2021/06/15
追悼 岩手宮城内陸地震から13年-あの夜,カッコウは・・・-

地震2日前震源地の天の川 2008年6月13日午前0時過ぎ
わたしは地震前日に当たる6月12日深夜,写真は13日に入った0時過ぎ,岩手宮城内陸地震の震源地の近くでこの天の川の写真を撮っていた。
静かな晴れた夜だった。
まさか次の日にこの地点の近くを震源地とした大地震が起きるとは夢にも思わなかった。もう13年も経つが,よくよくこの写真を見ながら当時の夜を思い出してみる。
2008年6月12日は木曜日だった。梅雨時の晴れ間の星空を待っていたわたしは星がよく見える栗駒山を選んだ。真湯温泉から入り,須川温泉に向かう山岳道路は終日ゲートが開く6月に入っていた。もう少しで須川温泉へ数㎞という景色が開けた場所を選んだ。当日の月齢8.6の上弦過ぎの月はもう沈もうとしている。0時を過ぎている。極軸をなんとか合わせて撮影している間は残雪で遊んでいた。6月だがもう標高は1000mを超えているので道路脇には雪は多く残っている。ちなみにこの2008年という年はこの時期,写真にあるように明るい-2.6等まで光度を上げた木星が天の川の近くにあるので特徴的である。この木星も小一時間で南中しようとしていた。
さてこうした夜。何か地震を予感させることがあっただろうか。
例えば異音,地響き,発光,鳥の声,静寂,けものの動きや沢の水音・・・。全部思い出してみる・・・。
地震の予兆と思われる現象は一切なかったのです。現地では薄明までいましたから4~5時間はいました。一切なかったのです。もう一度今日この記事を書くためによく思い出してみました。そしてとうとうあることに気付きました。それは今までの6月に栗駒山付近で夜の撮影をしていることと比べて見たときにあの夜にだけなかったことに気付きました。そしてはっとしました。
「カッコウの鳴き声が一切なかったのです。」
星の写真を撮る人は分かると思いますが,例えば桜が咲く頃の夜の撮影ではフクロウの声と一緒です。そして6月のこの時期ですとカッコウなのです。夜夜中のカッコウの声は静けさの中でよく響きます。そのカッコウの声がない夜だったんです。
カッコウが鳴かない夜だってあるだろうよ。と普通思いますよね。しかし,無風でよく晴れた夜,撮影をしていると割合カッコウの声を耳にしてきました。その違いだけでした。だからと言ってカッコウが鳴かないからといって地震が起きるとか何かの前触れだとも言えません。何かいつもと違うことがが「ある」という事だけが大切なことではないと思います。むしろ「ない」ということも大切なのです。この時期に大体はあったことが今夜はない。「無」であることを前兆と捉えることは難しいことです。しかし,よくその場所と季節の特色を知っている人であれば可能だと思います。
特に忙しいこの現代に「ない」ことへの気付きまで辿り着くには静かに考える時間も必要でしょう。しかしある程度可能だと思われます。観察力ある人々は実は行っています。メモを取り,家に帰るとそのメモからノートに清書する行為です。串田孫一の方法はまさにそうです。宮沢賢治の方法も瞬間的な思考のメモから出てきました。わたしはとても彼らまでは行きませんが,手本にしてメモを取るようにしています。この記事も今回そうした当時の自分のメモから思い起こして,カッコウの鳴き声に辿り着きました。
誰か,カッコウが夜鳴く習性についてご存じの方がいたら,教えて下さい。