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百姓家の思い出

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読み物「百姓家の思い出」

私がまだ小学校にも上がっていない昭和30年代の終わり頃、新田にも至る所に大きな昔の百姓家があった。よく盆や正月には祖父や父と手をつないで祖父の実家へ挨拶回りをした。「さいがつしら」とよく言っていたが、長沼の明るい水面を見下ろすこんもりとした森に囲まれていた家だった。
本道からそれて、門口は少し急な長く続く下り坂になっていて、両側に欅の大木が回廊のように続いて、やがて右に曲がる。すると中門と呼ばれる大きな長屋門が聳えるように木々の間に見えてくる。その四角く切り取られた窓のような明るい所を通って屋敷に入っていく。
玄関の前に立つと、昼なのに鳥も鳴かず妙に静かである。玄関には柱を支える大きな石があり、子どもには高過ぎる程の敷居を跨いで入ると、土間である。なんだか遠野物語にある「マヨヒガ」に来た気分である。薄暗い家の中を父の背中越しにおそるおそる覗くと、屋内の土間の右側に馬小屋があり、かすかに採光された明かりを受けて黒い馬の瞳と目が合った。
きょろきょろと辺りを見回す私が家のつくりに興味を示したと思ったのか、父は家の中を案内してくれた。

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百姓家の裏道

先程の馬と目が合った馬小屋の脇に、暗闇へと続くような狭い上り階段があった。幾分天井が低いと思われた天井裏の果てしもない広がりに出ると、そこは蚕部屋となっている。始終パリパリと音がしていたのは、蚕が桑の葉を食む音だったのである。妙に固く乾いた音が暗がりによく響いた。白さが映える障子戸を右に見て、雨戸を開け放った長い縁側は外の光も風も引き入れているが、梅雨も終わりそうなこの時期でも寒いくらいだ。夜にがらがらと雨戸を閉めると、家の中は全くの自分の指先も分からない程の漆黒の闇となる。その長い縁側の彼方に厠がある。厠だと分かったのは、上から釣り下ろされていた「手水(ちょうず)」が南天の植木の傍にあったからである。手のひらで細い棒を上に押し上げると水が流れて手を洗えるのだった。
「ふどらいん。ふどらいん」とおばあさんが何回も言うので、こたつに足を入れると強い練炭の香ばしい匂いがした。無理に足を伸ばそうとすると妙に柔らかいものを踏んだ。こたつ猫だった。猫はぐったりとしている。大丈夫だろうかと思ったが、大人の話に割って入ることが憚られた。
こたつの上には、様々な容れ物にいろいろなものがうず高く盛ってあった。酢漬け、大根漬け、キュウリ漬け、煮物・・・。更に驚いたのは、そのすべてにたっぷりと白い砂糖がかけてあったことだった。食べ物に砂糖を掛けてもてなすという方法は来客への極上の敬意を込めた料理の出し方であった。馬がいなないた。


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泉鏡花の見た伊豆沼

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新田駅 1924(大正13) 新田駅開業30年記念式典写真帳から。
この3年前の大正10年,泉鏡花が新田駅を行き過ぎ,平泉に向かった

「泉鏡花の見た伊豆沼」

今から103年前のこと。
大正10年5月11日(水)午前8時30分。東北本線新田駅から下り青森行き209列車が発車した。
晩の雨は朝に上がったが,朝靄が残った。その朝靄も明らいだ空とともに消え始め,伊豆沼の春の景色が広がり始めていた。
二等列車の左には泉鏡花が、車窓から重い体を起こして伊豆沼の景色を眺めた。
あと小一時間ばかりでやっと目的の平泉に着く。その時、雲間から五月の日の光が伊豆沼全体に差し始め、沼は光で沸き立って見えた。

「ああ、雲が切れた、明るいと思う処は、
「沼だ、ああ、大きな沼だ。」
と見る。……雨水が渺々(びょうびょう)として田を浸たすので、行く行く山の陰は陰惨として暗い。
……処々巌(いわ)蒼く、ぽっと薄紅く草が染まる。嬉しや日が当ると思えば、角(つの)ぐむ蘆(あし)
に交り、生茂る根笹を分けて、さびしく石楠花(しゃくなげ)が咲くのであった。
奥の道は、いよいよ深きにつけて、空は弥(いや)が上に曇った。けれども、志ざす平泉に着いた時は
幸いに雨はなかった。」
「七宝の柱」より

