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渡り鳥たちが選んだ地球最後のリゾート地-伊豆沼-その2-道行(みちゆき)

処暑の候-7s
処暑の夜明けを駆けるISS(国際宇宙ステーション)8月23日4時4分

まず最初に連絡をします
8月の伊豆沼読書会はお休みということになります。
毎月最後の土曜日を例会として続けて来た伊豆沼読書会ですが,初めてのお休みをいただきます。すみません。羽黒伏修行に行きます。
次回は,9月30日(土)午後1時半から,登米市伊豆沼・内沼サンクチュアリーセンターで行ないます。

さて,渡り鳥が集まる最後の楽園,伊豆沼についてです。
日本に来るマガンなどの冬の渡り鳥の9割弱は,敢えてここ伊豆沼を越冬地に選んでいます。今回はその理由を渡り鳥のルートに注目して,気軽に来ることができる「絶好の風が吹いている」栗駒ルートがあることに注目してお話ししています。この栗駒ルートをつくる風の道は,鉄道で言えば特急や新幹線並みのスピードと高い安全性,つまり風の安定性が確保された目には見えない風の道なのです。ですから,渡り鳥たちは,簡便性と確実性を求めて,営々とこの栗駒ルートを取って来たのです。
まず,マガンの渡りのルートを早速見て行きましょう。

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渡り鳥たちが選んだ地球最後のリゾート地-伊豆沼-その1-風にのる

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昨日8月21日,夕暮れの伊豆沼

ガンハクチョウたちの冬の渡り鳥は,寒い冬を避け,安全に過ごすことができるリゾート地を求めて,9月~3月までの一年の約半分を日本で過ごします。マガンで言えば,日本に渡ってくる数の8割強がこの宮城県に,その中でも伊豆沼・内沼蕪栗沼,化女沼を訪れます。その総数は20万羽を超え,その数は,年々増え続けています。
なぜ,渡り鳥たちは,この伊豆沼を敢えて選ぶのか。人ではなく,鳥たちが選んだ最高のリゾート地№1が「伊豆沼」なのです。
今回から数回にわたり,「渡り鳥たちが選んだ地球最後のリゾート地-伊豆沼-」と題して,勝手に考えてみたいと思います。よろしくお付き合いお願いいたします。
今日は,「風にのる」という題で,目には見えない風の力が,彼等を,ここ伊豆沼に連れてくるという内容です。

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ラムサール条約の伊豆沼って何だったか4―入会地(いりあいち)―

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棚田を過ぎる 東北本線 梅ヶ沢―新田

昔は「入会地(いりあいち)」というものがあった
天保貳年の風土記の新田村に伊豆沼は次のようにかいてある
一 伊豆沼 廻り大道六里餘 多分新田村分ナリ
  但新田村一ノ迫畑岡村荻澤村留場村入合片瀬片川水底大町榮三郎定請ナリ
伊豆沼は新田村と一ノ迫畑岡村,荻澤村,留場村の入合地だったのである。つまり沼の周辺の村が協同で管理したり,各村で沼からの恵みをいただき,収獲した魚や貝を売ったりして生計を立てていたのです。また田に水を引くのにも入会の権利で協同性が働いていたようです。薪(たきぎ)にする物も入会の林,肥料や家畜のえさとなる草刈りも入会地の草原と権利は皆平等に行使され,使用されました。「水底大町榮三郎定請ナリ」は沼の水底で獲れるもの,魚や貝などは領主となっている大町氏の権利となっているということです。領主の許可を得て,入会の村々は平等に日にちを決めて漁をしていたのだと思われます。

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夕暮れを急ぐ

このような入会地は川,沼,林,草刈り場などに及び他にも例えば神社,祠を建てるのに共同出資で土地を所有者から買い取ったりして沢山の人々の名義で登記されている例もあるようです。このような共同地は貧富の差をつくらない,平等な権利を行使する点で,その土地で生活する者にとっては入会という制度によって守られている実感もあったと思います。このような共同で天災や艱難辛苦を乗り越えようとした昔の人々の「入会」という智恵は今は殆どなくなり,むしろ反対に大きな格差社会をつくる資本主義システムにすっかり晒されてしまい今では人々がすっかり丸裸にされた感がします。

