2022/05/24

マ
ガンポートレイト
伊豆沼にやってくる冬の渡り鳥達の質や量はまぎれもなく世界に誇れる規模のものです。
しかし,この大切な自然遺産のことを考えると必ずと言っていい程,「鳥と人間のどちらが大切か」という決まり文句に出会ってしまいます。このように言うのは農家の人達です。農家の人達には守るべき田んぼがあり,つくるべき米があります。一旦日本では絶滅した朱鷺(トキ)が放鳥された時に地元の農家の人はこう言いました。
「トキが田んぼに来て,稲を倒したりしないといいのだが・・・」
この言葉は農家にとってトキが害鳥であるとか,トキを敵視しているとか,鳥に対して無理解だと短絡的に受け取るといけません。
この話は,農家にとって米作りは最も大切なことで,芸術にも匹敵する,いやそれ以上に人の命を育む行為であることをまざまざと私たちに知らせてくれています。実際,田んぼを見ると分かります。きれいに草が刈られた畦,満々と湛えられた水,朝夕の見回りと水管理,これほどの美しい田をつくりあげる行為は命がけです。その整然とした秩序の中に鳥が舞い降りてきて,美しく並んだ稲穂を踏まれでもしたら,農家の人達は丹精込めて作り上げようとする米を汚す者は許しません。農家はそういう点で芸術家なのです。
でも,どうしてマ
ガンは害鳥と考えられ,渡り鳥たちも同じように困った存在として定着してしまったのでしょうか。
伊豆沼に月沈む
宮城の偉人を集めた「みやぎの先人集 第二集」の巻頭を飾るのは,
伊豆沼の自然保護に取り組み,「白鳥愛護会」から
ラムサール条約への道をつくった相澤幸四郎氏です。郷土の自然を守る相澤幸四郎氏は迫町時代に名誉町民にもなっています。しかし,当時の記録からして,農家,住民,白鳥愛護会,行政を囲んでの話合いは激烈を極めました。その様子が三塚昭悦「焱(えん)」に書かれています。その時に農家の人達から発せられた言葉が「鳥と人間のどちらが大切か」というこれ以上もない厳しい言葉でした。
奇しくもこの「鳥と人間のどちらが大切か」という言葉がまた飛び交ったのは,
蕪栗沼を
鳥獣保護区にすると提案された時でした。多分全国で自然保護の嵐が吹き荒れた1970年代に,この言葉は最も辛辣に,農家側からは最も真剣に繰り出された心の叫びではなかったかと思います。マ
ガンが天然記念物に指定されたのは1971年のことでした。この1971年(昭和46)に環境省ができ,尾瀬の観光道路も途中で工事が中止された年でした。その自然保護の潮流に乗り,
蕪栗沼でも1983年に
鳥獣保護区にするという話が起こりました。農家の人々の思いはそんな時代の流れに押しきられる形で,やがて鳥や自然保護運動家や行政に対し,不信感を抱くようになりました。
「鳥と人間のどちらが大切か」
実は現代でもこのしこりは消えることなく,大きな不信感として農家の人々に残っています。
ハクチョウの夢
1996年のことでした。
蕪栗沼の全面掘削計画が発表されました 。
蕪栗沼は国指定の遊水池であることはもちろん,実際に水害の憂き目に遭い,稲が冠水し,収穫がなかったことがありました。ですから水害を防ぐために掘削して,本来の遊水池としての機能を回復させる必要がありました。農家の人々はこの計画に賛成しました。ところが,この計画を聞いて自然保護団体が「
蕪栗沼の生態系の保全」特に「マ
ガンのねぐらとしての
蕪栗沼の保全」という点から計画の中止を求めたのでした。当時の自然保護の時代背景を受け,自然保護団体からの申し入れを受けた行政もねぐらの一極集中による水質汚濁等の点から沼の環境保全を考慮し,計画に関する再調査を加えた結果,1996年同計画は中止されることとなったのでした。またしてもです。
農家の人々は叫びました。
「鳥と人間のどちらが大切か」

懐かしの昔の2工区機関場
こうした場合,一つの共通した理解を得るために話合いが持たれたりしますが,なぜか道徳的な面で受け入れろとか。相手の立場を理解しろ。といったような更に対立を深める決裂という結果が重なり,更に不信感を募らせることも少なくはありません。むしろこうした対立の心情が渡り鳥たちに投射され,マ
ガンは害鳥だという考え方になっていったのかもしれません。
2000年のことでした。蕪栗沼のある田尻町は一粒でも鳥による食害に見舞われた稲はすべて保障するという条例を出しました。
その結果食害に認定された被害は10年間でたった1件だけだったと言います。しかし申請書類が煩雑過ぎたという面もあるらしいのですが・・・。
ここで言えることはいつの時代も立場による認識のずれはあるものだということです。
そのずれはおいそれと簡単に埋まるものではありません。ウィンウィンなんてそんなに転がってはいないのです。むしろそのずれを取り込みながら,双方の条件を呑む方策というものが問われているのかもしれません。
「鳥と人間のどちらが大切か」
「人間も大切。鳥も大切。どちらも大切」