2022/09/14

今朝のさんぽ道
記事ではサドの話が続いていますが,今日は全く違った「昔語り(民話)」の話です。
9月4日まで「かま神さまとそのなかまたち展」をやっていた折のことです。「「かま神の起こり」という昔話があるので実際のかま神を見ておきたい」と県南の男性が来られました。聞けば「みやぎ民話の会」の会員だそうで,次々と楽しい話で盛り上がりました。その中で私は
小野和子さんに会ってお話を聞きたいと言いました。ここ伊豆沼のある新田は昔語りの「伊藤正子さん」の故郷です。その伊藤正子さんの話を一番熱心に聴いたのは
小野和子さんだったと思っています。そんなこともあり,
小野和子さんには一度お目にかかりたいと思っていました。
本棚から
小野和子「あいたくて/ききたくて/旅にでる」を取り出して早速読み始めました。久し振りに読み終えるのが惜しいと思える一冊でした。ゆっくりと味わうように読み進めていきました。それでももったいなく思えて,また少し戻ったりしながら一話終える毎に外の景色を眺め深くため息をつき,はやる心を落ち着かせながら読みました。こういう味わい深い
本は珍しいと思います。これは
小野和子さんの民話への深い敬愛の情から来るものなのでしょう。

2019年12月21日発行2021年三刷 パンプクエイクス発行
小野和子氏が80歳になった折りにその記念にと40部限定でつくったことがこの
本のきっかけだそうです。
「あの人の話を聞きたい」と思う人が誰にでもあるでしょう。
私は小野和子さんなのです。
1934年生まれの彼女は今年88歳で米寿のお祝いなのでしょうか。彼女の昔話を探す姿は頑固一徹とも言えます。まずひたすら歩きまわるのです。普通は初めて訪れる土地では,まず現地の情報を得て,土地の見当を付けてから出掛けるものですが彼女の民話の探し方は「無手勝流」と自身が言うように初めて訪れた土地を全身で感じ取り,そこから一軒一軒訪ね歩くのです。よくこんな方法で民話を50年以上も探し続けたと感心します。しかし考えてみれば,たった一人初めて訪れた土地で全身の感覚を研ぎ澄まして探検することこそが何の偏見もなく,その土地と住む人を無条件に受け入れる最も良い方法かもしれません。よそ者の彼女にとってはこの無骨とも言える,ある意味効率的な民話の採集方法を一切排除したところから始まることが訪ね歩く土地とそこに住まう人への礼儀だと一貫して考えていたことです。
なぜ彼女は敢えてこんな方法で知らない土地を50年以上もかけて訪れ続けたのだろうか。
彼女の方法は以前書いた冒険家角幡唯介の斬新な登山スタイルを思い浮かべる。ちょっと引用します。
冒険家角幡唯介のこうした実践の一つに「地図無し登山」というものがある。彼は,日高山脈に地図なしで入山し,道なき山々を,それこそ獣のように歩きまわるという山登りのスタイルを取る。彼はこの山登りのスタイルを「漂泊登山」と名付けている。計画も立てず,地図も持たず,情報も仕入れず,いきなり2週間分の食料だけを持って山に入り,沢を詰め,尾根をよじり,ピークを過ぎ,山を彷徨う。
大体が,なぜこの「地図無し登山」に価値があるのかと思う。
私たちは普通山登りをする場合,まず計画を立てる。どのルートがよいか,どこが危険か,何処に泊まるか,また,地図を見て十分に山行をイメージしてから出かけて行く。更に事前に十分現地の情報を集めて出発する。そして計画通りに山に登って下りてくる。そうした登山が当たり前で,安全だと私たちは信じてきた。
ところがである。そうした登山のための様々な準備が私たちの行動を却って縛ることとなり,自由な判断や行動を制限させて,本当の山の姿を見ず,自分がイメージした通りの画一的な印象に留めさせていると考えることもできる。実際角幡はそうしたピークハントの目的だけに引き摺られる登山が本当の登山なのかと考える。自分のもつ情報に引き摺られ,計画に縛られ,最後には地図の読図に引き摺られる山登り。計画,準備,実行,反省というビジネスのフローチャートをただ援用した山登り。そこに自然探求者の山行は自由を標榜するなどと言えるのだろうか。角幡の登山はこうした西洋アルピニズムと称される,概念的で,通り一遍な山登りを再吟味し,自分を縛り付ける方法を一つ一つはぎ取っていく。
つまり,計画は立てない,情報を仕入れたりしない,地図を持たないという角幡の登山スタイルが出来上がる。
冒険家角幡の考える対象に向かい合う純粋さ。この対象に対する純粋さを小野和子さんも実に大切にしていたと思われます。これが訪ね歩く「よそ者」としての小野和子ができる精一杯の一個の人間として,対象に向かい合う真剣勝負だったのでしょう。

映画「うたうひと」から 左が小野和子さん,右が昔語りの「伊藤正子さん」小野和子さんは民話を引き出すのが上手でした
こんな逸話が書かれています。
昔語りを聞く時に放送局や新聞社の人が同席することがあり,放送報道関係の人が「小野さん。私たちの名前をどんどん使って下さい」と言われたそうです。放送局や新聞社の名前を出せばより効率的に事は運びます。しかし,小野和子さんは終始一貫してそのような権威を利用することはなかったと書いてあります。ここにも小野和子流の権威や権力など一切使わない,誰にも頼らず自分一人で一対一で出会った人々に向かい合おうとする純粋さが見て取れます。なんという情熱かと思います。

神社を掃除する
たった一人で,半世紀も未知なる土地を民話を探し続けた彼女の話は深く人の心を揺すぶります。
どこか宮
本常一の「忘れられた日本人」の持つ昔の日本の尊い思いを見せられた気になりました。