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伊藤正子の昔話を読む-兄弟物 忠兵衛と忠太郎③永浦誠喜との比較-

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夜明けの天の川

さて「伊藤正子の昔話を読む-兄弟物 忠兵衛と忠太郎③」です
兄弟物の「忠兵衛と忠太郎」を,まずは伊藤正子の語りで,次に全く同じ「忠兵衛と忠太郎」を永浦誠喜の語りで読んでみました。
そして今日は,二人の「忠兵衛と忠太郎」を比較してみます。
まずは,二人の話の決定的な違いに気付かれましたか。そうなんです。兄弟は兄が忠兵衛で,弟が忠太郎ということまですっかり同じですが,兄と弟の役割が正反対なのです。伊藤正子の話では,兄が山賊になり,弟が正直者です。永浦誠喜の話では,兄が正直者で,弟が山賊なのです。同じルーツを持つ二人の話なのに,どうして正反対の設定にして,語ってきたのでしょうか。今日はそれについてお話したいと思っています。まず二人の語りの違いを分かりやすくするために表にしてみました。

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伊藤正子の昔話を読む-兄弟物 忠兵衛と忠太郎②-

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天の川を駆けるISS

伊藤正子の語る「忠兵衛と忠太郎」は如何でしたか。結構丁寧に読めば,時間もかかりますね。
伊藤正子の「忠兵衛と忠太郎」は,文字数にして3281文字で,ゆっくり読んでも15分はかかります。内容描写も的確で,丁寧に語られ,構成の緻密さが感じられる話になっています。この話に限らず,伊藤正子の語りは,丁寧で細部まで行き渡った背景まで語られ,聞く者に寄り添ってよく理解されるように語られていきます。
今回の「忠兵衛と忠太郎」について比較してみても,伊藤正子の「忠兵衛と忠太郎」は,3281文字,永浦誠喜は,1395文字となっており,伊藤正子の話は,永浦誠喜の語りの2.5倍弱に達しています。
伊藤正子は,よふさんの娘であるよしのさんを母として昔話を聞いてきました。つまり母から娘へ,そしてまたその娘へと三代にわたる母からの直伝という伝承経路です。普通は,昔話も経由地(人)が多くなるほど変異は進む確率は高くなるでしょう。しかし,むしろここで注目したい点は,伝承経路が,女性同士の空間を伝っているということ。女性ならではの社会環境を受けながら話も進化していったことが考えられます。女性として,嫁に行って家庭を持つこと,母になること,子どもを育てる事などの社会環境を受け入れて生きる女性の智恵が,昔話の伝播と重なり合いながら語られていたということです。語り手は,常に昔話を聞いてくれる相手に(男性だったら男性,女性だったら女性)配慮しながら,相手の幸せを願いながら語っていたことがこのことから分かります。
その語り手と聞き手の間に生まれる,かけがえのない空間が,相手を大切にしてあげる配慮に満ちていたのです。
それでは,今度はよふさんから内孫として直接聞いてきた永浦誠喜さんに,伊藤正子さんと同じ「忠兵衛と忠太郎」を語っていただきましょう。聞いた後で,二人の「忠兵衛と忠太郎」を比べて見て下さい。あれっ。と気付きます。

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伊藤正子の昔話を読む-兄弟物 忠兵衛と忠太郎-

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灯台の光 3月20日撮影

夕方にまだ雁の声がします
声のする方を見ますと,三羽の雁がくっつくように飛んでいました
もう北へ帰るよと残っている仲間に知らせているように感じました

さて,伊豆沼読書会は,今年,「伊藤正子の昔話を読む」というテーマで新田出身の昔語り伊藤正子の語りをもう一度皆で味わっていこうと取り組み始めました。伊藤正子さんは大正15年(1926)生まれ,平成29年(2017)5月31日に亡くなりました。享年92歳でした。あと3年で伊藤正子生誕100年という記念すべき年を迎えます。97年前の人を再度取り上げるのは,何よりも伊藤正子さんが優れた昔語りであり,その昔話の数々が今に伝えられているからです。
これから何回かにわたり,伊藤正子さん自身が文字に起こした昔語りを紹介していきます。
今日は,聞いた人達が皆,もう一度あの話を聞きたいという人気の作品,兄弟ものの「忠兵衛と忠太郎」です。この作品も「雉も鳴かずば」と同じようにルーツを辿るために,永浦誠喜氏の「忠兵衛と忠太郎」と比較しながら読んでいきます。同じルーツを持つ二人の話が思わぬことで違いを生んでいきます。今日はまず伊藤正子の語る「忠兵衛と忠太郎」です。
少し長いのでたたんでおきます。クリックして開いてお読み下さい。

