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宮沢賢治「チュウリップの幻術」その6-賢治を飾ったチュウリップ-

小雨降る土曜 138-2s
ハスの花咲く長沼

宮沢賢治の「チュウリップの幻術」は賢治が高農に入学した大正6年4月に訪れた小岩井農場に植えられていたチュウリップを見たことがきっかけではないでしょうか。それについては前の記事で書きました。この時訪れた箱ヶ森から小岩井農場でチュウリップのお花畠を見て,七つ森を見たのだと考えられます。

しかも,「チュウリップの幻術」で描かれている風景は,かなり正確な観察から成り立っているように思われます。「若い研師」も「若い木霊」も,次の段階の「研師と園丁」でも基本的な風景描写が統一感を持っているからです。まず洋傘直しは,垣根のようになっているすももの並木を通って入ってきます。そして園丁が洋傘直しに気付いて出てくるのは独逸唐檜(ドイツとうひ)の茂みの中からです。ここでちょっと「チュウリップの幻術」の景色をまとめてみたいと思います。まず園丁が出てくるのは独逸唐檜(ドイツとうひ)からですが,ドイツトウヒのある方角が「北」だと思われます。なぜなら北風よけによく植えられていたのがドイツトウヒだからです。このドイツトウヒの林の方に井戸があったと思われます。研ぐのに水を汲んで来ましたね。そして北の反対側に向いて戻ってくるので南に向いています。そして午後の太陽を見てチュウリップ畑があるので陽炎が立ったり,陽の光を透かしてチュウリップを見るようですから西側にはチュウリップが見えます。「 向ふの唐檜 やすもゝのかきねがふらりふらりと踊ってますよ。」 とありますね。
これを小岩井農場を通る北へ向かう道と照らし合わせると,ある程度農園の場所が特定されるかもしれません。さらにチュウリップの試験栽培の記録などが見つかればいいのですが・・・。

小雨降る土曜 127s
誰ですか?あなたは

さて,賢治は後年「下ノ畑ニ居リマス」という下根子の下の畑では,白菜,アスパラガス,トマト,カリフラワー(花やさい),キャベツ,トウモロコシなどが植えられていたことは知られています。鶴田静の「ベジタリアン宮沢賢治」(1999)晶文社を見ると,その畑の周りを「チュウリップで飾った」と書いてあります。賢治は最初に見たチュウリップの印象が良かったのか,身近にチュウリップを置こうとした様子が見て取れます。昨日の記事で「花壇工作」の中にチュウリップが出てきます。この「花壇工作」という作品は,大正十三年頃 (1924)賢治28歳の時の作品です。この年,4月に「春と修羅」,12月に「注文の多い料理店」が刊行される記念すべき年ですね。
 そのとき窓に院長が立ってゐた。云った。

(どんな花を植えるのですか。)

(来春はムスカリとチュウリップです。)

(夏は)

(さうですな、まんなかをカンナとコキア、観葉種です、それから花甘藍と、あとはキャンデタフトのライラックと白で模様をとったりいろいろします。)

 院長はたうたうこらえ兼ねて靴をはいて下りて来た。

(どういふ形にするのです?)

(いま考へてゐますので。)

(正方形にやりますか。)どういふ訳か大へんにわかにその博士を三人も使ってゐる偉い医学士が興奮して早口に云った。
ということでチュウリップが病院の中庭の花壇をムスカリの青と一緒に彩ることになります。

昭和2年(1927)に賢治が花巻温泉南斜花壇を設計した計画書の手紙を事務所の冨田一に送りました。(書簡228)もともと賢治は高農の農芸化学科を出ているわけですから,花壇設計も専門分野を生かした仕事ということになるでしょう。この計画書で花を植えるのに賢治は色合いのイメージを次のように書いています。
花種は,その花期が長いことと手数少なく強健なることを眼目として選びたいと存じます。就いては当今アンテルナムを最適とすると存じられます。但し本年だけはペチュニア等の一年草によるより仕方ありません。色彩は起部で紅紫,漸次登るに従って暗紅,紅,橙,黄,暗緑を主色として之に補色的並びに隣移的色調を混じて適宜なる深さと明暗とを与えたいと存じます。
現在でも花巻温泉バラ園や賢治記念館そばの「ポランの広場」で賢治が設計した花壇を見ることができます。

