全肯定の理論-フンボルト紀行-

9月土曜 075-2gs
秋の月 9/2撮影 陸羽東線 上野目駅

やっと晴れ始めましたね。嬉しいです。
早速月齢11の明るい月の下で夜の雰囲気を楽しみました。夜の気温は14℃。寒いです。

さて,先回からフンボルトの話を始めましたが,彼の探検は南米に5年ほどいて,アメリカでジェファーソン大統領と会い,帰って来ました。簡単なところから説明していきましょう。
まず,またフンボルト熱が復活したのは今年出版された「フンボルトの冒険」がきっかけでした。下の本です。

フンボルトの冒険

この本はよく調べ込まれていて,時代の寵児フンボルトがどれだけの底知れぬ影響を現代に至るまで与え続けているかも確かめられる嬉しい内容になっています。科学史や思想史や歴史を考える時に,私たちは「すぐ分かる科学史」「すぐ分かる思想史」といった本ばかり読んで納得しようとしますが,納得なんてできるはずがありません。その人の生き方や考え方を追体験することで初めて生きた知識として私たちの身体に入ってくるのです。へんな受験みたいな勉強はやめてフンボルトという人のせっかちさやエネルギッシュさに驚きましょう。それだけで19世紀の雰囲気が分かるのです。

さて横道にそれました。

フンボルトが友ボンプランと南米に向けてスペインを出発したのは1799年6月5日のことでした。最初の目的地はベネズエラのクマナです。途中,大西洋カナリヤ諸島のテネリフェに立ち寄り,一週間ほど過ごしました。地図を見てみましょう。ベネズエラの国です。首都はカラカス。マークした点がクマナです。
ベネズエラ クマナ-s
フンボルトが南米で最初に上陸したクマナ

クマナに着いたのは出発して41日後でした。単純計算で7月16日辺りになるでしょう。着いてからゆっくりと南米のもの珍しいものを調べ始めて,首都カラカスの方へ移動していきます。ここでフンボルトの探検のルートを紹介しておきましょう。下の地図を見て下さい。

地図 003-2gs
フンボルトが探検したルート

まず,探検の目的は先回の記事で紹介した幻の川「カシキアーレ」の存在を確かめることです。
ついにカシキアーレを見つけ,カシキアーレ川がアマゾン川の支流のネグロ川から始まり,オリノコ川に通じているということを発見したのでした。つまりアマゾン川とオリノコ川がカシキアーレ川で繋がっていたという事実が分かったのでした。言っときますけど,これは大発見ですね。1540年頃のピサロの探検以来ずっと250年余りも秘密のベールに包まれていた幻の川ですから,発見したら大発見です。
それを書いた地図が下の地図です。

Canal_do_Cassiquiare.jpg
幻の川カシキアーレを書いた地図(Wikiより転載)

ここに辿り着くまでの苦労はすごいです。その分辿り着いて見た楽園の景色はどんな人が描いた絵よりも妖しく美しいです。その記述についてはまた後で取り上げる事にしましょう。

今日はフンボルトが見たしし座流星群の話です。1799年11月12日未明に,ものすごい流星雨を見たと記録しています。時期的にしし座流星群でしょう。次から次へと月の3倍以上の長さの尾を引いて空を埋め尽くす程流れたと言います。私たちも2001年に素晴らしいしし座流星群に出会いましたね。あの夜は忘れられません。
南米を往くフンボルトにラッキーにも降り注いだ流れ星を見て,本当に来て良かったと彼は幸せの絶頂にいたはずです。ここでフンボルトが見たしし座流星群の夜の空をステラナビゲータで再現してみました。南半球の素晴らしい星々がフンボルトに目に写っていました。

フンボルトが見たしし座流星群17991112-2フンボルトが見たしし座流星群の星空 1799年11月12日未明

彼は一度見たもの正確に覚えていて忘れないという特技があったそうです。彼の灰色のデータベースには,瞬時に今まで見たものと南米で初めて見たものとが,形態の相同性や近似性というパターンで処理されていたようです。地理学,動物,植物,天体,地学などすべての情報がスーパーコンピュータのように彼の灰色の頭脳にインプットされていくのです。


