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銀河鉄道の夜-届いていた通信2-

異途への出発-2s
異途への出発 八戸線

「この世で起きることはすべてが関連性もなくばらばらで仮の姿として見えてくる」と先回私は書きました。
電気が灯っては夢のような世界が一瞬見え,消えれば暗い何もない世界に沈む。なんと心許ない私たちの世界。過ぎれば忘れ去り,夢なのかと疑い,事が起きれば以前にも増して動揺する。つまり「つぎはぎ」だらけの統一したものも持てない自分。その「つぎはぎ」を実は賢治自身が一番嫌ってもいました。自分の詩がつぎはぎだらけと思われるのを嫌い,「春と修羅」も書きました。これを一つの新しい感覚認識論の構築の礎にしたいと思いました。「明滅すること」と「つぎはぎ」は同じことです。過去と断絶していますし,未来とも断絶しているという意味です。すべてはフラッシュバックのように,幻燈のようにぱっと見えてはまた消えていくものなのです。この世は幻のように,「おごれる人も久しからず,ただ春の夜の夢のごとし(平家物語)」という考えにいつか作品でくさびを打ち込みたいと思い続けていました。これは単なるロマンチックな文学的試みではありませんでした。ただの感傷的な「つぎはぎ」でできた旧来のような作品では駄目なのです。全てのものが統一され,調和している次元を目指さざるを得ないということです。それは死んだ妹のトシとも交信(通信)ができる次元であり,死を越えて互いに感情や思考が交通できる新しい世界でなくてはならなかったのです。確かに賢治は残した作品群ではたいした完成度を見せていたのに(私は賢治の作品は最良の仏教説話に分類されると思っています)結局最後にはまた「銀河鉄道の夜」という最も優れた作品でも臆病になったのでした。
この「臆病」さという概念は賢治理解にとって大切なキーワードだと思います。
学業でも,仕事でも,生活でも,作品でも賢治はこと細かに父親に手紙を書きます。まるで,いつか私のこの考えが正しいことを証明して見せますと言わんばかりに手紙を父親に出し続けるのです。どうしても自分が客観的な事実で証明してみせなければ父親や相手が納得してくれないという何か強迫観念のような思いを賢治は持ち続けているように感じます。それを私は「臆病」さと言いました。この臆病さという言葉は普通は悪い消極的な負のイメージで用いられますが,臆病さから来る慎重さや作品を何回も推敲する完成度への執着という正のイメージも持たせています。
例えば雑誌に掲載する詩を送る時に,幻聴や幻覚のないもの(作品)を選びましたとか,終始原稿を推敲している箇所の全体を見ると読む者への伝わりやすさや文末表現を非常に気にしていたりする(作品の完成には必要な作業ですが)ように感じてしまいます。絶対こうだと主張しきれない,賢治の誤解を恐れるあまりの逡巡にも見えてくるのです。性格が優しすぎる賢治の一面でしょう。一歩引いている東北人の気質そのものが賢治の所作にも見えてきます。自分にもそうした東北人の控えめな態度が確かにあります。そうした意味で「臆病」という言葉を使いたくなるのです。

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長沼 霧の朝

さて,なぜ「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大きな一冊の本を持った大人」とブロニカ博士は最終的に「銀河鉄道の夜」の中から削除されることになったのか。これも読者が予定調和的だと読まれることを恐れた賢治の臆病さが伺える箇所です。この二人は確かにただの文学としての読み物を越える世界に誘う登場人物となります。それを敢えて削ることで賢治は作品の親しみやすさや平易さが担保されると感じたのではないでしょうか。賢治は読み手が「この作品は難解だな,そうか,テレパシーか」と誤解されて読まれることを恐れて削ったとも思われます。
・・・おまえの実験はこのきれぎれの考えのはじめから終わりすべてにわたるようでなければいけない。それがむずかしいことなのだ。けれどももちろんそのときだけのでもいいのだ。おおごらんあそこにプレシオスが見える。おまえはあのプレシオスの鎖を解かなければならない。」
そして夢から目覚めたジョバンニにブルカニロ(ブロニカ)博士がやってきます。そして博士はとんでもないことを言います。
「ありがとう。私は大へんいい実験をした。私はこんなしずかな場所で,遠くから私の考えを人に伝える実験をしたいとさっき考えていた。お前の云った言葉はみんな私の手帖にとってある。さあ帰っておやすみ。お前は夢の中で決心したとおりまっすぐに進んでいくがいい。」と言って,いつの間にか博士の手に入っていた緑色の,あのどこへでも行けるという切符をジョバンニに返すのです。
結局この削除された箇所は,遠くの人に自分の考えを伝えるという,ブルカニロ博士のテレパシーの実験であったことが明かされます。
これは賢治が樺太栄浜で行ったトシとの通信実験をあきらめてはいないということを意味しています。それをわざわざ削除したのはトシとの通信実験の必要性が死の床にいる賢治の中で変化していった(つまり通信自体をあきらめること,通信以外の方法の確立へ向かうこと)証と見ることができるのではないでしょうか。

