白鳥の駅 雁の駅-アファナシエフ「ピアニストは語る」-

新田駅 047-2s
ハクチョウの駅雁の駅

テンプレートを変えました。
なんか思い切り写真を載せたいと思っていたのですが,なかなかできませんでした。
写真だけクリックしても中途半端な感じだし…。

スクロールしないとうまくいかないところもありますが,細かいところまで見ることができるようにします。またお付き合いください。

さて今日は最近読んで面白かった本です。先日バッハホールに来たヴァレリー・アファナシエフがインタビューで語った記録です。
ピアニストは語る
2015年のインタビューですから昨年ですね。
アファナシエフが非常に深い生き方をしているピアニストであると言うことがよく分かる一冊でした。文章も無駄がなく,なめらかで彼と握手した時の柔らかい肌を思い起こしました。インタビューにキケロやアリストテレスやプラトンが縦横無尽に引用され,それが全然取って付けたようなペダンチックな感じが全くせず,自然なのです。彼の演奏は,文学であり,哲学であり,思索であり詩や映画によってさらなる深みへと誘うものであると強く感じました。彼の音楽の魅力はそうした深い人生への構えから立ち昇っていたものだったのです。彼がボルヘスやムジール読んだのが亡命後だそうですから,ソ連には入っていない作家もいまだにいるんだなあと思いました。そのムジールが彼の飼っているネコの名前になったと言いますからやはりアファナシエフの嗜好はただならぬ感じはします。第一部の人生編では,ソ連という国の音楽教育から,コンクール出場が国家の威信を掛けたシステムとして成り立っている事情がよく分かるようになっています。亡命時のハラハラドキドキの顛末もまるでスパイ映画を見ているような感じになりました。どういうレッスンを受けていたか,演奏にはどういう考え方が必要か,手に取るように分かります。また指導する教授陣の持ち前のオリジナリティーがおもしろく描写されていることも人間味が感じられて面白いところです。師と仰ぐギレリスの,アファナシエフを温かく見守る心持ちや忘れられない過ぎ越しの夜の果てしなく続く演奏の夜など,ピアニストとして真摯に生きる姿に憧れてしまいました。
そんな彼が演奏上で独特の感覚に襲われ(これはウィリアム・ジェームスの「宗教的な経験の諸相」に出てきた一体感だと私は思いますが),旋律と和声の完全な調和を得たと思われる答えについてはまた別の機会に語りたいと思います。



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紅葉の朝-親鸞の他力とは-

栗駒紅葉 173-2s
日の出に浮かび上がる紅葉

以前の記事で吉本隆明の「親鸞」は名作に入るのではないかと書きました。あれから何回か読み,あまりにも自分の単純な浅はかさ加減を思い知らされた気がしました。それほど親鸞の行き着いた地平は実に厳格だったと思い知らされました。

親鸞
「親鸞」吉本隆明

まず私たち「凡夫」と言われる一般人は何か道徳的に,良い事を行えば極楽に行ける的な考え方がどこかにあって生活をしています。多くはそうした「積善信仰」と言われている心持ちが信仰の基盤になっています。小さな善をこつこつと重ねることで自分の罪が洗い清められ,成仏への道が開けていく。神仏を敬い,先祖を敬い無心に拝むことも大切です。その無心さゆえに人の心を打ち,願いが遂げられることもありました。お言葉に,歌に,儀式に,一人の祈りの言葉に,念仏に,ひたすら無心に人は追い続けてきたものがあります。

しかし親鸞はそんな楽観的で,健康的な信仰の姿が本当に成仏の保証となるのか,欲で成仏を願うことは不遜な行為ではないか,念仏を唱えることは確かに悪いことではない,しかしそれが本当に極楽にたどり着く保証となるのだろうか。仏道に仕える者が修行し,念仏を唱えるだけで極楽に行けると教えて果たして良いものだろうか。人間の行うことは私欲以外の何において仏の教えに叶うと言うことができるのでしょうか。突き詰めていけば,何もはっきりとした往生の道はないのです。親鸞はそこを突き抜けていきました。そのような疑問の答えを個々の信仰の責任の中に丸投げして,投機しているだけに過ぎないとしたら。

或る僧が親鸞に言いました。「わたしもたまに念仏を唱えることに迷いが生じます」
親鸞は答えました。「わたしにもそのようなことがあります。そうした時には休むことです。」