下り夜行-7s

伊豆沼は3年後ラムサール条約地40年を迎えますが1985年の伊豆沼そして20年遅れての2005年に蕪栗沼とその周辺の水田がラムサール条約地になりました。伊豆沼・内沼のラムサール条約の申請シートには次のように書かれています。
16. Conservation measures taken : (national category and legal status of protected areas - including any boundary changes which Special Protection Area of National Wildlife- Protection Area Miyagi Prefecture Nature Conservation Area In this area, construction, modification of land, mining, reclamation, changing of the water level, tree felling, taking of wildlife are prohibited without the permission of the Environment Agency or Miyagi Prefecture Government.
「ラムサール条約申請シート」から
水や生き物と触れあう権利も奪い取られた,閉ざされた伊豆沼から昔のように「入会地」として,住民の生活や人生に寄与できる伊豆沼に変えることができます。それが「ワイズユース」の視点です。
伊豆沼からの20年,そして蕪栗沼からの17年,そして2025年でまた蕪栗沼の反省から伊豆沼へ戻って来た時には伊豆沼は入会地という昔の智恵が復活する新しい時代の湿地であることを実現できる場となります。それが「伊豆沼コモンズ」です。



ラムサール条約の伊豆沼って何だったか3―ふゆみずたんぼの行方―

まずお知らせです
伊豆沼読書会開催について
日時 6月5日(日)午後1時30分~
場所 伊豆沼・内沼サンクチュアリーセンター淡水魚館 会議室
内容 先回話し合われたことから
    伊豆沼八景選定作業等
おいでください。お待ちしております。    
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霞む伊豆沼

蕪栗沼がラムサール条約に加盟したのは2005年(平成17)11月8日で,今から17年前のことでした。
何といっても蕪栗沼の場合,伊豆沼との違いは同じラムサール条約登録でも「その周辺の水田」も指定区域に入れたことでした。これは世界初で,人が管理耕作する土地「水田」も守られるべき環境であると世界に認めさせたことでした。もう一度言いますが,「水田」が条約に指定されること自体が最も先進的な日本の農業の姿を世界に指し示すことになったのです。つまり「水田」耕作が世界の最先端の未来をつくるということです。これは画期的なことです。そして伊豆沼での反省が蕪栗沼の農業実践の大きな礎になったことを物語っています。伊豆沼では人間は何も手を付けてはいけないという反省が20年を経て,人が環境を保全するのだ,人は積極的に保全に関わるべきだという環境に対する20年の考え方の進化が条約締結の意味となりました。「ワイズユース」です。「ワイズユース」とは「生態系の自然財産を維持し得るような方法での人類の利益のために湿地を持続的に利用することである」と定義されています。そのワイズユースの典型的な枠作りを蕪栗沼とその周辺の水田で実現させようということです。
その方法が「ふゆみずたんぼ」という方法です。そしてその成果の確認は水鳥たちが行います。私はこの「ふゆみずたんぼ」を普及させようとしてきた日本雁を保護する会の呉地正行氏と大崎市の行政方,そして関係諸氏のたゆみない努力に敬意を表します。

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苗に光差す

 ご存じのように「ふゆみずたんぼ」という取組は,稲刈り後の冬期間に田に湛水させて,過密すぎるマガンの塒や生活圏を分散させようとする人間にとっても自然にとっても良いという一挙両得の面があります。この「ふゆみずたんぼ」の試みは2002年(平成14)伊豆沼2工区,平成15年伊豆沼3工区と伊豆沼・内沼の周辺でも実験的に行われてきました。ふゆみずたんぼの効用は,簡単に以下のようにまとめられると思います。
①湛水化で水辺の生き物や植物が豊富になり,
②望ましい栄養ある土壌へと改良させることができる。
③たんぼの湛水化によって過密な状態になっている水鳥の生息範囲を分散化させて,水鳥にとっても適切な環境を整えることができる。
しかし,このような先進的な試みの「ふゆみずたんぼ」がどうしてか,あまり定着せず,試行に留まり,このように制度設計を改善しながら蕪栗沼へ場を移して深化させようとしているのが現状なのです。耕作方法の問題や条件など,どうやら「ふゆみずたんぼ」が定着しないのには課題があるようです。その課題を下にざっと書いてみます。
 ①収量が落ちる。
  「ふゆみずたんぼ」は無農薬無化成肥料という最も完成された有機栽培を目指します。現在の農法より当然多くの手間がかかり収量も落ちます。しかしその成果は長くやればやるほど成果ははっきりとした形で現れてきます。10年間有機栽培に取り組んだ田 では反当たり7-8俵まで収穫できていると言います。と言っても,田植え後の田んぼに立ち入らない方がよい時期に有機肥料を撒いたり,米ぬかを入れたりする作業は多大なる負担を農家に強いることになります。途方もなく,手間がかかりそして減収になるならば自分からそのような農法に転換する農家はいないでしょう。これに水管理の問題で深水管理にして雑草を抑えるなどの手間も必要です。実際に「ふゆみずたんぼ」農法のノウハウは殆どの農家には情報として行き渡っていない現状もあります。