以上が10/20にあった{朗誦伴奏「銀河鉄道の夜」第二夜}に参加して言えなかったことの大要です。


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銀河鉄道の夜-届いていた通信-

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10/20「銀河鉄道の夜」朗読

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「銀河鉄道の夜」朗読

10/20 16:30~20:30宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を読む会が行われ,行ってきました。この頃注目の『宮澤賢治 愛のうた』の著者澤口たまみさんの話が聞けるということで楽しみにしていました。『宮澤賢治 愛のうた』で澤口さんは大正11~13年の賢治には相思相愛の恋人がいたこと,そしてその恋愛が「春と修羅」や当時の作品に密かに,しかし確かに表現されていることに着目します。その新しい切り口は凝り固まった賢治解釈の中に五月の春の風を思わせるような新鮮な息吹を吹き込んだように思います。

さて「銀河鉄道の夜」はさすがに朗読すると長く,休憩以外の時間は予想通りすべて朗読にあてられることになりました。もう少し澤口さんの「銀河鉄道の夜」の中に見られる賢治の恋愛についての読み解きを聞いてみたいと思いました。今後の澤口さんの読み解きに期待したいと思います。当然のことですが会場の皆さんとの意見交流の場も殆どなくなり,互いに今後の宿題として次回の第3回に期待することとなりました。

深山牧場 053s
純粋な心。ひたむきさ。願いの美しさ。透明さへの希求。

私自身「銀河鉄道の夜」を読んでいて,理解できなくて何回もひっかかる箇所が特に第一次原稿の中にあります。まず一つ目は黒い大きな帽子をかぶった大人の人の存在です。二つ目はブロニカ博士とのやりとりの削除です。
まず,カンパネルラが汽車から突然いなくなった後の文章です。最終稿では削除されていますが大変気になります。

そしてそこには「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人がやさしくわらって大きな一冊の本を持ってい」た場面です。この部分は初期形から残っていましたが最終形では削除されています。不思議なのはこの黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人が語り聞かせる内容です。その部分を引用してみます。
けれども、ね、ちょっとこの本をごらん、いいかい、これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこの頁はね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。よくごらん紀元前二千二百年のことでないよ、紀元前二千二百年のころにみんなが考へてゐた地理と歴史といふものが書いてある。だからこの頁一つが一冊の地歴の本にあたるんだ。いゝかい、そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいてい本統だ。さがすと証拠もぞくぞく出てゐる。けれどもそれが少しどうかなと斯う考へだしてごらん、そら、それは次の頁だよ。紀元前一千年だいぶ、地理も歴史も変ってるだらう。このときは斯うなのだ。変な顔をしてはいけない。ぼくたちはぼくたちのからだだって考だって天の川だって汽車だってたゝさう感じてゐるのなんだから
この文章は何を言っているのでしょう。分けて考えてみます。
①この頁はね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。
②よくごらん紀元前二千二百年のことでないよ、
③紀元前二千二百年のころにみんなが考へてゐた地理と歴史といふものが書いてある。
これはひと頃よく言われたトマス・クーンのパラダイムのことを言っているようです。普通に歴史や地理の理論はその時代その時代の考え方を土台として書かれている。一つの概念が真理として何千年も続くことはない,考え方は時代時代の枠(パラダイム)で変わるものだ。だから永遠の理論はない。歴史はある法則で繰り返すように見えたりするが,実は一回性のものであってその時その時で断絶している。つまりこの世で繰り広げられる出来事は脈絡のない夢のように明かりが点いては見えて,明かりが消えてはなくなっていく。それぞれが独立していて互いに関連性はないということです。このように考えると次の文章が分かりやすくなります。
そのひとは指を一本あげてしづかにそれをおろしました。するとジョバンニは自分といふものがじぶんの考といへものが、汽車やその学者や天の川やみんないっしょにぽかっと光ってしぃんとなくなってぽかっとともってまたなくなってそしてその一つがぽかっとともるとあらゆる広い世界ががらんとひらけあらゆる歴史がそなわりすっと消えるともうがらんとしたたゞもうそれっきりになってしまふのを見ました。だんだんそれが早くなってまもなくすっかりもとのとほりになりました。
まとめると次のように言えるでしょう。
この世で起きることはすべてが関連性もなくばらばらで仮の姿として見えてくる。これが生々流転の意味ではないでしょうか。この世の現実にあまりに固執しすぎては迷いを生じ,三毒の泉に溺れることになる。三毒とは貪=むさぼり(欲深く物をほしがる、際限なくほしがる)、 瞋=怒り(自己中心的な心で、怒ること、腹を立てること)、癡=迷妄(物事の道理に暗く実体のないものを真実のように思いこむこと)です。賢治はこうした考え方で辛い現実をなんとか収めようと格闘していたのだと思います。


