fc2ブログ

自由であることの意味

日曜 2013-02-17 050-2s
もうこの絵を描いた画家やモデルも分からない。中世の作品である。しかし何というモデルの目力(めぢから)であろうか。
昔子どもの頃に会った山伏にこんな目力を持った人がいた。
一瞬で人をすくませるような,存在そのものが強く外界へ押し出してくる。
(追記)記録が見つかりました。この絵はペトリス・クリストゥス「若い女性の肖像」1470 板油彩 28×21cm ベルリン国立絵画館


さて,いつから私は自分が「自由である」ということに殊更に敏感になったのだろうと思う。
今まで私はどこか欲望という言葉には穢れが伴い,快楽という言葉には堕落が伴う香りが漂っているように感じてきた。自分の立ち位置や表現は間違いなく自分のものだが,その立ち位置や表現はかなり自分勝手だ。実は自分だけではなく,人は間違っていても,傾いていても,歪曲されていても,そんな今の自分を生きてしまっている。そして現在に至っている。人には自分の言葉やイメージを表現する自由があるし,実際に表現している。それをまた真剣に受け止めようとする人もいる。そのように相手や自然の発することをそのままに受け止める姿勢も必要だと思って,私は「全肯定理論」という考え方をしてみている。それは自然からも人からも発せられるメッセージを逃さない観察による十全な理解をもたらすものと思っていた。でもその姿勢はどこか処世術のひとつであって,望む「自由であること」とは殊更に遠いことなのだ。
どうしても自分の思っている「欲望・快楽・身体・自由」という渦のように混じり合ったものたちの関係を解き明かさない限り私は「自由」ではないと妄想するようになった。汚れた自由でも駄目で,殊更に純粋過ぎる自由でもいけない。欲望がただ満たされることが自由ではいけないし,身体が欲望と関連づけられて欲望が満たされれば快楽であってもいけない。これらの言葉は特別に私の心の中でどうしても関連が強化されて傾いた形をしていると感じている。

そんなことを感じながらピエール・マシュレー『文学生産の哲学―サドからフーコーまで―』藤原書店(1994/02)を読む。この本は実に刺激的だ。この本は次のような文から始まる。

実際,快楽と欲望の関係はけっして単純ではないし直接的でもない。身体組織が完璧に機能していると感じさせてくれる性的快楽はは内在的なものであり,純粋に自己自身との関係にほかならない。

これを私はこう理解していた。
 快楽とは,内在的で,自己自身との関係にすぎないのだ。そして快楽を調整できれば,もっと自分が解放され,自由になれるのではないかと感じていた。そしてそれは資本主義的な欲望に強化され続けた自分の欲望を遠ざけることで調整できるとも感じていた。だから自分に取れないくらいに貼り付いている欲望を一枚一枚「剥ぐ」ことで可能となると思っている。

 どうやら私の勘違いは,欲望を満足させることが快楽だと思っていたことだった。むしろ私の中で欲望と快楽との関係が心理的に強化されすぎていたことが原因だったと,今は思う。192ページに行き当たった。

したがって,快楽とは欲望の充足だと考えることは絶対にやめるべきだし,快楽と欲望を結びつけている自然な関係も断ち切らなければならない。そして快楽と欲望を対立させ,快楽は欲望の根源的な否定を前提にするものだと考えるべきである。

もう一度言おう。「快楽は欲望の根源的な否定から成り立つのだ」

どうだろう。これからの世界は欲望の否定から出発できないだろうか。
自己に立ち返り,もう一度「欲望・快楽・身体・自由」の関係を見つめ直すことで戦争の終結に辿り着けないだろうか。
戦争が始まってもう半年も経ちました。


