fc2ブログ

くどうれいん「伊豆沼の蓮」ぼるん、ぼるん

DSC_9081-7s.jpg
伊豆沼の蓮

河北新報日曜日の特集「東北の文芸」を開くと,くどうれいんの「ごきげんポケット」のコーナーがある。
まず,ここを読む。一枚だけ載っている写真もまた楽しい。
そしてまた今日のタイトルは「伊豆沼の蓮」である。

かき分けてもかき分けても,人の頭ほど大きなハスが,ぼるん、ぼるんと咲いている

とは,見事な表現である。船に乗って蓮のを見ると確かにその大きさが分かる。

それにしてもくどうれいんという作家の本も,何も読んだことがなかった私だったが,連載当初から読んでいると,彼女の文章の人肌に魅力を感じていた。なんと言ったらよいのか,どこまでもモノローグに近い話し言葉が,妙に心地よいのだ。いかにもどこか東北の人という訥々とした感覚を持っている。だから文章からは,晴れ渡るような青空は感じさせないし,むしろどこか文章に漂う空気は澱んでいる。その綿入れどんぶくに包まれていれば,どんな日でも暖かいところがいい。モノローグだから幼いような気がするが,それは少女特有の大きな黒い瞳を持っているからだろう。冬の縁側でひなたぼっこをしている猫をつるつると触っている女の子である。どこかの佐々木の家に居るザシキワラシのおぼこが独り言を言うと,れいんさんの文章になるような気がする。
不思議である。

かき分けてもかき分けても,人の頭ほど大きなハスが,ぼるん、ぼるんと咲いている



DSC_9681-7s.jpg
穫り入れ始まる 今朝9/18

さて,今月の伊豆沼読書会は,30日(土)午後1時30分~伊豆沼・内沼サンクチュアリーセンター淡水魚館で行ないます。
内容は「出羽三山ゆき」です。お待ちしております。

スポンサーサイト



音のつくり出す圧倒的な空間

DSC_3734-7ss.jpg
今朝の霧が出た長沼

先回,「坂本龍一が,雨の音,川の音,海中の音などの自然の音をひたすら録音したり,世界中の音をライブで集めて来て,会場のスピーカーで交響させたりする試みを行なっていた」ことは,新しい音楽の創造を,よりポリフォニックで,音の出会いを自由性の高い次元で行なおうとした試みでしょう。
よく,波の音や風の音,竹林の音などの自然の音を,日本人は言語を司る左脳で処理し,西洋人は機械的な音として右脳で処理すると言われます。日本人にとっては,自然の音は,ことばと同じように,むしろ言葉と密接に関わるように理解されるのです。自然の音が言葉に翻訳されやすい脳を私たちは既に持っているのだと言えましょう。

子どもの頃,私は祖父の供養のために,叔母達5人がご詠歌を歌うのを聴きました。今でも忘れられないで覚えているのは,5人の叔母達の声が各々の声の特性を持って,ポリフォニック(多声的)に立ち上がり,響き合い,そこに美しい空間が見えたのでした。不思議な体験でした。一人一人の微妙に違う声が合わさることで,何かの建築のように立ち現れてきて,日常とは違う空間がはっきりと私たちを取り囲んだのです。そこに鈴の高い音が規則的に入ります。
「クラブとか行くと、こういうほとんど変化しない音楽をずっと聴いているわけです。そして、トランス状態になるのかな。たとえば、同じパターンが並んでいる建築の空間とか、壁面とかをずっと見ていると、実際にはないのがいろんな模様を勝手に作ります。やっぱりあれもそうなのです。まったく変化しない、その一様な状態に人間はなかなか堪えられない。そういうのもちょっと似ていると感じます。なるべくゼロの方に一回 行ってみるのは、面白いことですね。」(坂本龍一の講義から)

こういった言葉から考えると,源信が「往生要集」の中で,息を引き取ろうとする人の見取りの方法を厳格に定めていることが肯けます。まず息を引き取ろうとする人の周りを取り囲んだ僧侶達がまさに読経を繰り返し,声明によるポリフォニックな空間をつくり,何が見えるか,何が聞こえるかを聞き出し,記録させます。これらが息を引き取るまで続きます。繰り返される読経のポリフォニックな声明の圧倒的な空間がトランス状態をつくりだし,それに引き連れて,死なんとする人の不安や迷いを取り除きます。
永遠に繰り返される声という音が響き合う中で,やがて心はトランス状態に入ります。この状態は,ケチャやご詠歌の声がつくり出す空間にそっくりです。

