2022/03/04
明恵と西行,鴨長明-明恵にとっての善妙神-

高山寺 善妙神
世界遺産栂尾高山寺は明恵上人がいた寺である。
京都 栂尾山 高山寺のHPにはこうあった。
高山寺は京都市右京区栂尾(とがのお)にある古刹である。創建は奈良時代に遡るともいわれ、その後、神護寺の別院であったのが、建永元年(1206)明恵上人が後鳥羽上皇よりその寺域を賜り、名を高山寺として再興した。鳥獣人物戯画、日本最古の茶園として知られるが、デュークエイセスの唄「女ひとり」にも歌詞の中に登場しています。また、川端康成、白洲正子や河合隼雄の著書にも紹介されています。
写真集で上の「善妙神」の写真を見たときには私はぞくっとした。妙に艶っぽい。白い肌がよく合う。身体のラインが柔らかく何処か大人しいながらも輪郭に一定の緊張が滲み出ている。このような人間に近い雰囲気は浄土を渇望する強い意志も敢えて前に出さないようだ。それに,人を圧するような独立性も持たせてはいない。当時敢えて神像をデザインすることは珍しいとも感じるが,この柔和なまとまりの造形は明恵と湛慶の交流の深さを意味している。明恵はこの善妙神に経を上げていたのだろう。どんな出会いがあって,明恵は新羅伝来の善妙神を崇めていたのだろうと不思議に感じる。善妙神の彼女はまず明恵の夢に出てきた。

春の光
明惠の『夢記』, 承久二年(1220)5月20日の夢のこと。もう景色は緑濃く,梅雨が始まろうとする晴れ間には樹木の木漏れ日がはっきりと暑さを伴う時期である。「十蔵房が持参した香炉の中に五寸ばかりの唐女の形の茶碗があって,それが生身の女性 となった。 翌日その女を連れて行くと、十蔵がその女は蛇と通じていると言った。 明惠は女が蛇身を 兼ねているのだと言った。そこで目が覚めた。 夢だった。明惠は「案日、 此善妙也、 云、 善妙龍人ニテ又有蛇身、 又茶坑ナルハ石身也」として、夢中の女人を善妙神だと断言している。明恵にとっての夢はこのようにリアルで,現実そのものでもあるのだろう。もちろん華厳宗の始めとされる義湘の護法神が善妙神であったことも明恵はよく知っていただろう。
この善妙神とはどんな神様なのだろう。
新羅華厳宗の初祖義湘(625−702)にまつわる伝説に由来する龍神である。 贊寧『宋高僧伝』巻四所収の 「新羅義湘伝」によれば、 善妙は入唐した義湘を常に援助した女人で、義湘が新羅へ船で帰国するときに、 自ら龍女となって海に飛び込み、 義湘の後を逐い、 後々まで彼を守護したという。 この善妙神は中国・ 朝鮮半島で発祥したいわば龍神である。 「明恵における神と仏」藤井教公から
明恵は夢で出会った善妙神をはっきりと記憶に留め,やがて運慶の息子湛慶に頼んで写真のような美しい神となって権現させた。善妙神像は一尺四寸の小さいものだというが,バランスや柔和な面持ちといい素晴らしい造形である。明恵の夢が少しずつ彼の現実の浄土を形づくっているといっていいだろう。さて善妙神像をつくった湛慶だが,高山寺には鹿一対,小犬のかわいらしい像がある。また高知雪渓寺の「善膩師童子像」もこの湛慶の作品である。明恵の厳しい一面もさることながら,かわいらしいこれらの像を眺める明恵もまた心休まったであろう。
しかし,もうこの頃には女人が蛇神,龍神と重なったイメージになっているのは「法華経」の龍女伝説から来るのだろうか。先日この特集で出た説教節「刈萱」では繁氏は奥方に出家を引き止められ,「蛇神と書いて女と読む」というセリフまで発します。龍蛇の類は女となり,また後の時代に辯才天と習合し大きな思想になっていきますが,もう12世紀にはこういった考え方があったのでしょう。一遍上人の伝記にも女と蛇のイメージで一遍の発心が固まるというストーリーがあるのは興味深いことです。

さて明恵は美神「善妙神像」作製をいつ依頼したのだろう。明恵の弟子高信が記録している。
元仁元年(1224)頃に,善妙神と大白光神の像を湛慶に造らせ、 翌年嘉禄元年(1225)八月十六 日に奉安している。
「嘉禄元年乙酉(1225)八月十六日、 甲辰寅時、 白光、 善妙両神の御体之を奉納す。 (義林坊、 上人の 為、官を代わりて之を勤む。 ) 春日神は、 但だ勧請し奉り、 御体を安置せざるなり。 此の日、奇瑞等、之在り」と。
鎮守社壇は四社あったと言う。中央に大白光神。右に春日大明神。左に善妙神,そして右端に住吉明神が奉安された。
善妙神は「新羅国の神なり。 華厳擁護の誓有り。 故に之を勧請す。」と説明され,「右、 三国の明神を勧請す。 仰ぐ所は寺の擁護なり。 (本、 是れ西の経蔵処に之を崇め奉れり)
三社の宝殿併びに師子・ 狛犬及び白光善妙両神の御体等、 静定院行寛法印の沙汰なり。
三社の上下次第は、 上人思惟の処、 聊か夢想有りて之を定められ畢んぬ。 白光神(上) 、 春日(中)、善妙(下)なり。」と資料にある。
いずれの神も明恵が親しく感じ,夢の中に現れ,彼自身を長く護ってくれている神々である。釈尊を想い,二度までもインド渡航を志したが,それを止めたのもこの神々である。

明恵上人という僧は,トータルで考えても純で,終生に亘って良きものに憧れる素直さを持ち合わせた孤高の僧だと思う。そこには俗的な身分関係の上下に心揺れることもなく,一人で自然の中に身を置き,学究と修行と夢と生活の全てをただ静かに純粋なる高みへ登るために費やすことができた希有な僧でもあった。終生和歌を愛したが執着したり,誇ることもなく「ふですさび」とした,粋な人柄でもあったと思う。
