人式もう終わってるよな。
私は負けたのである。最後のセットの係の男が私の結婚式出席を知り,仕上げのスプレーをまるごと一缶使うように吹き付け,私の髪の毛は硬い針金のようになった。
そうか。これが結婚式用の仕上げなのだ。私は泣きそうになりながら思った。
私は若い髪のプロ集団に負けたのである。

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この頃ぱらぱらとしか飛ばなくなった蕪栗沼

私は少なくとも次のような心が満たされる会話を夢見ていた。

私「結婚式に出るので少しはっきりとした感じにしたい」
店「そうですか。おめでとうございます。それでは結婚式ですからはっきりと(髪を)分けましょうか。後ろは少し刈り上げた方が印象がいいですね。丁寧にやらせていだきます。」
私「ああ。頼む」

いずれにせよ。コミュニケーションの難しさをいやと言うほど感じさせられた理容店だった。
次の日,太い針金のような髪で私は娘とバージンロードを歩いた。

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終わった後のさみしさ

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新田中学校 12/13「歓喜に寄す」を歌う会

夕暮れの青の時間に天にふんわりと昇っていく生徒達の歌声
その空に一人一人の一年間の思い出やマガンの親子が塒に帰ろうとしている姿が映る
最後に彼らの後ろには黄色に輝く金が鋭く光る
この世にあるようにあることが許された子どもたちの声よ
その声のまま生きていってほしい


iss中学校4-2s
終わった後のさみしさ

終わった後,さみしくなった
なんでもそうだった
いつでもそうだった
終わった後に一人でいると
妙にさみしくなる
するとISSが手を振るように空に虹を描いた

歌をありがとう
ちゃんと聴いていたよ
そう言っているように思えた。



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ヒガンバナ満開です

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朝日差す

よかったらどうぞ。
「わたしの写真をささえるもの」お話会
日時 令和元年10月5日(土)夜7時
場所 伊豆沼農産「くんぺる」
申し込み・連絡・お問い合わせは伊豆沼農産「くんぺる」(0220-28-2986)
マガンが朝昼晩と晴れた空を悠々と飛んでいる。随分と数も増えたようだ。霧の朝など,一斉に鳴き声と共に飛び立つ羽音は霧で姿が見えない分だけ迫力がある。マガン達が鳴き交わす音,林の繁みにはすだく虫の音,稲刈りの音,農家の前を通れば穫り入れた米を脱穀する音。秋は音の季節だと改めて感じる。

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ほんにょ

夕暮れの新山権現にお参りすると林の奥から暖かい空気が降りてきた。どこかかすかによい香りを漂わせた空気だ。お参りがすんで坂を下りるととたんに冷たい空気に包まれた。秋はこのように空気の密度が極端になって層となっているように感じる。

ひがんばな107 024-2ssヒガンバナ満開です

家のヒガンバナが満開になっている。鮮明な赤だがどこか深みが感じられる赤に朝靄の残る日陰の沼の景色を思い出す。
エナガの鈴を振るような鳴き声に眼を上げる。


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写真展のお知らせ

写真展
写真展のお知らせ

日時 令和元年9月14日(土)~16日(月) 9:00~18:00
    最終日16日は17:00まで
場所 登米祝祭劇場小ホール


お出かけ下さい
全51点の力作が揃います。




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