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下弦の夜『星』

下弦の夜下弦の夜

 ただ静かな星空を・・・。
 それだけを願っています。
夢に天津乙女《あまつおとめ》の額《ひたえ》に紅《くれない》の星|戴《いただ》けるが現われて、言葉なく打ち招くままに誘われて丘にのぼれば、乙女は寄りそいて私語《ささや》くよう、君は恋を望みたもうか、はた自由を願いたもうかと問うに、自由の血は恋、恋の翼《つばさ》は自由なれば、われその一を欠く事を願わずと答う、乙女ほほえみつ、さればまず君に見するものありと遠く西の空を指《さ》し、よく眼《まなこ》定めて見たまえと言いすてていずこともなく消え失《う》せたり。詩人はこの夢を思い起こすや、跳《は》ね起きて東雲《しののめ》の空ようやく白きに、独《ひと》り家を出《い》で丘に登りぬ。西の空うち見やれば二つの小さき星、ひくく地にたれて薄き光を放てり、しばらくして東の空|金色《こんじき》に染まり、かの星の光|自《おのず》から消えて、地平線の上に現われし連山の影|黛《まゆずみ》のごとく峰々に戴く雪の色は夢よりも淡し、詩人が心は恍惚《こうこつ》の境に鎔《と》け、その目には涙あふれぬ。これ壮年の者ならでは知らぬ涙にて、この涙のむ者は地上にて望むもかいなき自由にあこがる。しかるに壮年の人よりこの涙を誘うもののうちにても、天外にそびゆる高峰《たかね》の雪の淡々《あわあわ》しく恋の夢路を俤《おもかげ》に写したらんごときに若《し》くものあらじ。

                                       国木田独歩『武蔵野』より『星』
ふーっ。この文章,ため息が出ます。
武蔵野 (岩波文庫)武蔵野 (岩波文庫)
(2006/02)
国木田 独歩

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