何を一生懸命に信じて行ってもそれが仏の道である保証はない。

親鸞の究極の言葉は続きます。
「面々(おのおの)の計(はかり)りごとなり」

この意味は,次のように取れます。

「一人一人が自分の考えでよろしい」

我欲をただ突き通すより,真実と思われる幻のまっただ中でもだえ苦しむよりも
「面々(おのおの)の計(はかり)りごとなり」
「一人一人が自分の考えでよろしい」

親鸞の言う「発心(ほっしん)」はこのような人々の我欲の果てに現われる根本的な信仰への疑問という地平から立ち昇ってきます。
ここに「他力」という本来の仏にすがる道が現われます。

栗駒紅葉 100-2s
ブナの林に朝日差す

念仏を唱えるだけで極楽浄土に行ける
善を重ねれば極楽浄土に行ける

親鸞の言う「他力」はそんな安易で楽観的な頼るということではありません。実は人間の真の平等とは何かという地平まで下りたって「他力」の条件とは何かを指し示したのでした。これは人間の救いを根本から考え直した鋭利な思想の到達点でした。良いことをする人間,悪いことをした人間。すべて「面々(おのおの)の計(はかり)りごとなり」しかしそうした人間のすべてが「発心」することで本願を遂げることができる。発心することに良い人,悪い人はない。人はみな平等。






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霧深く

のの岳霧深く 008-2s
霧深く

日の出とともに昇る朝日と鉄道を入れようと山の頂上へ
ところが霧が深く,いつまでたっても晴れません。

あきらめて山から下りてきました。

親鸞
吉本隆明による親鸞

今更ながらこれって名著に入るかもしれません。
勢いのある文章。久し振りのフルスロットルという感じです。この勢いで彼は文章にてこの世に「還ってくるか」という思いになりました。


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観察眼と言われることについて

栗駒湿原に再会 324-2s
ブナの葉残る

またうろうろとブナの林を歩きながら感じたことを書きます。

目的もなくぶらつくという歩き方の効用は様々な発見の糸口をつかむのに実に適しています。

私たちの生活はどうしても目的に対してどのように効率的に処理していくかという流れで考えますから,目的が叶う世界の中にいて,いらないことは大胆に捨てることもあるのです。結構自分の目的のために他の人の意見も聞かないということもしばしばです。仕事でも家庭でもこんなことはよく起きていて,あるときに致命的な亀裂になって出てくることもあります。例えば今頃の残雪が多い時期に起伏の少ない山を歩いていると迷うのです。すると,自分勝手にこっちは来たからあっちだと思い込みの論理が働き始めます。世界を勝手に自分流に眺め変えてしまい,さらに堂々巡りに陥ることがあります。

そこで私自身は基本として,来た自分の足跡を忠実に戻ること。次に違う道に入ってから戻った時にストックで大きく×印をつけておいてまた道をそれてしまわないようにすること。通過した場合に見た特徴のある木には色テープをつけておくこと。湿原を見つけたりしてルートから外れる場合には出だしのポイントをしっかり目に焼き付けておいて,その方向から見た写真を撮っておくことなどして少しずつ練習を重ねてきました。もちろん地図やコンパスも使って確認することも心掛けます。こんな確認作業を身に付けることでちょっとずつ雪のある山ややぶこぎにも慣れていきました。しかしあえて必要もないのに危険な歩き方をしないことが一番です。
安全に歩くことで観察眼も養われていくことでしょう。例えば残雪のブナ林を歩いていてどんなことを見つけて,どんなことを思ったのかを紹介しましょう。早春の山を歩くとなんと言っても目に着くのが,動物たちの残したものです。足跡,糞,食痕,引っ掻いた跡・・・。そんなものが目に着きますね。

次の動物の足跡を見て下さい。

栗駒湿原に再会 465-2s
イタチやテンのような足跡ですね。

ウサギの足跡のようにTの字型です。しかし前に並んだ足は後ろ足なのでしょうか。どうもジャンプしながら進んでいるようです。後ろの足跡には左が前,右が後ろとクロスしたような感じがします。後ろの右が先に着地してすぐ前の左が次に着地したのではと思わせます。そこではっきりしないので,進行方向の足跡を見てみました。次の写真です。

