2019/10/25
銀河鉄道の夜-届いていた通信2-

異途への出発 八戸線
「この世で起きることはすべてが関連性もなくばらばらで仮の姿として見えてくる」と先回私は書きました。
電気が灯っては夢のような世界が一瞬見え,消えれば暗い何もない世界に沈む。なんと心許ない私たちの世界。過ぎれば忘れ去り,夢なのかと疑い,事が起きれば以前にも増して動揺する。つまり「つぎはぎ」だらけの統一したものも持てない自分。その「つぎはぎ」を実は賢治自身が一番嫌ってもいました。自分の詩がつぎはぎだらけと思われるのを嫌い,「春と修羅」も書きました。これを一つの新しい感覚認識論の構築の礎にしたいと思いました。「明滅すること」と「つぎはぎ」は同じことです。過去と断絶していますし,未来とも断絶しているという意味です。すべてはフラッシュバックのように,幻燈のようにぱっと見えてはまた消えていくものなのです。この世は幻のように,「おごれる人も久しからず,ただ春の夜の夢のごとし(平家物語)」という考えにいつか作品でくさびを打ち込みたいと思い続けていました。これは単なるロマンチックな文学的試みではありませんでした。ただの感傷的な「つぎはぎ」でできた旧来のような作品では駄目なのです。全てのものが統一され,調和している次元を目指さざるを得ないということです。それは死んだ妹のトシとも交信(通信)ができる次元であり,死を越えて互いに感情や思考が交通できる新しい世界でなくてはならなかったのです。確かに賢治は残した作品群ではたいした完成度を見せていたのに(私は賢治の作品は最良の仏教説話に分類されると思っています)結局最後にはまた「銀河鉄道の夜」という最も優れた作品でも臆病になったのでした。
この「臆病」さという概念は賢治理解にとって大切なキーワードだと思います。
学業でも,仕事でも,生活でも,作品でも賢治はこと細かに父親に手紙を書きます。まるで,いつか私のこの考えが正しいことを証明して見せますと言わんばかりに手紙を父親に出し続けるのです。どうしても自分が客観的な事実で証明してみせなければ父親や相手が納得してくれないという何か強迫観念のような思いを賢治は持ち続けているように感じます。それを私は「臆病」さと言いました。この臆病さという言葉は普通は悪い消極的な負のイメージで用いられますが,臆病さから来る慎重さや作品を何回も推敲する完成度への執着という正のイメージも持たせています。
例えば雑誌に掲載する詩を送る時に,幻聴や幻覚のないもの(作品)を選びましたとか,終始原稿を推敲している箇所の全体を見ると読む者への伝わりやすさや文末表現を非常に気にしていたりする(作品の完成には必要な作業ですが)ように感じてしまいます。絶対こうだと主張しきれない,賢治の誤解を恐れるあまりの逡巡にも見えてくるのです。性格が優しすぎる賢治の一面でしょう。一歩引いている東北人の気質そのものが賢治の所作にも見えてきます。自分にもそうした東北人の控えめな態度が確かにあります。そうした意味で「臆病」という言葉を使いたくなるのです。

長沼 霧の朝
さて,なぜ「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大きな一冊の本を持った大人」とブロニカ博士は最終的に「銀河鉄道の夜」の中から削除されることになったのか。これも読者が予定調和的だと読まれることを恐れた賢治の臆病さが伺える箇所です。この二人は確かにただの文学としての読み物を越える世界に誘う登場人物となります。それを敢えて削ることで賢治は作品の親しみやすさや平易さが担保されると感じたのではないでしょうか。賢治は読み手が「この作品は難解だな,そうか,テレパシーか」と誤解されて読まれることを恐れて削ったとも思われます。
・・・おまえの実験はこのきれぎれの考えのはじめから終わりすべてにわたるようでなければいけない。それがむずかしいことなのだ。けれどももちろんそのときだけのでもいいのだ。おおごらんあそこにプレシオスが見える。おまえはあのプレシオスの鎖を解かなければならない。」
そして夢から目覚めたジョバンニにブルカニロ(ブロニカ)博士がやってきます。そして博士はとんでもないことを言います。
「ありがとう。私は大へんいい実験をした。私はこんなしずかな場所で,遠くから私の考えを人に伝える実験をしたいとさっき考えていた。お前の云った言葉はみんな私の手帖にとってある。さあ帰っておやすみ。お前は夢の中で決心したとおりまっすぐに進んでいくがいい。」と言って,いつの間にか博士の手に入っていた緑色の,あのどこへでも行けるという切符をジョバンニに返すのです。
結局この削除された箇所は,遠くの人に自分の考えを伝えるという,ブルカニロ博士のテレパシーの実験であったことが明かされます。
これは賢治が樺太栄浜で行ったトシとの通信実験をあきらめてはいないということを意味しています。それをわざわざ削除したのはトシとの通信実験の必要性が死の床にいる賢治の中で変化していった(つまり通信自体をあきらめること,通信以外の方法の確立へ向かうこと)証と見ることができるのではないでしょうか。
以上が10/20にあった{朗誦伴奏「銀河鉄道の夜」第二夜}に参加して言えなかったことの大要です。

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