小雨降る土曜 017-2s
小雨降るさんぽ道

それではチュウリップはと言うと,賢治の「メモ フローラ」を見るとチュウリップはヒヤシンスやムスカリという組み合わせでよく出てきます。青いムスカリが小さいので最前列,そしてチュウリップ,そしてdaffodil(スイセン)オーニソガラム(球根)と高さと色合いで重ねられます。チュウリップは賢治の花壇の中で生きています。ここでもう一度「チュウリップの幻術」のチュウリップの登場場面を見てみましょう。
此の黄と橙の大きな斑はアメリカから直に取りました。こちらの黄いろは見ていると額が痛くなるでしょう。」
「ええ。」
「この赤と白の斑は私はいつでも昔の海賊のチョッキのような気がするんですよ。ね。
 それからこれはまっ赤な羽二重のコップでしょう。この花びらは半ぶんすきとおっているので大へん有名です。ですからこいつの球はずいぶんみんなで欲しがります。」
「ええ、全く立派です。赤い花は風で動うごいている時よりもじっとしている時のほうがいいようですね。」
「そうです。そうです。そして一寸とあいつをごらんなさい。ね。そら、その黄いろの隣りのあいつです。」
「あの小さな白いのですか。」
「そうです、あれは此処では一番大切なのです。まあしばらくじっと見詰めてごらんなさい。どうです、形のいいことは一等でしょう。」


金成白山神社 010s
白い百合咲く

今でも下ノ畑を囲むようにチュウリップの花が春先の4月に咲くといいですね。そしてそのチュウリップが終わると,桜の季節になります。

今日で一応「チュウリップの幻術」の話は終わりとします。むしろ忘れていた賢治の断片を拾い集めて自分なりにつなげる楽しみがありました。
今度辺りは「菜食主義の賢治」の話でもできたらと思います。


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宮沢賢治「チュウリップの幻術」その5-チュウリップいろいろ-

石巻女川 143-2gs
海辺を往く  8/2 石巻線

今日は賢治の作品に出て来たチュウリップの話です。
チュウリップという花は今でこそ最も植えられている花でポピュラーですが,賢治が生きていた明治,大正時代は珍しい花だったでしょう。
まず,賢治の作品に出て来たチュウリップの花を時系列に並べてみましょう。

①492 かげらうは うっこんかうに沸きたてど そのみどりなる柄は ふるはざる
 〔異稿〕チュウリップ かがやく酒は湧きたてど その緑なる柄は ふるはざり   大正六年四月(1917)賢治21歳 高農3年
②「チュウリップの幻術」         大正十二年頃 (1922)賢治26歳 教師になって2年目
③「貝の火」                 大正十二年頃 (1922)賢治26歳 教室で読んで聞かせた
④「花壇工作」               大正十三年頃 (1924)賢治28歳 4月「春と修羅」12月「注文の多い料理店」刊行


①うっこんかうとはチュウリップのことです。咲いているチュウリップの周囲で日の光を浴びてもうもうと陽炎が立っていたのでしょう。大正六年四月(1917)賢治21歳 高農3年の時にその景色に出会ったと思われます。賢治は,チュウリップの花の高さまで屈んで寝そべるようにして見入ったのかもしれません。鮮烈なイメージとして残っていたのでしょう。4月はまだ底冷えのする季節です。もうもうとした朝霧が立つ季節です。朝霧が晴れ,雲間から太陽が現れてかっと景色が燃え上がる景色が眼に浮かぶようです。実際「チュウリップの幻術」では午後の時間帯になっていますが,そのような景色が描かれます。

さて,気になるのはこのチュウリップが並んだ景色を,賢治が見たのは一体どこなのかと想像したくなります。
どうもこの492番のチュウリップの歌の前後の番号の歌を見て行くと,場所が「箱ヶ森」「七つ森」なのです。すると小岩井農場なのかと想像してみます。トウヒの木が並んでいる農園の一角で試験栽培しているチュウリップが眼に浮かんできます。
この景色がもう「研師と園丁」で第2章に独立させて,「チューリップ酒」として「チュウリップの幻術」に成長させていきます。この歌のイメージを大切に表現するために鉛筆で歌を直していきます。それを見てみましょう。

