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丘の上のうめの花『ピアノ協奏曲21番』

丘の上
丘に登ってみました。丘の上に,うめの花が見えたからです。すると先客がいました。おじいさんが遠くの景色を眺めていました。あてもなくときどき頭の向きを変えるだけです。待っている人が遠くから来るのを待ち続けているようでした。私と同じ,おじいさんもうめの花に誘われてやってきたのだと思います。

うめ
坂を下りると,満開のうめの花が裏山に隠れるように咲いていました。黒い背景に浮かび上がっていました。わざと左側に笹藪を入れて,遮られている感じを出してみました。

さようなら
丘から下りて,内沼に残っている白鳥を見に行きました。すると子どもがえさをやりに来ました。えさをやった後「さよならー」と言って帰って行くところを撮りました。心なごむ光景でした。

今日の本
『ピアノ協奏曲21番』遠藤周作 文春文庫
堀辰雄覚書・サド伝 (講談社文芸文庫)堀辰雄覚書・サド伝 (講談社文芸文庫)
(2008/02/08)
遠藤 周作

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ピアノ協奏曲21番 (遠藤周作 小説の館)ピアノ協奏曲21番 (遠藤周作 小説の館)
(1987/05)
遠藤 周作

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遠藤周作と言うと,『沈黙』や『深い河』というキリスト教に根ざして,「人間」を追求した作品を多く手がけました。わたしもよく読みました。隠れキリシタンものに涙し,『私が棄てた女』『女の一生』などがとても印象に残っています。
しかし,短編にはちょっと異色なものもあり,『ピアノ協奏曲21番』のように人間の原罪というものに直接触れるような作品もあります。わたしは,このブログで何度かサドの思想を取り上げていますが,やはり遠藤周作もサドの思想に深い関心をもつことになるのです。
戦争で,女,子供を家ごと焼き払った夫の話を聞き,快感が体を貫き,獣のように夫を求める妻。

「母親と子供を焼き殺して撃った。・・・この想いは突然,足のさきから頭を言いようのない快感で貫き,わたくしは 何度,声を出しかけたでしょう。」p138

遠藤周作は,迫害され,拷問にかけられ,死ぬのも人間ですが,迫害し,拷問にかける側も同じ人間なのだ,と言いたいのだと思います。なぜこのような残虐性が人間にはあるのか,それが善である,悪であるという以前に,人間として持ち合わせてしまっている残虐性を,いい悪いだけで片付けられるものではないと考えていたのです。そして作品の中で「血の伯爵夫人」と言われた殺人魔,エリザベート・パートリーを取り上げます。

遠藤周作が,人間を考えるときに,人間の中にひそむ残虐性を追求いていった結果,たどり着いたのがサドだったのです。彼の年譜を見ますと,彼37歳の昭和34年にこうあります。

昭和34年(1959年)
11月 - マルキ・ド・サドの勉強/さらに理解を深めるために夫人を同伴してフランスに旅行、翌年1月に帰国。


サドのことを取り上げると,おまえはSMか,とかすぐ思うでしょうが,わたしはけっしてそういう趣味はありません。むしろ遠藤周作や渋澤龍彦のように,人間を追求していったその果てに,サドに現れたような人間の隠れた残虐性を見いだし,そしてその思想を考えていきたいと思っているのです。

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