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新田駅を通過 鉄路は平泉へ

 右を見れば、沼と反対側の坂戸崖の暗い緑の中に山吹の黄色が目立ち、また橙の咲き始めたツツジが車窓を色とりどりに流れていく。桜の花が散り、遠く望む栗駒山には田植えの合図を告げる駒の雪形が見えるはずだった。しかし,雨上がりの雲で見ることは
できなかった。

 5月も中旬に差し掛かる今の奥州は、田植えの真っ最中である。白河で見た卯の花を、「奥の細道」の曾良になぞらえてみた鏡花だったが、朝靄の中に茫漠と広がる伊豆沼の沼沢地をじっと鏡花は眺め入った。
ついに奥州にやってきた。昨晩午後6時30分に上野を発車して、12時間以上も列車に揺られていた。やっと午前9時30分には平泉に着く。その平泉紀行が「七宝の柱」「銀鼎」「飯坂ゆき」などの多くの作品として残された。
鏡花の記憶の中に、朝靄に開かれた伊豆沼の景色は今も輝いている

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今朝1月20日の内沼

1月27日 伊豆沼読書会
・親子三代日本一周の旅
・伊藤正子さんに会いに来た外国人


くどうれいん「伊豆沼の蓮」ぼるん、ぼるん

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伊豆沼の蓮

河北新報日曜日の特集「東北の文芸」を開くと,くどうれいんの「ごきげんポケット」のコーナーがある。
まず,ここを読む。一枚だけ載っている写真もまた楽しい。
そしてまた今日のタイトルは「伊豆沼の蓮」である。

かき分けてもかき分けても,人の頭ほど大きなハスが,ぼるん、ぼるんと咲いている

とは,見事な表現である。船に乗って蓮のを見ると確かにその大きさが分かる。

それにしてもくどうれいんという作家の本も,何も読んだことがなかった私だったが,連載当初から読んでいると,彼女の文章の人肌に魅力を感じていた。なんと言ったらよいのか,どこまでもモノローグに近い話し言葉が,妙に心地よいのだ。いかにもどこか東北の人という訥々とした感覚を持っている。だから文章からは,晴れ渡るような青空は感じさせないし,むしろどこか文章に漂う空気は澱んでいる。その綿入れどんぶくに包まれていれば,どんな日でも暖かいところがいい。モノローグだから幼いような気がするが,それは少女特有の大きな黒い瞳を持っているからだろう。冬の縁側でひなたぼっこをしている猫をつるつると触っている女の子である。どこかの佐々木の家に居るザシキワラシのおぼこが独り言を言うと,れいんさんの文章になるような気がする。
不思議である。

かき分けてもかき分けても,人の頭ほど大きなハスが,ぼるん、ぼるんと咲いている



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穫り入れ始まる 今朝9/18

さて,今月の伊豆沼読書会は,30日(土)午後1時30分~伊豆沼・内沼サンクチュアリーセンター淡水魚館で行ないます。
内容は「出羽三山ゆき」です。お待ちしております。

音のつくり出す圧倒的な空間

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今朝の霧が出た長沼

先回,「坂本龍一が,雨の音,川の音,海中の音などの自然の音をひたすら録音したり,世界中の音をライブで集めて来て,会場のスピーカーで交響させたりする試みを行なっていた」ことは,新しい音楽の創造を,よりポリフォニックで,音の出会いを自由性の高い次元で行なおうとした試みでしょう。
よく,波の音や風の音,竹林の音などの自然の音を,日本人は言語を司る左脳で処理し,西洋人は機械的な音として右脳で処理すると言われます。日本人にとっては,自然の音は,ことばと同じように,むしろ言葉と密接に関わるように理解されるのです。自然の音が言葉に翻訳されやすい脳を私たちは既に持っているのだと言えましょう。

子どもの頃,私は祖父の供養のために,叔母達5人がご詠歌を歌うのを聴きました。今でも忘れられないで覚えているのは,5人の叔母達の声が各々の声の特性を持って,ポリフォニック(多声的)に立ち上がり,響き合い,そこに美しい空間が見えたのでした。不思議な体験でした。一人一人の微妙に違う声が合わさることで,何かの建築のように立ち現れてきて,日常とは違う空間がはっきりと私たちを取り囲んだのです。そこに鈴の高い音が規則的に入ります。
「クラブとか行くと、こういうほとんど変化しない音楽をずっと聴いているわけです。そして、トランス状態になるのかな。たとえば、同じパターンが並んでいる建築の空間とか、壁面とかをずっと見ていると、実際にはないのがいろんな模様を勝手に作ります。やっぱりあれもそうなのです。まったく変化しない、その一様な状態に人間はなかなか堪えられない。そういうのもちょっと似ていると感じます。なるべくゼロの方に一回 行ってみるのは、面白いことですね。」(坂本龍一の講義から)

