冬の月

冬の月3-2gs
冬の月

夏の間は夜電車を待ちながら椅子に座っていたが,この季節になるとかなり寒い。
4℃と車の温度計は示していた。
月は皓々としてまるで冬の月だ。

その証拠に月が昇ってくると,追いかけるように月の真下にオリオン座が大きく顔を出した。


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主役は雲-栗駒山-

敬老の日星空 052-2gs
主役は雲

星空にとっては,雲が出てくるとがっかりの元ですね。
しかしですよ。敢えて雲をどれくらい入れるとバランスがよいのかと考えてみるのもいいのではないでしょうか。
雲を主役にして星を引き立たせるにはどうするか。
雲量と星空の微妙なバランスを探ってみました。


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夜のひだを照らす

17の月-2gs
夜のひだを照らす

やっと金曜。晴れたので仕事の帰りは撮影。

前近代にはこの世の大気中にはエーテルが充溢していたと信じられていました。
今夜の写真のように丘の上に立つと遠く見渡す秋の空気にはエーテルというどこか密度を伴うものがこの世に満ちていると感じさせます。17の月が少しずつ昇ると,闇に隠れていた夜の襞(ひだ)の波を月の光が照らしだしているように感じるのです。

ところでこの写真には夜汽車の光跡が画面真ん中を横に走っています。気仙沼線です。
画面右奥の明るい街は石巻の明かりです。
週末は晴れるそうです。皆さんにとってよい休日になりますように。


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描き加えられた星-東山魁夷絶筆の意味-

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海から昇る天の川

先日宮沢賢治の「チューリップの幻術」の話をしましたが,最後に引用した川端康成が妙に懐かしくなってしまって,ちらちらと「巨匠の眼」という本をめくっていた。
巨匠の眼


現在,岩手県美術館では「巨匠が愛した美の世界 川端康成・東山魁夷コレクション展」が開かれています。川端康成のコレクションと親交のあった東山魁夷のコレクションを展示して彼らが求めた美の世界を浮き彫りにしようという企画展です。新資料展示もあります。行けるといいですね。

さて川端と深い交友のあった東山魁夷が川端康成の死を知ったのは天草灘を見る九州天草下島の下田温泉の旅館から星の光を見て,妙に気にかけて床についた夜でした。
1972(昭和47)4月16日でした。川端が自殺したのは。
空に低く上弦の月が懸かっていた。弓弦を水平に張って,安らかな,ひかえめな月の姿だった。その真上に,明るい,大きな星が一つゆらゆらりと光り輝いている。
その星は何か尋常ではないものと感じさせた。澄んだ涼しげな宵の明星であるが,その閃き,迸(ほとばし)り出る光睴(こうこん)は,今にも,空に流れ出して,透明になり,消え去ってしまうのではないかとさえ思われた。生命の瞬間の輝きとも見えた。
この後,眠りを絶たれたのは川端の訃報を知らせる電話でした。

何とも魅力的な文章ですが,ステラナビゲータで東山魁夷が天草の下田温泉で見た星空を再現してみました。

川端が死んだとき-2
川端康成が死んだ,1972(昭和47)4月16日の宵の刻の星空

三日月が懸かり,その上に一際輝く金星が見えます。星の名前を入れてみましょう。確かに忘れられない夕暮れの星空です。

川端が死んだとき-2ロゴ入り
川端康成が死んだ,1972(昭和47)4月16日の宵の刻の星空

話はここからです。
今日話したいことはこの川端が死んだ日から27年経った東山魁夷の最後の作品「夕星」についてです。

まず東山魁夷が最後の力を振り絞り,構想を固めていった「夕星」の習作から見てみましょう。
「夕かげ」と名付けられた平成7年の習作です。

夕かげ 平成7
習作として描いた「夕かげ」1995(平成7)

そして完成したのが1999(平成10)年です。東山の最後に辿り着いて仕上げた作品は「夕星」というタイトルになりました。
そうです。彼は画面真ん中に輝く星を描き加えたのです。