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昔語り研究-永浦誠喜,伊藤正子の語りから-

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民話ゆうわ座第九回伝承のみちすじをたどる-永浦誠喜さん,伊藤正子さんの語りから-

昨日12月11日仙台メディアテークで,「民話ゆうわ座第九回伝承のみちすじをたどる-永浦誠喜さん,伊藤正子さんの語りから-」が行われた。永浦誠喜さんと伊藤正子さん,すぐれた昔語りの名人である二人は,実はよふさんというおばあさんから昔語りを聞いたという同一の起源をもっている。これは実に珍しく,昔語りの伝承系統やバリエーション(変異)を探る上でも,二人のジェンダーの違いから来る語りという点でも貴重な記録となるだろう。昔はそれを永浦誠喜さんの男語り,よふさんの娘のよしのさん経由の正子さんの女語りという言い方をしたが,実に興味深い記録の掘り起こしとなった。

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民話ゆうわ座第九回伝承のみちすじをたどる-永浦誠喜さん,伊藤正子さんの語りから-
まず始めに
「ハチとアリの魚の配分」(永浦誠喜)
「アリとハチとクモのお伊勢参り」(伊藤正子)から始まり

「ケヤキ買い」(伊藤正子)
「石巻からケヤキ買いに」(永浦誠喜)を比べ聞き,双方の

「キジも鳴かずば」(永浦誠喜)
「キジも鳴かずば」(伊藤正子)の微妙な違いに気付き

「尻鳴りへら」の題材で
「さいしんへら」(伊藤正子)
「尻鳴りへら」(永浦誠喜)のクライマックスを迎えた

二人の語りの違いについては改めて別記事で述べたい。

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濱口竜介・酒井耕監督の映画「うたうひと」の小野和子さん(左)と伊藤正子さん(右)

一人の話者から派生した昔語りの伝承系統,昔語りの変異(バリエーション),性別(ジェンダー)による語りの系譜変化という最も興味深い問題が余すことなく提示された会となった。
改めてこのテーマの価値に意味を見いだした関係者の方々の盡力に感謝したい。

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ハクチョウの出発 伊豆沼


物語の深みへ―小野和子の昔語り聴き歩き―

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今朝のさんぽ道

記事ではサドの話が続いていますが,今日は全く違った「昔語り(民話)」の話です。
9月4日まで「かま神さまとそのなかまたち展」をやっていた折のことです。「「かま神の起こり」という昔話があるので実際のかま神を見ておきたい」と県南の男性が来られました。聞けば「みやぎ民話の会」の会員だそうで,次々と楽しい話で盛り上がりました。その中で私は小野和子さんに会ってお話を聞きたいと言いました。ここ伊豆沼のある新田は昔語りの「伊藤正子さん」の故郷です。その伊藤正子さんの話を一番熱心に聴いたのは小野和子さんだったと思っています。そんなこともあり,小野和子さんには一度お目にかかりたいと思っていました。
棚から小野和子「あいたくて/ききたくて/旅にでる」を取り出して早速読み始めました。久し振りに読み終えるのが惜しいと思える一冊でした。ゆっくりと味わうように読み進めていきました。それでももったいなく思えて,また少し戻ったりしながら一話終える毎に外の景色を眺め深くため息をつき,はやる心を落ち着かせながら読みました。こういう味わい深いは珍しいと思います。これは小野和子さんの民話への深い敬愛の情から来るものなのでしょう。

あいたくてききたくて旅にでる
2019年12月21日発行2021年三刷 パンプクエイクス発行
小野和子氏が80歳になった折りにその記念にと40部限定でつくったことがこののきっかけだそうです。

