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伊豆沼読書会5月定例会終わる

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雨の夕方

昨日6月5日伊豆沼読書会が開かれました
・入会(いりあい)地としての伊豆沼
・「鳥と人間のどちらが大切か」―ふゆみずたんぼの行方
・伊豆沼八景作成について
について話合いをしたり情報交換を行いました

次回は6月25日(土)10:00~
「新田の自然と魅力について―顕微鏡で見る小さな生き物たち―」
新田公民館
講師 向井康夫(むかい*いきもの研究所)
公民館主催の行事です


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伊豆沼八景をつくる-伊豆沼読書会話合いの提案-

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氷の造形  1月13日吹雪が止んで 蕪栗沼

今日は伊豆沼読書会での協議事項を載せます。
伊豆沼読書会では1月29日土曜日に「伊豆沼八景をつくる」話合いを行う予定でしたが,オミクロン株の感染急拡大のため,書面にての協議に変更することになりそうです。
そこでこの記事にて「伊豆沼八景をつくる」前提部分を提案します。
12月の会合では皆さんから私の伊豆沼の好きな場所を書いていただきました。1月はそこから話合いで煮詰めていく予定でした。

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朝の飛立ち 1月13日朝 蕪栗沼

八景については昨年に長沼八景を紹介しました。昔から「瀟湘(しょうしょう)八景」の「平沙落雁,遠浦帰帆,山市晴嵐,江天暮雪,洞庭秋月,瀟湘夜雨,烟寺晩鐘,漁村夕照」という視点がで取り上げたわけです。この視点から選ばれた近江八景がまず第一の視点です。つまり「落雁,遠浦帰帆,山市晴嵐,暮雪,秋月,夜雨,烟寺晩鐘,漁村夕照」を基にして選ぶ方法です。

全国の八景を見ますと,必ずしも昔からのこの八つの視点にこだわることなく,人気投票やアンケートで決めることもできます。

私は更にこの八つの場所選定の視点をただきれいな景色だけではない,意義ある風景にできないかと考えていました。
その結果,「観無量寿経」というお経に掲げられている16の修法を八景の中に取り入れる方法を思いつきました。つまり出来上がった伊豆沼八景を実際に見て回ることがそのまま正観(物事を正しく見る方法)の習得となり,八景を見た人にとって「浄土への誘い」となるように組み入れてみました。

まず,「観無量寿経」というお経に掲げられている16の修法というのはどういう修法なのでしょう。説明してみます。
「観無量寿経」というお経はお釈迦様が弟子達に分かりやすく教えを説く様子が問答様式で書かれています。そこには,浄土の素晴らしいありさまや浄土へ往生するにはどうしたらよいか,そして浄土へ往生した人の幸せが説かれています。私たちが浄土を正しく思い浮かべ,どのような修養を重ねればよいかが書かれています。
その訓練は簡単に言うと,次のようになります。

1 日想 夕陽を見て,眼を閉じその夕陽を身体の中に取り入れる
2 水想 清らかな水を見て,その瑠璃色の水を身体の中に取り入れる
3 地想 広々とした大地を望み,その美しい大地の成り立ちを身体の中に取り入れる
4 樹想 美しい青々とした並木の中にいて,その樹樹の清涼さを身体の中に取り入れる
5 八功徳水 蓮の中にいる自分を思い浮かべその水の清らかさや光り輝く蓮の花の馥郁たる香などを身体の中に取り入れる
6 総観想
7 華座想 蓮の中にいる自分
8 像観 観世音菩薩,勢至菩薩などの姿を一つ一つ思い浮かべ,自分の身体の中に取り入れる

景色を見つめることでこれらの想観が積極的に促(うなが)されるような八景の地点を選定していけばよいわけです。具体的には以下のようになるでしょう。
1 日想 夕陽を見て,眼を閉じその夕陽を身体の中に取り入れる-伊豆沼で夕陽が最も美しい場所
2 水想 清らかな水を見て,その瑠璃色の水を身体の中に取り入れる-伊豆沼で間近に水の美しさが感じられる場所
3 地想 広々とした大地を望み,その美しい大地の成り立ちを身体の中に取り入れる-伊豆沼全体が美しく眺められる場所
4 樹想 美しい青々とした並木の中にいて,その樹樹の清涼さを身体の中に取り入れる-伊豆沼で樹木を堪能できる場所
5 八功徳水 蓮の中にいる自分を思い浮かべその水の清らかさや光り輝く蓮の花の馥郁たる香などを身体の中に取り入れる
        -伊豆沼で,蓮の群生を体感できる場所
6 総観想
7 華座想 蓮の中にいる自分
8 像観 観世音菩薩,勢至菩薩などの姿を一つ一つ思い浮かべ,自分の身体の中に取り入れる

