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雨ニモマケズ

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大川小で雨ニモマケズ

今朝も南からハクチョウ達が北へ向かっていった
夕暮れの雁の声も聞こえている


今日の幸せは今日つくられる
天から降り注ぐものを全て受け止める勇気ある者よ
いままでに
一日だって同じ色の朝はなかった
今日の,この時の一瞬の光
たった一度のこの光景を受け止める勇気ある者よ
一期一会のこの光を受け止めて
自分の呪縛から解放されよ

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伊豆沼で雨ニモマケズ

一字一石塔
たった一文字の筆の運びに自らの祈りのすべてを込める
今日の幸せは今日つくられる



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大川小に行く

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沈む満月 今朝 新北上大橋から

満月の夜
午前3時過ぎ
大川小学校に着いた
誰もいない
鹿の群れが私に気付いて
蹄の音をそろえて駆けていった
10頭ほどの群れだった
大川小で花を供えて拝んだ時
山から鹿の警戒して鳴く声が鋭く聞こえた
町もなくなり
学校もなくなったここに
戻って来たのは野生の鹿たちなのか

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満月の夜の大川小

3月になると胸が苦しくなる
何もしてあげることができなくてごめん
自分の無力感にさいなまれる
遅すぎることだが,私ができることだったら何でもしたいという気持ちになる
しかしこう思っても今ここで返事を返してくれるのは鹿たちだ
夜の奥に
かつかつと蹄の音を響かせて
彼等の後ろ姿の白い毛が浮き立って見える

西に傾きかけた満月のオレンジ色に惹かれて
大川小から大橋まで行く
どうしてこのように世界を美しく照らそうとするのか
北上川の水面は鏡のように月を写す
12年前に起きたことをどう考えればいいのか
月よ,答えてくれ
鹿たちよ,教えてくれ

午前5時19分
大川小学校の真上の空を
国際宇宙ステーションが明るく虹のように
弧を描いていった
「ほら,見て。国際宇宙ステーションが見えるよ」
近くに子ども達がいるような気になって
私は声に出して言った

昨年震災の記事を書いたとき
お叱りのコメントをいただいた
私の言葉にひっかかる点があるとその人は言う
自分のことばが人を傷つけることに・・・
私はそれ以来ことばに起こすことが怖くなった
でも言わずにいたら,それはあまりに世界を見捨てたことにならないか
何かを起こさなければ始まらない
言わなければ始まらない
行動しなければ始まらない
話し合わなければ進めない

わたしにできることだったら喜んでしていきたい
中途半端な沈黙はしたくない
そんなことを考えているうちに

夜は明けた

3.11に寄せて2-祈り-

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3月10日午前4時。漁の船が岬をかすめるように進み始めた

静かにシャッターを下ろし
しばらく海に昇る天の川をみつめる
この時,自分が動いて,大切な祈りの静寂を壊してしまうことを恐れる
人がひたすらに祈る姿は美しい
今朝12日朝の河北新報の第一面の写真はそんな祈りの美しい姿を捉えて素晴らしいと感じた(その写真は こちら )
祈っている時に,人は世界にすべての身をゆだねた状態にある
言わばこの世界にしっくりとはまり込んで開かれ,石のように存在している
祈りのゆるぎのないひたむきさは石となって動かないその姿勢に現れ出てくる
祈りとは世界へ自分の投げ出しであり,すっかり世界に自分をゆだね切った所に生まれる対話であり,産声のようでもある。だから美しい。

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祈り 大谷海岸駅 2017年撮影

皆幼い頃に祈りを教えられて育つ
私もそうだった
何かある毎に祈るように教えられた
そして祖母が病気で入院した折,小学生の私は初めて自分から祈った
「祖母の病気を治してあげてください」と
人生の事ある毎に人は祈る
いつも自分のすべてを投げ出して
祈る

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燈台をめぐるISS 3月10日










3.11に寄せて

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あの日を忘れない 3月10日撮影 画面水平線上真ん中に金星 

写真は海から昇る天の川
私にできることと言えば,ちょうど11年前もそうだったように昇ってくる天の川の写真を撮ることだと思って出かけた

今日は実に多くの人の命日になる
生きている私ができることは亡くなっていった多くの人々の供養を行うこと,忘れないでいること。
だから毎年この海に来て供養の写真を撮る。
そして撮った写真を亡き人々に捧げる
それが私の供養の仕方なのだ

人に何かをしてあげたいという気持ちはこんな私にもある
命さえ捧げてもよい,自分はどうなってもかまわないという強くて真剣な祈りの気持ちは別に宮沢賢治だからでもなく,祈りが切実になるほどに人には湧き出てくる。それは生き残っている者が礼儀を尽くして死んだ人に対する供養を行うことと同義だからであろう。一所懸命である。

生き残った者のさみしさを感じる時に,私はよく建礼門院を思い出してみる。
おばあちゃんの平時子に抱かれて壇ノ浦の海に沈んでいった安徳天皇はまだ数え8歳であった。建礼門院(徳子)はその安徳天皇の母である。彼女は入水したところを源氏に捕らえられ,一族の供養を行うために59歳まで生きた。せめて夢の中ででも会いたいと思われた我が子も夢にすら現れることもなかった。ひたすら平家一門の供養に努めた。

昨年の私のブログに書いた震災の記事を元にたくさんのことを教えていただいた方がいた
今でも有り難いと思っている。

朝3時半を過ぎると夜の奥の色が白んできた
すると海の彼方から明けの明星,金星が威光を立てて昇ってきた
暗闇を終わらせようとする金星の鋭いほどの-4.5等の光は
やがて夜明け前の夜空を席巻していった
その時今年の3.11の日は大川小学校には行かず,自分一人で供養したいと思った
そして4分間バルブ撮影したシャッターを開放して撮影を終えた


弥生三月になると

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3月に入ると私は何かに急かされるような気持ちになる
3月11日のことがあるからである
焦りに似たような,いたたまれないような,すまないような
とにかく何かしなくてはいけないような心持ちになる
冥福を祈るというということは難しい
心の奥底に止むことなく通奏低音のように重く響いている音が
高鳴りを増して波のようにはっきりと意識の上に形として現れ出てくる
すると世界の顔が反転して陰画となって浮かび上がってくる
何か語り掛けたいと思うのに
言葉はもう失われてしまっている

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もう鳥たちも春を知り
遠くに飛び去っていった
世界の奥のほの暗い闇で彼らの去っていくコォーッという声が
聞こえていた
しかしそれは二三日前までのことだ
今はどう探してもその暗闇の奥には何も存在しない
自分だけの供養というものは存在しない
記憶のすべての凹凸がならされて一般化されていく
その力にあらがうように
痕跡や約束や兆しに目を凝らす

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しかし何と言う春の暖かい陽差しだ
すべてを消し去ってしまうような凪のすべらかさに
意識や意志のすべてが無化されていく
明け方のあの切っ先の鋭いぎざぎざした夢の哀しみはなんだったのだろう
今はこの春の暖かい陽差しを受けて
とても遠い昔のように感じてしまう
苦々しい過去が薄透明な泡となってはじけていく
ああ,いけない
私は目覚めたように呪文をまた繰り返す