最後に,フンボルトはどんなに困難な山登りでも次々と行う人物だったそうです。必ず山登りを調査に入れます。なぜこれほどにと思われるほど山登りをするのです。これは彼が自然を知るきっかけが山登りにあると信じて疑わなかったこと。自然に対して「全肯定」の態度でいることを物語っています。この世の全てを自然は宿しているという態度は自然は嘘をつかない,自然こそが自分に全てのものをもたらしてくれるものだという信念が脈々とあったからです。確かに地球の自然は,見事なバランスと関係の中で成り立っています。世界中をくまなく歩きたい。すべてを知りたい。
自然という飽くことのない秘密の多様性に対して全肯定でいられること。

クマナに着いたフンボルトは手紙に書きます。
「まるで魔法の世界のようだ。」
どこを見ても初めて見るもの。ヤシの木には赤い花が咲き乱れ,魚や鳥は競ってあざやかな色を身にまとい,ザリガニでさえ青や黄色だった。
「ぼくたちは正気を失ったかのように走り回っています。」
「すばらしいものがこう続いては頭がおかしくなりそうだ。」
日中は動植物の最終に励み(彼がヨーロッパに持ち帰った標本の4割が新種だったそうだ),夕方にはそれらをノートに記録し,夜になると天文観察をした。フンボルトは憑かれたように調べ,地球の隙間を埋めていった。いや自分の灰色の脳を埋めていったのです。睡眠時間は数時間だけで事足りる。

フンボルトにとって自然は汲めども尽きることのない「全肯定」そのものでした。文句を言われることもなく,否定され傷つくこともない。自然には間違いなく自分のすべてを許してくれ,すべてを無条件に開いてくれる「全肯定」があります。人によって,自然に開眼すると,この「全肯定」が訪れます。不思議なことです。宮沢賢治も山登りでした。彼も終生自然を記録し続けました。それを普通,情熱と言いますが,何か凡人とは違う情熱であることは確かです。

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楽園の発見-フンボルト-

晴れ間をくぐって 039-2gs久し振りの夕焼け

この世界には前人未踏の楽園があるはずだと思います。
人工衛星がくまなく世界を写し出すようになった現代でも実は人が入っていない幻のような景色があると言ったら,一度は見てみたいと誰もが思うでしょう。
200年以上も前のことです。フンボルトという人がいました。あのフンボルトペンギンやフンボルト海流の命名の由来となった人です。彼はそれをやってのけ,アマゾンの奥地にその楽園を発見したのでした。
そうです。「カシキアーレ」という伝説の川です。アマゾン川とオリノコ川がどうも繋がっているのではないかという話がありました。スペインのフランシスコ・デ・オレリャーナ(1511-46)は、エル・ドラド(黄金郷)を求めてこの川を探検しました。オレリャーナはフランシスコ・ピサロとともにスペインによるペルーの征服に参加し、ゴンザーロ・ピサロがエル・ドラドを探して行った1541年の遠征に参加した士官の一人でした。
1541年12月に、現在のナポ川でオレリャーナの船は本隊から分離され,その後、オレリャーナの部隊はアマゾン川の全距離を航海し、1542年8月に河口に到達しました。
この経緯は探検叢書に「南米紀行」として出ています。この時に「カシキアーレ」という謎の川の存在が指摘されていたのです。フンボルトは幻の川「カシキアーレ」の存在を確かめたかったのです。

そしてついに

あるとき,湖と化した暗い森の中で,舟は金色に輝くおびただしい魚の群れに囲まれたことがあった。




水泳 029-2s

フンボルトはWikiに,次のように紹介されています。

フリードリヒ・ハインリヒ・アレクサンダー・フォン・フンボルト( 1769年9月14日 - 1859年5月6日)はドイツの博物学者兼探検家、地理学者。兄がプロイセンの教育相、内相であり言語学者のヴィルヘルム・フォン・フンボルト。近代地理学の金字塔、大著『コスモス』を著したことは有名。カール・リッターとともに、近代地理学の祖とされている。また、ゲーテやシラーや、ヨーロッパ滞在中のシモン・ボリバルなどと、親交があった事でも知られる。王立協会外国人会員。