スポンサーサイト



コノバショカラ

DSC_5835_6_4_tonemapped-7s.jpg
水没してから8日ぶりにやっと田んぼが姿を見せた

7月15日から16日の豪雨で水没した伊豆沼2工区,3工区の田んぼが8日目にしてやっと姿を現わしてきた
農作物だけでも被害は6600ヘクタール,その被害総額は22億9000万円になるという出穂期を迎えようとしていた稲が大丈夫なのか心配だ。褐色に変色した稲が水の中から穂先を出していた。
ここ伊豆沼周辺も数百年,千年以上も人々は水害や旱害などの自然災害に悩まされ続けて来た。伊豆沼は江戸時代から悪水池としての洪水予防のため池代わりに思われてきた。だからといってあきらめるわけにもいかない。毎年豊かな稔りを信じて身を粉にして働き続けているのだ。ここは近世以来,三年に一度の収穫と言われるほどに厳しい自然との闘いの場でもあった。水没した田んぼから顔を覗かせている溺れ死んだ稲を見るのは辛い。

DSC_5768_69_70_tonemapped-7s.jpg
今朝の伊豆沼

ここから逃げるのか
ここから逃げずにまた始めるのか
田んぼでも生き方でも同じだ
再び立ち直るしかない
歳を経るに従い希望は実は辛抱であったと感じるだろう
希望という言葉に引きづられて明るい未来を感じ取ろうと努力する
そんな再生の物語は何度も語られ,そして繰り返されてきた

DSC_5690_1_2_tonemapped-7s.jpg
今朝の伊豆沼

まず日の出の時刻に起き,仕度を調えよ
自分の仕事を探し,汗をかけ
贅沢はせず一汁一菜で過ごし
美しい夕焼けを探せ
何も宮沢賢治が言わなくても
私たちはこの世の労働者である



自由への道のり

DSC_2169_70_71-7s.jpg
栗駒山お彼岸の入り日 昨日3月22日

村上龍「コインロッカーベイビーズ」(1980)肉体を振り切るためにバイクで疾走する
浅田彰「逃走論」(1986)システムからの軽々とした逃避行
村上龍「TOKYO DECADANCE」(1991)社会的な信用など何も期待できない。映画の始まりのセリフは「俺を信用しろ」

これが40年前の自由への道のりのイメージだった
身体を振り切るほどのスピード感,ドラッグ,社会システムへの反抗,または飄々とした飛躍遁走,他を圧するグルーブ感をもって連射される言葉。
これらの自由へのイメージは実は自分の身体を中心として展開してきた。つまり自分の身体への違和感ではなく,自分の身体で感じる苛立ちを開放させるという自由だった。つまり自分の身体への絶対的な信頼がまずあって,その身体感覚をどのように遠くまで,限界そのものを超えるかが自由を語るスタート地点と言えた。

先日,ラジオの対談番組で,ある声優が「肉体はいらない」と言っていた。「肉体を脱ぎ出したい」と言った。つまり様々な作品の役に徹するために魂ごと作品のキャラにしっくりとはまり込みたいという意味から出た言葉だった。そのためには肉体はいらないという実に仕事に対しての真面目な態度がそう語らせていたのだ。肉体という枷(かせ)を易々と抜け出して大切な魂だけが行き来できるようにしておく。この思いは声優という職業への没頭から自然と出てきたイメージだけれど,実におもしろい。現代の人々の自由へのイメージが身体を脱ぎ捨てた魂の運動として凝縮しているからだ。この考えはまずコロナやトランスジェンダー問題から忠実に道を辿っていくと身体から魂が抜け出る運動が着地点として用意されているように私には感じた。一体今の「バ美肉」という現象は憑依し,性転換を可能にし,ボイスチェンジャーで性を無化させている。そのキャラの立ち具合が魂の成熟への道程といやにシンクロしているのだ。これは魂だけは自由で,健康で,オリジナルでありたいという人々の願望を,身体の形而上学が導き出した答えでもある。いわゆるとりあえずVチューバ-という憑依した魂の運動空間へと増殖している。

