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新・遠野物語-阿弥陀如来来迎図-

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新・遠野物語-阿弥陀如来来迎図-


栗駒山の頂上に太陽が沈む「ダイヤモンド栗駒」を狙っていたのですが,あいにくの台風通過で今年は駄目でした。
お彼岸の中日に真西に沈む太陽を拝みなさい。紫の雲たなびいてそこに阿弥陀様がいらっしゃる。
この言い伝えが私の阿弥陀如来来迎図の撮影の始まりでした。それでも一応昨日までお彼岸だったので再チャレンジです。間に合ったと言えばお彼岸中ということで間に合いましたがあまりにも雲が多すぎました。栗駒山がほとんど見えません。


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新・遠野物語-朝日差す-

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朝日差す

今朝は霧の深い朝となった
太陽が霧の中から出て来るのを待った
1ヶ月に一回でもいいから自分が納得する場所で
息を詰めてシャッターを切りたい
集中した空気を写真に注ぎ込みたい

あなたは写真の何を見ていますか?


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新・遠野物語-勝源院の場合-

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墓守の朝 今朝8/9撮影

勝源院は山の上である。
御社は海に開け辰巳(南東)向二間半作,社地後ろに杉の林を背負っている。
四代前の慶長年間に城下の橋の用材として藩主に杉を献上し,御朱印を頂戴した。そして褒賞として850文(八石五斗四升)を賜り,以来代替わり毎に御朱印をいただき勝源院も同じく御挨拶に出掛けたのはもう三年も前のことであった。

勝源院はこの寄付地以外には百姓地を持たず人数帳には載っているが自分を百姓とは思っていなかった。実際今まで人足,御郡役,高がかりの手伝い,御貸上等も命ぜられることはなかった。しかし昨年の五月,上御手伝として一貫(一石)に一歩の割合で肝入長三郎方で割り当て,小肝入太兵衛方より組頭を以て申し来った。御寄進地でもすべて申しつけるというのなら出すが,他の地方と異なる割り当て方と聞いたので一応問い合わせた。その勝源院に代官所から呼び出し状が届いたのは稲刈りも終わり,朝晩の寒さが感じられる十月も半ばに入ろうという時期であった。自分の問い合わせに対する答えが下されるのであろうと勝源院は早速正式な法衣着け代官所へ出かけて行った。

ところが代官所の対応は意外なものであった。
「百姓前を以て尋ねる故,袈裟を脱げ。御貸上延引の段(引き延ばしている理由)を述べよ。」
御貸上延引(延滞)の段と聞いて勝源院は愕いた。いつの間にか滞納扱いになって,罪状が付きそうな雰囲気で,理由如何では許さぬという勢いである。」

「私は自分を百姓とは心得ていません。今までも人足,御郡役,高がかりの手伝い,御貸上等も命ぜられることはありませんでした。」勝源院は心を落ち着かせるようにゆっくりと言った。
「いいや少しでも耕作しているのであれば百姓だ。百姓の身分として扱うのであるからとにかく袈裟を脱げ。」
「この衣鉢は本寺より許されて着用しているものです」
勘に障ったのか代官所の声が図太くなった
「いいや。お前は田畑を耕して居るではないか。それは百姓と同じ扱いになり,人足,御郡役,高がかりの手伝い,御貸上等の義務も生じてくるのだ。」
衣を脱がぬとどうなるか分からない様子だったので,袈裟を脱ぎ,改めて御朱印賜る来歴を述べた。しかしその口上はかえって代官所に渋面をつくらせることになった。また言い訳かと取られたのである。

勝源院は加持祈祷をしたり護符を配ったり,神楽を舞って寄付を受けたりしながら生活していた。拝領した土地に野菜を植えて細々と生計を立ててきた。一応直院という本山からの保証を続けているプライドもある。収入の割合に応じて本寺に権利料も滞りなく払っている。村の講中の者が出羽三山にお参りをする場合は,責任を持って世話をしたり,関所手形の手配等を手抜かり無く行なってきた。村のために力を尽くしてきた。

