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私家版継色紙3

継色紙木星と金星
私家版継色紙 木星と金星の再接近 今日

以前にもアップしてますが,このところ書の仮名散らし書きの美しさに魅せられています。
もう千年も前にこうした自由な表現の極致に日本人が到達していたなんてすごいと感じました。筆の線によって宇宙を形づくるということが仮名散らし書きの世界にはあります。
写真は今日の夕方の木星と金星の最接近を「-・-」で表現しました。「-」は,露光時間9分で撮ってみて,後で三枚を合成して,更に古今集の紀友則「めづらしきこゑならなくにほととぎすここらのとしのあかずあるかな」を小野道風の手跡(て)で合わせて見ました。


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実は,いすとりゲームがきらいだった

DSC_8491-7s天の川
夜明けの天の川  春を感じる星空

このことは誰にも言ったことがないことである
私は「実(じつ)は,いすとりゲームがきらいだった」
いす取りゲームとは,そう,あのいす取りゲーム。人数より少なくしたいすを用意し,その周りをみんなで回る。音楽が止まると同時にいすに腰掛ける。すると人の数よりいすは少ないので,必ず座れない人が出てくる。その人はゲームオーバーとなって,傍観者になる。最後の一人,チャンピオンが決定するまでゲームは続く。フルーツバスケットと言えば分かる人もいるかもしれない。フルーツバスケットもいすとりゲームの一種である。
このゲームは何故か大変な人気で,ゲームとなると必ずやる,定番中の定番のゲームなのである。これも何故かなのだが,異常に盛り上がる。とにかく異常なのである。いすに座り損ねた人がいると,指を差して大声で笑う。ここでうけをねらって転んだりすると一段と腹をかかえて笑う。途中でちょっと可哀想だなと思う人も出てくる。でもそんなことはお構いなしに笑われる。ゲームだから。少しずるいことをしてでもみんな座りたいから反則をしても居直る人もいる。確定できない場合はジャンケンになる。無理やりにおしりだけで入っていった人がジャンケンで勝ったりする。ジャンケンで負けた人が不服そうに輪から出ていく。
自分がやっている時は一生懸命なので分からないでいるが,傍観者の立場になると,狂乱した異常にハイテンションな雰囲気が狂気のように迫ってくるのである。あの人ずるいな,あの子可哀想だなと思うが,そんなことは気にせず,みんな発狂したように笑う。ゲームなんだと,ゲームだから許されているんだと思っても,ゲームはどんどん暴走していく。そこでは先生も口を出さない。私などはあれちょっとひどいんじゃないですかと先生に言うが,先生もにこにこして相手にしてくれない。これはゲームなんだ,ゲームなのよという少したしなめるような目で見返される。
私は,最後にはなんだか一人だけぽつんと取り残されたような気持ちになる。こんなゲーム,早く終わればいいなと思う。
ふと周りに目をやると,私と同じように取り残されて無表情な顔をした人が何人かいる。早く終わればいいと思っている。ゲームという名で,私たちはどんな感情を身に付けているのだろうか。ゲームという名の下でかなり残酷な感情を持ち,確信し,思い切りその感情を爆発させて笑う。一見それは感情の鍛錬にも思えるが,小さい子どもにとっても場をわきまえれば,さげすみやからかい,ゲームの名の下で嘲笑,あざけりもはっきりと見えているだろう。人は感情の振幅の大きさを知ることも大切かもしれないが,いすとりゲームでなくてはいけないという理由は何もない。
とにかくいすとりゲームは大人気なのである。



私家版継色紙-これは本当に自由への道なのか-

継色紙1210-7
私家版継色紙

写真のような私家版継色紙なるものをつくってみて一日置いた
そしてまた見てみる
小野道風という日本が誇る最高の手跡(て)と私の写真のコラボ。
これが本当に自由を体現している,人を解放に向かわせる作品なのかと思う
あれっと気付く。
この手法は既に吉増剛造がしていたのと似てる
彼はよく透明なガラス板に詩を書いて背景にある金華山などの風景と組み合わせていた
それと手法的に似ている
それと・・・・と,また思い出す。
これはやはり私が以前していた「一人一文字 雨ニモマケズ」と同じ手法ではないか

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の夜の「雨ニモマケズ」

私なども手を替え品を替え,吉増剛造なども繰り返し,どうして同じ表現の手法を取るに至ったのか
そしてそれが自由とどういう関連を持っているのだろうか,と立ち止まってしまった。
この手法的なこだわりについて答えを出すことが自由という言葉の言い換えとなる
では今回の風景と書(特に散らし書き)との組み合わせは何を指向してのことなのか
単なるシュールレアリスムのような,ものとものとの出会いの目新しさなのか
意外な出会いから来る火花を狙っているのだろうか

ここでもう一度1枚目の写真に立ち戻ってみる
朝靄立つ雪に覆われた田面に陽が昇り始めるこの風景と書,特にここでは仮名の散らし書きでなくてはいけない
これらが出会うことで一体何が浮かび上がろうとするのか
幽霊のように立ち現われてくる何を期待しているのか

これらのことに答えが出ているわけではないが,一つだけ言えそうなことがある
これらの写真から立ち現れてくる感情群は「世界にかすかな爪痕を立てようとする」行為であることだ
世界にかすかな爪痕を立てる
全きの自由を体現する仮名の散らし書きが,
無自覚に投げ出されてある風景に
かすかな爪痕を残しているように感じないだろうか
時間という凝縮している地層にかすかに入り込んで化石となった葉の葉脈のように
異次元の霊を呼び起こすことはできないだろうか

