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太陽と向かい合う阿弥陀如来来迎図

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阿弥陀如来来迎図

いろんな朝が訪れるが,昨日の朝はちょっと違っていた。
昨日の日の出の写真を見てほしい
分かるでしょうか

あれっと思いました
雲の周りのうっすらとした円
そしてその円の中心に暗い影

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線を引いてみました
太陽光を遮った雲が光を受けて放射状に明るくなり,その中心に暗い雲があります。
誰も気付かない程のことで,それも数分で終わりました。
しかし,いつも御来迎(ブロッケン現象)などを気にしているわたしにとっては,太陽と向かい合って阿弥陀如来来迎図に出会えたことは昨日一日を明るくしてくれました。つまり雲がスクリーンになって背後から太陽の光が差し込むという構図です。これはプラトンの洞窟のイデアを思い出させます。さっそく「向かい合い来迎図」の可能性を考えようと思いました。


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ソフトボール部の彼女

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10月15日今朝の日の出と雁行

もう随分と昔のことだが,ひょんなことから地元中学校の女子ソフトボール部と試合をすることになった。
毎日黙々と練習を続けている女子ソフトボール部の彼女達をそれまでは何ら意識することもなかったが,女子をギャフンと言わせようと有志を募り,私もピッチャーで入った。結果は男子有志チームのむしろ一方的とも言える大勝に終わった。女子チームは多分教わったとおりに守りだけを徹底的に行うチームで,打撃の方は全く振るわなかった。私は思った。
(彼女たちは先生から教わったとおり,ともかくチーム第一で試合を進めていた。画一的で一辺倒で,試合を進めるリズムも生み出せないでいた。どうしてもっと自由に試合ができないのだろう)
打者はすべてハーフスタンスで構え,バットを右手と左手を離してバントをするように構えていた。そこから身体を引いて打撃のポイントをつくろうとしていた。結果,振り遅れるようになった。
彼女らは中学で初めてソフトボール部に入り,ソフトボールを始めたのだが,あまりに指導に忠実に従い過ぎていたと感じた。そしてそこに女子の適応力の高さや丁寧さが手伝って却って守りに徹するチームカラーが出来上がってしまっていると感じた。
しかし彼女たちには揺すっても壊れそうもない至上の真面目さがあった。彼女たちは試合を重ねても負けが込んでもソフトボールに,チームメイトを第一に考えるひたむきさが見て取れた。試合終了後に彼女らはやっと一人一人の自分に帰って対戦した男達に毒舌を吐いた。
「たまには男を立ててやらないとね」
そんな闊達に喋るそのリラックスした姿が試合に出たら彼女らは,もっと自由に試合ができるし,ばんばん好きな方向に好きなように打てるはずだと思った。

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穫り入れの朝

さて,女子チームをめった打ちにした単純な男どもはそれだけで有頂天になり,女子になれなれしい無遠慮な言葉を掛けるようになった。試合をして初めてそれまではどこか閉ざされていて,意識しすぎていた男女間のベルリンの壁が崩壊する気軽さを感じたのだ。後の修学旅行をきっかけにその中から何組かのカップルが誕生したことを知った。これははっきり言って驚きだった。男と女の世界も知らなかった私には告(こく)ったり,プレゼントを贈ったという男達のうわずった告白に男達が必要以上にそいつを小突いて痛めつけたりもした。そして試合以来,これまた女子達の適応の高さを見せつけられたのだった。とにかく脇目もふらず部活に取り組んでいた自分達はおよそ勝ち負けとは別な次元で青春(あおはる)を楽しんでいた。

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稲架け二種。手前ははざ架け,奥は棒架け。

ちなみに私はというと中学校の給食の時間に初めて流されたビートルズの「ヘイジュード」に衝撃を受けたその日に,女子チームのファーストの守備だった彼女に手作りマフラーをもらった。一生を通じて最も人生の一大事だと思った。まるで逆転満塁ホームランを打たれた気持ちだった。未だに彼女にはありがとうも言えないでいる。


