北上川を渡る風

土曜朝 128-2s
北上川を渡る風

春先の北上川を渡る風は・・・冷たい。
かなり冷たいです。光は少し差していて写真では暖かい感じはしますが,実際は風が絶え間なく吹いて,凍えるようです。確かに水が集まると言うことは風も集まり,そして流れていくところになるのでしょう。地形によって風通しの良い場所などは桜の開花にどれくらい影響するものなのか,興味深いところですね。


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こんなところで・・・

ひころの里 046-2s
座敷に差し込む冬の光

こんなところでゆっくりしたい

ひころの里 064-2s
外見の間

こんなところで本を読みたい

火曜夕方縦-2s
帰り電車


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冬景色

大船渡線12月 370-2gs
冬景色  北上川


川を見つめる

溶けていくような感覚

時間が溶け始め

私の身体に残っている

意味もなく堅いものが

少しずつ溶けて流れていく

水面の光の中に
かすかなうねりが立ち

やがて

沈んでいった


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土地の神様

東北本線 108-2s
石仏群

「何も今始まったことではないが・・・」とか「うすうすは感じていたことだが・・・」という言い方は大抵はやばい場合に使われることが多い。
写真を撮りながら実は自分は何を映しているのかと途方に暮れることがある。それくらい表面の変化が激しい,景色の変化が激しいと思わざるを得ない。この写真に写っている石仏群は江戸の終わりから明治にかけて作られたものだ。しかしこのような石仏群がその土地の歴史を離れて,さも無用なもののようにうち捨てられている姿を随分と目にするようになった。世界の表面はとにかく削られ道路はでき,昔のモノはすべて跡形もなく捨てられてきているのだ。その集落の道の目印だった場所に建立された石仏はその土地の歴史の目印であり,交通の要所に当たるところでもあったはずだ。村の共同財産とした土地に建てられている例も多い。また神社の一角に建てられていた石仏群は村の人たちの共同寄進地であることも多い。こうした土地を買う場合には土地所有の許可を得る時に死んだ人も多くなっていたり,その村で血が途絶えたりしている家もあるから裁判に掛けて土地を動かすことが多い。
現代はそんな過去の歴史の流れを感じさせる土地が次々となくなってきている。もう昔の姿を辿ることができない土地が多くなった。その目印となっていた石仏群の所在も忘れられている。

土地の神様は何と言っていることだろう。
そしてその声を聞く人はいるのだろうか。



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建築のエチカ

野焼き 407-2gs
野焼きの煙 東北本線 (北)新田-石越

3月の伊豆沼です。野焼きの煙が立ちこめている中,電車が切り通しの所を通過しました。お蔵入りだったの写真ですが,シンプルな風景の中に電車を置いてみるという試行錯誤の思いで撮ったものです。敢えて載せてみることにしました。

この頃思うことなどをまた書いてみます。
少し前伊東豊雄と中沢新一の対談のようになっている「建築の大転換」という本をおもしろく読みました。大震災以降の建築の在り方が根底から覆されることを建築という面からはどう捉えられていくべきかという壮大な視点ですが,建築が大地の上に立っている以上自然と建築の関わりは大きな問題となるでしょう。これは建てられるものは,自然の祝福を受けるように建てた方がよいこと(風水の考え方)。もう一つはただ誇示するばかりではなく(バベルの塔),自然を取り込む一貫した思想が表現されたもの(仏教寺院)であるこということだと思われます。
中沢新一は「建築のエチカ」の中で,「ではどんな土地を選んで寺院を建てたらよいか」と問いを出して,チベットの寺院を建てるための文書を引用します。それを簡単に箇条書きにしてみます。
・背後に高い山がそびえている
・前にはいくつもの小さな丘がある。左右から流れてきた川が一つになる
・中央には岩や草原があるなだらかな峡谷となって開けた場所
・「大地の四本の柱」と言われる吉相もほしい。東に広大な大地,南には小高い山,西にはこんもりと盛り上がった丘,北にはひだをなすカーテンのような山々の連なり
・次に四方を守護するために,東には白っぽい道か岩(虎を意味する)深い峡谷があってはいけない
・南の川には緑地(青龍を意味する)
・西には赤鳥を意味する赤土や岩
・北にはギザギザ状の岩(カメを意味する)
このような土地の選定がまず行われ,大地の形相や地磁気,太陽との位置関係,天体の運行が検討され,月日を測って地鎮の式が行われる。これは建築そのものが自然そのもののつくり出す環境の時流に乗った上での創作物だという考えがあるのでしょう。祝福を受けるとはそうした大気から大地までのリズムに乗ったものであるべきで,その地球そのものが持っているリズムや流れを妨げてはならないと言うのです。それを犯すと大地の女神が怒ると言います。

ではそんな場所に建てられる建造物のルールとはなんでしょう。チベットでは「四」「四角形」がふさわしいという数論があるそうです。「1,4,8,16・・・」柱や梁はこのような秩序があるべきで,そのルールによって自然との違和がなくなり大地の女神の祝福もうけられるのだそうです。

これらは実は建築という部分よりは,自然をどう捉えたかという思考の深さが土地の形相や地磁気に関係していく自然科学みたいなものです。そしてその自然科学のルールの根幹をなす考えは「自然成長性」でしょう。植物や動物と同じように成長する太陽の下で恵みを受けて成長するものと共に同じプロセスを辿るという意味です。
私がよく口に出す「魂」ということばは,このような自然成長性の運動に乗ることによって現実でも生き物は生まれ,死んでいくという意識で表現されているものです。わたしはこの運動性がどのようになっているのかと考えますが,単純に言えば「風の通り道」「川の流れ」「土地の高低」に沿って出来上がる運動だと思います。しかし,人間にはまだ見えていない運動がたくさんあってそこがこれからのポイントだと思っています。

どうやらそれらの運動はねじれや噴き出しや様々な現れ方をしてして,不規則よりは多様性から探し出していくのかなと感じます。
風景の中に運動を見いだしていく作業は建築ならずとも様々な分野で続きます。




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