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賢治のハードな歩き方

さんぽ道さんぽ道
 今日は久しぶりに宮澤賢治の話をしたいです。
 「賢治と盛岡」牧野立雄著という本を読んでいて,何気なく感じたことです。
賢治と盛岡賢治と盛岡
(2009/10)
牧野 立雄

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 この本,よく調べられていて,新聞にコラムとして掲載されていたものをまとめたもので,読みやすいのです。その中のNO.29「風のモナド-賢治と外山高原-」を読んでいて感じたことです。

 東京でせっせと童話を書いている時,賢治の頭の中には外山高原の景色が何度となく頭に浮かんでいたのでしょう。
 関徳弥宛に東京の雑踏の中から,こんな手紙を出しています。

 「外山と云う高原だ。北上山地ののうちだ。俺は只一人で其処に畑を開かうと思ふ。」(大正11年8月11日)

 それまで賢治は,2回は外山高原に行っているようです。1回目は高等農林に入学した大正4年の1学期で,2回目は大正9年5月上旬だと書いてありました。とても気に入った景色の場所なのでしょう。賢治は東京の部屋で,この外山高原を思い出しては,もう一度行きたいと思っていたのでしょう。
 そして,岩手に戻り,教員となって大正13年4月19日土曜日に,とうとう3回目の外山高原に出かけて行きました。
 この出発の日付が大切です。次の日,4月20日は「春と修羅」の発刊日に当たっていたのです。その記念すべき日に,外山高原に出かけているのです。それも夜の出発です。これは賢治にとって重要な新たなる出発を意味していると考えられます。それもハードな行程です。歩き通しで,疲労困憊して,その場に野宿して熟睡です。このハードな歩き方に「賢治が求めているもの」が見えるような気がします。素晴らしい景色はけっして安楽な態度では見られない。自分を無にするほどに,自分自身をそぎ落として見えてくる景色こそが尊いのだ。たやすく手に入る景色は今の自分にはいらない。そう賢治は思っていたのかもしれません。そのような考えは山登りをする人には普通にあるものです。
 賢治は,この外山行きで,「路傍」「水源手記」「有明」「普香天子」「北上山地の春」の詩を残しています。今度は,またじっくりと,このときの詩を読んでみましょう。

夕立夕立
伊豆沼

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