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新・遠野物語-水の物語-

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水辺を歩く。
水面(みなも)を見詰めていると,いつの間にか自分の意識が水に溶けて戻って来ないことにはたと気付く。
何秒だったのか,それとも何分だったのか。ふと我に返る。
すると夕闇が前よりも濃くなっていたりする。
「おれの汚れを洗ってくれるかのように、海を愛していた」と書いたのはランボーだが,人の捕らわれや汚れを払ってくれるのが海,つまり水辺なのだ。

このように水辺には人の意識を溶かしてしまう力があるようだ。遠野物語にも水辺の話はたくさんある。
前にいう松崎沼の傍らには大きな石があった。その石の上へ時々女が現れ、また沼の中では機を織るひの音がしたという話であるが、今はどうかしらぬ。

元禄頃のことらしくいうが、時の殿様に松川姫という美しい姫君があった。年頃になってから軽い咳の出る病気で、とかくふさいでばかりいられたが、ある時突然とこの沼を見に行きたいと言われる。家来や侍女らが幾ら止めても聴入れずに、駕籠に乗ってこの沼の岸に来て、笑みを含みつつ立って見ておられたが、いきなり水の中に沈んでしまった。

そうして駕籠の中には蛇の鱗を残して行ったとも物語られる。ただし同じ松川姫の入水したという沼は他にも二、三か所もあるようである。                            「遠野物語拾遺31話」
「笑みを含みつつ立って見ておられたが」とあるが松川姫はその時一体何を思って微笑んだりしていたのだろう。彼女もまた入水し自らが龍神と化してしまう話です。
同じように年頃の娘が水に沈んで行く話が「山椒大夫」,「安寿と厨子王」で知られている十五歳の姉安寿が厨子王を逃がすために,入水します。
安寿は泉の畔(ほとり)に立って、並木の松に隠れてはまた現われる後ろ影(逃げていく厨子王)を小さくなるまで見送った。そして日はようやく午(ひる)に近づくのに、山に登ろうともしない。幸いにきょうはこの方角の山で木を樵(こ)る人がないと見えて、坂道に立って時を過す安寿を見とがめるものもなかった。のちに同胞(はらから)を捜しに出た、山椒大夫一家の討手が、この坂の下の沼の端(はた)で、小さい藁履(わらぐつ)を一足(そく)拾った。それは安寿の履(くつ)であった。
沼端にきれいに揃えて置かれていた藁靴。安寿が履いていたものでした。

なぜに水辺はこのように人を誘い続けるのでしょう。オフェーリアもそうでした。

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〈オフェーリア〉ジョン・エヴァレット・ミレー

「すてきな花輪を、垂れた枝にかけようと、柳によじ登ったとたん、意地の悪い枝が折れ、花輪もろとも、まっさかさまに、涙の川に落ちました。裾が大きく広がって、人魚のようにしばらく体を浮かせて―――そのあいだ、あの子は古い小唄を口ずさみ、自分の不幸が分からぬ様子―――まるで水の中で暮らす妖精のように。でも、それも長くは続かず、服が水を吸って重くなり、哀れ、あの子を美しい歌から、泥まみれの死の底へ引きずり下ろしたのです。」
オフェーリアは歌を口ずさみながら入水していったのです。美しい絵です。


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小友村字上鮎貝に、上鮎貝という家がある。この家全盛の頃の事という。
家におせんという下女がいた。おせんは毎日毎日後の山に往っていたが、そのうちに還って来なくなった。この女にはまだ乳を飲む児があって、母を慕うて泣くので、山の麓に連れて行って置くと、おりおり出ては乳を飲ませた。それが何日かを過ぎて後は、子供を連れて行っても出なくなった。そうして遠くの方から、おれは蛇体になったから、いくら自分の生んだ児でも、人間を見ると食いたくなる。もはや二度とここへは連れて来るなと言った。そうして乳飲児ももう行きたがらなくなった。

それから二十日ばかりすると、大雨風があって洪水が出た。上鮎貝の家は本屋と小屋との間が川になってしまった。その時おせんはその出水に乗って、蛇体となって小友川に流れ出て、氷口の淵で元の女の姿になって見せたが、たちまちまた水の底に沈んでしまったそうである。

それからその淵をおせんが淵といい、おせんの入った山をば蛇洞という。
上鮎貝の家の今の主人を浅倉源次郎という。蛇洞には今なお小沼が残っている位だから、そう古い時代の話では無かろうとは、同じ村の松田新五郎氏の談である。                                   「遠野物語拾遺30」

