鉄道三景

土曜無線沼線 043-2gs
11/11風強く夕暮れ晴れゆく 気仙沼線

だいぶ寒くなってきましたね。
先日蕪栗沼に行ったら,公開されているマガン4万(10/27)という数よりかなり多くのマガンがいて「優に8万」と書きました(11/5)が,発表があって(11/8)蕪栗沼10万と出ました。やっと納得しました。

県の発表では11/8の調査でマガン類は193,495羽で,蕪栗沼102223羽,伊豆沼83448羽と伊豆沼と蕪栗沼でほとんどです。かなり局所的です。朝の日の出で飛び立つマガンの群れは素晴らしいです。


帰り3-2s
すすき越しの上り電車 東北本線 石越-新田

先日「弟子として」(11/4)という記事を書きました。内村鑑三と斉藤宗次郎を扱ったものでしたが,その中で斉藤宗次郎が宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のモデルと目されていると書きました。本当だろうかと思い,斉藤宗次郎の日記を読んでいます。可能性は少ないです。しかし賢治と宗次郎の交友はかなりあったことは書いてありました。

土曜無線沼線 156-2gs
夜の駅 気仙沼線 御岳堂駅

私の場合夜の鉄道を好んで撮っていますが,案外難しさも手伝ってか撮る人はあんまりいないようです。しかし工夫する度合いが高く,取組み甲斐があります。

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曇りゆく

帰り 061-2gs
曇りゆく

仕事の帰りに撮ってきた写真です。
やっと週末。
余裕がなく,毎日を過ごしています。部屋には読もうとする本がうず高く積まれています。


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人のさばくりあるべからず その一

月と土星 068-2gs
10/24 月齢5の月と土星の二重奏

文永11年(1274)の夏であったと言う。
一遍は熊野山中を歩いていました。
一人の僧に出会い,こう言いました。
「一念の信心を起こして,南無阿弥陀仏と唱えて,このお札を受け取るのです」
すると,僧はこう言いました。
「今は一念の信心が起きません。それなのにそのお札を受け取れば,私はうそをついてしまうことになります」
「あなたには仏の教えを信じる心がおありではないか。そのあなたがこのお札を受け取らないということはないでしょう」
そう僧は言って続けました。
「私は経文や祖師の教えを疑っているわけではありませんが,今は信心が起きないことは,どうにもならないことでございます」
そこで一遍は本意ではなかったけれど
「信心がなくてもお受けなさい」と少し無理にお札を握らせた。

このことを一遍は悔いた。
自分の勝手な考えとふるまいで無理に相手にお札を受け取らせたことを悔いた。と同時に一遍にはこの出来事が何かとても重要なことを暗示させている出来事だと深く思い悩んだのです。
(信心があるから救われるというのか。むしろ正直に,信心にゆらぎを感じていると述べている人は救われないのか。)

親鸞であれば「いや信じ切ることです」と諭しただろう。しかし,一遍は正直に信じ切ることができないでいる僧を修行不足だと言うことはできなかったのです。いつも信心には迷いもつきものだと言うことがよくよく分かっていたからです。


月と土星 120-2gs
10/24 月齢5の月と土星の二重奏

このように思い悩む一遍に,あることが訪れました。


「さばくり」とは人が各々自分の理解するように思いめぐらしたり,勝手に自分に都合良く考えたり行ったりすることです。

すみません。続きはまた後で。

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