探検家,博物学者,地理学者,植物学者,どれを取っても第一級の時代の寵児となった人です。カント,シラー,ゲーテ,ベートーベンと同時代の人です。まさに世界が「疾風怒濤」の学問や文化が沸き返っている時代をつくった一人です。

天候不順な今年の8月。私は仕方なく本でも読みながらと過ごしていて,そして,本棚にあったフンボルトについての本をペラペラめくっていました。そして俄然,昔に取り憑かれた探検熱にまた冒されることになったのです。

まず私のフンボルト熱に冒された経緯を紹介しましょう。探検の話はもともと好きでした。アマゾンの探検,南極探検,ブルースの「ナイル川探検」,日本では河口慧海の「チベット旅行記」。そんな本を読みながらフンボルトにも自然と興味がいくようになりました。 ピエール・ガスカールの伝記「フンボルト」白水社(1990)を読んだ辺りで,一本の映画に出会いました。ヴェルナー・ヘルツォークの『アギーレ/神の怒り (1972)』です。これはすごい映画でした。1541~1542年のピサロの「南米紀行」を種本にしてつくった映画でした。そして「カシキアーレ」のとりこになり,フンボルトの 『新大陸赤道地方紀行』(17・18世紀大旅行記叢書第 岩波書店 2001)を手にしたのです。幻の川「カシキアーレ」。アマゾン川とオリノコ川の接点の川がカシキアーレです。

水泳 035-2s

1800年7月にボンプランとフンボルトが,クマナに入ってから,その年はカシキアーレの探検に使われました。
そしてついに,カシキアーレの入り口に達したのです。夜のような鬱蒼としたジャングルが金色の光に包まれたのです。

あるとき,湖と化した暗い森の中で,舟は金色に輝くおびただしい魚の群れに囲まれたことがあった。


それは楽園の入り口でした。

(この話はつづきます)


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Mr.ホームズの推理-アブダクション-

若柳駅 274-2s
ヒメオドリコソウ咲いて

先日テレビで「Mr.ホームズ 名探偵最後の事件(2015)」をしていました。おもしろかったので書いてみます。

93歳になったシャーロック・ホームズが物忘れに苦しみながら,最後の事件であるアン・ケルモット夫人の自殺を食い止められなかった後悔を綴る形で映画は進んでいきます。 監督はビル・コンドン。ミッチ・カリンの 『ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件』(角川書店刊)を原作にしています。
と,始めてから今日で3回目となります。シャーロックホームズの「観察力」,そして「養蜂をするホームズ」
今日はいよいよ最も興味をそそる「ホームズの推理力」について書いてみます。

しばしばホームズは探偵に必要な条件を,「知識」「観察」「推理」としています。いつも通りホームズに語ってもらいましょう。『四つの署名』の「推理の科学」からです。
君が今朝ウィグモア街の郵便局に行ったと分かるのは観察のおかげだ。しかし君がそこで何時電報を打ったかを教えてくれるのは推理だ」
「その通りだ!」彼は言った。「どちらもその通りだ。しかし実を言うと、どうやって君がそれを知ったのか見当がつかない。あれは突然の気まぐれだったし、誰にも言っていない」
ワトソンが郵便局に行ったことがなぜ分かったのでしょうか。ここでホームズは観察と推理を明確に分けて話しています。
僕は、観察によって君の靴の甲の上に小さな赤い土が付着していることを知った。ウィグモア通りの郵便局のちょうど向かいで、敷石を剥がして土が掘り返されており、それを踏まずに中に入れないような積み上げ方をしている。その土は特徴ある赤味を帯びていて、僕の知る限り、この辺りではあの場所以外には見あたらない。ここまでが観察だ。後は推理になる」