「チュウリップ かがやく酒は湧きたてど その緑なる柄は ふるはざり 」
「チュウリップ」を鉛筆で消して,「日の酒は」にします。さらに「日の酒は」を消して「かげらうは」に直しています。
「かがやく酒は」を鉛筆で消して,「うっこんかうに」直します。
「湧きたてど」を「湧きたれど」に直し,更にもう一回「湧きたてど」という最初の形に戻します。
「その緑なる」の「その」を鉛筆で消して,「花の緑なる」にして,また「その緑なる」という最初の形に戻しています。
そして「かげらうは うっこんかうに沸きたてど そのみどりなる柄は ふるはざる」となるわけです。かがやく酒という陽炎の形容を想像部分をそぎ落として見たままに「かげらう」にと直すことで,写実性をの高めて,「チュウリップ」も「うっこんこう」と言い換えてイメージも音も「ちゅーりっぷ」と伸びずに「うっこんかう」と詰まらせて立ち止まらせます。うまい推敲です。しかし,「そのみどりなる柄は ふるはざる」は「チュウリップの幻術」の中でもとても強調されています。本文を引用しましょう。
「あの小さな白いのですか。」
「そうです、あれは此処では一番大切なのです。まあしばらくじっと見詰めてごらんなさい。どうです、形のいいことは一等でしょう。」
 洋傘直しはしばらくその花に見入ります。そしてだまってしまいます。
ずいぶん寂かな緑みどりの柄でしょう。風にゆらいで微かに光っているようです。いかにもその柄が風に靱(しな)っているようです。けれども実は少しも動いておりません。それにあの白い小さな花は何か不思議な合図を空に送っているようにあなたには思われませんか。」太字はnitta245
どうしてこんなに緑の柄(え)にこだわっているのでしょう。そしてどうしてみどりの柄だけは動かないようにしたいのでしょう。実際動くと思うのですが・・・。賢治の「けれども」には特別な意味のもたせ方があるようです。「動いているように見える。けれども動いていない」という否定形で示される何かがあるのです。「インドラの網」という作品にも「けれども」表現がよく出てきます。 

・ こけももがいつかなくなって地面は乾いた灰いろの苔で覆われところどころには赤い苔の花もさいていました。けれどもそれはいよいよつめたい高原の悲痛を増すばかりでした。

・ けれどもこの時は早くも高原の夜は明けるらしかったのです。

・一瞬百由旬を飛んでいるぞ。けれども見ろ、少しも動いていない。       

・(やっぱりツェラの高原だ。ほんの一時のまぎれ込みなどは結局あてにならないのだ。)斯う私は自分で自分に誨えるようにしました。けれどもどうもおかしいことはあの天盤のつめたいまるめろに似たかおりがまだその辺に漂っているのでした。そして私は又ちらっとさっきのあやしい天の世界の空間を夢のように感じたのです。

石巻女川 197-2gs

どうも賢治の作品中「けれども」が出てくると,見えているものと現実の区別がつかなくなっているようなのです。これを賢治の「けれども活用」と言います。歌や「チュウリップの幻術」に出てきた「いかにもその柄が風に靱(しな)っているようです。けれども実は少しも動いておりません。」はまさに陽炎の中での認識の「ゆらぎ」を表しているようです。
よく賢治は場面を描写してからそこに白亜紀の恐竜が平然と現れたりする記述を行います。彼には今の現実の現象と同時にその場所の地層の奥まで透視してしまうのです。ですから現在と白亜紀が同一次元で二重写しに見えるわけです。賢治の「けれども活用」には時間の堆積が省略される効果があります。この辺りは賢治の認識論として相対性理論や4次元とからめてお話しすれば面白いところですが今は省略します。

さて②「チュウリップの幻術」です。さっそく,小さくて白いチュウリップのところを引用しましょう。
「そして、そら、光が湧いているでしょう。おお、湧きあがる、湧きあがる、花の盃をあふれてひろがり湧きあがりひろがりひろがりもう青ぞらも光の波で一ぱいです。山脈の雪も光の中で機嫌よく空へ笑っています。湧きます、湧きます。ふう、チュウリップの光の酒。どうです。チュウリップの光の酒。ほめて下さい。」
「ええ、このエステルは上等です。とても合成できません。」
「おや、エステルだって、合成だって、そいつは素敵だ。あなたはどこかの化学大学校を出た方ですね。」
「いいえ、私はエステル工学校の卒業生です。」
「エステル工学校。ハッハッハ。素敵だ。さあどうです。一杯やりましょう。チュウリップの光の酒。さあ飲みませんか。」
「いや、やりましょう。よう、あなたの健康を祝します。」
「よう、ご健康を祝します。いい酒です。貧乏な僕のお酒はまた一層いっそうに光っておまけに軽いのだ。」
「けれどもぜんたいこれでいいんですか。あんまり光が過ぎはしませんか。」
「いいえ心配ありません。酒があんなに湧きあがり波を立てたり渦になったり花弁をあふれて流れてもあのチュウリップの緑みどりの花柄は一寸ちょっともゆらぎはしないのです。さあも一つおやりなさい。」
「ええ、ありがとう。あなたもどうです。奇麗な空じゃありませんか。」
「やりますとも、おっと沢山沢山。けれどもいくらこぼれたところでそこら一面いちめんチュウリップ酒の波だもの。」
「一面どころじゃありません。そらのはずれから地面じめんの底まですっかり光の領分りょうぶんです。たしかに今は光のお酒が地面の腹の底までしみました。」
「ええ、ええ、そうです。おや、ごらんなさい、向こうの畑。ね。光の酒に漬かっては花椰菜でもアスパラガスでも実に立派りっぱなものではありませんか。」
まるでストラビンスキーの「春の祭典」を思わせる律動感にあふれた悦びを表現しています。この溢れだし,爆発するような,その中に自分が溺れていくような対象との一体感が賢治の独壇場です。

