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遠流志別石(おるしわけいしの)神社と於呂閇志(おろへし)神社

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ダブルファンタジーその後

さて先日霧の中に浮かぶ島のような上に太陽が懸かったダブルファンタジーという写真を載せました。その数分後霧が晴れていきました。そしてこのような写真になりました。ピークがまるで筑波山のように二つありますね。このような形の良い富士山のような形をした山が古来より山全体が,また山自身がご神体になっていました。そういう信仰が古代よりあったことは事実だと言っていいでしょう。ついでながらそうした信仰を広めたのは葛城金峰山系の山伏達と言われているようです。

さてこの猿岩山も標高はそう高くないにしても,整った形の山で北側には露出した岸壁がバットレスのように聳えた奇観も呈しています。この頂上に昔から「於呂閇志(おろへし)神社が」あったとされています。現在は頂上ではなくその中腹にお社が移され,現在に至っています。変わった名前の神社です。あれっと思ったのは登米市石越にも同じような語感をもった「遠流志別石(おるしわけいしの)神社」という神社があります。「おろへし」と「おるしわけいし」声に出してみても,何となくこの二つの神社の出所が近いのではないかと思われたのです。

そこでこうしたアイヌ語のような語感を持った神社が他にもないかとググッてみたら意外とあったのです。

登米市石越          遠流志別石(おるしわけいしの)神社
栗原市築館富野根岸    遠流志別石(おるしわけいしの)神社
栗原市尾松大石沢      ご神体に当たるような大きな石がある
栗原市沢辺大字姉歯沢田  ご神体に当たるような大きな石がある
岩手県奥州市胆沢      於呂閇志(おろへし)胆沢川神社
岩手県奥州市胆沢猿岩山 於呂閇志(おろへし)神社

更に白鳥白陽が書いた「栗原の遍歴」の中で「遠流志別石(おるしわけいしの)神社」にふれ,栗原市にあるこれらの神社や大きな石は一直線に連なって関係を成しているという記述があるらしいのです。(宮城県図書館レファレンス資料80.式内社「遠流志別石(おるしわけいしの)神社」のこと」から)
まるでストーンサークルのように興味深いことが書いてあります。そこでこれらの場所を地図上に表してみました。
おるしべ神社のあるところ2
遠流志別石(おるしわけいしの)神社と於呂閇志(おろへし)神社のあるところ


これは続きます


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新・遠野物語―見ザル言ワザル聞カザル―

12-ことは入り
長野の庚申塔 白馬村で

庚申塔という石碑があります。
庚申信仰の満願を記念して建てるものです。
この庚申塔。全国津々浦々にかなりの数が建てられています。
カレンダーを見ると「庚申(かのえさる)」という日があります。例えば今年ですと7/16をカレンダーで見ると「庚申の日」に当たっています。この庚申の日の夜は寝ている人の身体から三尸(さんし)という虫が抜け出して天帝にその人の悪さをすべてばらしてしまうというのです。これは大変です。そこでこの庚申の日は眠らず勤行に努めたと言います。

そこで庚申塔には「わたしの罪を見ないで下さい,言わないで下さい。聞かないで下さい」と三匹の猿が描かれるようになったと言われています。

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左から,私の罪をどうか「聞かないでください。言わないで下さい。見ないで下さい。」

さていろいろな庚申塔の三匹の猿を見ていてはたと気付くことがあります。
猿がどういう順番で並んでいて,それには何か意味があるのかという疑問です。そこで三匹の猿だけを並べてみました。上の写真2枚は芦田正次郎著「路傍の庚申塔」慶友社から引用しました。

三猿比較図
上から江戸初期型 延宝五年(1675)東京都北区十条     「見,聞,言」
「」2段目 江戸中期型 宝永元年(1704)東京都北区赤羽北 「言,見,聞」
3段目 享保十三年 宮城県登米市浅水 長谷寺境内    「言,見,聞」
4段目 不明     長野県白馬村                「聞,言,見」
5段目 日光東照宮                          「聞,言,見」

