2021/01/27
林を歩く

霜月の栗駒古道
十六代佐野藤右衛門と言ったら桜守で有名な人だけれど「異様だ。異様だ」とテレビで言っていた。
もう九月過ぎには桜は来年のために準備をする季節なのにこの頃の桜は葉の色も変えず,青々と伸び続けている。幹を太らせようという時期にただ成長だけを続けている。それが異様だと言っている。桜も人も現代という時代を季節による変化などを考えに入れる余裕すらなくなってしまっているのかと暗然とした。
林を歩く。林を歩くと何かに包まれて歩いているという気がしてくる。実際木々に囲まれ包まれているわけだから当たり前だけれど陽の光も,空気も,雨も,間接的で柔らかくなる。木々が直接的な物を受け止めているからだ。

雲間からの光
形の整った1本の樹と会うと嬉しくなる。実に清々しく枝を伸ばして安定している。実際台風などで何度か枝が折れて現在の形になっているのだろうが,その張り出し方というのはそのままその樹の性格を表しているようだ。桜でさえ同じ品種であっても実は一本一本が違うという。周囲のすべてを取り込んだ絶妙なバランスの中で一本の樹は生きてきたし,これからも生きていくだろう。その形で世界の調整力が分かるというものだ。

落葉松カラマツの林 栗駒山にて
秋や冬の季節,カラマツの林は特に明るく感じるのはまっすぐと天に聳える樹形からかもしれない。ちくちくとした細かい枝は丈の短い着物を着た子どものようで微笑ましく感じる。どこかブナ林の湿った香りとは違うつんとした香りが漂っている。