③「貝の火」にもチュウリップが出てきます。
「貝の火が今日ぐらい美しいことはまだありませんでした。赤,緑,青の様々の火,いなづま,光の血,水色のほのお,ひなげしや黄色いチュウリップ,薔薇やほたるかづらなどが一面風にゆれたりしているように見えたのです。」注目したいのは「チュウリップの幻術」に出てきた「小さくて白いチュウリップ」は「貝の火」の宝玉に映し出された黄色のチュウリップの隣りにあるのです。その部分です。
「そうです。そうです。そして一寸とあいつをごらんなさい。ね。そら、その黄いろの隣りのあいつです。」
「あの小さな白いのですか。」

この「チュウリップの幻術」の中に「貝の火」との密接な連関がありそうな記述ではありませんか。

そして④の「花壇工作」で賢治は実際にチューリップを植えることになります。
下の畑には後に作物の畑の周りをチュウリップが縁取り,彩るようです。


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宮沢賢治「チューリップの幻術」その4-白い色は天の色-

白馬84 105-2s
星の白馬連峰

この頃,鉄道写真よりも山の写真を見つめるようになりました。山に行きたいと思っているのかなと感じます。

さて宮沢賢治の「チューリップの幻術」を読んで,様々に感じたことを書き始めて,今日で4回目になります。
1回目は,タゴールとの接点と賢治が生きた時代が新しい考え方のトレンドと一致する時代だったこと。
2回目は,「マグノリアの木」と白い色に共通する「寂静」という考え方。
3回目は,賢治が「白い色」を作品の中で多く取り上げていたこと。

そして,今日4回目は「チューリップの幻術」という作品にまつわる話をしたいと思います。よろしくお付き合いください。

賢治の作品で実際に白い花が出てくるのは様々にありますが,まず「マグノリアの木(ホオノキ)」「ガドルフの百合」「四又の百合」,「ポラーノの広場」での丸くぼんぼりのような白い明かりを灯すつめくさの花,そして「チューリップの幻術」の小さくて白いチューリップが頭に浮かびます。ここで少し「白い色」に少しこだわって見ると,白い色そのものが白き馬や白雉,白い鳥という表現で日本の歴史や文学で「呪術的で神秘的な現象」を表すことがあります。ですから深読みすれば,白いチュウリップが幻術を行うのにふさわしい「白色」であるということもできます。「マグノリアの木」の白,「チュウリップの幻術」での白をどちらも「寂静」という悟りを得た視点からの色に位置付けている所から見ると,賢治が「白」という色の意味を意識的に使っての表現だとは言えないでしょうか。さらに「チュウリップの幻術」に出てきた白のチュウリップを「寂静な」と表現して後の推敲で,寂静を墨で消して,「しづかな」に変えてから更に墨で消しているところをみると,意図的に仏教的な用語を使わない方向で作品を仕上げようとしていたのではないでしょうか。この寂静という語句を消すという行為は私たちに賢治がいつも作品を送る時に言っていた言葉を思い出させます。賢治は自分の作品を掲載してもらう時に「幻聴や何かの入らないすなほなものを選びました」(森佐一への書簡201,大正14年2月10日)という「これなら人がどう思うか,ほかの人たちと比べてどうか」ということに苦しんでいたのです。あまり仏教色を強くすると,偏見からの誤解を受けると感じていたのでした。これが「チュウリップの幻術」を推敲する中で「寂静」の抹消へと向かわせたのでしょう。

