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なぜ通信が許されないのか-青森挽歌-

今日は宮澤賢治の妹,24歳でなくなったトシの87回目の命日です吹雪の朝1

 わたくしにいっしょに行けとたのんでくれ
 泣いてわたくしにさう言ってくれ
                                        松の針

命日2

とし子 わたしは高く呼んでみようか                   風林

 命日3

 わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
                                              永訣の朝


天頂のはくちょう座(蒼じろく光る盤面ダイヤル)

デネブ周辺はくちょう座デネブ周辺

 賢治は妹トシ子を追って冥界の入り口を探した。
 そこで場所を探した。冥界とこの世が交信可能な場所。樺太の栄浜である。そこに白鳥湖というところがある。ここから先は萩原昌好『宮澤賢治『銀河鉄道』への旅』の最終章を参考にする。
 (十一時十五分 その蒼じろく光る盤面(ダイアル))
 この時刻に栄浜でははくちょう座が天頂の位置に来ている。そして湖に星が垂直に映る。同時に花巻の北上川には天の川がちょうど北上川の流れと一致する。北上川の水面に天の川全体が映り込むのである。北の樺太の栄浜の白鳥湖に映り込んだ天頂のはくちょう座と南の花巻の北上川に映り込んだはくちょう座。これは『銀河鉄道の夜』の出発点の北十字と到着点の南十字と照応しているというのである。おもしろくて,みごとな推論である。賢治はこの仕掛けを作品の中に組み込んだのか。
賢治は冥界へ列車の乗車地点を栄浜にして,垂直に降り注いだはくちょう座の光を辿り銀河鉄道に乗り込んだ。そして天上を駆け抜ける列車に乗ることでトシ子に会えると考えたのだろう。

 明日11月27日は87回目の宮澤トシの命日である。

独自の説得手段だけという芸術の未来

霧1霧の朝
霧2

 霧に包まれる風景は魅力的である。霧の風景はよく異世界への境界線としても描かれる。これは霧が現実の再現を拒否しているように思わせるからかもしれない。一方それを撮る写真は,現実を写しながらも,現実の再現不可能性を求めている。つまり他の人には容易に撮せないものを写真に収めたいと思っている。芸術写真はその再現不可能性にある。だれもが芸術は,模倣の時代は終わった,フィクション(虚構)の時代は終わったと思っている。そうならば何に芸術の方向を求めているのだろう。

「頼りとするのは独自の説得手段だけであり,とりわけ現に存しているものを説得力あるかたちで乗り越えることを,少なくともそれをめざしているという動機を認識できるという点が重要になるのである。」
                蓮實重彦『赤の誘惑-フィクション論序説-』P281最後に・・・・・
                ニクラス・ルーマン『社会の芸術』から,蓮實の引用