随分長くなりました。今日はまずこの辺で終わりにします。続きはまた書きます。

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朗誦伴奏「銀河鉄道の夜」第二夜のお知らせ

10月国際宇宙ステーション-2gs
国際宇宙ステーション

10月20日(土)午後4時半~
 栗原市 Cafeかいめんこや
 栗駒発 宮澤賢治の世界へ
 朗誦伴奏「銀河鉄道の夜」第二夜

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このポスターの絵,なかなかいいですね。

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は未完ながらまぎれもない傑作と言えるでしょう。

さて私が「銀河鉄道の夜」の論考で印象に残ったのは萩原昌好氏の「宮沢賢治「銀河鉄道」への旅」です。
萩原昌好

 死んだ妹トシと密かに交信する樺太への旅を萩原氏は鉄道と天体の運行から読み解こうとします。なんと言っても圧巻は同経度での花巻と樺太の栄浜に横たわる天の川が北上川の水面に鏡のように写り込む一瞬を描き出します。つまり天上から死んだ妹トシが降りて来るという劇的な瞬間を探し出していきます。これは天体の運行が地上にそのまま写しだされるということです。天上の理が地上に移されるということ,中国の天文思想が日本でも陰陽五行説として組み込まれた時に表れた新しい基準なのです。

 昔,日本には横の広がりとしての距離を基準として同一平面上にこの世あの世を置いていました。しかし陰陽五行説が天武朝に基準に組み込まれたことで方位,時間等の新しい座標軸が生まれたのです。遷都や祭礼はこの新しい思想によって組み立てられていきました。「隠された神々」を書いた吉野裕子氏に依れば現在でも日本の「祭礼の期日や時刻の設定や動きは北極とそれを巡る北天の座を地上に再現したものになる」と言います。

さすれば「銀河鉄道の夜」は天上がそのまま地上に移され,祝福された世界に他ならないと言えるでしょう。あの世が,ここでこの世で再現される。これ以上の賢治の完成形はないと思われます。


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露頭にて 賢治の認識論

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露頭にて

1925年(大正14)の正月は厳冬の北三陸の旅から始まりました。賢治29歳になる年でした。
この三陸の旅から戻ってから森佐一に『春と修羅』において「歴史や宗教の位置を全く変換しようと」したり,2月には岩波書店の岩波茂雄に次のように手紙を送ります。
六七年前から歴史やその論料、われわれの感ずるそのほかの空間といふようなことについてどうもおかしな感じやうがしてたまりませんでした。
と書いています。実に不思議な言葉です。どんな違和感を抱いていたというのでしょうか。
私たちが感じているこの空間の「ほかの空間といふようなことについてどうもおかしな感じやうがしてたまりませんでした」というのです。それを科学的に「厳密に事実のとほりに記録したもの」が『春と修羅』だったと言うのです。

ここでは手紙の前の方に注目していきたいと思います。
つまり「六七年前から歴史やその論料、われわれの感ずるそのほかの空間といふようなことについてどうもおかしな感じやうがしてたまりませんでした。」と言う「六七年前から」という言葉です。一体「六七年前」に何があったと言うのでしょうか。何があって、空間というものの感じ方の変化に至ったのでしょうか。