白馬星-2s
白馬岳に昇る星

伊原昭の「文学における日本の色」を見ると和歌に詠まれた色でダントツで一番多い色が時代を超えて「白」だと言います。例えば万葉集で色が読み込まれた歌は717例あり,その内の292例が白色なんだそうです。これは色としての白が歌に詠み込まれる割合が41%になるといいます。また,平安時代成立の「古今和歌集」から「新古今和歌集」までをまとめた「八代集」で調べると,色が詠み込まれた歌が1089例あり,その内の487例が白で,白の出現率が45%になるそうです。自然を見詰めた賢治が白という色を最高位にある色と感じ,表現することは十分に考えられます。
先回の記事で私は「春と修羅」の全文検索をして色の使い方を調べてみました。その結果をもう1回載せます。
賢治は作品でどんな色を多用していたか「春と修羅」編
青124回
白 70回
黒 57回
赤 50回
銀 34回
金 31回
黄 29回
緑 24回
この結果から更に色以外に多用されている言葉を探してみたのです。
なんと第一位は143回も出てきた「わたくし」という言葉でした。つまり賢治は「わたくし」を中心とした世界を必死に記録し続けたということです。そして「わたくし」に対応する色が「青色」なのです。外界の自然に対応している色が「白」なのです。さらに色以外に多用される言葉を拾い上げました。
「春と修羅」に多用された語句
雲 129回
風 89回
光(ひかり)86回
山 72回
そら 65回
「わたくし」の143回に対応するかのように,「わたくし」の外界の自然の中では「雲」が頻出するようです。
「チュウリップの幻術」と始まりと終わりはこのように繰り返されています。「雲は光って立派な玉髄の置物です。四方の空を繞ります。」そしてラストは「太陽はいつか又雲の間にはいり太い白い光の棒の幾条を山と野原とに落します。」雲は光ることで飽和する白となり,ラストでも白い光の棒となって輝き続けるのです。


ここで「チュウリップの幻術」の中の白いチュウリップが出てくる本文を読んでみましょう。
「ね、此の黄と橙の大きな斑はアメリカから直かに取りました。こちらの黄いろは見ていると額が痛くなるでしょう。」
「ええ。」
「この赤と白の斑は私はいつでも昔の海賊のチョッキのような気がするんですよ。ね。
 それからこれはまっ赤な羽二重のコップでしょう。この花びらは半ぶんすきとおっているので大へん有名です。ですからこいつの球はずいぶんみんなで欲しがります。」
「ええ、全く立派です。赤い花は風で動いている時よりもじっとしている時の方がいいようですね。」
「そうです。そうです。そして一寸あいつをごらんなさい。ね。そら、その黄いろの隣りのあいつです。」
あの小さな白いのですか。」
「そうです、あれは此処では一番大切なのです。まあしばらくじっと見詰めてごらんなさい。どうです、形のいいことは一等でしょう。」
 洋傘直しはしばらくその花に見入ります。そしてだまってしまいます。
「ずいぶん寂かな緑の柄でしょう。風にゆらいで微かに光っているようです。いかにもその柄が風に靭っているようです。けれども実は少しも動いて居りません。それにあの白い小さな花は何か不思議な合図を空に送っているようにあなたには思われませんか。」(太字はnitta245)
この小さくて,白い花の形のよいチュウリップが「花の盃の中からぎらぎら光ってすきとおる蒸気が丁度水へ砂糖を溶したときのようにユラユラユラユラ空へ昇って行く」のです。この白いチュウリップの花の杯から光が湧いて,どんどん湧きあがって,ひろがり,青空も光の波でいっぱいになるのです。美しいシーンです。この光の酒を飲んで,洋傘直しと園丁は酩酊し,景色に中の木々も花も皆踊り始めるのです。この踊りが賢治の恍惚の気持ちの表現だと言うことは分かるでしょう。

白馬84 133-2s
登高者

ところで前掲書の伊原昭の「文学にみえる日本の色」に「源氏物語」に描かれた白が印象的に書かれていたので紹介します。光源氏が白というイメージで美しく描かれます。
「庭園に残る雪。更に散り添う雪。咲き匂う白梅など・・・,(そうした白い情景の中に)「白き御衣どもを着給いて」(光源氏が現れる)
白で統一された世界に人としての美を極めた姿として現れる白い衣をまとった光源氏の美しい姿が想像されます。白で語られる美しさは賢治の童話でも生きています。



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宮沢賢治「チューリップの幻術」その3-白い色-

焼石岳 430s
白い花 ハクサンイチゲ

今日から「チューリップの幻術」の作品に入ります。やっとという感じです。先回は「マグノリアの木」を取り上げました。そして今回から「チューリップの幻術」です。

作品「チューリップの幻術」は,初期形が「若い研師」から(1)「若い木霊」-「タネリはたしかにいちにちかんでいたようだった」になる流れと,初期形が「若い研師」から(2)「研師と園丁」-「チューリップの幻術」となるという流れで再改作されている作品です。「若い研師」の第2章が「二、チューリップ酒」です。ですから「チューリップの幻術」はアイディアとして最初から温められ,仕上げられた作品だと言えるでしょう。「若い研師」を読みますと「二、チューリップ酒」は改作しても殆ど変わらず内容を付け加えて「チューリップの幻術」となったことが分かります。

