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新田中学校「天の祝福を歌う」

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新田中学校「天の祝福を歌う」

新田中学校の皆さん
 今年も皆さんの素晴らしい希望の歌声をありがとう
 65人の皆さんが歌った「歓喜の歌」は,天高く舞い昇り,天体のすべての々を讃え上げました。そして今は,皆さんに天の祝福が休みなく降り注いでいます。
ヒマラヤシーダの上には-4.7等の金が輝いています。また,上弦を迎えようとする齢6のは木を引き連れて歌に聴き入っていました。そして,木と金の間には土が輝いていました。
星々の祝福と家族の祝福,先生方からの祝福,新田地区の皆さんの祝福。全ての祝福を祈る新田中学校の歌声がいつもこの世界に鳴り響いています。ありがとう。皆さんの果てしない希望の歌声に力づけられました。
皆さんのこれからの活躍をいつも応援しています。
そしてメリークリスマス
この写真をクリスマスのプレゼントとして感謝の気持ちを込めて贈ります


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新・遠野物語―昔気質(むかしかたぎ)―

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ほんにょ(稲架け)のある風景

素晴らしい,素晴らしいと私は連呼した
現代にこのように昔の通りに稲架けにして天日干しをしている農家はない
素晴らしい,素晴らしいと私は連呼する
するとはにかんだ顔付きで千葉さんは答える
「なーに。息子に譲るまでの間だけだ。あとは息子が好きにやればいい」
農家の人からこんな言葉をよく聞く
代替わりまでは自分がなんとかするが,子どもに代を譲ったらなんとかやってくれるだろう
親から引き継いだ田んぼを子どもに譲るまでは自分の責任だ
なにがなんでも
自分の代で滅ぼすなんてことは生き恥だ
そういう思いで一生働いて生きてきた

しかし美しい。コンバインならば一回で済むことを稲杭を三百本以上立てて,一本一本に滑り止めの支え竹を結わえ付ける。そして刈り取った稲を架けていく。なるべく簡単な方法で,手間をかけずに金儲けしろと資本主義の世の中は言う。しかしそんな奴らにはこのような苦労をしてつくった美しい田んぼは分からないだろう。世界を芸術に変えている。なにより風景を愛している仕事人の技だ。今の人には美しい心と手によってつくられた米の本当の味なんて分からないだろう。

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霧の夜明け前



新・遠野物語―柳生心眼流道歌―

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霧の朝

今朝は大変霧が深い朝となりました。
飛んで行くマガンの声だけが霧の中で冴え渡りました。
さて私,今週9日土曜日午後1時30分から登米市伊豆沼・内沼サンクチュアリーセンターで伊豆沼についてのお話をいたします。
題して「伊豆沼八景をつくる」ですが,この中で柳生心眼流という当地に古くから伝わる古武道についても少しだけふれます。私は柳生心眼流の模範演技を初めて見たときに,その場の空気を一気に凝縮させたり,または気を開放させる気合いの空気感にすっかり呑み込まれ全身が痺れるような感動を覚えました。心眼流の道を究めようとする人の気合いと生き方に尊敬の念を持つようになりました。鍛錬というのは何よりも毎日百姓仕事に精を出し,自分をつくり,身体をつくり,心をつくる毎日です。そして稽古で更に自分を磨きます。毎日毎日の汗水垂らしての労働が心眼流の道そのものなのです。礼を忘れず,智を耕し,信義を重んじる毎日です。全く人の道として素晴らしいと思います。当地新田では星貞吉という心眼流の開祖がいました。この星貞吉の手紙などを読んでいるとよく最後に和歌が綴られています。
つまり道を平易な言葉と歌で説いて手紙を締めくくるのです。「心,怠りなきように」という半ば自分への戒めを込めて,心境を歌で伝えるわけです。下の道歌を見て下さい。よく手紙の最後につけた歌です。