女の子の部屋-now and then-

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今朝の伊豆沼

今日は思い出の一コマを紹介します

now and then
カーペンターズ「now and then」ジャケット

坊主頭の中学3年生の私が,初めて女の子の部屋に入ったのは友だちのお姉さんの部屋だった。
当時の私は「マック」ナショナルのラジカセを持って,しきりにFMレコパルを見て、エアチェックをいていた時分のことだ。友だちがお姉さんの部屋に「サラウンドの4スピーカーのステレオがあるんだ。聴いてみるかい」と言うではないか。「聴く。聴く」と部活で不在だった友だちのお姉さんの部屋に入った。昔のつくりの家で土間から上がった囲炉裏のある北側にガラス戸で仕切られたお姉さんの部屋があった。女の子の「お」の字も知らない奥手の私には当時女子高生だった女の子の部屋はなぜか明るく光り輝いているように感じた。明るい色調のかわいい模様のベッドカバーやお洒落な勉強机を見て,正直,この世にこんな部屋があるとは信じられなかった。ふと壁にレコードジャケットが掛かっていた。カーペンターズの「ナウ アンド ゼン」のレコードジャケットだった。北向きの少し暗い部屋だったがジャケットの青が白い壁に映えていた。
そしてカーペンターズの「ナウ アンド ゼン」のB面の一曲目「イエスタディーワンスモア」を聴いた。
なんという音の豊かさと臨場感。私は15年の人生で初めて心の底から感動した。
もちろんこの曲は日本でもミリオンセラーになる大ヒットになったが,つくづくこのような明るい音楽を生むアメリカという国の偉大さを知った。

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朝のシジュウカラガンの群れ 数えると130羽弱いる
「イエスタディー ワンス モア」
作詞:ジョン・ベティス(John Bettis)作曲:リチャード・カーペンター(Richard Carpenter)
When I was young
I’d listen to the radio
Waitin' for my favorite songs
When they played I’d sing along
It made me smile
若かった頃 ラジオを聴いて
好きな曲が流れるのを待ってた
その曲が流れると
一緒に口ずさんで
笑顔になれた

それはとても幸せな時間だった
それほど昔には感じない
どこかに消えてしまったと思っていたけど
また戻ってきたの
まるで懐かしい友達のように
みんな大好きだった曲たち
Every sha-la-la-la
Every wo-o-wo-o
Still shines
Every shing-a-ling-a-ling
That they’re startin' to sing's
So fine

曲があの部分にさしかかる
彼が彼女の心を傷つけるところ
そこでまた泣いてしまう
あの頃のように
過ぎし日々よ もう一度

過ぎていった年月を振り返ると
楽しかった思い出が
今日を悲しくさせる
いろいろ変わってしまったから

あの頃よく歌った愛の歌
歌詞を全部覚えてたものよ
あの懐かしいメロディは
今も私に心地よく響いて
過ぎ去った時間を溶かしてくれる
Every sha-la-la-la
Every wo-o-wo-o
Still shines
Every shing-a-ling-a-ling
That they’re startin' to sing's
So fine
すべての良い思い出が
はっきりとよみがえる
泣いてしまう思い出もあるけれど
あの頃のように
過ぎし日々よ もう一度

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今朝の伊豆沼9月24日

アルバム「Now & Then」は,カーペンターズ5作目のアルバムで,日本では1973年6月25日に発売された。「Now & Then」は「今そしてあの時」と訳されるように,カーペンターズの「今」をA面に並べている。
1. Sing ご存じの大ヒット曲
2. The Masquerade 大人のムードたっぷり1972年レオン・ラッセルの楽曲
3. Heather
5. I Can't Make Music
続いてB面が「あの時」
6. Yesterday Once Moreがあり,以下まさにあの時に聴いて心躍らせたオールディーズのメドレーとなる。
7. Fun, Fun, Fun ビーチボーイズ1964年
8. The End Of The World スキータ・デイビス
9. Da Doo Ron Ron (When He Walked Me Home)クリスタルズ Twist Uptown (Bonus Track Version)1962年
10. Deadman's Curve
11. Johnny Angel シェリー・フェブレー 1962年
12. The Night Has A Thousand Eyes ボビー・ヴィー1962年
13. Our Day Will Come「アワ・デイ・ウィル・カム」ルビー&ザ・ロマンティックス1962年。邦題は「燃ゆる初恋」。
14. One Fine Day邦題「素敵なある日」シフォンズ1963年
15. Yesterday Once More (Reprise)と続く。

