2011/11/30
トシは何処へ行ったか 宮澤トシ89回忌
宮澤トシ 1922,(大正11),11,27 20:30永眠 享年24歳
このとき賢治27歳
その8か月後1923年7月31日青森・北海道・樺太旅行に出発。
そんなにまでもおまへは林へ行きたかったのだ 『松の針』
宮澤賢治の妹宮澤トシの命日が11月27日でした。宮澤トシは享年24歳で亡くなって,今年で89回忌を迎えました。
トシは死んで,何処へ行ったのか。
賢治は詩の中で妹のいる様々な場所を語ります。
林,白い鳥,木星の上,無上道,あの青いところ。
賢治は,なぜ妹との交信を樺太の栄浜で行うこととなったか。なぜ北の果てなのか。わからないことはいろいろあります。
おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
そらのむかふ
・・・・・此処あ日あ永あがくて
一日のうちの何時だがもわがらないで・・・・ 『無声慟哭』
そしてそのままさびしい林のなかの
いつぴきの鳥になつただろうか
ほんたうにあいつはここの感官をうしなったのち
あらたにんなからだを得
どんな感官をかんじたろう
あいつは無上道に属している
力にみちてそこを進むものは
どの空間にでも勇んでとびこんで行くのだ 『青森挽歌』
《あの林の中でだらほんとに死んでもいいはんて》
どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ 『噴火湾《ノクターン》』
そこはちやうど両方の空間が二重になってゐるとこで『宗教風の恋』
明暗交錯のむかふにひそむものは
まさしく第七梯形の
雲に浮かんだその最後のものだ 『第四梯形』
よく出てくる「林」は,下根子の別荘の周りの林を指しています。賢治自身は,トシが行ったというあの世をイメージとして具体的に述べてはいません。「それからさきどこへ行ったかわからない\それはおれたちの空間の方向ではかられない\ 感ぜられない方向」と言うしかなかったのです。あの世をきれいな花の咲くお花畠や光り輝く場所として想像してはいません。詩でありながら,実に現実的で,むしろ科学的な接近の仕方をしていると思われます。このことは,彼にとって詩は豊かな想像のたまものとしてではなくて,むしろ科学的な「感官の自動記述」であったと思わせます。
死んだ妹と交信したいという試み。その賢治の願い。
89年経った今でも,強く感じることができます。
賢治はこう言いました。
「なぜ通信が許されないのか。」
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