 ②ブランド認証されていないので落ちた収量を高めに設定し,安定的に売ることができない。
 ③補助金等の採算に見合う保障の不足

 手間がかかり,減収になる農法をどう補うかということも大切です。例えば採算性が取れるように補助金等の保障制度を設けることや落ちた収量分を補う無農薬無化成肥料のブランド認証を行い,高めの設定で安定的に売るサプライチェーンの構築なども必要になってきます。しかしこの方策は現在かなり進んでいます。

 ④鳥の食害による減収 ⑤水利権関係
  鳥の食害については古くから農家で死活問題として嘆かれてきた大きな問題でした。蕪栗沼のある田尻町では1998年当時からふみずたんぼに取り組んできて食害についてはその2年後の2000年に一粒でも鳥による食害に見舞われた稲はすべて保障するという条例を出しました。しかし申請書類等が煩雑すぎて制度が正しく機能していない点も農家から指摘されているようです。
また冬期に湛水する水を安定的にどこから引いてくるかという水利権に関する問題もあります。

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田んぼにいたカブトエビ おととい5月25日撮影 新田大形地区

以上ふゆみずたんぼの現状をまとめてみましたが,現在大崎市の取り組む制度改善,補助金制度等の制度改善がかなり進んでいます。人間の手による水田という自然保全と渡り鳥たちとの共生がどのように実現するか,望ましい農業のこれからも期待できる「ふゆみずたんぼ」であることを祈ります。

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霧の朝の畦

最後に「ふゆみずたんぼ」によって湛水域が拡大することで,マガンなどの現在の過密状態を改善できることが大切です。調査によりかなり改善はされてきていますが,実際にマガン達が「ふゆみずたんぼ」を塒(ねぐら)として利用するための条件はかなり厳しい面があります。というのも警戒心の強いマガンなどが水があるからといってすぐそこを塒にする程の習性をもっていないのです。伊豆沼前沼,蕪栗沼白鳥地区等の事例を踏まえれば,そして現在長沼などを塒にしているマガンから考えると,沼本体から連続した水域をつくりながら冬期湛水域を拡大させることはマガンを安心させる材料になるでしょう。マガンの塒化から考えると,ハス田も採算性に優れた転作ではないでしょうか。現在でもハス田が増えています。ハス田であればまさに水域が拡大され,農家にとっても採算が十分に取れる「ふゆみずたんぼ」となるのではないでしょうか。



ラムサール条約の伊豆沼って何だったか2―鳥と人間のどちらが大切か―

マガン
ガンポートレイト

伊豆沼にやってくる冬の渡り鳥達の質や量はまぎれもなく世界に誇れる規模のものです。
しかし,この大切な自然遺産のことを考えると必ずと言っていい程,「鳥と人間のどちらが大切か」という決まり文句に出会ってしまいます。このように言うのは農家の人達です。農家の人達には守るべき田んぼがあり,つくるべき米があります。一旦日本では絶滅した朱鷺(トキ)が放鳥された時に地元の農家の人はこう言いました。
「トキが田んぼに来て,稲を倒したりしないといいのだが・・・」
この言葉は農家にとってトキが害鳥であるとか,トキを敵視しているとか,鳥に対して無理解だと短絡的に受け取るといけません。
この話は,農家にとって米作りは最も大切なことで,芸術にも匹敵する,いやそれ以上に人の命を育む行為であることをまざまざと私たちに知らせてくれています。実際,田んぼを見ると分かります。きれいに草が刈られた畦,満々と湛えられた水,朝夕の見回りと水管理,これほどの美しい田をつくりあげる行為は命がけです。その整然とした秩序の中に鳥が舞い降りてきて,美しく並んだ稲穂を踏まれでもしたら,農家の人達は丹精込めて作り上げようとする米を汚す者は許しません。農家はそういう点で芸術家なのです。

