2019/10/17

十七の
月月はやはり
月の出の姿です
望遠鏡を覗いていると,
月の力強くドラマチックな出方や静かな轟音を立てて昇っていく姿がなんとも素晴らしいです。
月の光によって地上の風景が浮かび上がる様(さま)は,写真の現像をしている時に印画紙に像が浮かび上がってくる様子に似ています。
在るものが最初から持っていた輪郭が顕(あら)われるというよりは全くの無から立ち昇って造形化されるように感じてしまいます。
例えば雲一つない青空なのにいつの間にか一片の雲が現れ出るような感覚です。その一片の雲は風に乗って流れて来たのではなく青の虚空の一点から突然に湧き出て来るのです。言い直しましょう。あらかじめ形を持っていたものがその通りに浮かび上がって来るのではなく,この世に顕在化されるとまるで本来とは違っているように新鮮に見えるということです。夜という見えない闇から浮かび上がるものは,同時に存在の無からも浮かび上がってこの世に形をもって現れ出る。
仏教で「権現」という言葉があります。よく蔵王権現とか白山権現,愛宕権現という使い方がされます。本来の姿(本地仏)とは違った,仮の姿でこの世に現れ出てくるという意味に私は取っています。では本来のものは何時どんな形で現れ出るというのでしょうか。いつも見えない形で隠されているのです。
このような説明は実にたくさんの物語のバリエーションを古来からつくってきたように思えます。
昔むかーし。
ある冬の夕方、ある村に旅の坊さまがやってきた。
腹(はら)をすかせ、一軒(いっけん)一軒訪(たず)ねては、
「どうか一晩(ひとばん)だけ泊めて下され」
と、たのんだが、どこの家でもみすぼらしい旅の坊さまの姿を見ると、
「よそに行ってくろ」
というて、泊めてくれなんだ。
しかたなしに、村はずれに小(ち)っこい家にやってきた。
坊さまは、またことわられるかもしれんと思いながら、板戸(いたど)をたたくと、中から婆(ばあ)さまが出てきた。
「宿がなくて困っています。どうか一晩だけ泊めて下され。」
「そうかそうか、それは難儀(なんぎ)じゃろう。こんな家でよかったら泊まってくろ」
婆さまはそう言うと坊さまを家に入れ囲炉裏(いろり)に火を焚(た)いて部屋をあっためたんだと。
さぞかし腹をすかせているだろうと思ったが、食べさせられるような物は何にも無い。婆さまは、夜おそうなってから家をぬけ出した。金持ちの家の大根置き場へ行くと、大根を一本、こそっとぬすんできた。
雪の上には、婆さまの足あとがくっきりとついていた。家に戻った婆さまは、その大根を囲炉裏(いろり)の灰の中にうずめて、しばらくしてとり出すと 「さあ、大根焼きでも食うてくろ。からだがあったまりますで」と、坊さまに差し出した。
「おー、これは寒い晩には何よりのごちそうじゃ」
坊さまはうまそうに大根焼きを食うたと。
その夜のこと、さらさらさらさら雪が降(ふ)りつもって、婆さまの足あとをみんな消してしもうた。婆さまの気持ちをうれしく思うた坊さまが、雪を降らせたんだと。 この坊さまは弘法大師(こうぼうだいし)さんだったと。
このように,「ぼろを着た坊様は,本当は大師様だったんだと」というように大切なことは最後まで隠されている話がたくさんあります。正体が明かされないのです。様々な縁起譚の中にこうした正体が隠されている主人公が語られます。例えば安倍晴明の「ほき内伝」の話の中では身分を隠して后を探して旅に出た牛頭天王が,行く先々で申し出を断った村を滅ぼしたり,罰を与えたりします。蘇民将来の話です。
旅の途中で宿を乞うた武塔神(むたふ(むとう)のかみ、むとうしん)を
裕福な弟の巨旦将来は断り、貧しい兄の蘇民将来は粗末ながらもてなした。後に再訪した武塔神は、蘇民の娘に茅の輪を付けさせ、蘇民の娘を除いて、(一般的・通俗的な説では弟の将来の一族を、)皆殺しにして滅ぼした。by wiki
これらの話はどうも真実はいつも隠されている。真実は真実の姿をしてこの世に現れ出るとは限らないと言っているように思えるのです。真実の正体は狐だったり,蛇であったりもします。言わば神の使いです。
この世の現象がそうした仮象からつくられていると考えれば,違和感が生じます。
宗教家でもあった宮沢賢治は1925年(大正14)の正
月は厳冬の北三陸の旅から始まりました。賢治29歳になる年でした。この三陸の旅から戻ってから森佐一に『春と修羅』において「歴史や宗教の位置を全く変換しようと」したり,2月には岩波書店の岩波茂雄に次のように手紙を送ります。「六七年前から歴史やその論料、われわれの感ずるそのほかの空間といふようなことについてどうもおかしな感じやうがしてたまりませんでした。」と書いています。実に不思議な言葉です。どんな違和感を抱いていたというのでしょうか。私たちが感じているこの空間の「ほかの空間」といふようなことについてどうもおかしな感じやうがしてたまりませんでした」というのです。私たちのいる「この空間」ではなく感じている「ほかの空間」なのです。それを科学的に「厳密に事実のとほりに記録したもの」が『春と修羅』だったと言うのです。
このように,賢治も隠されていて現在は見えないものの正体に注目していたのでした。
参考
「夜の写真闇の文学」
「夜の写真闇の文学2」
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