「今後は村人のためにも,人足,御郡役,高がかりの手伝い,御貸上等,村人と共に励まれることだ。」
これが結論であった。

勝源院は脱いだ法衣を整え,代官所を後にした。
勝源院の饅頭のお土産に一時喜んだが,うなだれた顔をした父をたつは心配そうに見つめた。



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新・遠野物語-夕焼けの願いごと-

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夕暮れの願いごと

そろそろ雨が待ち遠しいと思われる日が続き
夕焼けが妙に赤く感じられるようになりました。
父や母も日照りの気配が色濃くなるにつれ田の水回りが気がかりで晩方遅くまで田にいるようになりました。
たつは一人で外に出て父や母の帰りを赤黒くなった夕焼けを浴びながら待っていました。その日はまた遠くの夕立の雲が残り真っ赤な帯を幾重にも夕空に残していました。
すると追分へと続く天王さんの祠の辻から背の高いおじさんと思えるワイシャツ姿の男がたつの方へ自転車に乗ってやってきました。
町の方に戻るのに道を違えて来たのです。町への道を教えてあげるとその背の高いおじさんはお礼にとたつにお札ぐらいの大きさの赤い紙切れを渡して言いました。
「この紙にあなたの一番の願いごとを書きなさい。そしてそれをこの堀に流しなさいね。」

たつはこっそりと赤い紙に書きました。
「死んだ弟に会わせて下さい」
それが一番の願いごとでした。弟は2年前の夏に七つという歳で傷寒で死んでしまいました。その日以来弟のことを思わない日はありませんでした。夕暮れには必ず天王さんに行って弟があの世で幸せに暮らしていることを願って手を合わせます。
「死んだ弟に会わせて下さい」と書いた紙をさっき堀に流しました。少なめの水が赤い紙を流していきました。

その夜にたつは弟の夢をみました。天王さんの祠の陰からにこっとしてひょっこり顔を出す弟が出てきました。その弟はたつを喜ばせようと顔こそ笑っているようでしたが目の奥に寂しげな哀しさを秘めていることに気付きました。

翌朝たつはさっそく天王さんに行ってみました。そして祠の陰をそっと覗いてみました。
そこには若く白い一輪のヤマユリの花がすっと立っていました。たつは驚いて嬉しくなりそっと山百合を撫でました。
するとたちまちたつの前に山百合の高い香が立ち昇りました。



ここに出てきた「たつ」は以前にも登場していた女の子です。よろしければお読み下さい。
弔いの声
弔いの歌-たつの場合2-」

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新・遠野物語-辻の記憶-

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長い門口

あがったり下りたりする村の細々とした道を歩いていると,少し見晴らしの利くような辻に出る。
大抵そこには古びた石仏や苔むした道祖神が藪や木の下に隠れるようにある。こうした人の気配が感じられる所が妙にまた旅人を安心させるのである。時折この辻に村人も知らぬ細い竹が挿してありその先に布など結びつけていると何の印なのかと村人が気味悪がって噂することもあった。サンカの通った印なのだと言う者もいた。
しかし寂しい在所ざいしょの村はずれ、川端かわばた、森や古塚の近くなどには、今でも「良くない処ところだ」というところがおりおりあって、その中には悪い狐がいるという噂うわさをするものも少なくはない。
と,柳田國男は「山の人生」で言う。それもまた昔は確かなことのように思われた。子どももいなくなるようなこともあった。神隠しにあったのだと皆で噂して大声を出して神様から幼子を奪還しようと村人は提灯を掲げたりした。ある時のことだった。毎日一緒に遊んでいた私の友だちもいなくなったことがあった。果たしてその友だちは昔に人が住んでいてもうすっかり藪に囲まれていた井戸に落ちていて消防団に助けられた。月の高い夜のことだった。

昔の百姓家には長い門口があり屋敷自体が道から見えないようになっていた。長い雑木林の曲がりくねった門口の道を進むと俄に太いケヤキの木などがそびえ,鳥や牛馬や飼っている匂いがしてくる。「申し。申し。」と家の奥に声をかけても,家はしんとしている。遠い田や畠に出掛けているのである。軒先には来訪したことを伝えるかのようにキュウリや瓜などが手土産として置かれている。

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夕暮れに輝く村の墓場

「お墓には一人では行くもんでねえ。あの世から帰れなくなるぞ。」と子どもの頃によく言われた。度胸試しで墓場に友だちと行ったりしたが,私の祖母が病気になった。そんな折にお百度参りということを知り,墓の真ん中に建つお堂に通い,祖母の病気恢復を願ったりした。私はそんな所のある子どもだった。現実の生活の端の方に,いや現実の周辺にはなにやら地続きのようにあの世も伝説も魂の世界もあったように思う。だから麦の伸びる頃に麦畑からひょっこりと天狗や死んだ者が顔を出してもおかしくも怖くもなかった。

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墓の守り神

村の石碑調査をして消えそうなそま道を歩きながら私は新・遠野物語の風景を探している。現実を歩きながら陽炎のように立ち昇る朝方の夢のような遠い村人の記憶がはっきりと見える。このテーマこそが時間が押しつぶした村の記憶を呼び戻す方法なのだと写真を撮っている。


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