ところで先回の「マグノリアの木」では,大切なキーワードとして「マグノリアの木は寂静です」という表現が出てきました。つまり絶対的な善はマグノリアの木に,そして花びらに,そしてかぐわしい香りに現れ出てくる。また今見えている峰にも暗い密林にも善は現れ出ている。この「現れ出てくる」という意味は,ある意味が具体的なこの世の形になって現れ出てくるということです。つまり「顕現してくる」ということなのです。
実は「チューリップの幻術」の主人公になる,小さくて,白く,形の良いチューリップを最初のイメージの「」若い研師」では,「寂静」と書き表しているのです。そこの部分を完成形の「チューリップの幻術」から読んで見ましょう。
「よう、ご健康を祝します。いい酒です。貧乏な僕のお酒はまた一層いっそうに光っておまけに軽いのだ。」
「けれどもぜんたいこれでいいんですか。あんまり光が過ぎはしませんか。」
「いいえ心配しんぱいありません。酒があんなに湧きあがり波を立てたり渦になったり花弁をあふれて流れてもあの(寂静なしづかな 両方とも墨で削除)チュウリップの緑の花柄は一寸ちょっともゆらぎはしないのです。さあも一つおやりなさい。」
つまり賢治はマグノリアの大きく白い花に悟りの寂静を見て,チューリップの白い花にも悟りの寂静を見ていることになります。つまり「白い色」に悟りの意味(寂静)を重ねていたのではないかと思われるのです。

そこで,賢治は他の作品でも意識している,いないに関わらず,「白」に「寂静」の意味を重ねていたのか,と問うことはできます。闇夜の稲妻に浮かんだ「ガドルフの百合」はどうか。他の作品での「白」の使われ方や使い方の頻度はどうなのか。

焼石岳 954s

「春と修羅」第一集の70編の詩,文字にして4万弱を検索できるようにしておき,賢治の色の取り上げ方の頻度を調べてみました。賢治はどんな色をよく使ったのか。感覚が最も鋭く立ち現れてくる詩,「春と修羅」の言葉を吟味してみることにしたのです。以下が,その結果です。
賢治は作品でどんな色を多用していたか「春と修羅」編
青124回
白 70回
黒 57回
赤 50回
銀 34回
金 31回
黄 29回
緑 24回
以前「銀河鉄道の夜」の全文検索をした時にも似たような結果になりました。結果を載せます。
賢治は作品でどんな色を多用していたか「銀河鉄道の夜」編
青  84
黒  49
白  41
赤  34
銀色 29
黄  16
この結果から「賢治は青の詩人」だと思ったわけです。
ところが「白」の使われ方の頻度もかなり高いと思います。

白馬84 413-2gs
雲湧く白馬岳の朝

賢治の色に託すイメージにはとても重要な表現上の意味がありそうです。この点を掘り下げながらも次の特徴もあげなければいけません。実はマグノリアの花も,チューリップの花も具体的な描写が少ないのです。「チューリップの幻術」で最も大切な役割を果たす白いチューリップでさえ,「黄色のとなりの」「小さい」「白い」「形がよい」という限られた表現しか出てきません。この限られた情報だけで十分物語が成立しているし,場面を的確に描き切れているのです。その描き方,叙述のスタイルにも賢治らしさがあるのです。

次回に続きます。


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宮沢賢治「チューリップの幻術」その2-「マグノリアの木}-

ホウノキ雨に濡れるホオノキの花

 今日は,やっと休みです。今日は賢治の「チューリップの幻術」の2回目となります。1回目は賢治の生きた時代を20世紀トレンドと称して書いてみました。今日は賢治が童話を書くときの立ち位置がどこにあったのかというスタンスを探る回となります。そして話は彼の作品「マグノリアの木」から始まります。

賢治はホオノキをこう表現しています。
「サンタ、マグノリア、
 枝にいっぱいひかるはなんぞ。」
向う側の子が答へました。

「天に飛びたつ銀の鳩。」
こちらの子が又うたひました。

「セント、マグノリア、
 枝にいっぱいひかるはなんぞ。」
「天からおりた天の鳩。」
諒安はしづかに進んで行きました。

「マグノリアの木は寂静印です。」
ホオノキの花は香りがよく,喬木ですが,山を歩いているときにこの花の香りでよく立ち止まります。この大きな白い花が好きです。東北のホオノキが香りの良さや,また薬としても優れており献上されていたこともありました。

