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みんなのあしたに手をふろう

みんなのあしたに手をふろう
みんなのあしたに手をふろう

その人は手をふりつづけた
6年ものあいだである
冬の朝は暗く,氷点下10度の中
夏は陽差しが照りつける中
降っても晴れても
吹雪いても風が強くても
その人は6年の間
毎日毎日6:37新田駅発の上り電車に手をふりつづけた
応援したい人が電車に乗っている
後ろから2番目の車両
「今日も元気でね」
「がんばるんだよ」
カーブの奥に電車が消えても
ずっと手をふりつづけている
やがてその人のとなりに
応援する犬が現われた
ヤギも現われた
子ヤギも現われた
そのように応援する日々はつづいてきた

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みんなのあしたに手をふろう

相澤さんは新田の人である
彼は柳生心眼流の師範である
相澤さんの演舞を初めて見た時,私はその気合いに全身が震えた
武道を極めんとする人の鋭く重い「気」のかたまりが遠くにいる私にも飛んできた
気合いに押しつぶされそうになった
その日から私は彼を心から尊敬するようになった
その相澤さんが今,優しく手をふっている
孫にも思える年代の高校生に惜しみなく手をふりつづける

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みんなのあしたに手をふろう

相澤さんご夫婦は手をふりつづける
応援してるよ
見えなくなってもそばにいるよ
その手は大きく朝陽を受けて輝いている

そう。あなたの未来は私たちの未来
あなたの成長はわたしの成長
Yさん。卒業おめでとう
これからもずっと手をふりつづけるよ
遠くても
離れていても
ずっと
あなたの幸せを願っています
がんばれ


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JRからのクリスマスプレゼントが届いた―新しい新田駅駅舎の始発電車―

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新装新田駅

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供用開始12月26日の始発列車

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新田駅駅標

大正12年駅舎s
大正12年(1924)当時の新田駅―開業して30年目―

平成6年開業百年s
平成6年(1994)新田駅開業100年

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明るい待合室

駅の放送もナビゲーションシステムに変わり,放送もやさしく,画面表示もなされ視覚化された。

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発車します 車掌さんの顔も明るく見えた

全面ガラス張りの待合室は自然光を取り入れた視認性の高い駅舎となった。
また屋根の斜めの傾斜はハクチョウの飛ぶ羽の形を思わせる
世界屈指の冬の渡り鳥の聖地の駅として未来に羽ばたいていってほしい,そんな願いに満ちたデザインだ

渡り鳥の駅新田
世界に先駆ける自然と共生する新田駅駅舎が完成した
JRからの新田への素敵なクリスマスプレゼントになった


新田駅駅舎への感謝の集い-127年間ありがとう-

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6月26日土曜日。いよいよ明治27年1月4日の開業から128年目の新田駅,東北本線の駅の中でも最も古い駅舎に鍵がかけられ,解体,建替えのため,立ち入り禁止となりました。
現在の改札は写真手前の仮改札からの出入りとなりました。
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駅舎に入れなくなったツバメ

そして昨日6月27日日曜日午前10時30分,「新田駅駅舎への感謝の集い」が新田駅前自治会の運営によって60名ほどの参加者を迎えて古い駅舎へのお別れ会が行われました。新田駅前地区に住んでいる新田幼稚園児,新田小学校児童の新田駅駅舎に捧げる「感謝と未来へのメッセージ」が読み上げられました。

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新田駅前区長石川法夫氏のあいさつ

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新田駅前地区の子ども達による「感謝と未来へのメッセージ」が読み上げられました
思えばこの128年間とはこの子ども達の4代5代前の人達が使った新田駅駅舎でした。
新田駅は開業から明治時代17年,大正時代15年,昭和時代64年,平成時代31年,令和時代3年という五つの元号を経て,開業当時のままのモダンな明治バロック様式の建築を現在まで残し続けて来たのでした。特に昭和30年代では貨物輸送拠点駅として気仙沼本吉,登米の貨物を一手に引き受け,主要駅として繁栄してきました。新田駅前地区もそうした駅の賑わいの中から発展してきた地区でした。
集団就職列車,列車による修学旅行,お正月やお盆の里帰りと,駅はいつも出会いと別れの駅でした。手を振り,泣き,抱き合い喜ぶ,幾多のドラマを生み出してきました。昭和47年冬には「伊豆沼はくちょう号」が運転され,8年にわたって世界の伊豆沼の玄関口として多くの野鳥愛好家がこの駅に降り立ちました。明治から変わらない駅の風景が残る唯一の駅でした。

宮城県の建築士会の方々の実測から新田駅は明治時代の洋風建築の様式や工夫が至る所に現われている文化遺産としての価値もあることが判明しました。宮城県の建築文化遺産のリストには載っていた新田駅でしたが,もう少し早い時期から新田駅駅舎の建築遺産としての価値が広く理解される機会を設ければまた違った形で後世に引き継ぐことができたのではと正直悔やまれることもあります。

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最後にみんなで記念写真を撮りました

東北本線最古の新田駅駅舎
たくさんの思い出をありがとう
ありがとう



新田駅あれこれ

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朝靄立ち込める

立て続けに放送局二局から新田駅の建て替えの前に番組にしたいので過去の新田駅の資料を貸してほしいと先週辺りから頼まれ,やっと一区切り付いたところです。3月は震災10年の写真展を始め,そして講演会,写真展の資料づくりと忙しく過ぎました。新田駅には,連日テレビを観た人が今のうちに東北本線最古の駅を見ておきたいと賑わうようになりました。このような動きを見て,地元の人が新田駅駅舎の最後をどう見送りたいかを考えてくれたらいいのになあと思います。決まったことなのだから,どのように駅舎にさよならを言えるかを地区民全員でできたら新田駅も喜ぶはずです。それにしてももう時間がありません。実行委員会を立ち上げてもぎりぎりの時期にかかっています。気持ちばかり焦るわたしは,もう自分なりのさよならの仕方を考えた方がいいのかなと思っています。コミュニティーに過剰に期待してもなあとがっかりしたことが過去にもありました。新田第一小学校が耐震上問題があると突然登校停止になった時のことです。どのように新しい小学校をつくるかで揉めに揉めました。結局行政主導で進んでいきました。その時に住民の意見をまとめることがいかに難しいことであるのかを知りました。多分,新田駅のさよならの仕方にも地区民の関心の濃淡がそのまま出てくることとなるでしょう。できればみんなが納得する方法に辿り着けばいいなと思います。

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春の朝

今,再び三島由紀夫を読んでいますが,16歳の時に書いた「花ざかりの森」そして25歳の時の「遠乗会」など初期の作品群の見事なまでの成熟への階梯が見て取れます。素晴らしい。一気に作家への階段を一段抜かしで駆け上がる三島由紀夫の咲き誇る才能。しばらくそうした感慨に浸っていたいと思っています。

並んでお待ち下さい

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新田駅にて

上り列車が参ります。どうか並んでお待ち下さい。乗客は10万羽のマガンです。
しかし鳥たちはホームに並ぶ様子はありません。

今年のマガンの初飛来から1ヶ月。
もうマガンは10万羽を超えました。ハクチョウも350羽を超えています。
しかし晴れが少ないですね。マガンが一斉に青空にひろがる光景が見たいですね。