「じゃ、どうやって、君は電報のことを推理したんだ?」
「まず、僕は君が手紙を書いていなかったことを知っている。僕は午前中ずっと君の向かいに座っていたんだからね。僕はそこにある机の中に、君が切手と分厚いハガキの束を置いているのも知っている。ということは、電報を打つ以外に郵便局に何の用があるというんだ?他の要因を取り除いていけば、残った一つが真実でなければならない」

つまりホームズの思考は,「ワトソンの靴に付いていた赤い土-特徴ある赤味を帯びた土-どこの土か-ウィクモア通りの向かいの郵便局の道路工事-郵便局に行った」と観察するわけです。この観察の中には様々な思考が隠されています。
「ワトソンの靴に付いていた赤い土」は観察です。注意の持ち方です。観察するときに何に注意が向けられているかがポイントです。ホームズは,みな同じ物を見ているのに見えていないとよく言うのは,観察する際の注意の向け方や特徴付ける発見が出来ていないと言っているわけです。

若柳駅 015-2s
西日差し込む車内

この注意の向け方はその人を特徴づける物を探す行為なわけです。観察は発見する行為です。そのまま他とは違う物を探し出すという類別や識別というもので観察は成り立っています。映画の中でアン・ケルモット夫人が偽造したサインで銀行からお金を引き出し,薬屋に行って毒薬を買い,次に駅に行き,駅のホームで見知らぬ男にその金を渡します。その金が何の報酬としての金なのかホームズは観察によって見事に言い当てます。会って金を渡した男は「石工」だと言います。ごつい体,ズボンにはつぎはぎがあり,少し汚れた靴,何よりも大きな手,筋肉のついた体,節くれ立った擦り傷の多い手。この特徴によって何かを作る労働者だと分かります。でもどうして「石工」なのでしょうか。これが推理が混じる部分です。ケルモット夫人は過去に二人の子どもを流産している,そのことが彼女の人生を変えてしまった。彼女の考えることや行動は亡き子どもにすべて向けられている。子どもの墓を建てることは十二分に考えられる。二人の亡き子どもの墓を建てることで,子どもの安寧を祈ること。彼女が駅で接触した普段は会いそうもないあの男は「石工」だ。そう考えます。
男を観察した特徴をケルモット夫人の考え方と結びつけていく思考が働いています。推理は断片的な事実を一つの流れに取り込みながら進められていきます。仮定の蓋然性が次の観察事実によって一番可能性の高い事実へと集約されていくのが推理です。こう考えていくとホームズの推理は観察,行動,結びつけ,可能性と吟味されながら一つにまとまっていく,特別に目新しいものではないようです。これが「アブダクション」といわれる考え方です。「アブダクション」は時に「遡及的思考」とも言われます。進んだり,戻ったりしながら可能性の高い事実へと進んでいく思考のことを言います。難しく言うとアブダクションの中に「帰納的な思考」も「演繹的な思考」も入っているわけです。多くの観察した事実から引き出される帰納も,観察した事実に自然と現われてくる原因を探る演繹も,そしてケルモット夫人が墓を作るという新事実を発見する思考する思考もアブダクションなのです。


