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やがて来る透明な世界

窓3
 今日は,また「うつうつと」考えていることなどを書きます。よろしくお付き合い下さい。

 先日,母校の小学校が解体される現場に居合わせて,崩壊する校舎を目の当たりにしてショックを受けました。これが最後なんだと写真を撮っていたら校舎の窓の写真しか撮ってなくて,自分の心の底にある「窓」という存在に改めて気付かされたのでした。
朝朝靄をぬって

 「窓」 自分にとって「窓」にはどんな意味があったのでしょうか。
 もともと私は,境目の写真が好きでよく撮っていました。境目とは物としての境目もそうですが,昼と夜の境目,つまり夕方。こちらとあちらの境目,宮澤賢治が試みた死んだ妹との交信,あの世とこの世の境目。過去と現在の境目,こちらの村とあちらの村との境目,つまり峠。自分と他人との境目,内と外との境目,つまり窓。これらのすべての境目に横たわってあるもの。例えば,昼の輪郭が心許なく崩れ去っていき,夜へと移り変わっていく曖昧な時間,夕方。夜が終わり,朝の強烈な光へと移り変わっていく曖昧な時間,薄明。この世の果てにある曖昧な境界。現実とも幻想とも区別がつかない浅い眠り。自分と他人との間にある漠然とした境界,不安。
 それらのありとあらゆる境界に興味があるんです。それを写真やことばで表現したいと思ってきました。
窓2解体された校舎-3階の音楽室の窓から-

 自分の心と他人の心との間に横たわる「深淵」と精神分析学者は言います。その深淵を跳躍する愛と作家は言います。もともとそんな「深淵」というものがあるのかとも思います。しかし,漠然として何かがあるようにも思ってしまいます。確信という輪郭が崩れ去るところに漂っているようなもの。光がなくなる夕方の隙間に染み出してくるあの世の気配。わたしにとって「窓」はそんなはっきりしない,曖昧な世界を象徴していたのではなかったかと気付いたのでした。
窓2解体された校舎の窓-迷い込んだ小鳥-

 この窓にいる鳥は迷い込んだ鳥です。磨りガラスの向こうに鳥の影が見えます。窓の外から,迷い込んだ鳥を心配して寄り添っています。二羽の鳥は磨りガラスという境界を越えて強い何かで結ばれようとしています。わたしはこの時,人間と鳥という境界を越えて何かを感じました。ある「透明さ」への願いです。

朝靄をぬって朝靄をぬって

 「透明さ」「透明な世界」。自分とまわりの世界との境目が消えて,一体になるという透明さ。曖昧なものに透明な通路が開かれるということ。世界と自分の区別がなくなり,殆ど混然一体となって恍惚の状態にあること。区別され,孤立化させようとする力が働かなくなること。およそこんな状態が境界を消失させ,透明さを生み出すわけです。
窓1この小鳥は無事に逃げることができました。二羽の小鳥は寄り添って青空に消えていきました。

「窓」という境界をつくるものは,実は外の世界の光を受け入れようとするためのものではなかったのか。そんな当たり前の意味に気付いたとき,隔てられている境界を越えて,透明な世界が訪れると思ったのでした。シャッターを押すのは,この時です。パシャ。(いや連写か。パシャ,パシャ,パシャ)

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