FC2ブログ

叢中の声『山月記』

おっとち,ちょっとまって
カワセミくんうなだれているカワセミくん

「叢中の声」とは,草むらからの声という意味で,『山月記』の主人公,李徴が獣の虎と化し,再会した親友に自分が獣と化したその姿を恥じて見せなかったことを言っています。
 『山月記』を再読して,その直接的な表現に感じ入りました。

「全く何事も我々には判らぬ。理由も分からずに押付けられたものを大人しく受け取って,理由も分からずに生きて行くのが,我々生きもののさだめだ。」

 はっきりとこのように断じて,生きていくことを,若いときの我々は苛立たしく想いながら悶々としていたのではなかったでしょうか。写真にも,もっとダイレクトな感情を求めていたように思います。虎と化した李徴のように「白く光を失った月を仰いで,二声三声咆哮(ほうこう)」しようではありませんか。

今日の本
李陵・山月記 (新潮文庫)李陵・山月記 (新潮文庫)
(1969/05)
中島 敦

商品詳細を見る

にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村

雲の画集『雲の展覧会』

夜明け前朝ファーストライト
夕暮れの風夕暮れの風,羽を揺らす
夜明け前夜明け前の青

 1810年ですから,今から200年前。
 あのゲーテが,ドレスデンにいた画家ダビット・カスパー・フリードリヒを訪れました。
 「雲の絵を描いてほしい」
 フリードリヒは,しばらく考えた。そして言った。
 「私の絵はわたしの精神の反映なのです。人間のただ見えているものを描くのではなく,自分の中の見えないものも  描くのです。それが私の絵なのです。」
 これはゲーテの雲の絵の注文に対するていねいな断りのことばだった。ゲーテは光学の研究の傍ら雲のカタログを考えていた。本に入れる挿絵を考えていたのかもしれない。
この後,フリードリヒは,わざわざゲーテを訪ねている。しかし,何を話していたのかはわからない。もし,フリードリヒの「雲の画集」が誕生していたら,芸術と科学の高い融合が実現していたと思う。一回手にとってみたかつたと思う。
今日の本
『雲の展覧会』伊勢英子 講談社
雲の展覧会
伊勢英子さんの絵は,宮沢賢治の絵で知りましたが,とてもいいですね。
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村