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難しかったまっ昼間の月面X

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難しかったまっ昼間の面X 20日

天文カレンダーを見ていたら20日(齢6.7「13時52分:面Xが見える」とあった。
この日はよく晴れた日で絶好の撮影日和と出掛けたが,なんとも拡散した光でやっとの形が薄いハンコのように見えるだけである。これは難しいと思い撮ってはみたが,面Xどころか月そのものもうまく撮れない同じ高さに太陽が輝き,気付いたら13時52分
を過ぎていた。ただしカレンダーには,この日19時50分に上弦とあった。とすると月面Xは,上弦の時刻のほぼ6時間前となる。
このことだけ分かったのでまあいいかと一人ごちた。

月面X
これはまともに撮れた時の月面X

今年はもう終わりだろうから,来年2024年に期待したい。

と,気になって調べたら,2024年はすぐ1月18日19時20分前後に月面Xが見られるようだ。
それも暗い中で・・・。  チャンスである。
1月より先はと言うと,3月18日 00時10分頃 好条件, 9月10日 22時40分頃 月没の頃,2025年 2月 5日 18時10分頃 好条件と出ていた。

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これもまともに撮れた時の月面X

今年撮った中ではらはらして楽しかったのは天宮の月面通過だった。11月8日のつい最近のことでした。

テンキュウ-7s天宮月面通過


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立冬の月-月面を天宮通過-

テンキュウ-7s
立冬の月-天宮の月面通過-14枚合成

いよいよ大切な時刻という時に,曇ってくるものです
人生も同じ。ここぞという時に限って,暗雲が立ち込めてくるのです・・・。


キノウノ月キョウノ月

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昨日の

秋の夕暮れはまた美しい
このような夕暮れの中空に細いが懸かっている
そして細く棚引く赤を失いつつある雲もゆっくりと過ぎる
そこにねぐらに帰ろうとする雁の長い群れが
2オクターブ上のレの音が空の奥からかすかに聞こえて来る

こんな美しい夕暮れを見逃している人が多いのはなぜか

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今日の

大人も,子どもも自分の事だけでこんなに忙しいのは
いいことなんだろうか
例えば明日,私の住んでいる近くでISSが面を通過する
こんなおもしろいことだが,誰も気付いてはいないらしい
学校の先生だってこんな現象を子どもに見せようとする人は,まずいない

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ところで晴れるのかどうかは分からない
幾度となく自由研究で星やのことを取り上げてみるように勧めてみた
でも自分でも納得できるような自由研究をしてくる子どもはそう多くはなかった
子ども自身の納得具合って誰がつくるのかな

月を眺めて思う

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月を眺めて 凍った水面に写る

月待ち信仰というものがあった。月の出を待って皆が集まり,話合ったり飲食を共にすることで交流を深める大切な意義があった。
その中でも月齢23の真夜中に出る下弦の月を待つ,二十三夜待ちが特に女性達の講としても流行ったらしい。二十三夜待塔がこちら東北でも多くはないが残っている。
暗くなると女達は当番の家や御堂に集まり,持ち寄った料理やお供え物を広げて,どこそこの家では来春に子どもが産まれると言うからお手伝いをどうするかとか,お産のしきたりとか,備蓄米から産まれた子ども分の米を配給する手はずなどを集まった女達同士でよく話し合われていたと思います。いずれにせよ,同じ村落共同体として,助け合いを一層進めるための組織は現代でも学ぶことが多いでしょう。

さて,二十三夜待ちの集いは,23日の当たり日の仏が勢至菩薩です。知恵の光によってあまねく罪をなくす徳が得られると言います。
ですからあげるお経や真言などは勢至菩薩に関係するものだったのでしょう。しかし私は勢至菩薩と聞くと思い出すのが,二十五菩薩阿弥陀来迎図です。昨年,新田のサンクチュアリーセンターで 「星剛(ほしたけし)かま神さまとそのなかまたち」展という作品展を行いましたが,その中に星氏の最新作「二十五菩薩阿弥陀来迎図」がありました。その作品を見て下さい。

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星剛 二十五菩薩阿弥陀来迎図 2022 「星剛かま神さまとそのなかまたち」展より番号を振った写真

この写真は,いよいよ人が亡くなるという時に西方浄土から阿弥陀如来がお迎えに来る図です。二十五人の菩薩が阿弥陀如来を取り囲み,花びらが舞う中,様々な音楽を演奏しながら光の中から雲に乗って静かに下りてくる様子が描かれます。
この中に勢至菩薩がいます。26番です。下の拡大した26番の勢至菩薩の写真を見て下さい。

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26番勢至菩薩 水甁を持っているといいますが,香炉の様にも見えます

この勢至菩薩は,今死なんとする人に「何も怖がることはありませんよ。一緒に極楽浄土に参りましょう」と語りかけ,優しく頭を撫でて下さるそうです。頭を撫でていただくことで,全ての罪穢れが払われ,阿弥陀様の手から出ている紐を握り,極楽に連れて行ってもらう,そんなストーリーです。このような浄土信仰がやがて生活の具体的な局面へ下りてきたのです。

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月を眺めて

どうも二十三夜待ちはそうした昔から続いてきた信仰を基に少しずつ上書きされながら女達の間で発展継承してきた行事だと言えそうです。この流れが具体的な安産,健康,厄除け,家内安全という生活する女達が望んだ「山の神信仰」へとまた姿を変えて隆盛してきます。

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月を眺めて 凍った水面に写る

今に残されている昔の信仰は,時代時代の変異の積み重ねの総和として現代に見えていますから,根源がどんな姿だったかを探ることは至難の技ですが,人々の思いや願いは変わることがありません。様々な学説はありますが,人々の思いや願いを読み取れる説であってほしいと月を眺めながら思います。