そこで私は「六七年前」という大正7、8年の書簡を読み直してみました。賢治22、23歳前後の時です。この時期賢治は卒業、徴兵検査、独立という年に当たる時です。6月に岩手山に登ろうとして迷ったり「秋田街道」のような幻想的な作品が生まれ始める時期にも当たっています。この年は10月にも岩手山に登っています。言わば山登りにはまっていた時期にも当たります。これらの経験を経ながら賢治は父政次郎に次のように書いています。
戦争とか病気とか学校も家も山も雪もみな均しき一心の現象に御座候。その戦争に行きて人を殺すといふ事も殺す者も殺される者も皆均しく法性に御座候。・・・先日も屠殺場に参りて見申し候。牛が頭を割られ、咽喉を切られて苦しみ候へども、この牛は元来少しも悩み無く喜び無く又輝き又消え全く不思議なる様の事感じ申し候。

この下線部の「輝き又消え全く不思議なる様の事感じ」に注目したいのです。この場合「明滅しているのは命」です。


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オリオン昇る頃

この牛の命の輝きと死によって消えるという明滅する生命。
『銀河鉄道の夜』の「大きな一冊の本を持っている黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人」がはジョバンニに見せた手品のような部分です。
そのひとは指を一本あげてしづかにそれをおろしました。するとジョバンニは自分といふものがじぶんの考といへものが、汽車やその学者や天の川やみんないっしょにぽかっと光ってしぃんとなくなってぽかっとともってまたなくなってそしてその一つがぽかっとともるとあらゆる広い世界ががらんとひらけあらゆる歴史がそなわりすっと消えるともうがらんとしたたゞもうそれっきりになってしまふのを見ました。だんだんそれが早くなってまもなくすっかりもとのとほりになりました。
賢治は見えたり見えなくなったりする明滅する現象を生命の生死にも当てはめています。そしてそれを「法性」と言っています。「法性」とは事の自然の成り行きのことを意味しています。生きるも死ぬも自然のことである。この世の理(ことわり)であると達観しているような言い方です。

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ライチョウは陽を望む

まとめます。
私たちは今一枚目の写真のような崖の下にいると思ってください。時間が全く目に見えるような地層となって眼前にあります。時間が目に見えるようになっている地層というものが鍵です。時間が一目瞭然に見えているということは、それぞれの途方もない程離れた時代を同視点で眺めることができるということです。賢治の言葉による記録は地層の前にいる人間のように時間を無化することで紀元前二千二百年の地理と歴史も紀元前一千年も同時に同価値で見えてしまうのです。
賢治の認識論はこのような地層が露出した露頭での観察者の視点を持っていたと言うことができるのではないでしょうか。この世にある生老病死という迷いはすべてがこの世の自然な「理(ことわり)」の通りなのだと昇華させ、納得させることでこの世の空間の有り様たった一つの薄い地層でしかないと読み換えようとしていのではないでしょうか。そうすると賢治の視点は膨大な堆積された時間という地層空間をさらに客観的に見ている観察者の視点を持ち得たと言えます。


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三次元の哀しみ 賢治の認識論

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下流の方の川はば一ぱい銀河が巨きく写ってまるで水のないそのままのそらのやうに見えました。

深山牧場 053s

それは四つに折った はんかち はがき ぐらゐの大さの緑いろの紙でした。
「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」車掌がたづねました。
それはいちめん黒い唐草のやうな模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものでだまって見てゐると何だかその中へ吸ひ込まれてしま ってまた新しい世界の中へでも入るやうな気がするのでした。
「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんたうの天上へさへ行ける切符だ。天上どこぢゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈でさあ、あなた方大したもんですね。」

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「ありがたう。私は大へんいゝ実験をした。私はこんなしづかな場所で遠くから私の考を 人に 伝へる実験をしたいとさっき考へてゐた。お前の云った語はみんな私の手帳にとってある。さあ帰っておやすみ。お前は夢の中で決心したとほりまっすぐに進んで行くがいゝ。そしてこれから何でもいつでも私のとこへ相談においでなさい。」

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泣きながら目覚めた朝
光によって呼び起こされた
影によって夢だと知った
きれいな音でさへこの世に引き戻すレクイエムとなる
あらゆるものすべてが
旅立つための
とうめいな食べもので、とうめいな水
それを知った時には哀しかった
いっそ隔てているものを消し去ることができたのなら
あの人は私の前に立っていたのに


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