先回,自然の音が言葉に翻訳される行程を,「巫女や口寄せによる神降ろし」も同じと書きましたが,巫女や口寄せの人達に初めて神様が下りる儀式(カミツケ)が,やはりトランス状態をつくり出す設定に似ています。
「カミツケの当日には,オナカマサマ(師匠からカミツケを手伝うよう頼まれたオガミサマ)が三十人ほど集まり,また,実家の近所の人々も大勢詰めかけて屋敷の外から見物していた。カミツケの儀礼は,夕方から始まり,真夜中過ぎまで続いた。まず,オナカマサマや近所の人達が周りで拝んでいる中で,(中略)師匠の膝の上に座らされ,後ろから抱きかかえられ,その周りをオナカマサマ達がぐるりと取り囲んで経文を唱える。もう座敷に行って,座らされた時から何が何だか分からなくなる。」(「民俗資料選集31巫女の習俗Ⅴ」から)ここで失神したりして,カミが降りてきたことが分かります。

多くの人の声や音によるポリフォニックな空間に包まれ,それが繰り返されることで「何が何だか分からなくなる」トランス状態に陥ります。これは音を媒介としてそこに成立する空間に一緒に投げ込まれることを言っています。つまり神のメッセージが伝わるとか,意味が分かるというメタな空間ではなく,身体の枠を超えさせるという物質的で身体的な空間によってなのです。

DSC_2282-7s.jpg
夜の長沼

「ほとんど変化しない音楽をずっと聴いているわけです。そして、トランス状態になるのかな。たとえば、同じパターンが並んでいる建築の空間とか、壁面とかをずっと見ていると、実際にはないのがいろんな模様を勝手に作ります。やっぱりあれもそうなのです。まったく変化しない、その一様な状態に人間はなかなか堪えられない。」
変化のない音の永遠的な連続に耐えきれず,身体はやがて妄想や幻聴をつくり出し始める。圧倒的な暗闇や長く続く沈黙,繰り返される雨音。こういう時にこれらの自然の音を媒介にして,人の言葉が聞こえて来る。いや,内発的な言葉が現実に浮かび上がってくる。

自然の音が人に語りかける

DSC_3220-7s.jpg
今朝の長沼

上野千鶴子氏がラジオの対談の中で言った,次の言葉にはっとした。
「(言葉は自分のものではなく,)言葉とは他人のものだ」
上野千鶴子  だから、不完全な表現の器に行って、無理やり自分を開いていった。言葉って他人のものなんだって。その当時、(ジャック・)ラカンが流行っておりましてね、ラカンがはっきり「言葉とは他人のものだ」ってはっきり書いてるわけです。「そうか、他人のものか、私のものじゃないんだ」って。「言葉を使うって、もう既にその時点で他人に自分が乗っ取られてるということなんだ」と思って、ある時、そう思ったら文章がワーッて書き出せたんです。
「言葉を使うって、もう既にその時点で他人に自分が乗っ取られてるということなんだ」と,気付いた時に,彼女の中で,表現の「手続きの地平」が見えてきて,腑に落ちたのでしょう。それまでは,私(上野氏)一人だけの表現を求めていた。純粋に誰かの不純物は一切入らない自分だけの言語表現を求めていた。それが文学だとも強く思っていた。しかし,出発の時点で,もう私自身が使う言葉は,既に乗っ取られていた,という風に読み取れます。
このように語る上野氏は,自分だけの言葉で,自分だけの表現で,今までには誰もできなかった自分だけの言語空間をつくり上げたかった。でも,そんな完全なる自由は,実は最初から奪われていたのです。このことに気付いた時に,彼女の言葉の「手続き」が了承できたのでしょう。

続きを読む

水辺にて

DSC_7760-7s.jpg
水辺三景 今朝 伊豆沼

どうしても平らかで広々とした凹凸のない凪のようなすべらかな景色に会いたくなる
観察不可能で暴走しようとする自分が
尖り過ぎてくる感覚を水で宥めようとする
彼方が霧で見えないことは実に幸せである
霧の中でこちらに手を振り続けるひとを想像できるからだ

DSC_7582-7s.jpg
水辺三景 昨日

日没直前に虹が立った
日が沈むにつれて虹はどうなるだろう
下から消えていくか
上から消えていくか

全体が薄くなって消えていった
好きだった人がつきひとともに記憶から遠ざかって行く
そんな消え方だった
一番さみしい消え方だった

DSC_7725-7s.jpg
水辺三景 一昨日

消えてなくなったはずなのに
心の疵(きず)として残っていたことにある日気付かされた
夢の中で
一層手の届かないものとして現われてきたからだ


激昂する茂吉

DSC_2148-7s.jpg
ブナの展葉前線上昇中 ここは標高800㍍地点で5月8日の撮影です

今年もブナが柔らかい緑の葉をつけました
以前に書きましたが,このブナの展葉(葉が開くこと)は一日平均40㍍ずつ標高を上げていきます。(その記事は こちら )
上の写真は標高800㍍付近ですから須川温泉付近(標高1114㍍)のブナが葉をつけるのは5月8日から数えて7~8日後の今度の日曜日15日辺りとなるでしょう。この日は5月の第3日曜日に当たり,栗駒山の山開きの日になります。つまり山開きの登山にブナの展葉前線も付いていくことになりますね。どうですか,ブナと一緒に栗駒山に登りませんか。ちょっとお洒落なコピーになりますね。