でも,どうしてマガンは害鳥と考えられ,渡り鳥たちも同じように困った存在として定着してしまったのでしょうか。

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伊豆沼に月沈む

宮城の偉人を集めた「みやぎの先人集 第二集」の巻頭を飾るのは,伊豆沼の自然保護に取り組み,「白鳥愛護会」からラムサール条約への道をつくった相澤幸四郎氏です。郷土の自然を守る相澤幸四郎氏は迫町時代に名誉町民にもなっています。しかし,当時の記録からして,農家,住民,白鳥愛護会,行政を囲んでの話合いは激烈を極めました。その様子が三塚昭悦「焱(えん)」に書かれています。その時に農家の人達から発せられた言葉が「鳥と人間のどちらが大切か」というこれ以上もない厳しい言葉でした。
奇しくもこの「鳥と人間のどちらが大切か」という言葉がまた飛び交ったのは,蕪栗沼鳥獣保護区にすると提案された時でした。多分全国で自然保護の嵐が吹き荒れた1970年代に,この言葉は最も辛辣に,農家側からは最も真剣に繰り出された心の叫びではなかったかと思います。マガンが天然記念物に指定されたのは1971年のことでした。この1971年(昭和46)に環境省ができ,尾瀬の観光道路も途中で工事が中止された年でした。その自然保護の潮流に乗り,蕪栗沼でも1983年に鳥獣保護区にするという話が起こりました。農家の人々の思いはそんな時代の流れに押しきられる形で,やがて鳥や自然保護運動家や行政に対し,不信感を抱くようになりました。
「鳥と人間のどちらが大切か」
実は現代でもこのしこりは消えることなく,大きな不信感として農家の人々に残っています。

ハクチョウの夢
ハクチョウの夢

1996年のことでした。蕪栗沼の全面掘削計画が発表されました 。蕪栗沼は国指定の遊水池であることはもちろん,実際に水害の憂き目に遭い,稲が冠水し,収穫がなかったことがありました。ですから水害を防ぐために掘削して,本来の遊水池としての機能を回復させる必要がありました。農家の人々はこの計画に賛成しました。ところが,この計画を聞いて自然保護団体が「蕪栗沼の生態系の保全」特に「マガンのねぐらとしての蕪栗沼の保全」という点から計画の中止を求めたのでした。当時の自然保護の時代背景を受け,自然保護団体からの申し入れを受けた行政もねぐらの一極集中による水質汚濁等の点から沼の環境保全を考慮し,計画に関する再調査を加えた結果,1996年同計画は中止されることとなったのでした。またしてもです。
農家の人々は叫びました。
「鳥と人間のどちらが大切か」

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懐かしの昔の2工区機関場

こうした場合,一つの共通した理解を得るために話合いが持たれたりしますが,なぜか道徳的な面で受け入れろとか。相手の立場を理解しろ。といったような更に対立を深める決裂という結果が重なり,更に不信感を募らせることも少なくはありません。むしろこうした対立の心情が渡り鳥たちに投射され,マガンは害鳥だという考え方になっていったのかもしれません。
2000年のことでした。蕪栗沼のある田尻町は一粒でも鳥による食害に見舞われた稲はすべて保障するという条例を出しました。
その結果食害に認定された被害は10年間でたった1件だけだったと言います。しかし申請書類が煩雑過ぎたという面もあるらしいのですが・・・。

ここで言えることはいつの時代も立場による認識のずれはあるものだということです。
そのずれはおいそれと簡単に埋まるものではありません。ウィンウィンなんてそんなに転がってはいないのです。むしろそのずれを取り込みながら,双方の条件を呑む方策というものが問われているのかもしれません。
「鳥と人間のどちらが大切か」

「人間も大切。鳥も大切。どちらも大切」