道歌
柳生心眼流道歌

浮き草をかき分け見れば水に月 ここにありとは誰か知るべき

訳してみると「浮き草をかき分けてみたら水面に月が映っていた この水面に月が映っていようなどとは誰が分かっているだろうか。誰も分からないだろう」
これだけでは柳生心眼流との関係がさっぱり理解できないと思います。しかし,この歌の深い意味を探っていくと重要なことに気付くのです。
するどい観察力と心の眼と生き方が組み入れられた歌なのです。
人は表面だけを見て,物事の本質を見失うことがある。ほら浮き草の葉の端が少し明るく縁取られていることに気付かないか。どうしてだと思わぬか。よく対象を見るのだ。相手をひたすら観察するのだ。探りながら観るのだ。浮き草を少しかき分けてみるとよい。ほら,水面に月が映っている。浮き草が隠していても本質を観れば道理が分かる。その本質は誰も見極めることができなくても心掛ければやがて分かる。
これは私が勝手に解釈したものですからはずれているかもしれません。見えていなくてもすぐれた観察力を身に付け,心の眼で本質を見抜く大切さは心眼流だけではなく,すべてのことに通じる深い意味が受け取れます。こうした和歌に生き様や考えを含め入れて弟子達に本質を伝えようとするスタイルにも何か貴い,決して派手ではありませんが,奥の深い世界を感じるのです。

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つい撮ってしまう鉄道

アニマルウェルフェアについて

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  もう15年ほど前の写真です この頃から比べて写真上達してないように感じます

今から36年も前の遠い過去の1985年の話になりますが,NHKでさとう宗幸さんがナレーターになって「にんげん家族」という番組が放送されていた。その中に養鶏場が出てきて,無窓鶏舎でのケージで身動きも取れずに卵を産み続け,生まれて初めて太陽を見る時ニワトリは処分され,鶏肉になる日だというナレーションで,動物の命を考える回があった。
この番組はわたしにはショックで今でもよく憶えている。

大量生産では,連続して限界まで卵を早く産ませるための飼育技術が辿り着いた窓のない暗闇の中でニワトリは飼われ,人工光で昼がつくられる。まるでニワトリが長時間労働によって命をすり減らし,卵工場になっていったのが今でも続いている。平気で家畜だからといって過労死させている。鶏卵生産業界から賄賂をもらっていた農水大臣によって初めて「アニマルウェルフェア(動物の幸せ)」が一般人の目に留まるようになったことは皮肉なことである。いや値段が安かったらなんでもいいという考えに毒された私たちは動物がそんな状況になっていることにすら目もくれないでいたのだ。家畜の運命だからと,人間様のためだからと知っていながら目をつむってきた。とにかく生産コストを抑えるため,一度に大量に飼って安い外国産のえさに病気予防の抗生剤を入れて与え続ける。そして卵を産ませる。もう卵を産めなくなったニワトリは鶏肉にする。私たちは食べる。
アニマルウェルフェアは、「家畜を快適な環境下で飼養することにより、家畜のストレスや疾病を減らすことが重要であり、結果として、生産性の向上や安全な畜産物の生産にもつながる」ことから、農林水産省としては、アニマルウェルフェアの考え方を踏まえた家畜の飼養管理の普及に努めています。健康な家畜から健康な食材が取れる。家畜を丁寧に育てることで質の良い生産物が生まれる。

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ウメが咲いて月

昔の農家は牛や馬を実に可愛がり,家族の一員として扱っていました。
牛も馬も大切な労働力であり,糞は堆肥として田畑にまき,調理の時に出た野菜クズなどはニワトリが食べていました。つまり持続可能な家内生産活動が行われていたのです。これは農家が自立していたからです。江戸時代からの重農主義で食料生産そのものが質の良さを保っていられたからです。このような昔の農家の人の家畜を大切にするエピソードが宮本常一の「忘れられた日本人」の中に出て来ます。

忘れられた日本人宮本常一「忘れられた日本人」

昔馬の商いをしていた馬喰は弱っている馬ややせこけた馬を安く買って農家に預けるのが得策だ。どんな悪い馬でも農家は手を尽くして立派な馬に仕立て上げてくれる。
このようなエピソードがあります。これは農家がどんな態度で家畜と接していたかがよくうかがえます。愛情深く,子どもを育てるように牛馬を育てていたということです。結果,良い馬に育って馬喰も馬が高く売れたのです。
集約化され,大規模化された資本主義農業は留まることを知りません。もはやすべてが依存体系に組み込まれ,自立した経営もできなくなっていることも確かです。ただ言えることは現在家畜の生命をどう扱っているのでしょうか。もう何でもかんでも安ければいいのではなく消費者が命を大切にする農家を守ること,健康な食材で人も健康に育つ世界を少しずつでも始めなければいけないと思っています。

