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トシは何処へ行ったか  宮澤トシ89回忌

栗駒山10.30 565-2s
宮澤トシ 1922,(大正11),11,27 20:30永眠 享年24歳
このとき賢治27歳
その8か月後1923年7月31日青森・北海道・樺太旅行に出発。
そんなにまでもおまへは林へ行きたかったのだ 『松の針』
 宮澤賢治の妹宮澤トシの命日が11月27日でした。宮澤トシは享年24歳で亡くなって,今年で89回忌を迎えました。
 トシは死んで,何処へ行ったのか。
 賢治は詩の中で妹のいる様々な場所を語ります。
 林,白い鳥,木星の上,無上道,あの青いところ。
 賢治は,なぜ妹との交信を樺太の栄浜で行うこととなったか。なぜ北の果てなのか。わからないことはいろいろあります。
栗駒10.23 372-2sss
  おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
そらのむかふ
・・・・・此処あ日あ永あがくて
      一日のうちの何時だがもわがらないで・・・・ 『無声慟哭』

栗駒11.23 050-2sssss
 そしてそのままさびしい林のなかの
 いつぴきの鳥になつただろうか
 ほんたうにあいつはここの感官をうしなったのち
 あらたにんなからだを得
 どんな感官をかんじたろう

 あいつは無上道に属している
 力にみちてそこを進むものは
 どの空間にでも勇んでとびこんで行くのだ 『青森挽歌』
霧夜0914 051-s
  《あの林の中でだらほんとに死んでもいいはんて》

 どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ 『噴火湾《ノクターン》』

 そこはちやうど両方の空間が二重になってゐるとこで『宗教風の恋』

 明暗交錯のむかふにひそむものは
 まさしく第七梯形の
 雲に浮かんだその最後のものだ        『第四梯形』
平成18年9月24日(日)朝 080-s
 よく出てくる「林」は,下根子の別荘の周りの林を指しています。賢治自身は,トシが行ったというあの世をイメージとして具体的に述べてはいません。「それからさきどこへ行ったかわからない\それはおれたちの空間の方向ではかられない\ 感ぜられない方向」と言うしかなかったのです。あの世をきれいな花の咲くお花畠や光り輝く場所として想像してはいません。詩でありながら,実に現実的で,むしろ科学的な接近の仕方をしていると思われます。このことは,彼にとって詩は豊かな想像のたまものとしてではなくて,むしろ科学的な「感官の自動記述」であったと思わせます。

 死んだ妹と交信したいという試み。その賢治の願い。
 89年経った今でも,強く感じることができます。
 賢治はこう言いました。
 「なぜ通信が許されないのか。」

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夜明けの道

2s.jpg夜明けの道
テーマ『伊豆沼の自然と野鳥』
 伊藤利喜雄氏,伊藤孝喜氏,橋利行氏,G1さん,そしてわたくし,nitta245の5人の伊豆沼・内沼の自然と鳥を見つめた写真展です。

朝11.27 157-s叢(くさむら)から11/27朝
 只今のこちらの日の出は6時半。
 ガンが飛び立つのがどんどん遅くなっています。あっという間に出勤時間となります。横目でガンの大群が飛び立つのを車で見送るのは精神衛生上よくありません。

 「出家とその弟子」「愛と認識との出発」等を書いた倉田百三が,自然を見つめながら俳句に打ち込む内,強迫神経症に陥ったという話をどこかで読んだことがありました。
出家とその弟子 (岩波文庫)出家とその弟子 (岩波文庫)
(2003/07/17)
倉田 百三

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 美を見いだそうとする余り,ものをよく見なければと言う気持ちになり,ひたすら観察に徹する。四六時中,美の片々を意識していなくてはいられなくなる。一時も心の安らぐことはなくなり,取り憑かれたように周囲の世界に目を配り,取り逃すまいと事物を凝視し,俳句に移し替えることに全神経を傾けずにはいられない。彼の「見ることへの執着」は次のような症状らしい。
自然を観照する事を実践していたが、観照しようとすると事物は淡々として感動を与えなくなった。更に全体を把握しようとすると細部にしか注意が行かなくなった。部分しか見えなくなった。八百屋の前を通りかかると、知覚できるのは野菜や果物だけである。店全体がどんなものかがわからない。街には人や馬や、車が行き交っているがその全てが統覚できない。時にあるがまま、無為自然体でいる時に全体が把握できる事に気付くがそれは束の間であった。どうしても意識的執着となってしまう。更にその部分が回転するようになった。めまいがして嘔吐し倒れた。事物を見ることに強い恐怖を感じるようになった。この恐怖の観念に怯えている最中に、瞼を閉じている時も眼は瞼の裏を見ているという観念に囚われるようになった。眼は見続けているので、休む事は無く、眠る事はできないと思うようになった。「不安の力(Ⅶ)倉田百三の場合」から引用
このあと,倉田百三は森田正馬を訪ね,診察してもらう。森田はこう診断している。
「百三は観照の美学などと称しているが、これは観照する対象の美そのものを感得する心ではなく、観照に対する努力の快感にほかならない。」対象を眺めてそこに美を感得しているのではなく、美を快と混同して自分の快適な気分に陶酔し、耽溺しているのであるから、ふとしたきっかけでこの気分は容易に反転する。百三はこの反転に焦り、もがき執着してはからい、強迫観念に至っているという理解である。(上掲から引用)
美を感得することと自分の努力の快感を同一視するという混同。ありそうな話である。いや,私にも似たところがあるからこそ,この話を憶えていたのだろう。
朝11.27 043-s
11/27朝
 精神衛生上,身体によい写真をしたいものである。

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合同写真展のお知らせ

朝11.27 458-2s『伊豆沼の自然と野鳥』
 伊藤利喜雄氏,伊藤孝喜氏,橋利行氏,G1さん,そしてわたくし,nitta245の5人の伊豆沼・内沼の自然と鳥を見つめた写真展です。初心者の私を除いた諸氏の作品は見応えがあります。
 今日展示をすませてきました。

夕方,月齢2.2の細い月の南西に金星が仲良く並んでいました。
犬の散歩をしている間に金星は雲の中に沈んで行きました。

 今日は陸羽東線を走るC11を撮るつもりでしたが,用事ができてしまいました。そこで同じ機関車で牡鹿ホエール号として走ったときの小牛田駅でのC11を載せます。
ホエール号1010 417-2s
ホエール号1010 390-s

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