2023/04/24

ISSを見上げて 今朝4月24日撮影
サイドストーリーという表面にはあまり出てこない物語について書こうと思う。
サイドストーリーという存在に気付いたのは,昔話を読んでいた時だった。
物語の筋書きの裏にある,表面に出てこない別の物語が,表面の筋書きをより深く,味わい深くしている場合があるようだ。その筋を書いてみます。
子どものいない夫婦が,清水寺に詣でて子が授かるようにと祈願を行なう
二七日とも三七日ともいう祈願を重ね,その満願の日の夜
観音様が枕元に立って,お前達の願いごとを叶えてあげようと言う
夫婦に子どもが生まれる。
大体がこのように展開する。
ところが,すんなりとは行かない場合がある。この時,語られなかった,隠れたサイドストーリーがはっきりと表面へ浮かび上がってくる。
子どものいない夫婦が,清水寺に詣でて子が授かるようにと祈願を行なう
二七日とも三七日ともいう祈願を重ね,その満願の日の夜
観音様が枕元に立って,お前達の願いごとはよく分かったが,子どもを授ける訳にはいかぬと言われる。
どうしてだ,と夫婦は観音様に尋ねる
お前達には,前世の因縁があると言われる。
と,ここでサイドストーリーが語られる。今まで本人達も見たことも,聞いたこともない前世の業が観音様によって語られる。
「お前達は,前世の業によって子どもを授けるわけにはいかぬのだ。
男の前世は,猟師で多くの動物の命を奪った。そして女の方は,前世で,畑を焼いた時に鳥の雛たちも一緒に焼いてしまったのだ」
「そんなあ」
夫婦は落胆して叫ぶ。
それでも夫婦は,自分達はどうなってもいいからと泣いて懇願する。
更にここで,サイドストーリーが枝分かれするように,派生するように立ち上がっていく。
子どものいない夫婦が,清水寺に詣でて子が授かるようにと祈願を行なう
二七日とも三七日ともいう祈願を重ね,その満願の日の夜
観音様が枕元に立って,お前達の願いごとはよく分かったが,子どもを授ける訳にはいかぬと言われる。
どうしてだ,と夫婦は観音様に尋ねる
お前達には,前世の因縁があると言われる。
男の前世は猟師で,動物の命を奪い,女の前世では,鳥の雛を焼き殺した
夫婦は,引き下がらない。自分達はどうなってもいいからと泣いて懇願する。
それでは,条件があると観音様は,譲歩する。
お前達に子どもは授けるが,その子が四歳になるまでにお前達のどちらかが死ぬことになる。それでもよいか。
かまいません。
夫婦に子どもが生まれる。
普通だと祈願すれば,すんなりと願いごとが叶うが,物語の展開上,表面に次々と願いが叶えられない困難が生じていく。このようにサイドストーリーが次々と立ち現れてくる。つまり,今現在,登場人物がそのように生きているのは,そのような生き方を選択したからである。「そのような生き方」とは,運命であり,子どものない生き方を選択せざるをえない,前世の業ゆえの今なのである。これには更にもう一つの展開がある。
子どものいない夫婦が,清水寺に詣でて子が授かるようにと祈願を行なう
二七日とも三七日ともいう祈願を重ね,その満願の日の夜
観音様が枕元に立って,お前達の願いごとはよく分かったが,子どもを授ける訳にはいかぬと言われる。
どうしてだ,と夫婦は観音様に尋ねる
お前達には,前世の因縁があると言われる。
男の前世は猟師で,動物の命を奪い,女の前世では,鳥の雛を焼き殺した
夫婦は,引き下がらない。自分達はどうなってもいいからと泣いて懇願する。
私たちは金持ちだ。なんでも差し上げよう。土地も,金もある。(大体が長者だったりする)
それでも断わるというならば,私は観音様をこれから幾代も呪うことになる,と最後には人が観音様を脅すような勢いになるのです。
観音様は困って,それではお前達に子どもは授けるが,その子が四歳になるまでにお前達のどちらかが死ぬことになる。それでもよいか。
かまいません。
夫婦に子どもが生まれる。
サイドストーリーを置く意味とは何だろうか。
見えないように隠しておいても表面上,筋は進むのである。
最近,このサイドストーリーというものを筋の展開上,必要なものだと実践した監督が二人いる。新海誠と濱口竜介である。