栗駒湿原に再会 468-2s
次の足跡

後ろの足跡を見ましたか,一枚目の写真と足の置き方が左右逆ですよね。足の蹴り方や着地の仕方が右左(みぎひだり)次は左右(ひだりみぎ)と交互に蹴ったり,着地していることが分かります。こんな当たり前でくだらないと思われる発見が次の疑問へのステップになるのです。これが観察眼を養うこととなります。
ファーブルもこのような観察眼の鉄人でした。ファーブルと言ったら「昆虫記」ですが,案外知られていませんがファーブルの「植物記」も私はすごいと思います。観察眼のある人は,昆虫でも,植物でも,動物でも的確に観察することが出来ます。随分前に紹介した串田孫一も鋭い観察眼の持ち主でした。こういう人達は学者や研究者だけでなくてもたくさんいます。自然が好きだという人たちです。大航海時代から18世紀の博物学の時代のアカデミーの論争は世界を秩序だった知でまとめ上げるという知的好奇心に飲み込まれていた時代でした。今読んでもわくわくすることがたくさんあります。

例えば高村光太郎の「山の雪」は中学校の教科書にも載っていた時代がありました。
(前略)ヤマウサギの足あとで、これはだれにでもすぐわかる。いなかにすんでいた人は知っているだろうが、ウサギの足あとは、ほかのけもののとちがって、おもしろい形をしている。ちょうどローマ字のTのような形で、前の方によこに二つならんで大きな足あとがあり、そのうしろに、たてに二つの小さな足あとがある。うしろにあるたての小さい二つがウサギの前あしで、前の方にある大きいよこならびの二つがウサギの後あしである。ウサギの後あしは前あしよりも大きく、あるく時、前あしをついて、ぴょんととぶと大きな後あしが、前あしよりも前の方へ出るのである。このおもしろい足あとが雪の上に曲線をかいてどこまでもつづく。その線がいく本もあちらにもこちらにもある。小屋のそとの井戸のへんまできていることもある。井戸のあたりにおいた青ものや、くだものをたべにきたものと見える。
 そのウサギをとりにキツネがくる。キツネは小屋のうしろの山の中にすんでいて、夜になるとこのへんまで出てくる。キツネの足あとはイヌのとはちがう。イヌのは足あとが二列にならんでつづいているが、キツネのは一列につづいている。そしてうしろの方へ雪がけってある。つまり女の人がハイヒールのくつでうまくあるくように、一直線上をあるく。四本のあしだから、なかなかむずかしいだろうとおもうが、うまい。キツネはおしゃれだなあとおもう。(中略)キツネがあるくと、カラスがいればさわいで鳴くからじきわかる。
 ウサギや、キツネのほかに、イタチの足あと、ネズミの足あと、ネコの足あと、みんなちがう。ネズミの足あとなどは、まるでゆうびん切手のミシンの線のようにきれいにこまかく、てんてんてんてんとつづいて、さいごに小屋のえんの下のところへきている。これは二列になっていて、雪がうしろへけってない。イタチのも二列。
 おもしろいのは人間の足あとで、ゴム靴でも、地下足袋じかたびでも、わらぐつでも、あるき方がひとりひとりちがうので、足あとをみると誰があるいたかたいていわかる。大またの人、小またの人、よたよたとあるく人、しゃんしゃんとあるく人、前のめりの人、そっている人、みなわかる。わたしの靴は十二文という大きさなので、これは村でもほかにないからすぐわかる。ゴム靴のうらのもようでもわかる。あるき方のうまい人や、まずい人があるが、雪の中では小またにこまかくあるく方がくたびれないといわれている。両足をよこにひらいてあるくのがいちばんくたびれるようだ。靴のかかとをまげる人のもくたびれそうだ。これはからだのまがっている人、内ぞうのどこかわるい人のだ。
足跡だけで内蔵が悪いことまで分かる。たかが足跡だが,されど足跡である。まさにシャーロックホームズ的な推理がなりたっていくのです。これが観察眼というものでしょう。
次の写真を見て下さい。

栗駒湿原に再会 519-2s
池塘の雪解け

私たちは広範囲の景色を一瞬にして見て様々なことを判断しています。幾分池塘の水の反射や写り込みといったものや中島があること,池塘の広さ,奥の樹木はブナだろうか。と言ったものに注目して,写真の世界を読み込んでいきます。そしてそれによって引き出される感情も体感しています。暗い景色だ等々。
着眼点が違うとその人の理解や共感の度合いも最初から違ってきます。観察眼というものが,見たその人の作品の味わい方を根底から決定してしまっているのです。これはとても大きなことです。ただ見て,ピカソがさっぱり分からない。興味があってピカソのことを知って,作品を見に行ったでは全く違う理解となるでしょう。観察眼が養われていく過程が,人のものの考え方,人生のとらえ方まで左右することとなります。