結局これだけではどの並びがどうだ,時代を経るに従いこうなるとは言えません。
ただ並べた三匹の猿を良く見ると足が垂直に立っている江戸初期型と宮城の享保十三年。時代が経つと足と手のラインが菱形に変化する江戸中期型,後年更にバリエーションが増して長野のようにあぐらをかいたり,横を向いたりする並び方も現われてくるそうです。また地域性も大きく表われる部分だそうです。おもしろいですが,もう少し調べる必要があるようです。


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新・遠野物語-春蚕の出荷-

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繭の美しさ

宮城県内でも,もう十軒ほどしか残っていない蚕農家の一軒を登米市石越町に訪ねています。
スケジュール通りに蚕は生繭のまま出荷されていきました。80キログラム弱の生繭は,一個一個丹念にチェッされていました。中の蛹が死んでいる繭は出荷できず,取り除かれていきます。透過光でチェックすると中の蛹が死んでいると,黒くなっているので選別できるのだそうです。しかし取り除かれる繭は百個に一個くらいだけで殆どがOKです。繭研きをした後の繭は美しい楕円状で肌ざわりがとても良く,光に透かしてみると梅雨空の暗い雲の下で一際白く輝いていました。ここの蚕農家さんでも半分ほどに規模を縮小して,更に春蚕(はるさん)と秋蚕(あきさん)しか行わなくなったのだそうです。規模を縮小したとはいえ,三齢終わりで入荷した蚕の幼虫は卵にすれば60000個弱になります。これが繭になった場合約100キログラムになります。この100キログラムの内20%程の20キロ弱が生糸になります。あとの80キログラムが蛹の重さというわけです。蛹は蛹で加工され,鯉の餌や肥料になりますが,最近6/29日付けの日本農業新聞によれば九州大で蚕がコロナワクチン開発の可能性と出ていました。従来より蚕から薬を取るという事実がありましたから大いに期待したいです。

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出荷前の選別作業  透過光でチェックすると中の蛹が死んでいると,黒くなっているので出荷せず取り除かれるのだそうです。しかし取り除かれる繭は百個に一個くらいだけで殆どがOKです。

私は今回この蚕農家の見学をしてつくづく感じたことがあった。遠野で有名な「オシラサマ」というのは「お白さま」のことで,蚕のことだと合点がいったのである。幼虫も繭も白く美しい。美しい糸をつくる御蚕様(おかいこさま)と呼ばれるのも納得できる。ここで柳田國男の遠野物語の「オシラサマ」の項を改めて読んで見ましょう。
六九 今の土淵村には大同(だいどう)という家二軒あり。山口の大同は当主を大洞万之丞(おおほらまんのじょう)という。この人の養母名はおひで、八十を超えて今も達者なり。佐々木氏の祖母の姉なり。魔法に長じたり。まじないにて蛇を殺し、木に止とまれる鳥を落しなどするを佐々木君はよく見せてもらいたり。昨年の旧暦正月十五日に、この老女の語りしには、昔あるところに貧しき百姓あり。妻はなくて美しき娘あり。また一匹の馬を養う。娘この馬を愛して夜になれば厩舎(うまや)に行きて寝ね、ついに馬と夫婦になれり。或る夜父はこの事を知りて、その次の日に娘には知らせず、馬を連つれ出して桑の木につり下げて殺したり。その夜娘は馬のおらぬより父に尋ねてこの事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に縋すがりて泣きいたりしを、父はこれを悪にくみて斧をもって後うしろより馬の首を切り落せしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に昇のぼり去れり。オシラサマというはこの時より成りたる神なり。馬をつり下げたる桑の枝にてその神の像を作る。その像三つありき。本もとにて作りしは山口の大同にあり。これを姉神とす。中にて作りしは山崎の在家権十郎ざいけごんじゅうろうという人の家にあり。佐々木氏の伯母が縁づきたる家なるが、今は家絶えて神の行方ゆくえを知らず。末すえにて作りし妹神の像は今いま附馬牛村にありといえり。
いなくなった娘を案じて,父は娘を探して大いに嘆いていたところ,父の夢に娘が出てきてこう言ったという。「お父さまよ。心配されるな。私も今達者に暮らしています。明日の朝,馬を吊した桑の木の下を見て下さい。桶の中に沢山の蚕を置いておきます。これを育てて私が働けなくなった分の収入に充ててください」と夢で告げたという。これが蚕の始まりであり,桑の木と蚕との関係である。実際に学説ではどう解明されているのかは分からないが白い蚕や繭が「オシラサマ」であることは私には腑に落ちた。

