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気仙沼線BRTの行方


まずは6/30に行われた気仙沼線BRT柳津駅-陸前戸倉駅専用道供用式典の様子の東北放送のニュース映像です。
気仙沼線BRT

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7/1 今回新設された志津川中央団地駅です。駅と言ってもバスの駅ですから,バスの停留所です。
いよいよ気仙沼線BRT柳津駅-陸前戸倉駅専用道開通の日を迎えました。新しくなった専用道は,柳津駅-陸前戸倉駅12㎞です。この区間は気仙沼線が全通する際に最後の工事区間に当たっていました。峠越えの気仙沼線最長,3508mの横山トンネルがあります。

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この写真は松岩駅手前の新しくできた橋梁です。最知から松岩までもこの橋梁の完成で専用道になりました。今までにも何回か気仙沼線BRTに乗っていますが,全線でこのような橋梁などの工事のために正直殆どが国道45号線を通っているような路線バスかと思われるような印象でした。今回7/1の柳津駅からのスタートから陸前戸倉までの12㎞のきれいな専用道を通ると,在りし日の気仙沼線の景色が甦ります。

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柳津駅から見た景色です。陸前横山方面から上りBRTがやってきました。

さて実際に現段階でBRTが専用道をどれくらい使用しているのかを確かめておきたいと思いますが,最初に志津川での駅とルートの変更がありましたから,そこをお知らせしておきましょう。
気仙沼線志津川ルート変更
志津川でのBRTルート変更図(河北新報の2018/2/23の図から)

ベイサイドアリーナ駅はなくなりましたから,青い海を見ながらのルートは残念ながらなくなりました。(図では青い実線のコース)
さんさん商店街を左手に見て,45号線を少し進みます。右折して急な登り坂を上がると志津川病院の近くに出ます。志津川病院,そして隣接する役場を通過してまた急な下り坂を下りて,反対側の山に取り付いててっぺんまで行って志津川小学校の坂を下りると「志津川中央団地駅」です。もともと気仙沼線はこちらを通っていたのでした。

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BRTで柳津駅に着いた皆さんは三々五々50mも歩かずに電車ホームに行けます。

さて,現段階でBRTが専用道を走っているのはどこなのでしょうか。

専用道を走っている区間
柳津-陸前横山-陸前戸倉(約15㎞)
志津川の町の手前で45号線に下りる
志津川駅-病院前-志津川中央団地-清水浜-歌津は45号線
歌津-陸前港手前まで専用線(約1.5㎞)
陸前港-蔵内-陸前小泉-本吉まで45号線
本吉-大沢ドライブインまで専用線(約1.5㎞)大沢ドライブイン-小金沢-大谷海岸-陸前階上まで45号線
陸前階上-最知-松岩まで専用線(4㎞)
松岩-南気仙沼-不動の沢まで45号線
不動の沢-気仙沼まで専用線(3.2㎞)
専用道を走っている距離は試算で23.7㎞となります。柳津-気仙沼間は55㎞ですから,23.7÷55で「約43パーセント」
となります。これに前谷地-柳津間の17.5㎞の電車区間を足せば41.2㎞となり,専用道使用率は約57パーセントとなります。

専用道は只今橋梁部分の工事真っ最中ですから,橋梁部の完成を待って次々と区間開通していくと思われます。
先人が苦労して残してきた気仙沼線を引き継ぐことが肝要です。


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おめでとう。気仙沼線BRT専用道供用記念

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気仙沼線BRT専用道供用記念式典 今日6/30

今日,気仙沼線BRT柳津駅-陸前戸倉駅専用道供用式典が開かれました。
いよいよ気仙沼線がまた一歩新しい時代に入りました。嬉しいことです。
今まで6年間,線路は曲がったまま,駅は消えたままでした。確かにいち早く震災後には赤いBRTバスが走り始めました。しかし,破線の気仙沼線が実線になることはありませんでした。やっと今日。また実線への区間がつながりました。

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供用記念BRTウォーキング

気仙沼線BRT専用道供用記念イベントは専用道を歩くウォーキングでした。地元の方を中心に110名以上が参加して,小牛田駅長さんの合図で専用道のバーが上がり,30℃以上の暑さの中をみんなで歩きました。

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みんなにこにこでした

鉄道が途絶えて7年経ちました。
あの草むした線路や倒れた駅舎の柱を見て,次々変わっていく景色を見続けてきました。
今年度になって急ピッチでBRT専用道の整備が一気に進んできました。トンネルや橋梁が多い気仙沼線ですが,特に流された鉄橋の架橋工事が一気に進みました。そして今日を迎えました。

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皆さん。お疲れ様でした。最高齢は86歳の方でした。すごいですね。

明日専用道を一番バスが通過していきます。
やっと震災の時に柳津-陸前横山で止まったままのあの電車が明日動き始めるような錯覚を憶えます。
どれくらい専用道が通れるようになっているか。明日分かります。



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気仙沼線BRTバス7/1供用開始

気仙沼線BRT 388-2gs
いよいよです。気仙沼線BRTが柳津-陸前戸倉間で7/1に開通します

開通に先立ち,6/30に企画「BRTの道を歩こう!津山BRTウォーキング」が行われます。気仙沼線BRTが柳津-陸前戸倉間で7/1に専用道供用開始となる記念行事となります。今回は柳津駅から横山駅間の4.8キロを約1時間かけて歩きます。但し津山町在住者,津山町に勤務している人や小学生以上となっています。一般の方の参加ではないのが残念ですね。