夕星-2
東山魁夷の絶筆「夕星」

星が描き加えられた意味はなんだろう。
「巨匠の眼」の著者は,「夕星」の作品解説でそのように読者に語り掛けます。

私は「星を描き加えた」意味が分かるような気がします。東山魁夷が「描き加えた星」こそ,川端の死を知らされた,あの天草の地で見た星そのものなのです。1972(昭和47)年4月16日。この日の金星の光度は-4.4等。金星の出は8:05。入りは22:37。

東山魁夷は最後の作品に川端康成を永遠の星の光として描き加えたのです。
美を追究する仲間として尊敬の念をもって自分ができることはやり遂げて東山魁夷はこの世を静かに去りました。今日東山魁夷の作品は美の星となり光り輝き続けています。



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二十六夜待ち

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夜明けに沈む月


二十三夜待ち塔の石碑は以前よく見たものです。

十五夜の満月が過ぎ,日に日に月の出は遅くなり,二十三夜は下弦の月となる。その月の出は日が改まる夜中過ぎということになります。
月待ちの行事はやがて庚申信仰と結びついて,念仏を唱える講がよく開かれました。一晩中念仏を唱え,邪気を払いました。ここで庚申信仰の図像等を見てみましょう。庚申塔の本尊は青面金剛。下に「見ざる,聞かざる,言わざる」の猿が描かれています。この意味が「私の罪を見ないで下さい。聞かないで下さい。言わないで下さい」ということなのです。
庚申の夜は60日ごとにやってきます。ですから年に6回ほど庚申の日があります。この庚申の日の夜は寝ている人の身体から虫が抜け出して,天帝にその人の罪や穢れを報告する夜なのです。ですから人々はこの日の夜だけは夜更かしをして念仏を唱えたりしながら罪や穢れを払っていたのです。

ひころの里 351-2s
庚申塔 登米市中田町浅水長谷寺

「見ざる。聞かざる。言わざる」の猿がいますね。私の罪を見ないで下さい。聞かないで下さい。言わないで下さいという意味があるのです。

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雲海を照らす月 栗駒山

その男が吹く能管は月の上に吹く風を思い起こさせた
男は言った。
「能管はあの世に響く音。龍笛はこの世に響く音です」

十六夜の月の出を待っていたさよ子は,その能管の音に誘われて川原に下りた

その日からさよ子は男の笛を聴くために,弁当づくりが始まった。
十六夜の月の夜だった。
男が能管を吹いていたのは三年前に死んだ妻の魂を鎮める意味もあった。一通り吹いた後人影を感じて見ると,死んだ妻が居た。
いや,初めて会ったさよ子という人だった。死んだ妻にそっくりであった。

月夜のホタル21-2s
月夜に飛ぶホタル

日々,弁当は二つつくられた。
17日の弁当は立待月の弁当と言った
18日の弁当は居待月の弁当と言った
19日の弁当は寝待ち月の弁当と言った
20日の弁当は更待ち月弁当と言った
21日の弁当は下弦の月弁当と言った

男の笛の音を聴き,さよ子は月の光で弁当を食べた。

男は言った
「明日は二十六夜です。来てくれはりますか」

名月とISS 077-2s
伊豆沼に降りる月

月齢26,二十六夜の月の夜。
さよ子は夜道を弁当を二つ持って急いだ。
まだ大文字山の山の端はほの明るくもなっていなかった。なにせ二十六夜の月の出は午前3時だからだ。

よく晴れていた。星もよく見える。

ところが,今日は月が昇らないと男は言った。
今日は妻の三回目の命日だと言った。二十六夜の晩に妻は死んだ。今夜の笛は妻をあの世に送り返す笛にすると言う。

鋭い音を立てて能管は鳴り始めた。

世界谷地 017-2s
世界谷地のニッコウキスゲの花に昇る月

妻の面影を振り切るように笛の音はやんだ。
男はすぐさま能管を思い切り折った。

あの世の妻と交信できる笛を男は自分から断ち切った。



この話は以前紹介した「京都人の密かな愉しみ」という私の好きなテレビ番組の「月待ち」という話をなぞってみました。
ご了承下さい。

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