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繭を切ってもらった 蛹はもう少しでカイコガになるという手に持ってみたらくねらせるように動いた

繭を出た成虫としてのカイコガは,飛べないし,そのまま死んでしまうと言う。究極まで家畜として改良され続けた結果である。自分でカイコガを育て卵を取ることは種苗法という法律によって禁止されているという。専門の機関でしか採卵や孵化は行えないという。今年配蚕(はいさん)されたカイコは「春嶺×鍾月」で糸の生産性が高い品種だという。すべて専門の機関で研究,交配されたものがスタンダードとして各蚕農家に配られるわけである。ただし産卵した卵は一年しかおけず,毎年更新され続けていくという。それも苦労なことだと感じた。

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袋に詰められた蚕の生繭は買い付け専門指導官が計量し,製紙工場へ送られていく。

今年の作柄を聞くと,暖かい気候で順調だったという。温度管理が大切な時期に暖かく24℃という管理温度を保ちやすかった結果良い作柄になったと言っていた。

何よりも毎年ながら出荷までやり終えて,ご夫婦は一安心したようです。毎日毎日おいしい桑の葉を与え続け,温度管理に気を遣い立派に蚕を育て上げたご夫婦のきまじめさにまた百姓の底力を感じて感銘を受けた。

尚,秋蚕は9月初めに配蚕されるそうなので9月にまたこの記事を続けたい。


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新・遠野物語-春蚕の上蔟(じょうぞく)-

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回転蔟(かいてんまぶし)を組み立てる

宮城県内でも,もう十軒ほどしかのこっていない蚕農家の一軒を登米市石越町に訪ねています。
この養蚕という伝統農業は時代的にも今でしか見学できない段階に来ています。私自身は幼い頃に蚕を飼っている祖父の実家を訪ねた折,ほの暗い中二階で蚕が桑の葉を食べる音や白い蚕をじっと見ていたことを懐かしく憶えています。あれからもう何十年が過ぎているでしょうか。農業の姿もすっかり変わりました。手の掛かる蚕を育てる農家は激減しました。桑畑は水田や果樹に変わり,辛うじて地名に残っているばかりです。また,農家の大きな中門や蚕を育てる中二階を持った昔の大きな家もなくなり,「こんにちは」と言って家に入ると土間のひんやりとした空気や入口脇に馬や牛がのーっと頭を出している光景も全く見られなくなりました。このような農家の風景を記録しておく時期に来ています。

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桑の枝に付いた蚕を条払機(じょうばらいき)にかけます。ざんざんと上下に震動するので蚕が桑の葉からふるい落とされます

蚕はいよいよ最終齢(5齢)を迎え繭をつくる時期を迎えました。そして夏至の6月21日に繭を作らせる「上蔟(じょうぞく)」という段階に入りました。その上蔟(じょうぞく)の作業を見学してきました。その作業の様子を順を追って見てみましょう。

まず,ざんざんという機械の音が私たちを迎えてくれました。条払機(じょうばらいき)の音です。桑の葉に付いた5齢の蚕をふるい落とします。写真を見ると分かりますが,ふるい落とされた蚕が下のブルーシートに溜まります。

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ふるい落とされた蚕に網をかけます。あみを懸けると網の穴から元気な蚕が頭を出して網の上に這い上ってきます。この元気な蚕を桶に集めて繭をつくるための小さな部屋に区切られた回転蔟(かいてんまぶし)と言われるものに移します。