1日目ホオノキ開花1日目
さて, 「マグノリアの木は寂静印です。」という「寂静印」とは何のことでしょう。

wikiでは「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)は、仏教用語で、煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す。」とあります。「静やかな安らぎの境地(寂静)である」ことを「寂静」と言っています。更に「いっさいの差別と対立の底に、いっさいが本来平等である事実を自覚することのできる境地、それこそ悟りであるというのが、涅槃寂静印の示すものである。」と説明されています。
仏教では、「涅槃とはいっさいのとらわれ、しかも、いわれなきとらわれ(辺見)から解放された絶対自由の境地である。これは、縁起の法に生かされて生きている私たちが、互いに相依相関の関係にあることの自覚であり、積極的な利他活動として転回されなくてはならない。この意味で、この涅槃寂静は仏教が他の教えと異なるものとして法印といわれるのである。」

「マグノリアの木」の続きにまた出てきます。読んでみましょう。
マグノリアの木は寂静(じゃくじょう)です。あの花びらは天の山羊(やぎ)の乳(ちち)よりしめやかです。あのかおりは覚者(かくしゃ)たちの尊(とうと)い偈(げ)を人に送(おく)ります。」「それはみんな善(ぜん)です。」
「誰(だれ)の善ですか。」諒安はも一度(いちど)その美(うつく)しい黄金の高原とけわしい山谷の刻(きざ)みの中のマグノリアとを見ながらたずねました。
「覚者の善です。」


また難しい言葉です。「覚者の善」とは悟りを得た人の善ということでしょう。

「覚者の善は絶対(ぜったい)です。それはマグノリアの木にもあらわれ、けわしい峯(みね)のつめたい巌(いわ)にもあらわれ、谷の暗(くら)い密林(みつりん)もこの河(かわ)がずうっと流(なが)れて行って氾濫(はんらん)をするあたりの度々(たびたび)の革命(かくめい)や饑饉(ききん)や疫病(やくびょう)やみんな覚者の善です。けれどもここではマグノリアの木が覚者の善でまた私どもの善です。」
つまり絶対的な善はマグノリアの木に,そして花に,そしてマグノリアのかぐわしい香りに現れ出てくる。また今見えている峰にも暗い密林にも善は現れ出ている。しかし,革命や飢饉,疫病にも現れ出るというのです。

 
1日目2雌しべを拡大してみると・・・

マグノリアの花の雌しべを拡大してみました。ここにアブ,ハチ類が飛んできて他の木の雄しべの花粉をつけるわけです。雌しべは立っていますが,次の日にはもう倒れて堅く閉ざされたようになっています。受粉のチャンスは1日だけなのです。開花1日目の花は夕方には堅く閉じてしまいます。そして次に花びらが開くともう雄しべの役割となるのです。次の写真を見て下さい。

ホウノキ
4日ほどたった花
もう一度花が開くと,もう雄花の役割に移っています
めしべは巻き上がって閉じているのがわかるでしょう。雄しべは花粉を出して,とれてお椀型の花びらにたまっていますね。これは4日ほど経った花でしょう。


さて話を戻しましょう。
「寂静」がどんなものかが対話の中で語られます。
「あなたですか、さっきから霧の中やらでお歌いになった方は。」
「ええ、私です。またあなたです。なぜなら私というものもまたあなたが感(かん)じているのですから。」
「そうです、ありがとう、私です、またあなたです。なぜなら私というものもまたあなたの中にあるのですから。」
その人は笑(わら)いました。諒安と二人ははじめて軽(かる)く礼(れい)をしました。
互いに認め合っているならばあなたの中に私は居て,わたしの中にあなたが居るという共空間が出来上がるというのです。

少なくても賢治が童話を書いたりする立ち位置が少しずつ分かってきたような気がします。つまり自然の万物は流転し,変化(メタモルフォーゼ)するが,すべては悟りを得た者からすると,この世にあるべきしてある。この世にある一木一草,動物,鉱物すべてがつながりを持ち,互いが互いの存在を侵犯せずに自分の生を全うする存在であるという考え方が賢治にはあって,そういう視点から「マグノリアの木」も書かれているのです。

私はここで「青森挽歌」を思い出します。トシの臨終の場面です。読んでみましょう。
にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり
それからわたくしがはしつて行つたとき
あのきれいな眼が
なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた

それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかつた
それからあとであいつはなにを感じたらう
それはまだおれたちの世界の幻視をみ
おれたちのせかいの幻聴をきいたらう

わたくしがその耳もとで
遠いところから声をとつてきて
そらや愛やりんごや風、すべての勢力のたのしい根源
万象同帰のそのいみじい生物の名を
ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき

あいつは二へんうなづくやうに息をした
白い尖つたあごや頬がゆすれて
ちいさいときよくおどけたときにしたやうな
あんな偶然な顔つきにみえた
けれどもたしかにうなづいた

      《ヘツケル博士!