ここでさっき見た池塘の写真の上のブナだけ切り取ってみましょう。

栗駒湿原に再会 519-2-1s
ブナ林

まったく違った印象になると思います。
全体を一瞬にして見て判断している動物としての私たちが,改めてしぶとく世界をじっくりと眺めることでぐっと印象が違ってきます。つまり写真,絵画,映画と言われるビジュアル系だけでなく,文学や詩でも,ゲイジュツはある面で作者は深さが要求される使命を負っていることということなのです。作り手はいつもそんな追究性が試されていて,見る側は作り手と渡り合う程の観察眼が駆使されることで「作品の快楽」がこの世に生まれていくこととなるのでしょう。



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読む写真 宮本常一の手法-網野善彦が読む-

星桜本番 244-2gs
廃校の分教場の窓に映る桜

宮本常一の残した「忘れられた日本人」は多くの人に影響を与えたけれど,網野善彦は宮本常一の仕事を実質的に受け継いだと言ってもいいでしょう。常民文化研究所が調査して村々から借りた大切な文書が返却されずにいたのを後に入った網野善彦が村々を回り,返していったのです。村の宝物とされる古文書を借りること自体が苦心惨憺の末であることは「忘れられた日本人」の冒頭の「対馬にて」を読むとよく分かります。村の宝物を借りておいて返しもしないのは信用を失うことです。これらの遺産を一つ一つ網野は村を訪れて返していったのです。この古文書返却の経緯は「古文書返却の旅」(中公新書)として読むことができます。

そんな網野善彦が宮本常一を再び意識するようになったのは1984年2月に,当時教科書に載った「忘れられた日本人」の中の「梶田富五郎翁」について,筑摩書房から執筆を依頼されてのことだったようです。網野が「忘れられた日本人」を読んでそれまではさして気にも留めておかなかった内容に心を深く動かされたのです。
網野が心動かされた筆頭に挙げているのが「土佐源氏」です。この「土佐源氏」は土佐の山中の橋の下に住む乞食のようになった若い頃に馬喰をしていためくらの男の女性遍歴の話です。馬喰をしていたこの男の生き様は昔の日本の姿をありありと浮かび上がらせます。義務教育制度がまだ成立していない時代です。学校に行かない子どもも随分いたのです。つまり定住性の社会制度が成立する村の掟に当てはまらない住所を持たない流浪することで生活していた人々が多くいたことは確かです。

星桜本番 228-2gs
分教場の窓に映る桜

網野が「忘れられた日本人」の中に読み取るのは,そうした効率的なシステムから流浪する民の世界です。
例えば「梶田富五郎翁」では梶田翁が子どもだった頃,メシモライという形で漁の手伝いをしていました。
浅藻ちう所は元来天道法師の森の中で人が住んではならんことになっておった。このあたりではそういうところをシゲというてなあ,あすこは天道シゲじゃけに住んではならん,けがれるようなことをしてはならんと,土地の人はずいぶんおそれておった。
そういうところへどうして住むことになったかといいなさるんか。
対馬という所は侍の多いところで,どの村でもなかなかしきたりがやかましい。わしら漁師のような礼儀も作法も知らんものは,とてもつきあいできるもんじゃあない。それでいっそ神様のバチが当たってもかまわんけえ,まあめんめら同士(銘々同士)気の合うたものだけてくらすのがよかろうちゅうて浅藻へ納屋を建てることになったんじゃいの。
漁を生業とする人々は割合に自由に移り住むことのできる時代であったとも言えますし,神様の住む森もあって,その土地に入ればすべての権力が無力化されることも合ったわけです。治外法権の場所は村人が逃げ込む山にありました。また,一部の遍歴民が芸を見せれば,船賃が無料になったり,関所を素通りできる特権が与えられていた事実があったのです。網野はそうした裏にあって階級社会を支えていた人々を鋭くあぶりだそうとしました。それをアジールと言ったり無縁・公界・楽とも言ってきました。

もうこのように書いていくと,私が以前取り上げた「新・逃走論」の続きになってしまいます。サンカ,走り,逃散,一揆,山人,神隠しといった農村システムから外れたキーワードにつながっていってしまいます。鉄道が敷かれ,統制が行き渡り,ことごとく社会は均一化されていきました。戦前の日本の姿を見事なまでに記録した宮本の鋭いまなざしは無文字文化の熟成を高らかに歌っていたとも言えるでしょう。


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