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佐々木喜善覚書-延々と繰り返される旋律-

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風の指先

今日から岩手遠野の人佐々木喜善についての覚書メモをつけることにします。
佐々木喜善は明治43年(1910)に出た「遠野物語」の話者です。柳田国男が出した本ですが,私は並列して佐々木喜善の名を記したらと思いました。しかし,柳田は屋号で書かれた箇所などから誰の家か,誰かを特定されることを避けるために表現を改変させたりしました。そしてそれはこの本が出たことで,後で騒ぎが起きたり面倒なことが起こらないようにという配慮からだったと思われます。それで佐々木喜善の名は出さず,序文で出しました。

この話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり。昨明治四十二年の二月頃より始めて夜分をりをり訪ね来たり、この話をせられしを筆記せしなり。鏡石君は話上手にはあらざれども誠実なる人なり。自分もまた一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり。思ふに遠野郷にはこの類の物語なほ数百件あるならん。

出版当時喜善は25歳でした。鏡石は喜善のペンネームです。
佐々木喜善は,明治19年(1886)の生まれです。かの石川啄木と同い年です。そして宮沢賢治は10歳年下です。啄木も賢治も有名ですが,喜善は意外と知られていないのかもしれません。喜善はよく夢を見る人でした。日記にはたくさんの彼が見た夢の話が出て来ます。日記に出て来た夢の話は全体(6406話)の1割を超える657話といわれています。今日は娘若子が21歳で亡くなった昭和6年8月9日の後50日祭(仏教では四十九日のことか),その若子が追分節に乗って明るい空に昇っていく夢を見たという話をします。

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新春のさんぽ道


昭和6年(1931)9月27日 雨
若子の五十日祭、大神鎮座祭、祖霊復祭をもして貰ふ。二時半頃夢見る。此所の家で広吉、若子、光広、余と妻と喜広と斯う寝ていて若子はいろいろと自分の経歴を云ひ、そして長悦の所にツネが嫁に来たことを云ひて泣き、私も泣き、母にいろいろのことを云ひつくしてその言葉が追分節となり天へ登って何処かへ飛び行く。その追分の声の天地に通り、ほがらかとも何とも云はれなくすみ通ってゐたのに目がさめた。山口の空の感じであった。其れを今日佐沢さんに話すと、天国に行くに大凡追分で行くことが物語に多くあると云はれて驚いた。(後略)
下線部に注目されたい。若子の声が追分節の節に乗って天に昇っていくというのです。
私はこの美しい描写から,すぐ口寄せの語りを思い出しました。当地の宮城県北の口寄せは節によって謡うように語られるのです。
そのことは石井正己氏が取材した中田町宝江の五十嵐れい子さんの語りでもそうでした。繰り返される謡のリズムと繰り返す波のような旋律に乗って死者の言葉がこの世に送られて来るのです。
この夢は,実際に彼自身が秋田県横手で口寄せによって聞いた追分節に乗った若子の言葉だったようです。そのことが元になってこのような夢を見たのでしょう。
ここで大切なことは,死者の言葉が口寄せによって語られる際には繰り返される謡のリズムと旋律が伴うという事実です。実は口寄せの巫女が死者を呼ぶ際にも繰り返されるリズムと旋律が必要となります。その場で経文祭文を読み上げる時にもこのリズムと旋律に乗って,やがてトランス状態に向かうのです。
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私が子どもの頃,叔母達5人がご詠歌を歌うのを聴いたことがありました。5人の叔母達の声が各々の声の特性を持って,ポリフォニック(多声的)に立ち上がり,響き合うと,私の頭の中に違った旋律が浮かび上がり,色きらびやかな美しい空間が見えたのでした。不思議な体験でした。一人一人の微妙に違う声が合わさることで,何かの建築のように立ち現れてきて,日常とは違う空間がはっきりと私たちを取り囲んだのです。そこに鈴の高い音が規則的に入ります。
坂本龍一も同じ事に気付いています。

クラブとか行くと、こういうほとんど変化しない音楽をずっと聴いているわけです。そして、トランス状態になるのかな。たとえば、同じパターンが並んでいる建築の空間とか、壁面とかをずっと見ていると、実際にはないのがいろんな模様を勝手に作ります。やっぱりあれもそうなのです。まったく変化しない、その一様な状態に人間はなかなか堪えられない。そういうのもちょっと似ていると感じます。なるべくゼロの方に一回 行ってみるのは、面白いことですね。」(坂本龍一の講義から)


この繰り返される追分のリズムと波のような旋律がこの世とあの世を結ぶ儀礼方法であることは確かなようです。

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