さて今日は「激昂する茂吉」です。
齋藤茂吉に雁を題材にした「よひよひの露ひえまさるこの原に病雁(やむかり)おちてしばしだにゐよ」という歌があります。
この歌が芭蕉の句の模倣ではないか,剽窃(ひょうせつ)ではないか,写生こそ大事と唱える茂吉とあろう者が本歌取りを超えておよそ模倣を行うとは如何なものか,と指摘したのは太田水穂でした。この茂吉の歌はアララギ昭和4年十一月号に載ったものを芭蕉研究会にいた太田水穂が「あれっ」と思い,茂吉に仕掛けたのでした。
太田水穂をして芭蕉の模倣,剽窃という判断をさせたのは芭蕉の「病雁の夜さむに落て旅ねかな」という句を思い出したからでした。それを太田の主宰誌「潮音」に載せたのでした。
さて茂吉は怒りました。人の作品を模倣,剽窃呼ばわりをするとは何事だ。早速茂吉はいきり立ち,アララギ昭和5年三月号で二編二十一ページという大上段を振りかざして,太田に対しての反撃を開始したのです。

DSC_0588-7ss.jpg
ブナの展葉前線上昇中

まずは仕掛けた水穂の弁を聞いてみよう。ここでもう一度茂吉と芭蕉の作品を並べてみよう。

よひよひの露ひえまさるこの原に病雁(やむかり)おちてしばしだにゐよ  茂吉
病雁の夜さむに落て旅ねかな    芭蕉

太田水穂「この曠野と見える原つ場の冷露の中に,野雁ならまだしも病気している雁を舞い落ちさせようというのであるから病妄想も甚だしい」(中略)「この原としたのは何故であろうか。この原と言うのであれば曠野とも,ただの草原とも,林木の原とも動くので
雁はその特性を発揮しない。鴉でも四十雀でもよいことになるのである。ことに「この」とは何事であるか。平生抽象を罵詈(ばり)する齋藤にも似合わず,この大切な三句目に来て,「この原に」などと散漫な言葉を並べたところ到底本気の沙汰とは思われない」

結構な辛辣さと皮肉である。
さて茂吉は太田水穂を馬鹿呼ばわりして反撃を開始した。

茂吉「僕は少しく馬鹿な水穂に言って聴かせよう。「この原」とは「この目前の葦の生えている原」という意味である。この「原」をば曠野とか,ただの草原とか,林木の原などと連想するのは水穂が愚鈍だからである。その程度の愚鈍鑑賞家である水穂などは到底僕の一首も分かりっこないが,水穂よく聴け。雁は多く葦などの生えている所にいる。画題に蘆雁というのは即ちそれである。また,古来雁の名所である「原」がいかなるところであるかということを水穂は少しく勉強して知るべきである。ここのところを水穂ならば「蘆原」などというかも知れぬが僕はそういうことを言わない。僕は単に「この原」と言う。歌人としての力量に霄壌(しょうじょう)の差別の附くのは既にこの一句で証明されるのである。(中略)次に「この原の」なかの「この」であるが,この力量は到底水穂輩の思いだも及ぶ技法ではない。水穂は「この」を散漫で抽象的だなどと言うが,これ程緊密で具体的な技法はないのである。僕の歌の中の「この」は,和歌の極致であり,写生の妙諦でもあり,人麻呂にも比すべき力量なのである。しかるに僧良寛の力量は既にここの点を悟入していたので僕は大正三年に,その良寛の力量を讃えておいた。

注)良寛の歌は次のものだろう。「太田水穂を駁撃す」昭和5
この宮のみ阪に見れば藤なみの花の盛りになりにけるかも  良寛「良寛和歌私鈔」の最初の一首
茂吉は「この」の用法を遡って次々と挙げていく。

DSC_2217-7s.jpg
ブナの展葉前線上昇中

さて凄い応酬である。
これに対してまた太田水穂が「芭蕉の「病雁」の句に就て-斎藤茂吉氏の所論に対する解嘲-」を書いたのは,昭和5年二月のことである。この最後の方で太田はこれで齋藤茂吉と「病雁」について対戦するのは五回である,と記している。まことにすさまじい対戦である。