2021/05/20
宮沢賢治「小岩井農場」解読⑭-雨ニモマケズ手帳の庚申-

雨ニモマケズ手帳のp165に書かれた庚申の文字
急に先回から庚申の話を始めましたが,一つは賢治の詩の中に「昴の塚」という言葉があり,それが庚申塔(塚)の別称だとする文章を見つけました。果たして「昴の塚」が本当に庚申塔だと言えるのか,賢治自身がそう言っていたのか,それとも花巻地方では庚申塔(塚)を「昴の塚」と言う習慣があったのか,とにかくわたしには初耳でした。そこで気になって現在調べています。まずは春と修羅第三集の中の「秋」です。
七四〇 秋 一九二六、九、二三
江釣子森の脚から半里
荒さんで甘い乱積雲の風の底
稔った稲や赤い萓穂の波のなか
そこに鍋倉上組合の
けらを装った年よりたちが
けさあつまって待ってゐる
恐れた歳のとりいれ近く
わたりの鳥はつぎつぎ渡り
野ばらの藪のガラスの実から
風が刻んだりんだうの花
……里道は白く一すじわたる……
やがて幾重の林のはてに
赤い鳥居や昴(ぼう)の塚や
(後略)
ではどうして賢治自身の他の作品には「庚申」というタイトルもあるのに,ここでは「庚申塔(塚)」とは言わず,「昴の塚」という使い方をしていたのでしょうか。不思議です。
雨ニモマケズ手帳には五庚申や七庚申の文字が見えます。その余白にうっすらと書かれていることも確かめるために全集を見てみました。

五庚申七庚申の文字の上には右から石碑のようにして「早池峰山」「湯殿山月山羽黒山」「巌鷲山」とあります。
また隣のページには太く白抜きの文字で左に「湯殿山」と書かれています。同じ庚申塔でも五庚申も七庚申は少し珍しい部類に属します。一年の内に五回しか庚申の日がないという五庚申。七庚申は一年で七回も庚申の日が訪れるという意味で,大体が一年間で六回,庚申の日が訪れる普通の年とは違って五庚申,七庚申の年に行に励めば,御利益倍増と言われてきたようです。
賢治がこのように五庚申,七庚申を書いているということはこのような特別な意味も理解していたからでしょう。

それにしてもです。
なぜ賢治は庚申塔(塚)を「昴の塚」と言い換えて使ったのでしょうか。
庚申信仰がどこかで星の「昴(スバル)」と結びついているように理解していたのでしょうか。「庚申縁起」等も見ましたが具体的に星のスバルとの関連はつかめませんでした。それとも二十八宿の中の「昴(ぼう)」の意味なのでしょうか。二十八宿の中の「昴(ぼう)」は方位的には真西を意味します。

この詩「秋」の題材になっている花巻市鍋倉春日神社にある石碑群を見れば何か分かると思います。
わたし自身は,二十八宿の「昴(ぼう)」にあたる真西,即ち西方浄土を願う信仰から供養塔一般を「昴(ぼう)の塚」と言ったのではないかと推量します。庚申塔(塚)だけを「昴(ぼう)の塚」と限定することはできないのではないかと考えました。星の好きな賢治ですから「昴の塚」を星のスバルの昴と関連させているのかと期待しましたが,勉強不足です。機会があれば改めて調べ直したいと思います。