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さくらの願いごと『手紙 四』

流れ星に願いをさくらの願いごと

 後でコンポジットにすることを考え,無人撮影で100コマ連続撮影した中に流れ星がありました。それも桜に落ちていく流れ星です。これはなんとラッキーなことでしょう。うれしいです。というのも,今まで何度となく流星群の撮影を行ってきましたが不発だったんです。2001年のしし座流星群はあまりのすごさに撮影などしなくていいやと,カメラさえ出しませんでした。それくらい素晴らしかったですね。
 これで,さくらの願い事が叶います。さくらは一体どんな願い事をしているのでしょうか。かなえさせてあげたいです。何百年もがんばって生きてきたさくらですから・・・。

今日の本
『手紙 四』宮沢賢治
妹トシが死んだ後の半年間,賢治の作品も書簡も存在しません。空白の半年間です。喪に服していたと思われる半年,彼は妹の死をどのように苦しんでいたか,筆を再び取った作品で予想することはできます。その中の一編が『青森挽歌』です。私はこの作品が殊に好きで,特に出だしが大変気に入っています。
     青森挽歌
こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる
これほど凝縮された詩の出だしに未だ巡り会ったことはありません。この『青森挽歌』の日付は1923.8.1となっています。トシが死んで翌年の夏,賢治は死んだトシとの交信を試みて樺太に旅立ちました。以後,賢治はどのようにこの妹の死を心の中に刻んで,生きていったのかが,私はいつも気になっていました。いかにして賢治は妹の死を乗り越えていったのかという大きなテーマです。やがて賢治は作品の中で妹の死を乗り越えたかのように「いいことだ」と書くようになるのです。

「薤露青」
……あゝ いとしくおもふものが
そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
なんといふいゝことだらう……
この詩は1924.7.17 の日付です。トシの死から一年半を過ぎて,一体どんな心境の変化があったのでしょう。どうして「いいことだ」とまで言い切れるようになったのでしょう。
 最近,「宮沢賢治の詩の世界」というのブログでこのことが話題に取り上げられていました。そこを読みますと,賢治がいつもトシと共に歩んで来て,突然にも「二人一緒の道」が死によって分かたれてしまった苦悩から脱する決定的な考え方にたどり着いたことが示唆されています。その考え方に落ち着いてから,賢治はその苦悩を吹っ切り,「いいことだ」と言えるまでの境地にたどり着いていたようです。同ブログからその考え方に当たる部分を引用させていただきます。
そしてついに、賢治蔵書の中から、工藤氏( 『賢治考証 』(近代文学研究叢刊)工藤 哲夫著)が探り当てた仏典の一節が提示されます。

 そして、見付けたのが、所蔵していた『國譯大蔵經』所収の「國譯大品 受戒篇第一」中の次の一節であった(と推測する)。

[前略]其の時世尊諸比丘に告げて宣へり、「[中略]比丘等、遊行を行へ、衆人の利益の爲に、衆人の安樂の爲に、世間の慈悲の爲に、人天の利益安樂の爲に。二人同一路を行くことなかれ。[後略]

 「二人同一路を行くことなかれ」―この言葉が、天来の叱咤として賢治を撃ったのではないだろうか。と同時に、別離という悲しむべき事態を、反省を含めて肯定的に受け止めようとする機縁となったと考えられる。

 あるいは工藤氏は[注]において、同じく賢治所蔵の『新譯佛教聖典』(大14刊)という本の中から、上と同一内容の記述も探し出しておられます。

 その時、世尊は比丘等に命じたもうよう。「[中略]比丘等よ。世間を憐みすべての人々の幸福のために世を巡れよ。二人して、一つの道を行かぬようにせよ。[後略]

 そして、上の引用の「すべての人々の幸福」という言葉が、「〔手紙 四〕」の、「すべてのいきもののほんたうの幸福」という言葉と通底している可能性も示唆しておられます。

たしかに「けっして一人を祈ってはいけない」という言葉にあるように,賢治は妹の死を,より普遍的な人間の死として消化しようとする試みを行っていたのでしょう。そして「二人して,一つの道を行かぬようにせよ。」という『新譯佛教聖典』の中の言葉に行き当たったのだと思われます。彼は妹との「いつも二人一緒の道」が閉ざされて,その苦悩にもだえながら,やがてその苦悩は克服されなくてはいけない課題(妄執)だと,自分の中で読み代えていったのだと思われます。人が肉親の死を乗り越え,その菩提を祈るという心の境地までたどり着く道筋が賢治にもありました。

 妹は妹の道を歩み,残されたあなた(賢治のこと)はあなた自分の道を歩みなさい。二人一緒に歩むことはできないのですよ。この別離もあなたに課せられたあなた自身の道なのですから。

 賢治は妹の死の後,天からこんな言葉を聞いたのかもしれません。その心境はやがて『手紙四』となりました。手書きのこの小編を印刷し,同僚の新婚旅行に持たせ,会う人々にこれを配ってほしいと賢治は頼みました。賢治は自分の妹の死を克服しつつ,「すべてのいきもののほんとうの幸福」のための,また新たな一歩を歩み始めたのでした。
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