只今のところ気仙沼線の専用道供用はずっと高く推移していて,90パーセントに近いとも聞きます。ありがたいことです。気仙沼線が生き続けるきっかけを作ってくれてありがとうと言いたいです。これからも,これからもずっと地元に愛され続ける気仙沼線であってほしいと思います。

おめでとう。気仙沼線。



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穏やかな夕暮れ

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穏やかな夕暮れ  気仙沼線 御岳堂-柳津

気仙沼線に通う中で何カ所か俯瞰が楽しめる場所があります。
今回は田園と旧北上川の流れ,のの岳の背景が気仙沼線の雰囲気をよく伝えている景色だと思います。


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営業マン賢治の宮城県めぐり

運動会の夜2-2-1s
石巻線 賢治も石巻から汽車に乗り,この景色を楽しんだだろう

今日は宮沢賢治が東北砕石工場に勤めるようになってからのモーレツ営業のひとコマを紹介します。
昭和五年(1930)賢治34歳の4月に東北砕石工場主の鈴木東蔵が花巻の賢治の家を訪れてから彼の営業マン人生は始まります。この頃の賢治の手紙から,32歳の日照りの夏から寝込んで一年半の後,仙台で仕事をしようとする計画があったようです。そんな計画の最中で鈴木東蔵は賢治に助力を乞うことになったのでした。そして昭和六年いよいよ彼は自分でも言うほどの「やけくそな」しらみつぶしの営業を始めたのです。

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石巻線 賢治は石巻から帰り道石巻線に乗り,小牛田から本線に乗り換えて花巻に帰った。

昭和六年のゴールデンウィーク。賢治は宮城県に入っていました。そうでなくても仙台には良く出かけていましたから特別なことではありませんが仕事で来るようになってから,ちょっとはらはらするような日程の営業が続きます。それくらい余裕のない日程で営業をこなしていったのです。書簡などから察するに日程は次のようです。

4/18 仙台泊 翌19日仙台,小牛田,古川
5/4  仙台泊 翌5日仙台,石巻,河南町,小牛田
5/10 仙台泊 翌11日仙台,岩沼,仙台泊 翌12日小牛田,築館
9/19 小牛田,利府,仙台 仙台泊
それで今日書きたいのは5/4の仙石線や石巻線に乗ったことについてです。5/5の「仙台,石巻,河南町,小牛田」というルートです。実はこのルートは前々から考えていたことだったのです。
[327] 1931年4月13日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)
  四月十三日

拝復
貴簡難有拝誦仕候 亦昨日は父参上致し色々御世話様に相成候趣父
よりも厚く御礼申上候
(中略)

三、宮城県小牛田の県技師工藤文太郎氏を通じて農務課に改めて交渉のこと。(泣きを入れることを含む。)

四、同氏を通じて斉藤等の大地主に利害を説きて大量使用を勧むること

五、小牛田附近の白兵戦(組合)
ここで気をつけたいのは河南町で「斉藤等の大地主に利害を説きて大量使用を勧むること」という部分です。この斉藤等の斉藤は「斉藤善右衛門」のことです。斉藤善右衛門は「農地改革前は、山形県・庄内平野の酒田本間家に次いで全国第2位の地主といわれた、宮城県・仙台平野(仙北平野)の斎藤家は、桃生郡前谷地村(現・石巻市)に田畑約1500haを所有する大地主であった。その当主である斎藤善右衛門(第9代、1854年 - 1925年)は酒造業や質屋も営んでいたが、1892年(明治25年)第2回衆議院議員総選挙で当選して代議士となる。1910年(明治43年)に斎藤株式会社を設立した。」



石巻線夜-2s

賢治は小牛田の齋藤報恩農業館にいる工藤文太郎技師が高等農林時代の先輩ということで訪ねて話をしているうちに大地主の齋藤善右衛門を訪ねてはいかがかとなったのかもしれません。もちろん工藤が勤めていた齋藤報恩農業館自体が齋藤善右衛門の資金から成り立っていたわけですから。紹介状か何かを書いてもらったのでしょうか。
そして何よりも齋藤善右衛門に会ったのでしょうか。興味が湧くところです。
そのことは次の書簡を見るとわかります。
昭和6(1931)年5月5日付け鈴木東蔵宛 書簡337.338
午前10時
私は只今より広渕沼開墾地に高野技師を訪ふべく御座候 尚関口氏には本日も面会致し兼ぬる次第には御座候へ共別に信書を以て
どうも前谷地の齋藤善右衛門の所へまっすぐ行ったのではなく,近くの広渕沼開墾地にいた高野技師に会いに行ったようなのです。
この高野技師という人は名前が「高野一司(かづし)」と言い,賢治とは岩手国民高等学校の開校(大正15年1月)から懇意であった人でした。この岩手国民高等学校で賢治は農民芸術を担当し,あの「農民芸術概論綱要」を元に講義したことは有名です。その時の生徒の面倒一切を見ていたのが岩手県で最初に社会教育主事になった高野一司だったのです。この高野一司氏が岩手県から派遣され,宮城県の前谷地,広渕沼開墾地の所長として昭和2年から赴任していたのです。

さて賢治は前谷地の日本屈指の大地主である齋藤善右衛門のところには行かなかったのでしょうか。

行ったのです。
後日鈴木東蔵に「工場に前谷地の齋藤善右衛門からの注文はありませんでしたか」と問い合わせているからです。

自分でも「やけくそ」というこの営業ぶりははらはらします。
ただその奥に,彼の営業ルートの取り方からして鉄道好きの賢治の姿が浮かび上がって来ます。

この続きはまた書きます。


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