となるとカーペンターズにとっての青春の曲は1962年辺りの曲だということになる。兄のリチャード・カーペンターは1946年10月15日生まれ、妹のカレン・カーペンターは1950年3月2日生まれだからリチャードは16歳頃でもう才能を開花させようとしていたし,この時,カレンは12歳頃だ。後の「ペットサウンズ」を出すビーチボーイズのブライアン・ウィルソンが頭角を現わしている時期にリチャードもカレンも熱狂していただろう。
私はカレンの声,特にアルトの低い声が絶品だと思っている。「イエスタディーワンスモア」の出だしの「When I was young」のWhen I was youngはカレンの声の魅力を知り尽くす兄のリチャードだからこそ,このキーから始まったと思う。とにかく坊主頭の15歳の自分が絶妙なメロディー進行や垢抜けたコード,コーラスの美しさで天にも昇る思いを4スピーカーで味わった感動は忘れられない。そしてすぐサイモンとガーファンクルにのめり込むことになった。

そうそう友だちのお姉さんは高校陸上部でやり投げをしていた。
お洒落な部屋で聴いた「ナウ アンド ゼン」
そのお姉さんとはあまりお話しすることもなく,彼女は高校を卒業して働き,結婚したという話を聞いた。
私は高校生になり,長髪にしてギターを手にした。


写真の重み

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霧纏う朝

毎日毎日たくさんの,本当にたくさんの写真がウェブ上に投稿されています
私はそのアップされた数え切れない知らない人の写真をあまり見ません
切りがないと思うのです
自分の事は差し置いて恐縮ですが,どうもぐっと胸に迫る写真がない
写真に重みが感じられないのです。
そこで今日は「写真の重み」と題して,考えてみたいのです
さて皆さんは一枚の写真を完成させるためにどんな撮影やレタッチの工夫をしているのでしょう
特に今回はレタッチについて敢えてお尋ねいたします
出来上がった写真はその人の大切な作品であることは確かです
うまいとか,下手だとかではなく,その人の大切な思いを表出した作品なのです

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霧纏う朝

私の写真は拙いながらもやっぱり写真が好きなので良い作品を出すことを心掛けています。
例えば今日の写真はすべて露出合成やHDR処理過程でトーンマッピングをして,トーン圧縮してつくっています。
階調の豊かさや豊かな色彩の細部が得られるからです。つまり作品に関しては合成を基本とします。ひと味違った作品になります。これらのレタッチ処理方法は,時間推移的な問題をどう一枚の中に凝縮させるかという,自分の写真への追究から出てきています。ですから画面は少し強くなり,主張が写真の表(おもて)に滲み出るような雰囲気をつくっています。これは意図的にそうしています。一枚の撮って出しの平坦な,のっぺりとした写真よりも強めなドラマチックな空気をねらっています。

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沼の日の出  輪郭にずれが出ています

このブログは今年で13年目になります
好きでやってきた写真ですが,やはり季節,花の咲き具合,天候の予測,天体の位置や動きなどの情報収集から撮影の努力,そして今日お話ししたレタッチの工夫などを怠らず精進するしかありません。文学や思想の本を読み,自分の精神の安定を図りながら死ぬまで修行という気持ちで風景の前に立ち続けたいと思っています。
今日は告白めいた私的なことを書いてしまいました。いつもありがとうございます。



無垢なるもの純粋なるもの

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少し彩度を上げてみた

無垢なるもの,純粋なるもの
いつまでも着いて来ようとする犬の眼
子ども達の友を呼ぶ声
降り注ぐ太陽の光
わたしのわがままをただ許してくれていた父と母
子どもの頃見た雪の朝
遠い丘の上から世界に
力いっぱい手を振るあなた
無垢なるもの,純粋なるもの
泣いているあなたを喜ばせてあげたいというこの気持ち
いつの間にかそばで一緒にただ泣いている子
いなくなってしまったと気付いたとき
理性のすべてを振り捨てて泣いた白い昼
ご機嫌な気持ちで歌う子どもの声