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ユキワリコザクラ見たがー

2015焼石岳 943-2s
焼石岳に咲くユキワリコザクラ(2015.6.7)

「ユキワリコザクラ見だがー」
「見だー」
「きれいだったべー」
「きれいだったー」

2015焼石岳 777-2s
ハクサンイチゲ咲く姥石平

「ハクサンイチゲいっぺだったべー」
「いっぺだったー。らづもねがったー」

2015焼石岳 601-2s
焼石岳への道から振り返って見る横岳と遠くに栗駒山

栗駒山見えだがー」
「見えだー。鳥海も雲の中がら顔出してだー。岩手も見えだー」
「えがったなあ」


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宮沢賢治風の焼石岳

焼石岳 1124-2s
陽翳る

今日は宮沢賢治風に焼石岳を紹介します。
実は今回焼石岳を歩きながら頭の中で何回も繰り返された言葉が「いいよー」でした。いいですよという意味です。何それ?と思われるでしょう。

一人でを歩いていると私なんか結構あることなんですが,自分の心の底から突然ある言葉が湧き上がってきて止められないということがあるんです。どうしてかはわかりません。普段の生活では目的があって動くので自由に考えを巡らすことがありませんが,を歩きながらだとふつふつと身体の中に押さえられていたイメージや言葉が出てくるんです。

焼石岳 700s
おわりかけのハクサンイチゲ

その「いいよー」がなぜ宮沢賢治になるのかというと,あの「狼森と笊森、盗森」の作品なのです。
「こゝへ畑はたけ起おこしてもいゝかあ。」

「いゝぞお。」森もりが一斉いつせいにこたへました。
「こゝで火ひたいてもいいかあ。」

「いゝぞお。」森もりは一いつぺんにこたへました。
「すこし木き貰もらつてもいゝかあ。」

「やうし。」森もりは一斉いつせいにこたへました。
これと結びついて離れなくなってしまったんです。

無条件に何でも何回でも「いいぞお。」「ようし。」というその気前のよさに面白みを感じる作品です。

焼石岳 1457s
春の接点

そんなもんで私の頭の中では果てしもなく「・・・していいかあ。」「いいよー。」が繰り返されながらを歩くわけです。
「ここ歩いていいかあ?」
「いいよー」
「この雪渓歩いていいかあ?」
「いいよー」
挙げ句の果てには雪を踏み抜いて転んでは
「転んでいいかあー。」
「いいよー」
「起き上がっていいかあー」
「いいよー」
と,妄想的にこのフレーズを使いながら歩くわけです。結局は一人のさみしさをこんな遊びでやり過ごそうという考えがあるんですね。

焼石岳 733s
てなわけで宮沢賢治風に歩いた焼石岳でした。では始めて見ますか。方言が入ります。

焼石岳 1196-2s
頂をめざすパーティー

パーティーの人「ここ歩いでいいがあー」
「いいよー。」お花畑は答えました。

焼石岳 1561s
ブナの木にマイヅルソウ

マイヅルソウ「こごにほぎでいいがあー」(対訳 ここに生えていいですか)
「いいよー」ブナの木は答えました。

焼石岳 1636s
エンレイソウの葉にシラネアオイの花びら落ちて

シラネアオイ「こごで休んでいっていいがあー」
エンレイソウ「いがすー。」

焼石岳 769s
ハクサンイチゲの花びらに雫が付いて

雫「こごで休んでいっていいがあー」
ハクサンイチゲ「いがすー。ゆっくりど休んでいってけらしぇー」(対訳 いいですよ。ゆっくり休んで下さい。)

焼石岳 1690s
ブナの発芽

ブナの芽「こごさほぎできていがすかー。」(対訳 ここで芽を出していいですか。)
地面「いがすよー。ゆっくりおがってけらしぇー。」(対訳 いいですよ。ゆっくり大きく育って下さい。)

一人の歩きは妄想を友として果てしなく続きます。


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