       わたくしがそのありがたい証明の

       任にあたつてもよろしうございます》

仮睡硅酸(かすゐけいさん)の雲のなかから
凍らすやうなあんな卑怯な叫び声は……

    (宗谷海峡を越える晩は
     わたくしは夜どほし甲板に立ち
     あたまは具へなく陰湿の霧をかぶり
     からだはけがれたねがひにみたし
     そしてわたくしはほんたうに挑戦しやう)

   たしかにあのときはうなづいたのだ
長い引用になりましたが,唐突に出てくる「ヘッケル博士」という言葉に注目したいのです。  《ヘツケル博士!/わたくしがそのありがたい証明の/任にあたつてもよろしうございます》という意味はなんでしょう。

ヘッケル博士とは「エルンスト・ハインリッヒ・フィリップ・アウグスト・ヘッケル(Ernst Heinrich Philipp August Haeckel, 1834年2月16日 ポツダム - 1919年8月8日 イェーナ)、ドイツの生物学者であり、哲学者です。ドイツでチャールズ・ダーウィンの進化論を広めるのに貢献した。」(by Wiki)と紹介されています。当時一世を風靡したマルチな学者です。賢治はヘッケルの「生命の不可思議」という本を原書で持っていたそうです。賢治はヘッケルの考えは読んで知っていたでしょう。彼の一元論の展開が鍵です。彼の文章を少し引用してみます。
「そこで特に強調したいのは、無機界と有機界は根本的に単一のものであり、有機界は無機界から進化してきたということだ。無機界と有機界にはほとんど明確な差がないのと同様に、植物界と動物界、さらに動物界と人間界の間にも絶対的な差異はないのである」
という考え方です。このヘッケルの考え方は,「自然というものに新たな読みの基準をもたらす」考えといってもいいでしょう。
「すべてのものがつながりを持ち,有機物も無機物から生じるという道筋を科学的な面から追究しようとした地平に立っています。神ではなく新たな「統一概念」を導き出そうとしているのです。
ここにはあらゆるものに魂がある汎神論が見えるし,生と死が絶対的な断絶ではない,死は次の生へという輪廻説も補助線として引けると言えます。

ここに賢治が持っていた仏教思想とヘッケルの西洋自然科学思想の一元論がシンクロしてくるのです。、無機界と有機界の区別なく普遍的な法則(仏教で言う「法」)によって統一されている自然(宇宙)であり、その普遍的な法則、あるいは宇宙そのものがへツケルの考える神、あるいは霊魂と言われるものだったのです。トシが死んでも魂は生きていて,次の生へとつながることができる。魂によって,無機物(死)から有機物(生)へ連続する地平ができる。すると魂を通じての互いの通信は可能ではないのか。と考えることができます。もし死んだトシとの通信(交信)ができたら生と死という現象を超えた一元論が証明されることになるからです。「 《ヘツケル博士!/ わたくしがそのありがたい証明の/ 任にあたつてもよろしうございます》」という言葉はそうした証明のことを言っているのではないでしょうか。

1日目3
もう一度,開花したばかりの花を見てみましょう。めしべの下のおしべは堅く付いたままですね。もちろん葯が開かず花粉も出ていないのです。花はこのように雌しべの期間と雄しべの期間と,時間をずらすことで他の木の花粉をもらい,また他の花へ花粉を運ぶ働きを効率的に可能としてきたのです。ここに植物のしたたかな戦略があるということです。


賢治の考え方は脱資本主義,階層権力社会からの自由,汎神論のニューバージョン世界という世界スタンダードからの脱構築(ディコントラクション)体系を試みている点で最新です。

葉が落ちて
葉が落ちて
 花びらも葉も取れた花はこうなります。めしべのところがこれから膨らみ,びっしりと実がつくんです。この段階でも香りはいいんです。


さてここで次に引き出したいのは「マグノリア」の花の「白」です。白い花と言えば「チューリップの幻術」に出てきた最も大切な花の色が「白」だったのです。
「そうです。そうです。そして一寸ちょっとあいつをごらんなさい。ね。そら、その黄いろの隣りのあいつです。」
「あの小さな白いのですか。」
「そうです、あれは此処では一番大切なのです。まあしばらくじっと見詰めてごらんなさい。どうです、形のいいことは一等でしょう。」
 洋傘直しはしばらくその花に見入ります。そしてだまってしまいます。
「ずいぶん寂かな緑の柄でしょう。風にゆらいで微かに光っているようです。いかにもその柄が風に靱(しな)っているようです。けれども実は少しも動いておりません。それにあの白い小さな花は何か不思議な合図を空に送っているようにあなたには思われませんか。」
白い花が多くのチューリップの中で特別に強い幻術を持っているように描かれます。
どうして「白」なのかを次回に探っていきましょう。

伊豆沼 198-2s
ハスの花にどさっと落ちたチャバネセセリ


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