「あの人の話を聞きたい」と思う人が誰にでもあるでしょう。
私は小野和子さんなのです。
1934年生まれの彼女は今年88歳で米寿のお祝いなのでしょうか。彼女の昔話を探す姿は頑固一徹とも言えます。まずひたすら歩きまわるのです。普通は初めて訪れる土地では,まず現地の情報を得て,土地の見当を付けてから出掛けるものですが彼女の民話の探し方は「無手勝流」と自身が言うように初めて訪れた土地を全身で感じ取り,そこから一軒一軒訪ね歩くのです。よくこんな方法で民話を50年以上も探し続けたと感心します。しかし考えてみれば,たった一人初めて訪れた土地で全身の感覚を研ぎ澄まして探検することこそが何の偏見もなく,その土地と住む人を無条件に受け入れる最も良い方法かもしれません。よそ者の彼女にとってはこの無骨とも言える,ある意味効率的な民話の採集方法を一切排除したところから始まることが訪ね歩く土地とそこに住まう人への礼儀だと一貫して考えていたことです。
なぜ彼女は敢えてこんな方法で知らない土地を50年以上もかけて訪れ続けたのだろうか。
彼女の方法は以前書いた冒険家角幡唯介の斬新な登山スタイルを思い浮かべる。ちょっと引用します。

冒険家角幡唯介のこうした実践の一つに「地図無し登山」というものがある。彼は,日高山脈に地図なしで入山し,道なき山々を,それこそ獣のように歩きまわるという山登りのスタイルを取る。彼はこの山登りのスタイルを「漂泊登山」と名付けている。計画も立てず,地図も持たず,情報も仕入れず,いきなり2週間分の食料だけを持って山に入り,沢を詰め,尾根をよじり,ピークを過ぎ,山を彷徨う。
大体が,なぜこの「地図無し登山」に価値があるのかと思う。
私たちは普通山登りをする場合,まず計画を立てる。どのルートがよいか,どこが危険か,何処に泊まるか,また,地図を見て十分に山行をイメージしてから出かけて行く。更に事前に十分現地の情報を集めて出発する。そして計画通りに山に登って下りてくる。そうした登山が当たり前で,安全だと私たちは信じてきた。
 ところがである。そうした登山のための様々な準備が私たちの行動を却って縛ることとなり,自由な判断や行動を制限させて,当の山の姿を見ず,自分がイメージした通りの画一的な印象に留めさせていると考えることもできる。実際角幡はそうしたピークハントの目的だけに引き摺られる登山が当の登山なのかと考える。自分のもつ情報に引き摺られ,計画に縛られ,最後には地図の読図に引き摺られる山登り。計画,準備,実行,反省というビジネスのフローチャートをただ援用した山登り。そこに自然探求者の山行は自由を標榜するなどと言えるのだろうか。角幡の登山はこうした西洋アルピニズムと称される,概念的で,通り一遍な山登りを再吟味し,自分を縛り付ける方法を一つ一つはぎ取っていく。
 つまり,計画は立てない,情報を仕入れたりしない,地図を持たないという角幡の登山スタイルが出来上がる。

冒険家角幡の考える対象に向かい合う純粋さ。この対象に対する純粋さを小野和子さんも実に大切にしていたと思われます。これが訪ね歩く「よそ者」としての小野和子ができる精一杯の一個の人間として,対象に向かい合う真剣勝負だったのでしょう。

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映画「うたうひと」から     左が小野和子さん,右が昔語りの「伊藤正子さん」小野和子さんは民話を引き出すのが上手でした

こんな逸話が書かれています。
昔語りを聞く時に放送局や新聞社の人が同席することがあり,放送報道関係の人が「小野さん。私たちの名前をどんどん使って下さい」と言われたそうです。放送局や新聞社の名前を出せばより効率的に事は運びます。しかし,小野和子さんは終始一貫してそのような権威を利用することはなかったと書いてあります。ここにも小野和子流の権威や権力など一切使わない,誰にも頼らず自分一人で一対一で出会った人々に向かい合おうとする純粋さが見て取れます。なんという情熱かと思います。

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神社を掃除する

たった一人で,半世紀も未知なる土地を民話を探し続けた彼女の話は深く人の心を揺すぶります。
どこか宮常一の「忘れられた日本人」の持つ昔の日本の尊い思いを見せられた気になりました。