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元気の良いかいこが網の中から頭を出してきました

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網から這い出た蚕を桶に入れて回転蔟(かいてんまぶし)の部屋に運びます

桶から雨樋のような容器に蚕を移し,回転蔟(かいてんまぶし)の上に降りかけるようにします。すると蚕は回転蔟(かいてんまぶし)の木枠や小さな区切りの部屋にひっかかり,お気に入りの個室を見つけて移動し,そこで糸を吐き出し始めます。次の写真を見ると分かります。

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百匹ほどの蚕が入った回転蔟(かいてんまぶし)を針金で吊り下げます。いろいろな重心の変化で自然と回転します。

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何十年と夫婦で養蚕を続けて来ました

あうんの呼吸です。

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回転蔟(かいてんまぶし)の作業所 暖房しています。

こうして3~4日すると蚕は糸を吐いてきれいな繭を完成させます。蚕の体内から本当に細い糸が限りなく紡ぎ出される不思議に改めて感銘を受けます。本当にすごい。蚕の繭は一繭約1.5~2グラムで,糸を繰って伸ばすと1800mにもなるそうです。一繭の80%が蛹部分で,後の2割が生糸になります。特に季節毎に春蚕,夏蚕,秋蚕,冬蚕とあるそうですが,この春蚕が最も質の良い出来柄だと言われています。以上が「上蔟(じょうぞく)」と言われる蚕が繭をつくるための作業です。

一年の流れで言いますと
1 孵化-蚕の卵を孵化させること
2 掃き立て-ふかした蚕(蟻蚕)に桑の葉を与えること
幼虫期間
3 給桑-桑の葉を与えること,一日2~3回
4 アドタテ-蚕糞蚕滓(糞尿)を取り除き,きれいにしておくこと
そして今回の
5 上蔟(じょうぞく)-最終齢幼虫が繭をつくりやすくする
6 ヤドイヌキ-一個ずつ繭を取り出す作業
7 毛羽取り(繭研き)-繭の表面をきれいに仕上げる
そしていよいよ
8 出荷となります。

この出荷は生繭のまま出荷します。
幼虫の3齢辺りで配付されますから,約1か月間ながら毎日の作業は気の抜けない大変な苦労があります。長い伝統に培われてきた養蚕の無駄がない,効率的な作業手順や道具にいちいち感銘をうけてしまいました。もう何万という繭が完成されている頃でしょう。


この記事は続きます。


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蚕農家の始まり

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蚕飼育始まる

私にとって蚕はとても懐かしい思い出と一緒です
現在滅びつつある日本の蚕飼育の歴史を今こそ見届けておきたいと思いました
登米市でただ二軒ばかりとなった蚕農家の一軒を石越に訪ねました
感想はすごいの一言ですが,蚕という生き物が実にデリケートで,質の良いものに育てるためにどんな苦労も厭わないというご夫婦の生き物に対する愛情がひしひしと伝わってきました。こんな人達だからこそ,たった一軒でも営々と何代も蚕を育て続けて来たのだと頭が下がりました。

いよいよ蚕飼育が始まりました。
昨日,4齢の状態で配蚕された蚕を,今日見てきました。
いよいよ始まりです。朝与えた桑の葉は旺盛な食欲でもう枝だけという状態でした。これで一週間経つと,いよいよ最終齢5齢となり糸を出して繭をつくります。糸を出す前に幼虫が透明になる時がきれいなんだと言っていました。

今度はその糸を出す直前の時期に当たる21日に行くことになりました。

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4齢の蚕

長さ10m以上のこの青い大きな蚕籠に1000頭の蚕がひしめいています。その図は正に壮観です。

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頭をもたげて止まっています

よーく見てみると,頭をもたげて止まっています。これはもう食べないという状態なのだそうです。2・3日もするとぐ脱皮に入るそうです。与えられる桑の葉の量が半端じゃありません。すごい量です。これから1ヶ月毎日朝昼晩と三回,新鮮な桑の葉を与えたり,温度管理をしたり,消毒をしたりします。いたわるように育てるとはこのことだと思いました。



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