2017/08/05
宮沢賢治「チュウリップの幻術」その6-賢治を飾ったチュウリップ-

ハスの花咲く長沼
宮沢賢治の「チュウリップの幻術」は賢治が高農に入学した大正6年4月に訪れた小岩井農場に植えられていたチュウリップを見たことがきっかけではないでしょうか。それについては前の記事で書きました。この時訪れた箱ヶ森から小岩井農場でチュウリップのお花畠を見て,七つ森を見たのだと考えられます。
しかも,「チュウリップの幻術」で描かれている風景は,かなり正確な観察から成り立っているように思われます。「若い研師」も「若い木霊」も,次の段階の「研師と園丁」でも基本的な風景描写が統一感を持っているからです。まず洋傘直しは,垣根のようになっているすももの並木を通って入ってきます。そして園丁が洋傘直しに気付いて出てくるのは独逸唐檜(ドイツとうひ)の茂みの中からです。ここでちょっと「チュウリップの幻術」の景色をまとめてみたいと思います。まず園丁が出てくるのは独逸唐檜(ドイツとうひ)からですが,ドイツトウヒのある方角が「北」だと思われます。なぜなら北風よけによく植えられていたのがドイツトウヒだからです。このドイツトウヒの林の方に井戸があったと思われます。研ぐのに水を汲んで来ましたね。そして北の反対側に向いて戻ってくるので南に向いています。そして午後の太陽を見てチュウリップ畑があるので陽炎が立ったり,陽の光を透かしてチュウリップを見るようですから西側にはチュウリップが見えます。「 向ふの唐檜 やすもゝのかきねがふらりふらりと踊ってますよ。」 とありますね。
これを小岩井農場を通る北へ向かう道と照らし合わせると,ある程度農園の場所が特定されるかもしれません。さらにチュウリップの試験栽培の記録などが見つかればいいのですが・・・。

誰ですか?あなたは
さて,賢治は後年「下ノ畑ニ居リマス」という下根子の下の畑では,白菜,アスパラガス,トマト,カリフラワー(花やさい),キャベツ,トウモロコシなどが植えられていたことは知られています。鶴田静の「ベジタリアン宮沢賢治」(1999)晶文社を見ると,その畑の周りを「チュウリップで飾った」と書いてあります。賢治は最初に見たチュウリップの印象が良かったのか,身近にチュウリップを置こうとした様子が見て取れます。昨日の記事で「花壇工作」の中にチュウリップが出てきます。この「花壇工作」という作品は,大正十三年頃 (1924)賢治28歳の時の作品です。この年,4月に「春と修羅」,12月に「注文の多い料理店」が刊行される記念すべき年ですね。
そのとき窓に院長が立ってゐた。云った。
(どんな花を植えるのですか。)
(来春はムスカリとチュウリップです。)
(夏は)
(さうですな、まんなかをカンナとコキア、観葉種です、それから花甘藍と、あとはキャンデタフトのライラックと白で模様をとったりいろいろします。)
院長はたうたうこらえ兼ねて靴をはいて下りて来た。
(どういふ形にするのです?)
(いま考へてゐますので。)
(正方形にやりますか。)どういふ訳か大へんにわかにその博士を三人も使ってゐる偉い医学士が興奮して早口に云った。
ということでチュウリップが病院の中庭の花壇をムスカリの青と一緒に彩ることになります。
昭和2年(1927)に賢治が花巻温泉南斜花壇を設計した計画書の手紙を事務所の冨田一に送りました。(書簡228)もともと賢治は高農の農芸化学科を出ているわけですから,花壇設計も専門分野を生かした仕事ということになるでしょう。この計画書で花を植えるのに賢治は色合いのイメージを次のように書いています。
花種は,その花期が長いことと手数少なく強健なることを眼目として選びたいと存じます。就いては当今アンテルナムを最適とすると存じられます。但し本年だけはペチュニア等の一年草によるより仕方ありません。色彩は起部で紅紫,漸次登るに従って暗紅,紅,橙,黄,暗緑を主色として之に補色的並びに隣移的色調を混じて適宜なる深さと明暗とを与えたいと存じます。
現在でも花巻温泉バラ園や賢治記念館そばの「ポランの広場」で賢治が設計した花壇を見ることができます。

小雨降るさんぽ道
それではチュウリップはと言うと,賢治の「メモ フローラ」を見るとチュウリップはヒヤシンスやムスカリという組み合わせでよく出てきます。青いムスカリが小さいので最前列,そしてチュウリップ,そしてdaffodil(スイセン)オーニソガラム(球根)と高さと色合いで重ねられます。チュウリップは賢治の花壇の中で生きています。ここでもう一度「チュウリップの幻術」のチュウリップの登場場面を見てみましょう。
此の黄と橙の大きな斑はアメリカから直に取りました。こちらの黄いろは見ていると額が痛くなるでしょう。」
「ええ。」
「この赤と白の斑は私はいつでも昔の海賊のチョッキのような気がするんですよ。ね。
それからこれはまっ赤な羽二重のコップでしょう。この花びらは半ぶんすきとおっているので大へん有名です。ですからこいつの球はずいぶんみんなで欲しがります。」
「ええ、全く立派です。赤い花は風で動うごいている時よりもじっとしている時のほうがいいようですね。」
「そうです。そうです。そして一寸とあいつをごらんなさい。ね。そら、その黄いろの隣りのあいつです。」
「あの小さな白いのですか。」
「そうです、あれは此処では一番大切なのです。まあしばらくじっと見詰めてごらんなさい。どうです、形のいいことは一等でしょう。」

白い百合咲く
今でも下ノ畑を囲むようにチュウリップの花が春先の4月に咲くといいですね。そしてそのチュウリップが終わると,桜の季節になります。
今日で一応「チュウリップの幻術」の話は終わりとします。むしろ忘れていた賢治の断片を拾い集めて自分なりにつなげる楽しみがありました。
今度辺りは「菜食主義の賢治」の話でもできたらと思います。