自由にとって身体とは何か。性を伴う身体の自由とは何か。
実はこれと同じような課題を仏教の教義は伝えていた。法華経の龍女成仏の話である。女人が死んだ場合,成仏させるために一旦男に性転換させた上で成仏させるという方法である。現代では考えられない偏見だが,Vチューバ-のやっていることと実に似ているなと感じた。昔も今も,自由への道のりは実に切実で,エモーショナルで,創造的である。


新・逃走論-冒険家角幡唯介の実践-

DSCF8129s.jpg

先日,冒険家角幡唯介(かどはたゆうすけ)の話をラジオで聞いた。
そして,自分が望んでいた自然への接近のスタイルは「これだ」と感じた。腑に落ちたのである。
彼の口からは「システムの外」と言う言葉が何度か出て来た。「システムの外」とは,まさにこの「新・逃走論」で取り上げてきたテーマでもある。がんじがらめのこの世の中の息苦しさを粉砕し,人がより自由で,開放された感覚で生きるためにはどんな実践が必要なのだろうか。冒険家角幡唯介は自身でそんな問いを立てて,冒険の中で自らの自由を証明しようとしている。冒険というものが自由という思考のステージ上で語られること自体が私にとっては新鮮で実に好ましい方向性だと感じた。

 山登りはかつてその意味を問われた時には「そこに山があるから」と意味不明なことを人は語ってきた。自由の証明のために冒険をするという言い方は過去にあまりなかったのではないだろうか。山登りに限らず,極地行や探検と称される行為はそのものにかつて誰も為されなかったものに挑戦するという価値があった。その価値に探検家は魅了されてきた。しかし冒険家角幡唯介は新しいことをやり遂げる価値だけではなく,「自由」という尺度もってきた。その点では彼はより芸術家なのだと思う。これは冒険という自己実験なのだ。思考実験という言葉はあるが,まさに自分自身を酷使する可能性の実験場が冒険なのである。

DSCF9702s.jpg


 冒険家角幡唯介のこうした実践の一つに「地図無し登山」というものがある。彼は,日高山脈に地図なしで入山し,道なき山々を,それこそ獣のように歩きまわるという山登りのスタイルを取る。彼はこの山登りのスタイルを「漂泊登山」と名付けている。計画も立てず,地図も持たず,情報も仕入れず,いきなり2週間分の食料だけを持って山に入り,沢を詰め,尾根をよじり,ピークを過ぎ,山を彷徨う。
大体が,なぜこの「地図無し登山」に価値があるのかと思う。
私たちは普通山登りをする場合,まず計画を立てる。どのルートがよいか,どこが危険か,何処に泊まるか,また,地図を見て十分に山行をイメージしてから出かけて行く。更に事前に十分現地の情報を集めて出発する。そして計画通りに山に登って下りてくる。そうした登山が当たり前で,安全だと私たちは信じてきた。
 ところがである。そうした登山のための様々な準備が私たちの行動を却って縛ることとなり,自由な判断や行動を制限させて,本当の山の姿を見ず,自分がイメージした通りの画一的な印象に留めさせていると考えることもできる。実際角幡はそうしたピークハントの目的だけに引き摺られる登山が本当の登山なのかと考える。自分のもつ情報に引き摺られ,計画に縛られ,最後には地図の読図に引き摺られる山登り。計画,準備,実行,反省というビジネスのフローチャートをただ援用した山登り。そこに自然探求者の山行は自由を標榜するなどと言えるのだろうか。角幡の登山はこうした西洋アルピニズムと称される,概念的で,通り一遍な山登りを再吟味し,自分を縛り付ける方法を一つ一つはぎ取っていく。
 つまり,計画は立てない,情報を仕入れたりしない,地図を持たないという角幡の登山スタイルが出来上がる。

DSCF9504-7s.jpg

また,何のためにそんな登山スタイルかと思う。
つまり角幡は,山の全てを感じ,その場その場で判断するような山と自分が純粋に対峙することこそが山の本当の味わい方だと言っているのである。事前の計画立て等の偏見や先入観をもって山に入ることは,却って自然の本質を見逃すこととなるという彼の徹底した考え方が「地図無し登山」には伺える。計画時の先入観や得た情報の偏りで,勝手に目的をねつ造してしまい(ルートファインデングか),その目的のために却って思考や体験が引きずられてしまう怖れがあると考えるのだ。