今日は己巳の日

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今日は己巳(きし,つちのと・み)の日
わたしが先日公民館でお話をした「蛇神の行方」で取り上げた己巳の日です。己巳の日は特に祈願すれば高い御利益を得られる日で,昔から弁財天信仰として発達してきました。この巳の日に拝む中で特に3月の己巳(きし・つちのとみ)信仰は日待ち信仰の一つです。十干十二支の60日のサイクルで6番目に来る日です。日待ち信仰には例えば登米市では「庚申(こうしん・かのえさる)」信仰や「甲子(かっし・きのえね)」信仰などがあります。特に庚申信仰は江戸時代から全国的に普及しており,沢山の庚申塔が建てられました。登米市の石碑数の第1位が庚申塔で,全ての石碑の2割を占めています。また十干十二支の60日のサイクルの最初に来るのが「甲子」の日であり,物事の最初に来る縁起の良い年や日とされています。
己巳供養は,女の子の節句,雛祭の中に流れ込んでいったのかもしれません。もともと桃の節句は古代中国での五節供の一つ「上巳の節供」に当たります。 上巳とは三月最初の巳の日のことで、昔からの健康や古代中国で はこの日に、川の水で身を清める祓の風習がありました。この風習が平安時代に日本に伝わり、やがて草や藁などを人の形に作った「人形」に穢れ や災いを移し、川や海に流す風習と融合していきました。この考え方は現代でも「人形(ひとがた)」に罪穢れを移し,水に流すという風習として残っています。ですから己巳供養は気候もよくなってきた一年の始めに一家の健康や幸せを願う大切な行事であったとも考えられます。「天下太平 諸願成就」「福寿増長」という文字が刻まれている碑もあります。

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登米市と近隣の市町村にある,この己巳の日に建てられた関連石碑をまとめてみました。

己巳供養塔  35基  永仁二年(1294)~ 安政四年(1857)  563年間
巳待塔      7基  享保十七年(1732)~安永四年(1775)   42年間
巳需塔      3基  文化十四年(1817)~文政三年(1820)    3年間
弁天        6基  享保十三年(1728)~天保十五年(1844) 116年間
弁才天     8基  宝暦八年(1758)~明治五年(1872)   114年間
弁財天     5基  享保十年(1725)~昭和二十三年(1948) 223年間
弁才尊天    1基  文化十三年(1816)
白蛇弁財天   1基  昭和二十三年(1948)
金華山    20基  寛政八年(1796)~昭和二年(1927)   131年間
黄金山    12基  明治十六年(1883)~昭和十二年(1937)  54年間
龍神      2基  明治三年(1870)~昭和五年(1930)    60年間
蛇王権現    2基  時期不明
蛇神      1基  時期不明
________________________________________
計    100基

たくさんありますね。
特に中田上沼大泉長承寺の己巳塔は永仁2年(1294)建立という古さです。永仁二年(1294)から最近に建てられた安政四年(1857)の己巳塔まで,563年間も己巳信仰は営々と続いてきたことになります。これは中世からの民間信仰の歴史を解読する大きな鍵となると思っています。やがて江戸時代に入り民間信仰は全国的に庚申信仰に覆われていってしまいますが,己巳信仰は庚申信仰に覆われてしまう以前の信仰の流れをつくっていたことは確かなようです。
登米市以外の己巳塔を見ても,花泉町最古(元禄八年・1695),桃生町御最古(宝永五年・1708),千厩町最古は庚申・己巳併刻塔(享保十七年・1732),一関最古(文化六・1806),江刺市最古は「庚申・己巳・甲子塔」は(文化六・1806)と古くから宮城岩手県に広く己巳塔が建立されていることから己巳信仰が中世の民間信仰の底流をなしていたと考えることもできます。
このように己巳信仰は鎌倉時代から民衆の間に浸透していて,その象徴である蛇がやがて弁才天信仰に流れ込んで勢いを増していきます。そして金華山が日本五大弁才天になり,弁才天が七福神の中に取り入れられ,弁才天は弁財天ともなり,福寿財宝をもたらす神として庶民の信仰を広く集めていったのでしょう。元々は川の神でもある弁才天ですから,水の神としても崇められ,その化身の龍も蛇もまた強く信仰の対象となっていったと思われます。