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春の足音がほら『トカトントン』

霧の朝霧の朝
フキノトウフキノトウ
紅梅うちのウメ,一輪さく

 何かに情熱を燃やそうとすると聞こえる「トカトントン」という音。
 この音を聞くと,すべてが馬鹿らしくなる。

ご存じ,太宰治の短編『トカトントン』です。私はこれを読んだときに妙な不安に襲われました。どこからか聞こえてくる「トカトントン」。すべてのやる気を奪ってしまう「トカトントン」という音。最初に主人公が聞いたのは8月15日の詔の直後でした。こう書いてあります。


 「死のうと思いました。死ぬのが本当だ、と思いました。前方の森がいやにひっそりして、漆黒に見えて、そのてっぺんから一むれの小鳥が一つまみの胡麻粒(ごまつぶ)を空中に投げたように、音もなく飛び立ちました。
 ああ、その時です。背後の兵舎のほうから、誰やら金槌(かなづち)で釘(くぎ)を打つ音が、幽(かす)かに、トカトントンと聞えました。それを聞いたとたんに、眼から鱗(うろこ)が落ちるとはあんな時の感じを言うのでしょうか、悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、私は憑(つ)きものから離れたように、きょろりとなり、なんともどうにも白々しい気持で、夏の真昼の砂原を眺め見渡し、私には如何(いか)なる感慨も、何も一つも有りませんでした。」



 何をしても聞こえてくる「トカトントン」。「拝啓」で始まったこの手紙形式の作品の結びは,次のように書いてあります。



「教えて下さい。この音は、なんでしょう。そうして、この音からのがれるには、どうしたらいいのでしょう。私はいま、実際、この音のために身動きが出来なくなっています。どうか、ご返事を下さい。
 なお最後にもう一言つけ加えさせていただくなら、私はこの手紙を半分も書かぬうちに、もう、トカトントンが、さかんに聞えて来ていたのです。こんな手紙を書く、つまらなさ。それでも、我慢してとにかく、これだけ書きました。そうして、あんまりつまらないから、やけになって、ウソばっかり書いたような気がします。」



人生を次々に崩していく音。「トカトントン」

実はこの小説には最後の部分があります。手紙を読んだ男が返事を書いてよこしたのです。


この奇異なる手紙を受け取った某作家は、むざんにも無学無思想の男であったが、次の如き返答を与えた。

 拝復。気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智(えいち)よりも勇気を必要とするものです。マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂(たましい)をころし得ぬ者どもを懼(おそ)るな、身と霊魂(たましい)とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」この場合の「懼る」は、「畏敬(いけい)」の意にちかいようです。このイエスの言に、霹靂(へきれき)を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈(はず)です。不尽(ふじん)。


というわけで今日の本は
ヴィヨンの妻 (新潮文庫)ヴィヨンの妻 (新潮文庫)
(1950/12)
太宰 治

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Bluemoon tonight『日本さくら紀行』

Bluemoon2水のある風景
今夜はブルームーン。1月のブルームーンは海で見ました。今日は同じ水辺の沼で見ました。真ん中の木の上の方に小さく月が写っています。

Bluemoon Bluemoon
3枚をコンポジットしてみました。今回は一枚ずつをレタッチしてからコンポジットしました。レンズがこわれたのでバードウオッチング用の望遠鏡をつけてみました。デジスコっていうんですか。

Bluemoon3 Bluemoon drawing
カメラをわざとぶらしてみました。水面に映ったブルームーンの光点が描く(drawing)線を撮ってみました。

今日の本
『日本さくら紀行 東日本編』 山と渓谷社
みなさんは,花見の下調べを何の本でしていますか。いろいろ見たんですが,データがそろっているのでこれがよかったと思いました。
日本さくら紀行 東日本編 (Jグラフィックス)日本さくら紀行 東日本編 (Jグラフィックス)
(2002/02)
山と渓谷社大阪支局

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伊豆沼夕暮れ『虹の理論』

夕景夕景
 伊豆沼北東岸から見る夕景。沈む光が沼面を照らし,オレンジ色に輝きます。久しぶりで見た残照になぜだか燃えるような寂しさを感じました。
 同級生がまた一人亡くなりました。まじめで,無口な同級生でしたが,人一倍働いて家族を大切にし,その果てに亡くなりました。彼はキャッチャーでした。彼の声がまだグラウンドに響いているような気になりました。長年勤めていた出版社からの肩たたきに応えて1月に会社を辞め,そして三ヶ月後に亡くなりました。緊張の糸がとけたのでしょうか。わたしの時代にはまだ集団就職列車がありました。中学を卒業して,上京し働く友達を見送りました。同級会で会うたびに働く彼らの大人の言葉としぐさに,大人になって働くと言うことがこんなに人間を変えていくものだと痛感し,半分悲しくも思いました。彼もその中の一人でした。彼は大人でした。ずっと好きだった野球も続け,死ぬ直前まで小さな子どもたちに野球を教えていたそうです。中学時代の思い出を聞きたいからぜひ来てくださいと78歳を過ぎた彼のお母さんから言われました。しかし,お母さんは出ては来ませんでした。息子の早すぎる死がまだ信じられないのでしょう。彼の写真が回覧されました。だんだんと顔に精気がなくなっていく友達の顔を見ることは辛いものでした。その一方で写真の中の彼の子どもたちはどんどん大きくなっていっていました。
 その部屋に何枚かの彼の賞状が掲げられていました。その中に人命救助の善行褒賞の賞状がありました。11歳のときに溺れている人を助けたのでした。いい友達だったのに・・・。そしていい父親だったのに。

クリスマスローズクリスマスローズ

 今日の本
『虹の理論』中沢新一
 わたしがサドの話を持ち出したりするのは,何も性的なことに特別の興味があるからではなく,「私たちは本当に自由を目指しているのか」という問題に長い間突き動かされてきたからだともいえます。考えることの自由,自分を解放する自由。フランスの思想にその醍醐味があると知ったのは随分昔のことですが,未だに考え続けているのはやっぱりその辺が気になっているからでしょう。サルトル,そしてロラン・バルト,ラカン,フーコーの中に嗅ぎ取った自由への執念が魅力なのだと思います。目先のアイディアや感動で私たちは幾ばくかの自由を享受することはできます。しかし,それは単なる気休めだったと後で感じることも多い今の世の中です。世界を発見していった,17,18世紀にコンキスタドール達(征服者)が新しい事物や思考を自国へ持ち帰りました。それは驚きでした。文明社会が感じた未開社会の自由な思考の発見。これがレヴィ・ストロースなどの文化人類学を生み出しました。中沢新一も,そういった自由を探しているフランス思考の経路を持つ人です。今日の文庫版の『虹の理論』は今年1月に出たものですが,中身は1980年代に初出されていた内容です。
虹の理論 (講談社文芸文庫)虹の理論 (講談社文芸文庫)
(2010/01/08)
中沢 新一

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