彼は自らのブログにこう書いている。
「また闇の世界(これは極夜探検のこと)は視覚が制限されることで未来に対しての確かな予測ができなくなる。つまり明日、明後日に自分がどこにいるのかわからなくなっているかもしれないという生存不安を常にかかえているため、将来に対する確かな存在基盤をもつことができない。現在という一点で時間が断ち切られており、未来が予測できないという状況に陥っているわけだ。

 地図無し登山でも同じような感覚を味わった。闇夜と同様、地図がないと現在位置が同定することができないため、山頂まであと何日かかるのか、そもそもどんな山頂が待ち受けているのかするわからない。山という自然の本源が露わとなり、将来に対する巨大な不安となって襲い掛かってくるのだ。」タイトル「今回の長~い報告」(2018.6.4)

 地図無し登山で明らかになったことは闇夜での極夜探検に似た未来予測不能感覚であるという。自己同定作業が不可能な状態(今自分が何処にいるのか分からない)で,自分の現在位置が分からないことはそのまま未来がどうなるか分からないという不安に始終悩まされ,将来の生存不安に苛まれるという。

彼のこれらの壮大な実験とも言える一連の冒険は,我々の感覚が自由であることへの大切なステップを刻む記録となっていると考えてもいいと思う。


新・逃走論-中立への指向-

DSC_0500s.jpg

徒党を組むことは,室町以降に専門職や団体での財力を基礎とした勢力図を急速に張り巡らしていったのだろう
この室町以降の「悪党」と称する階層の出現はほぼ資本主義と言ってもいいだろう
これと同時に聖なる地位を与えられていた寺社,聖(ひじり)等は一基に徒党の勢力図の中に吸収され,再配置されていった

あいつは誰の派閥にいるのか,何派なのか。
勢力図の中に再配置された者は,その既得権益を最大限に使ってよりうまい汁を吸う。
私たちはこの世界をなんという民主主義社会にしてしまったのだろうかと,コロナであぶり出された現状を見て誰もがそう思っている。

DSCF4039s.jpg

思い返せば,今までの飢饉等の非常時に,役人の権力を使った不正はいつも浮き彫りにされてきた。飢饉等の非常時の為に備蓄された米が勝手に転売されていたりしていた。苦しんでいたのはいつもそういった権利も権力も持たない平民であった。まさに現代の役人の不正とぴったりと重なり合っている。

もうここまで来れば,一人でやるしかない。
孤軍奮闘の末,討ち死にすることも辞さない構えで生きていく。
大地主齋藤善右衛門に向かい立った矢後利明という人がいた。
過去の拙記事 「農民の力―矢後利明―」を読んでほしいと思います。
不正を甘受するか,揶揄して終わるか,それとも戦うか。

DSC_0476-7s.jpg

どれも難しいことである。
浅田彰が「構造と力」の後,「逃走論」を出したのは1986年でした。もう35年も昔のこととなってしまいました。
社会の束縛とやらを意識していた血気盛んなあの頃の青年達は,これもあの頃言われていた村上龍の言う「システム」からの自由だの,様々なポストモダンの繰り広げる動向を尻目に仕事に就き始めていきました。そしてやがて私も,無骨なる沈黙という方法で仕事と家庭の中に埋没していきました。そして人は年を取り,仕事を退職し,また組織から抜けていきます。そんな初老のシルバー世代は年金生活に入ります。そこで何ができるというのでしょうか。
不正を甘受するか,揶揄して終わるか,それとも戦うか。
この問いは繰り返されているのです。

少なくても個人が無派閥,中立指向,基盤づくりから,何かしらの旗を掲げるまではあきらめてはいけないと思うこの頃です。