夜の魅力

晴れた日曜 191-2s
先が見えない橋を行く


夜の撮影が終わり,帰路につく。
するとこの景色が車窓からちらりと見える。橋です。前から気にはなっていました。
車を止めて,じっと眺める。
先が見えないことを人は嫌がるけれど,どうせ先は見えないのだからと考える。そしてこの先まで歩いて行った。

夜の魅力は,暗い奥や暗い奥からやってくるものを楽しむこと,星も,鉄道もそうだとくくってみる。



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木を植えるということ

栗駒1月最後 256-2s
雪の中のブナ

子どもの時だった。
山を歩くのは怖かったが,その色に導かれるままに辿り着いた。
導かれたその色は白い山桜の幼木だった。
その小さな桜の木をわたしは夢中で掘り起こした。
そして家の空き地に植えた。
どうしてそんな気持ちになったのだろう。

しかし,桜の木は育たなかった。
わたしはその悔いを持ったまま大きくなった。
あんなにきれいな花だったのに・・・。
わたしはどうして枯らしてしまったのだろう。

ときどき,ふと考える。
木を植えるということは子どものわたしにとって何だったのだろう。

栗駒212 079s
吹雪やまずブナ黙る


「お母、おらさ杉苗七百本、買って呉ろ。」
 虔十のおっかさんはきらきらの三本鍬を動かすのをやめてじっと虔十の顔を見て云いました。
「杉苗七百ど、どごさ植ぇらぃ。」
「家のうしろの野原さ。」
宮澤賢治の「虔十公園林」です。
虔十はどうして木の苗を植える気になったのでしょう。宮澤賢治は,虔十のことをどう書いているのでしょう。
 風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るときなどは虔十はもううれしくてうれしくてひとりでに笑えて仕方ないのを、無理やり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながらいつまでもいつまでもそのぶなの木を見上げて立っているのでした。
林の中を歩くことが嬉しくて嬉しくてたまらないのです。葉が風に揺れることも,その葉がこすれ合って立てる音も,落葉した葉の色も,カサカサと立てる音も,たまらなく好きなのです。
無条件に好きでたまらないこと。木々の全てがそのままで大好きなのです。

ブナの力2

虔十をそんな気持ちにさせているものは何でしょう。
物心も付いていないわたしがなぜ子供心に山桜の木を近くに植えようとしたのでしょう。
ただ好きになるということがどうして木と関わって出てくるのでしょう。

ブナの林

虔十のつくった貧相な杉林は子ども達の遊び場となり,多くの子どもに安らぎを与え続けました。
鉄道が通っても,チフスで死んだ虔十の形見だからと言って,家族は林を守り続けました。林の回りはすべて町の景色に変わっていきました。

さて賢治はこの話にどんな落ち着きをもたらそうとしたのでしょうか。
子どもの頃,虔十の林で遊んで育ったアメリカ帰りの大学の博士になった若者がこう言うのです。
その虔十という人は少し足りないと私らは思っていたのです。いつでもはあはあ笑っている人でした。毎日丁度この辺に立って私らの遊ぶのを見ていたのです。この杉もみんなその人が植えたのだそうです。ああ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。ただどこまでも十力の作用は不思議です。ここはもういつまでも子供たちの美しい公園地です。どうでしょう。ここに虔十公園林と名をつけていつまでもこの通り保存するようにしては。」
この言葉の中の「ああ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。ただどこまでも十力の作用は不思議です。」

人はすぐ役に立つか,立たないかで決めます。
しかし,虔十の木を植えたことはなんの役にも立たないことだと言われ続けました。そして20年も経ちました。そして林で遊んで育った人たちは大切なものが何かが分かったのでした。



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雪の朝

雪の朝 018-2s
雪の朝


白い朝に心なごみました



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11月のさんぽ道

霧深き日曜 232-2gs
いつものさんぽ道は霧の中

この世を再読み込みしたいという気持ちにかられる。
しかし再読み込みした世界はもっと厳しいとも感じる。

霧深き日曜 064-2s
霧の中のマガンの飛び立ち

詩で再読み込みをしたら詩から見える世界が読み込まれる
文学で再読み込みしたら文学から見える世界が読み込まれる

霧深き日曜 218-2gs
霧の林

カテゴリー別に読み込んだ世界はどうなっているのか
誰も見たことはない

霧深き日曜 239-2s
米を作らなくなった田んぼ

どんなことを確かに読み取ればいいんだろう。
述べたこと?
語ったという事実?
ただしゃべるという事実?
方法や内容や形式はあまりに入り乱れている。

霧深き日曜 270-2s
最後に鉄道写真

終わらせるために引用してみる。
「すべての言葉はそれ自体として罪があり,したがってかならず罰せられるし,罰せられなければならない。」
言葉は間接的すぎると言いたいのだろうか?


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