とすると,私が行っているこれらの映像による「たま呼び」は
巫女達の声を遠くに聞く世界を指向していると感じる


書-自由への道-

継色紙310-7
継色紙

さて自由を求めて彷徨う「自由への道」も10回目になります。

この継色紙という書を見ていると,実に自由で優しくまた,たおやかな手のぬくもりさえ感じます。
このような仮名文字がこの日本という風土の中で,心身ともに自由であるからこそ生まれ,その自由を極限まで体現されたものが書の芸術です。
敢えて行頭を合わせず,字体もぎりぎりまで自由に崩しています。また文字の大きさも心のままに自由で,置かれてゆく文字は空白の多い全体の中で,白の色紙に流されそうになるほどにかすかな息です。その極度の緊張が創り出すかすかな細い息だけでかろうじて全体のバランスが保たれています。
これ程自由ならば,その自由を指向する自分の写真にも乗せてみたい。誰しもそう思うと思います。
そこで「めづらしき こゑならなくに ほととぎす ここらのとしの あかずもあるかな」の紀貫之の歌を小野道風の手で乗せてみました。どうでしょうか。

継色紙300-7
めづらしき こゑならなくに ほととぎす ここらのとしの あかずもあるかな

さてこの仮名文字がどうして日本で生まれたのか,それは奇蹟とも言える発明であることは確かでしょう。
私が感じているのは漢字という堅すぎる,緊張の表現からの解放。日本的な自由の享受。
春の風になびく桜の枝先から花びら一枚が離れて,空に舞う曲線の美であり,霞みゆく川辺の霧の彼方に朧気に浮かび上がる山の端であり,時雨れる時の空気のもたついた重さです。たった一文字の中に,身体のこわばりから解放されつつ,筆先に伝う水のひとしずくの走りさえ心が辿ろうとする。四季の自然の移ろいが人肌に沁み入るその時に生まれてくる感情のふるえ,その驚きや発見をそのまま文字に憑依させる。それが仮名書表現の自由さです。

私は今まで村上龍,浅田彰,フーコーやサド,キリスト教自然観から自由を語ろうと試みましたが,よくよく考えれば日本のかな文字の表現の中にこそ求めていた自由はあったと感じています。


一人野に立つ

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雪降る

人は誰もが自分を縛っているものから解放されていたいと願っています
それが自由への道です。これはある面で自分自身の持っている幻想や偏見に向かってでもあるし,実際に外から来る世界の不合理についても,たった一人きりで世界に戦いを挑むことも意味しています。つまり自分自身をひたすら浄化させていく意志と勇気と行動が必要なのです。

仕事に就いていた頃は組織の中の制度や役職に無自覚に守られていた自分を敢えて反省することはありませんでした。むしろ一生懸命に義を通した仕事を心掛けるような面もありました。しかし,今そのような組織の後ろ盾もない一人の一般人になって活動していこうとすると様々な不合理に直面することが多くなりました。少し例を挙げてみます。
・写真展の展示場所を借りるために,企画書を持って申請のため市役所の担当部所に行きました。すると,開口一番「金は出さないよ」と言われました。来る人は皆補助金目当てで来ると思っているようでした。
・地区の総会でのことです。コロナのために書面議決になりました。記入する最後の項に自由記述欄があったので改善の一助と思って書きましたが,その意見は総会資料の中には没にされて意見は無視されました。都合の悪い意見は載せないようにしてもよいという基準が勝手に役員達の間で取り決められたようでした。
・最近,妻が亡くなってもう5ヶ月も経つというのに妻の自動車保険の請求が来ました。亡くなって車も保険も新しく名義変更したのに,
その情報は更新されず保険の制度上のことだから払えという保険会社からの返事でした。いつ情報は更新されるのでしょうか。変更の手続きを済ませたのに5か月も前に死んだ者にまた請求をよこす,その失礼さに憤然としました。
例を挙げると切りがありません。

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凍結した長沼

県の主催する会議について必要があって調べてみました。
全49名を擁する会議です。どうも会議の人数構成に地域偏差があり,正しく農業従事者や地域住民の声が伝わっていないように思えていたのです。すると地元関係者が会議に軒並み連続して欠席していることが分かりました。どうしてこのような状況になっているのでしょうか。分かりません。
私が思うのは,ある組織を構成すると,その委員の選定や内容の議決が組織の目的に自然と合うような流れに飲み込まれるということではないのかということです。例えば工事をするために環境アセスメントを行うとします。その環境アセスメントは合目的的に工事を中止させるための方向性を持つよりも,工事を完了させる方向に自然と合うようになってしまうのがむしろ自然の流れです。ここに中立で公平な環境アセスメントを目的のために取り入れるという構造があります。何が悪いというのではありません。自然と組織というものは合目的的に効率的に働くように動き始めるのです。地元の意見を聞くという名目で委員を選定したり,説明会を開いたりしますが
それは目的に合うようにベクトルが働く前提があってのことです。

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雪の中のアトリ

何の役職も地位も持たない一人の私は,まず何の権力も持たないようにして,言われなく自分の考えが人に利用されたりせず,良いと思われることに一つ一つ取り組みたいと思っています。
「一人野に立つ」という百姓の精神が私は好きです。宮沢賢治の親友に藤原嘉藤治がいました。彼は一流の音楽の教師でありながら賢治の死後,職を辞し,東京で賢治全集の編集に力を入れ,終戦の年,49歳で岩手に帰りました。そして,生まれ故郷の紫波郡水分村の東根山麓に開拓で入植しました。爾来81歳で死ぬまで土にまみれた人生をおくったのです。あのハンサムで音楽の教師として秀でた藤原嘉藤治が様々な組織の後押しを受けず,自分ただ一人となって開拓の山奥に入っていった。これもまた賢治の遺志を継いだのだと思います。
権力や地位を捨ててただ一人になり,野に一人立つ。
自由への道はまだまだ遠いのです。