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静寂の羽-伊豆沼-

マガンノハネ-7s
静寂の羽

夥しい数のマガンが私の頭上を飛び去った後
残された静寂が煙のように立ち込める
圧倒され,口にできない興奮を抑えつつ立ち尽くしている
時が止まったような無風の世界
羽はゆっくりと
鳥たちと私の間にある
どうしようもなく埋め難い距離を
慰めようとでもするかのように
私目がけて落ちてくる


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初雁渡り来る

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初雁
昨日21日午前9時40分今シーズンの初雁が確認された
実はここ2,3日朝回って探してみたが,雁の声ひとつ聞こえなかった。
そして,辺りがほの暗くなり始めた夕方,元気な,甲高く鳴き交わしているマガンの声が聞こえてきた。20羽程の群れだった。声が少し高く,今年生まれたばかりの若いマガンだろう。そんな声だった。半年ぶりにマガンの声を聞くと,妙に心が落ち着く。今シーズン初めてのマガンの声は,実はずっと心の内で自分が待っていたとはっきりと知れた。そんなものなのだ。心の内でそっと待っていることを人はあまり口に出したりしないものなのだ。まるで自分だけの秘密のように誰にも言うことなく,待ち続けている。希望とは辛抱でもあると言い換えてみる。年を取った証拠だ。
信じることは遠い渚
海に眠る星の貝を探すこと・・・
信じて待てば,雁の声は空の奥で必ず答えてくれる。

朝露
蓮に朝露

ところで今までの初雁の記録を見てみた

初雁の日にち
2004年 9月15日
2005年 9月22日
2006年 9月21日
2007年 9月20日
2008年 9月21日
2009年 9月17日
2010年 9月23日
2011年 9月22日
2012年 9月20日
2013年 9月22日
2014年 9月13日
2015年 9月19日
2016年 9月14日
2017年 9月14日
2018年 9月19日
2019年 9月13日
2020年 9月12日
2021年 9月16日
2022年 9月17日
2023年 9月21日

なんと彼等の渡りは正確な日程で行なわれているのだろうか。
ただただ驚くばかりである。人間だけが目先のことで騒いでいるようにも思えてくる。

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この頃の散歩道 昨日21日撮影

これからは,からっぽになっていた空に朝夕と雁の声が遠く近く聞こえるだろう。
稲刈りで忙しくなる。

追伸
9月30日(土)13時30分~は,伊豆沼読書会です。
伊豆沼・内沼サンクチュアリーセンター淡水魚館(新田駅近く)
内容「新田の山伏と出羽三山参り」

今,伊豆沼のハスの盛り

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今,伊豆沼ハスの盛り 今朝9月15日撮影

本当は今日辺り,出羽三山の続きでしたが,複雑な檀那場(霞場)のことに深入りしてしまい,解決の糸口を探して苦しんでおります。

もう一枚昨夜ひょっとしてと思い出かけましたが,見事に撃沈しました。
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ISSと夜汽車 昨夜撮影

水辺のアジール-伊豆沼からのたより-

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伊豆沼の蓮 昨朝8月10日撮影

「水辺で育った人は,水辺に戻ってくる」
川べりや沼べり,そんな水辺にいると,妙に心が安まると感じませんか。「水辺に立つ」とは,自分では解し得ない現実の脈絡もない筋書きを,水という鏡に他人事のように写し出すことです。水辺が,アジール(心の避難所)だと分かっている人もいます。そういう私も伊豆沼の水辺で生まれ育ちました。別の記事で,こうも書いています。
なめらかな水面を眺め回す
妙に心のつまりが消えていく
息が長く吐き出される
目の焦点が合っていないのか,茫洋とした水を見つめていると
目の焦点が合わせにくい
そして長くはき出される息とともに,自分の心もちが水面に投げ出されてしまう
これを放下というのか
水面に映し出されている雲も青空も水に落ちてきてそのままである
自分もすべて水に落ちていって写っている

「蒲団」で知られている田山花袋1872年(明治4年) - 1930年(昭和5年)58歳没,という作家も,群馬館林の「城沼」という沼のほとりで生まれ育ったそうです。城沼のほとりを歩きながら,彼が水辺を慕う様子は,「ふる郷」(1899)にもよく出ています。この中に「袖ちゃん」という女の子が出て来ます。花袋と仲が良かったのか,彼女の家は彼とは沼を隔てた反対側に住んでいます。彼女の家にも遊びに行ったりしています。そんな彼女のことがしきりに思い出されます。向こう岸に彼女の家があります。水の彼方に見える向こうに,霞んではいますが,あの袖ちゃんはいるはずです。白い犬とあそびながら。

猶をりをりは縁側より微に見ゆる沼を望みてかのみどりの松の蔭にかの袖ちゃんは居るなりと思いぬ。
ことに秋のよく晴れたる夕など,その沼の上の松原の翠の上に白き赤き雲のおもしろくかかれるをみて,今頃は袖ちゃんはあの雲を見ながら小き白き犬と遊びて,居るならんと想像しぬ。


水辺に立つと言うことは,自分では解し得ない現実の脈絡もない筋書きを,水という鏡に他人事のように写し出すことです。
世の中のすべてに追われている私たちが,「逃げるところはある」と,自分に尋ねてみましょう。追われている私たちが,ほっとひととき,すべてを忘れて,安心できるアジール(心の避難所)は。

水面を眺め,自分のすべてをその水面に投げ出すことで,自分がからっぽになる
そんな自分が水面に落ちてしまって,映っている
空も,雲も,日の光も,空の青も,すべて水面(みなも)に投げ出され,落ちてしまって映っている
からっぽな,なんでもない,私が映っている



2022シーズンのマガンがやってきた

朝916 042s
収穫間近

昨日朝8時15分。6羽で飛んでいるマガンを番屋付近で見つけました。懐かしい声です。
一昨日夕方一羽で飛んでいるハクチョウを見つけました。もう渡りが始まっていることが感じられました。最近田んぼが金色になってきていました。

さて,今までの伊豆沼マガン初飛来の記録を見てみましょう。
2022年9月17日8時15分 6羽で飛んでいるマガンを番屋付近で確認
2021年9月16日
2020年9月12日
2019年9月22日
2018年9月19日
2017 年9 月14 日 10 時
2016年 9月 14日
2015年 9月 19日
2014年 9月 13日
2013年 9月 22日
2012年 9月 20日
2011年 9月 22日
2010年 9月 23日
2009年 9月 17日
2008年 9月 21日
2007年 9月 20日
2006年 9月 21日
2005年 9月 22日
2004年 9月 15日

ということは今年は例年(20日)より三日早く,昨年16日より1日遅いということになりますね。

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今年の夏の思い出

只今サドの連載で苦しんでいます。
自由を考える時,まずサドを取り上げる事は欠かせないことかもしれません。おぞましい小説群で彼が為し得たことは前人未踏の陰画(反転ネガ)暗黒世界の弁証法を打立てたからです。そして彼の思想は実に攻撃的でありながら18世紀の博物学,科学の時代を生き,49歳でフランス革命のまっただ中,政治,医学の潮流に乗って今までにない広がりと深みを抱えていることが分かり始めました。ホッブスの流れを受けてルソーが社会契約説を発展させ,カントやヘーゲルの生きていた時代,モンテスキュー,ディドロ,ダランベール,ラクロ,スィフト。もう世界の知の再構築真っ最中の時代です。その時代に生きたサド。少し項目を設けてキーワードに基づいてお話した方がいいようです。