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ハクガンの凛々しい姿 今朝1月14日 伊豆沼

どうでしょうか。
景色を見てじっくり堪能することがそのまま浄土への誘いとなり,一人一人が正観を得る訓練ともなるという視点。

こうした八景の前提を読書会の皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。

これを読んで感じたことや日頃思っていること,八景についての意見をご連絡いただければそれをまとめて,また皆さんにお返しいたします。





水辺にて

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水辺にて―長沼

坂を下りていく
下りきったところが船着き場である
なめらかな水面を目を細めて眺め回すと妙に落ち着いてくる
目の焦点が合っていないというのか,茫洋とした水の上では焦点が合わせにくいのである
そして自分の心もちが水面に投げ出されてしまう
これを放下というのかどうか,水面に映し出されている雲も青空も水に落ちてきてそのままである
自分もすべて水に落ちていって写っている

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水辺にて―長沼

女の笑い声が聞こえた
その声は水の上を走って来たようだ
目で探してみるが,しばらくして笑い声の主を向こう岸の東屋の近くに見いだした
距離はこんなにも離れているのに何故かすぐ近くで笑っているように聞こえる
水の上では遠さ近さが無化されるのだ

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水辺にて―長沼

水辺の写真を撮るとそのくぐもった変化の無さがかえって快い
コントラストなどを上げなくてもいいのだ
誰でもそうだろうがこの世界では自分の居場所のために,また他との違いをはっきりさせるために,めりはりを付けるためにコントラストを上げる
しかし水辺の世界では自分が,自分が,と我を張る必要もない。水に写る世界に溶けていくことは一次元下りていくことになるからだ

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水辺にて―長沼

猶をりをりは縁側より微に見ゆる沼を望みてかのみどりの松の蔭にかの袖ちゃんは居るなりと思いぬ。
ことに秋のよく晴れたる夕など,その沼の上の松原の翠の上に白き赤き雲のおもしろくかかれるをみて,今頃は袖ちゃんはあの雲を見ながら小き白き犬と遊びて,居るならんと想像しぬ。           田山花袋

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水辺にて―長沼

今はもう干拓して広い田となったが,姉取り沼という沼があった。
姉が沼で洗い物をしている間に行方知れずとなった。それからというもの妹は姉を探して毎日毎日沼のほとりで泣き暮らしたという。

水辺はまた哀しい物語が生まれる場所でもあった。
静か過ぎるゆえか今は水神の小さな社も濛々とした靄に消えかかっては見えている


伊豆沼読書会のお知らせ

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朝 11月13日

伊豆沼読書会のお知らせです
お話会「鳥・蓮・水辺の文学」
講師 山田悦且さん
11月21日(日)午後1時30分~
登米市伊豆沼・内沼サンクチュアリーセンター淡水魚館
文学の視点から伊豆沼の新しい見方を探ります

何か始めたいと思っているあなた
鳥が好きなあなた
本が,読書が好きだというあなた
来てみませんか

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霧の朝 今朝11月14日





西郡(錦織)の八景について

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堂山坂 満月に雲流れる

縁あって東和町錦織に通っている
登米郡史の中の西郡(錦織)の八景をこの眼で確かめ,味わいながら記録したいと願っているからです
その土地の持っている魅力は実に多彩で,風景を見るだけでも心にしみ入るものがある。
田舎を何にもないとぼやくだけではなく,もう一度見つめ直してみることも大切なことで,現在私が取り組んでいる「伊豆沼の新しい見方」連続講座も,故郷を誇りに思う視点を一人一人が見い出していこうという考えです。
あまりに資本主義が進み,まるで私たちが住んでいる故郷が金のない貧しい所だという思いが蔓延しているのはあまりいいことではありませんね。

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渡し場 中田町側から満月の錦桜橋を望む

今探しているのは嵯峨立地区にあるという幻の蛙石岩(びっきいしいわ)です。
登米郡史の中にここから朝陽を見ると不思議な現象が起こると記述されています
何でしょう
それを突き止めたいです

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朝霧立つ北上川

今朝の伊豆沼は3℃
見事な霧の風景からマガンが飛び立ちました
すばらしかったです