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水辺には龍神や蛇神がいるという。これは水神弁財天がこの世では龍や蛇として顕現しているという考え方に依るのだろう。
言わば水の神の使いが龍や蛇という形を取っている。そうして松川姫や安寿が水底に沈んで浮かんでこないのにはわけがあります。
そうです。美しい娘達は「竜宮城」に行くからです。

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平時子がまだ幼さが残る安徳天皇を抱きかかえて船縁から海に飛び降ります。平家最後の天皇が八歳にして水面に消えます。

山鳩色の御衣に、びんずらをお結いになって、お涙をたくさんお流しになり、小さくかわいらしい御手を合わせ、まず東を伏し拝み、伊勢大神宮にお別れを申し上げなさり、その後、西にお向きなって、御念仏をお唱えになったので、二位殿(平時子)はそのままお抱き申し上げ「波の下にも都がございますよ。」とお慰め申して、深い海の底へお入りになった。悲しいことよ。無常の春の風が、たちまちに花のような(美しい天皇の)御姿を散らし、痛ましいことであるよ。分段(ぶんだん)の荒き波、玉体を沈め奉(たてまつ)る。」「平家物語」から

美しき娘達や幼き皇子はいまだに竜宮城にて龍王に守られながら幸せに過ごしている。



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新・遠野物語-竹取の翁の家-

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新・遠野物語-竹取の翁の家-

石碑調査を続けていますが,むしろ大きな発見は,人に顧みられなくなって,山の奥に消え去ろうとしている中世の景色に辿り着けるということです。調査の後にいただいた永田地区のおばあさんの「はっと」は本当においしかった。感謝しています。15日のご恩返しには努力したいと思います。よろしくお願いいたします。


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樹の佇まい

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立ち姿 

じっと眺めていて樹の立ち姿ほどしんみりするものはない。
しんみりするというのは心に深く沁みていくという意味です。何も考えずにただ虚心に受け入れられるものはこの世に多くはないでしょう。私にとって樹の立ち姿を見ることは,構えることもせずただそのままに受け止めていられる存在です。

 犬塚勉という画家がいました。
 その画家は山登りが好きで,1988年38歳という若さで山に散りました。
 彼の描いたブナの木の作品があります。
 山を愛する人でした。特に私は彼の描いたブナの樹を一目見て,まるで誰も居ない林の中でブナの樹を一人見上げた瞬間の心がすっかり晴れ上がる気持ちになりました。

img_1724177_64205760_5二本のブナの木(冬)1988
犬塚勉「二本のブナの木」(1988)

そんな樹の立ち姿が好きで,ブナの林に出掛け,桜の撮影も始めました。そして樹の美しさがその立ち姿にある,と思えるようになりました。無駄が無く,それでいてエネルギー効率が最大で,生きていく逞しい戦略を持つ樹木。その一本一本に百年単位の時間の地層が刻まれています。どうしてまたそんなに樹木の立ち姿(佇まい)が好きなのかと尋ねられると困りますが,樹の立ち姿が持つ気品,枝枝がつくる表情,周囲との調和,物言わぬ寡黙さ・・・,そんな姿に惹かれるのです。

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雨のブナの表情

自分なりに長いこといろんな林に通ったりしていますが,撮影は大変難しいものです。その樹木の持っている気品を損なわずに写真に記録することは簡単そうですが一旦迷いだすと際限なく迷い続けることになります。それでも迷い続けることはさほど苦しみではありません。どんな若い樹にも朽ちていこうとする千年の古木にも触り,対話し,樹の周囲を納得するほど歩き回ると最も良いアングルが見つかります。その時には樹も喜んでいるのが伝わってきます。
司馬遼太郎は,「樹霊」の冒頭でこう言います。
「ここ十五年ほどの間、われわれのこの島々の住人は開発という名のもとにあまりにも無造作に、というより狂ったように樹をきり倒し、いま自然ともいえないような環境のなかで、自分たちが何をしてきたかということに茫然としている。」
そして「あとがき」
「私はいわゆる神道に何の関心もないが、しかし人間の暮らしから樹霊の連り添いと樹霊への尊敬の心をうしなったときに、人間の精神がいかに荒涼としてくるかをうすうす気づいていて、おびえるような気持ちでいる。この襍を編み、この襍に参加された諸氏の気持ちもそこにあることを知った。樹を語りつつも、その根底には人間の仲間のゆくすえに対する深い憂いがあるように思われてならない。」
樹木が何も言わぬからと言って,怖れや憐れみや共感もなく樹という生き物を終わらせる人間の薄情さや罪深さを感じると,どうしようもなく哀しくなります。

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マザーツリー



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