2023/07/27
「語り始めた大川小の子どもたち」

大川小学校で
先日21日のNHKテレビで,「語り始めた大川小の子どもたち」という番組を観た。
大川小学校は,2011年3月11日,74人の児童と10人の先生方が津波によって貴い命が失われた。あれから,13年。現在では映画監督となった大川小出身の佐藤そのみさんは,生まれも育ちも大川地区,震災時は中学2年だった。妹さんは大川小学校で亡くなった。子どもの頃から,いつか故郷の大川を題材にして映画を撮ることが夢だったという。2019年に念願の2本の映画をつくった。「春をかさねて」とドキュメンタリー「あなたの瞳に話せたら」である。
そのみさんは,当時のことを,ひと言ひと言かみしめるように訥々としゃべっていた。そんな彼女の言葉に,私は深く心動かされた。彼女の語り口は,どこか今まで心の奥底に押し込められ,固く封印されていた思いを,心に波を立てないように,そっとすくい上げて来るような慎重さがあった。逆にいえばそれ程大川小の生き残った子ども達は自分の思いを言葉にすること自体を奪い取られていたのだと改めて思い知らされたのである。故郷を愛するがゆえ,故郷の受けた大きく重い苦しみを一緒に背負うことになった子ども達。家族に対しては,頑張っている自分の姿を見せたり,希望を失わない励ましを与えたりすることが,今の自分のできることと健気にずっと努力していたのである。

映画のポスター
まず彼女の口にした最初の言葉に驚いた。
「地元の人間関係に亀裂が入ったことが本当に悲しかった」
失われた命の数々,津波という出来事。亡くなった妹のこともあるのに,彼女の視線は,自分の身近な親や友だちの親,地区の人達の変わり果てた顔に,第一に注がれていたのである。身近な人達の憂いている顔によって,彼女もまた悲しいのである。周囲の人達が感じている悲しみは,自分でも共有はできるという,子どもなりの大人を支えようとする必死な心情。

長沼のハス
「妹さんが亡くなったことを知った時,どんな気持ちでしたか」
「今,妹さんに伝えるとしたら,どんなことを伝えたいですか」
二重の意味で大川小の子ども達を沈黙させたのは,このような無遠慮な報道側の質問の嵐でもあった。世界中にまたたく間にニュースとして拡散するのは,「かわいそうな子ども達」という「呪縛(そのみさんの言葉)」でもあった。
「本当にかわいそうな子として,(自分達が)扱われているのがいやだった」と,そのみさんは語る。
沈黙しても,答えても「いいように切り取られる」
そのみさんは長年の夢だった大川を題材にした映画を完成させた。それには自分なりにひとまず肩の荷を下ろしたという気持ちから来る安堵感もあるのではないだろうか。完成までは「大事なことから逃げてしまっているという罪悪感に涙を流した」と語る。そんな「呪縛」から解放される格闘を経て,彼女はある確信を得る。
「いいよ。もう。好きに生きよう。被災者になるために生まれて来たわけじゃない。なんでもやりたいと思ったことは,やっていいんだ」
「そんな(自分が納得する)生き方をすることが,死んだ妹も喜ぶと思う」
「(これからは)また違った大川になっていく」
ひと言ひと言が実に深い。
子どもだから分からない悲しみというものはない。
子どもは,どんな時でも大人が持つ悲しみを共有しようとする。
そんな大切なことを教えられた時間だった。