こういった言葉から考えると,源信が「往生要集」の中で,息を引き取ろうとする人の見取りの方法を厳格に定めていることが肯けます。まず息を引き取ろうとする人の周りを取り囲んだ僧侶達がまさに読経を繰り返し,声明によるポリフォニックな空間をつくり,何が見えるか,何が聞こえるかを聞き出し,記録させます。これらが息を引き取るまで続きます。繰り返される読経のポリフォニックな声明の圧倒的な空間がトランス状態をつくりだし,それに引き連れて,死なんとする人の不安や迷いを取り除きます。
永遠に繰り返される声という音が響き合う中で,やがて心はトランス状態に入ります。この状態は,ケチャやご詠歌の声がつくり出す空間にそっくりです。

先回,自然の音が言葉に翻訳される行程を,「巫女や口寄せによる神降ろし」も同じと書きましたが,巫女や口寄せの人達に初めて神様が下りる儀式(カミツケ)が,やはりトランス状態をつくり出す設定に似ています。
「カミツケの当日には,オナカマサマ(師匠からカミツケを手伝うよう頼まれたオガミサマ)が三十人ほど集まり,また,実家の近所の人々も大勢詰めかけて屋敷の外から見物していた。カミツケの儀礼は,夕方から始まり,真夜中過ぎまで続いた。まず,オナカマサマや近所の人達が周りで拝んでいる中で,(中略)師匠の膝の上に座らされ,後ろから抱きかかえられ,その周りをオナカマサマ達がぐるりと取り囲んで経文を唱える。もう座敷に行って,座らされた時から何が何だか分からなくなる。」(「民俗資料選集31巫女の習俗Ⅴ」から)ここで失神したりして,カミが降りてきたことが分かります。

多くの人の声や音によるポリフォニックな空間に包まれ,それが繰り返されることで「何が何だか分からなくなる」トランス状態に陥ります。これは音を媒介としてそこに成立する空間に一緒に投げ込まれることを言っています。つまり神のメッセージが伝わるとか,意味が分かるというメタな空間ではなく,身体の枠を超えさせるという物質的で身体的な空間によってなのです。

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夜の長沼

「ほとんど変化しない音楽をずっと聴いているわけです。そして、トランス状態になるのかな。たとえば、同じパターンが並んでいる建築の空間とか、壁面とかをずっと見ていると、実際にはないのがいろんな模様を勝手に作ります。やっぱりあれもそうなのです。まったく変化しない、その一様な状態に人間はなかなか堪えられない。」
変化のない音の永遠的な連続に耐えきれず,身体はやがて妄想や幻聴をつくり出し始める。圧倒的な暗闇や長く続く沈黙,繰り返される雨音。こういう時にこれらの自然の音を媒介にして,人の言葉が聞こえて来る。いや,内発的な言葉が現実に浮かび上がってくる。

自然の音が人に語りかける

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今朝の長沼

上野千鶴子氏がラジオの対談の中で言った,次の言葉にはっとした。
「(言葉は自分のものではなく,)言葉とは他人のものだ」
上野千鶴子  だから、不完全な表現の器に行って、無理やり自分を開いていった。言葉って他人のものなんだって。その当時、(ジャック・)ラカンが流行っておりましてね、ラカンがはっきり「言葉とは他人のものだ」ってはっきり書いてるわけです。「そうか、他人のものか、私のものじゃないんだ」って。「言葉を使うって、もう既にその時点で他人に自分が乗っ取られてるということなんだ」と思って、ある時、そう思ったら文章がワーッて書き出せたんです。
「言葉を使うって、もう既にその時点で他人に自分が乗っ取られてるということなんだ」と,気付いた時に,彼女の中で,表現の「手続きの地平」が見えてきて,腑に落ちたのでしょう。それまでは,私(上野氏)一人だけの表現を求めていた。純粋に誰かの不純物は一切入らない自分だけの言語表現を求めていた。それが文学だとも強く思っていた。しかし,出発の時点で,もう私自身が使う言葉は,既に乗っ取られていた,という風に読み取れます。
このように語る上野氏は,自分だけの言葉で,自分だけの表現で,今までには誰もできなかった自分だけの言語空間をつくり上げたかった。でも,そんな完全なる自由は,実は最初から奪われていたのです。このことに気付いた時に,彼女の言葉の「手続き」が了承できたのでしょう。

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