2023/06/13
映画「銀河鉄道の父」-トシが祖父喜助をビンタする場面-

もうクジャクチョウが出るようになった 今朝6月13日撮影
今年のホタルはどうだろうと気にする時期になった

映画「銀河鉄道の父」ポスター
映画「銀河鉄道の父」を観た。賢治の妹トシが祖父喜助の頬をビンタして,耳元で「きれいに死ね」と囁いて,抱きしめるシーンがある。
えっと驚いた。あのトシがお祖父さんの頬を叩いて,「きれいに死ね」という啖呵を切るのかと。いくら何でもこの演出は強すぎねーか,と感じた。このような演出をする背景があると思うが,私は,飛び抜けて,強い印象を受けた。そこでトシのビンタと「きれいに死ね」の背景を改めて考えてみたい。

映画「銀河鉄道の父」から
1915年,大正四年,19歳の賢治は盛岡高等農林に入学し,妹のトシも東京の日本女子大に進学した。同じ四月の七日に喜助は隠居し,政次郎が家督を継いだ。隠居した喜助が亡くなるのは,その2年後,1917年大正六年の9月16日,喜助77歳だった。すると,このエピソードが繰り広げられたのは,トシが東京から里帰りした大正四年夏か冬,大正五年の夏は賢治の方が上京している。そして,大正六年の夏辺りと思われる。そしてすぐの九月に喜助逝去となる。このエピソードが実話に基づいたものならば,大正四年夏から大正六年夏までの2年間の中のこととなるだろう。それにしても,トシはそんな乱暴なことはしないだろうと私は思う。賢治もトシも夏休みに帰郷した家でトシから教えられた賛美歌をみんなで楽しく歌っていたそうである。
喜助という人は,三男で,天保十一年九月五日生まれ。石に金具を着せたような人だったそうで,少したしなむ酒のつまみに必ず魚を食べ,浄瑠璃などに親しむが,真面目一徹な堅物と言われたそうである。食事の時などに,皿数が足りないと文句を言って,イチを困らせたりしたようで,そんな姿を賢治やトシも少し苦々しく思っていたのかもしれない。それにどうも祖父の喜助は,信心が足りない面があると家族から思われていた節がある。花巻を離れたトシが家のことを心配して,喜助に信心深く生きることを伝える手紙を書いていたようである。それもかなり強い口調で・・・。堀尾青史氏が,喜助に宛てたトシのこの手紙について,
多分トシも賢治もいなくなった花巻の様子を遠くで聞く度に祖父の病状のことが話題にのぼって,それを心配してのトシの喜助への手紙だったと思わせる。そんな手紙のことが,ビンタ事件を演出したのだろうか。しかしビンタして「きれいに死ね」はかなり烈しい。「常識的にいっても、孫が病人の祖父を説教するというのは珍しい」と驚いており、そのわけを「多分トシ自身の緊張した心の問題があったのだろう」と推測している。「宮沢賢治詩の世界」からの引用

映画「銀河鉄道の父」から
喜助が死んでから一年が過ぎると,今度はトシが病気で倒れる。トシは,入学してから,かなり深刻に悩んでいたようである。それでもっても花巻の家族や兄のことを考え,我慢もして,勉学に励んでいたようだ。
最後にやっぱり映画の中の賢治は駄目息子的に映って仕様がない。当時の社会の中で,イエというものから自立してもがく駄目息子というか,放蕩息子の帰郷のように描かざるを得ないのだろう。それが悔しい。だから,この映画でも,家長たる政次郎が我が子を愛するが故に駄目息子の賢治に寄り添って行くように描かれるのは,親の愛ではそうだろうが,むしろ,イエ制度の中の近代の目覚めを体現していた賢治を描いてほしいと改めて思った。