若柳駅 329-2gs
夕陽沈む頃

アブダクションという思考は何も特別な思考ではありません。むしろ私たちが日常行っている考え方そのものがアブダクションと言っていいでしょう。ある新しい事実を発見する思考です。科学史を塗り替える程の,パラダイムを転換するほどの大発見もアブダクションということができます。シャーロックホームズは観察した事実から新しい事実を発見する思考,アブダクションの手練れであったと言えます。
われわれが何かを発想したり仮説しようとするとき、つまりは思考を開始するとき、まず先行的にアブダクションをしているのだろうとみなした。しかるのちにその第一次的なアブダクションによるおおざっぱな仮説が、それと関連するであろう観察事実とどのくらい近似しているかを帰納させたり、そこに必然的な帰結がありそうならば演繹的分析をおこなっていく。
しかしパースは、そのような帰納も演繹も実はアブダクション(第二次アブダクションや第三次アブダクション)にもとづいているのではないかとみなしたのだ。つまりはすべてはアブダクションに始まり、アブダクションに包まれていると見た。
                                            『パース著作集』を語る松岡正剛「千夜千冊」
パースの際立っている点は論理学に依りながらも人間の思考全体を「アブダクション」という生産活動として捉えた点です。帰納,演繹,シニフィアンとシニフィエ,イコン,三段論法,仮説,シンボル,インデックスという論理学が作り出したものをスルーして目的に辿り着く強さと柔らかさをパースの考え方は持っています。
「注意がたしかに後続する思考に大きな影響をおよぼすことを知る」この言葉はパース自身の言葉です。しかしシャーロックホームズと全く同じ言い方です。つまりアブダクションに始まって,アブダクションに終わるのです。

くりでん0912 131-2gs
沈黙に戻る

ではワトソンは郵便局に行って何をしたのか。ホームズは推理します。
「じゃ、どうやって、君は電報のことを推理したんだ?」
「まず、僕は君が手紙を書いていなかったことを知っている。僕は午前中ずっと君の向かいに座っていたんだからね。僕はそこにある机の中に、君が切手と分厚いハガキの束を置いているのも知っている。ということは、電報を打つ以外に郵便局に何の用があるというんだ?他の要因を取り除いていけば、残った一つが真実でなければならない」
こういうことです。①事務所でワトソンは手紙は書いていない②ワトソンの机の中には切手と分厚いハガキの束がある③ワトソンが机の中からハガキを出して書いたり,切手を貼った所を見ていない④推理-郵便局に行ったのはハガキを出すためではない。だから電報なのだ。
このアブダクションの中には隠されている様々な次元の違う事実も隠されています。つまり,ワトソンは手紙好きである。日常よく手紙を書いている。手紙を出すときには郵便局に行って出している。というような慣例的な事実も推理に影響を及ぼす前提というものがあるわけです。


今日の記事はいつものように書き下ろしで推敲無しで出しています。繋がらないところもあります。そこはごめんなさい。この話はもっと続きそうです。また書きます。


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白鳥の駅 雁の駅-アファナシエフ「ピアニストは語る」-

新田駅 047-2s
ハクチョウの駅雁の駅

テンプレートを変えました。
なんか思い切り写真を載せたいと思っていたのですが,なかなかできませんでした。
写真だけクリックしても中途半端な感じだし…。

スクロールしないとうまくいかないところもありますが,細かいところまで見ることができるようにします。またお付き合いください。

さて今日は最近読んで面白かった本です。先日バッハホールに来たヴァレリー・アファナシエフがインタビューで語った記録です。
ピアニストは語る
2015年のインタビューですから昨年ですね。
アファナシエフが非常に深い生き方をしているピアニストであると言うことがよく分かる一冊でした。文章も無駄がなく,なめらかで彼と握手した時の柔らかい肌を思い起こしました。インタビューにキケロやアリストテレスやプラトンが縦横無尽に引用され,それが全然取って付けたようなペダンチックな感じが全くせず,自然なのです。彼の演奏は,文学であり,哲学であり,思索であり詩や映画によってさらなる深みへと誘うものであると強く感じました。彼の音楽の魅力はそうした深い人生への構えから立ち昇っていたものだったのです。彼がボルヘスやムジール読んだのが亡命後だそうですから,ソ連には入っていない作家もいまだにいるんだなあと思いました。そのムジールが彼の飼っているネコの名前になったと言いますからやはりアファナシエフの嗜好はただならぬ感じはします。第一部の人生編では,ソ連という国の音楽教育から,コンクール出場が国家の威信を掛けたシステムとして成り立っている事情がよく分かるようになっています。亡命時のハラハラドキドキの顛末もまるでスパイ映画を見ているような感じになりました。どういうレッスンを受けていたか,演奏にはどういう考え方が必要か,手に取るように分かります。また指導する教授陣の持ち前のオリジナリティーがおもしろく描写されていることも人間味が感じられて面白いところです。師と仰ぐギレリスの,アファナシエフを温かく見守る心持ちや忘れられない過ぎ越しの夜の果てしなく続く演奏の夜など,ピアニストとして真摯に生きる姿に憧れてしまいました。
そんな彼が演奏上で独特の感覚に襲われ(これはウィリアム・ジェームスの「宗教的な経験の諸相」に出てきた一体感だと私は思いますが),旋律と和声の完全な調和を得たと思われる答えについてはまた別の機会に語りたいと思います。



