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賢治はハレー彗星を見たのか『宮沢賢治星の図誌』

朝1日の出
朝3差し込む朝日
1910(明治43)年5月76年ぶりにハレー彗星が帰ってきた。賢治,盛岡中学2年生になった14歳の春のことである。
1910年のハレー彗星の到来の折,連日新聞で報道されたフィーバーぶりだったようですが,実際天気が悪く観察することはむずかしいかったようなのです。平凡社から出ている「宮沢賢治 星の図誌」の藤井旭さんの文章だと

「岩手日報のコラムにも,「評判のハリー彗星を見ようと思って,夜中わざわざ起き出したこと三・四回に及んだが,そのたびごとに空が曇っていて一度もその光芒をみとめることができなかった。・・・岩手公演でハリー彗星の観望会を催したいと思ったが連日の降雨でついに流れてしまった。」」とあり,1910(明治43)年の春は,天気が悪い日が続いたことは確かだ。
 それでも賢治はハレー彗星を見たかもしれないと「宮沢賢治 星の図誌」を書いた斎藤文一さんもそう思ったようです。斎藤氏は,賢治の弟の清六さんが生きていた頃,清六さんに聞いてみたそうです。「賢治さんはハレー彗星を見たことなどを話してはいませんでしたか」と。清六さんの答えは無情にも「否」だったそうです。

「兄からハレー彗星の目撃談を語り聞かせてもらったことは一度もない」

残念ながら,「双子の星二」に出てきた彗星は賢治が実際に見たハレー彗星を基に書かれたものではなかったようです。深読みすれば彗星があんなにいばっているように描いたのもハレー彗星を見ることができなかった賢治のくやしさの表れなのかもしれません。合点がいきませんか。しかしながらこのようなことで賢治の星についての的確な表現は薄れるものではありません。「銀河鉄道の夜」に盛り込もうとした彗星も最終形では削除されましたが,チュンセとポーセの双子の星の物語は,賢治の核心というべき「手紙四」に引き継がれていきます。
 そして,賢治が見なかったのかもしれないハレー彗星が76年の周期を経て1986年,今私たちが生きている時代に帰ってきました。当時私は28歳。やっぱりハレー彗星を見逃してくやしい思いをしたのでした。それから百武彗星,ヘールボツプ彗星と写真に夢中になっていきました。次にハレー彗星に出会えるのは2061年7月28日です。見たいものです。
今日の本
『宮沢賢治 星の図誌』斉藤文一・藤井旭
宮沢賢治 星の図誌宮沢賢治 星の図誌
(1988/08)
斎藤 文一藤井 旭

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