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紅葉の朝-親鸞の他力とは-

栗駒紅葉 173-2s
日の出に浮かび上がる紅葉

以前の記事で吉本隆明の「親鸞」は名作に入るのではないかと書きました。あれから何回か読み,あまりにも自分の単純な浅はかさ加減を思い知らされた気がしました。それほど親鸞の行き着いた地平は実に厳格だったと思い知らされました。

親鸞
「親鸞」吉本隆明

まず私たち「凡夫」と言われる一般人は何か道徳的に,良い事を行えば極楽に行ける的な考え方がどこかにあって生活をしています。多くはそうした「積善信仰」と言われている心持ちが信仰の基盤になっています。小さな善をこつこつと重ねることで自分の罪が洗い清められ,成仏への道が開けていく。神仏を敬い,先祖を敬い無心に拝むことも大切です。その無心さゆえに人の心を打ち,願いが遂げられることもありました。お言葉に,歌に,儀式に,一人の祈りの言葉に,念仏に,ひたすら無心に人は追い続けてきたものがあります。

しかし親鸞はそんな楽観的で,健康的な信仰の姿が本当に成仏の保証となるのか,欲で成仏を願うことは不遜な行為ではないか,念仏を唱えることは確かに悪いことではない,しかしそれが本当に極楽にたどり着く保証となるのだろうか。仏道に仕える者が修行し,念仏を唱えるだけで極楽に行けると教えて果たして良いものだろうか。人間の行うことは私欲以外の何において仏の教えに叶うと言うことができるのでしょうか。突き詰めていけば,何もはっきりとした往生の道はないのです。親鸞はそこを突き抜けていきました。そのような疑問の答えを個々の信仰の責任の中に丸投げして,投機しているだけに過ぎないとしたら。

或る僧が親鸞に言いました。「わたしもたまに念仏を唱えることに迷いが生じます」
親鸞は答えました。「わたしにもそのようなことがあります。そうした時には休むことです。」

何を一生懸命に信じて行ってもそれが仏の道である保証はない。

親鸞の究極の言葉は続きます。
「面々(おのおの)の計(はかり)りごとなり」

この意味は,次のように取れます。

「一人一人が自分の考えでよろしい」

我欲をただ突き通すより,真実と思われる幻のまっただ中でもだえ苦しむよりも
「面々(おのおの)の計(はかり)りごとなり」
「一人一人が自分の考えでよろしい」

親鸞の言う「発心(ほっしん)」はこのような人々の我欲の果てに現われる根本的な信仰への疑問という地平から立ち昇ってきます。
ここに「他力」という本来の仏にすがる道が現われます。

栗駒紅葉 100-2s
ブナの林に朝日差す

念仏を唱えるだけで極楽浄土に行ける
善を重ねれば極楽浄土に行ける

親鸞の言う「他力」はそんな安易で楽観的な頼るということではありません。実は人間の真の平等とは何かという地平まで下りたって「他力」の条件とは何かを指し示したのでした。これは人間の救いを根本から考え直した鋭利な思想の到達点でした。良いことをする人間,悪いことをした人間。すべて「面々(おのおの)の計(はかり)りごとなり」しかしそうした人間のすべてが「発心」することで本願を遂げることができる。発心することに良い人,悪い人はない。人はみな平等。






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