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平泉に思う

C61 012-2-s平泉を望む

 先日,SLのC61が一ノ関-北上間を走った。
 世界遺産になった平泉を走るSLを撮りたいと思い,平泉の東側の大文字山キャンプ場展望台にカメラをセットした。束稲山方面である。
 そしてつくづく平泉という地の地理的条件を考えてみた。
 1200年前にこの地に藤原清衡が居を構えたことに思いをはせた。どうして清衡はこの平泉に目を着けたのか。
 土地は他にいくらでもある。ここ平泉に決めたには何か重要なものがあったからではないかと。

 「平泉の苑池-都市平泉の多元性-」という論文を書いた前川佳代氏(『平泉文化研究年報 第1 号』平成13 年3 月31 日発行 所収)によれば,平泉は「苑池」という「庭園より規模が大きく、古代都城に付属した「苑」に類似した広大な領域に、山や池、寺や邸宅などを配置した空間を指す」と言う。
拡大して考えると「北は関山、東は北上川、南は太田川に囲まれた範囲(平泉中心区)で、中尊寺境内はもちろんのこと、金鶏山や塔山を背景に、花館廃寺と花館溜池、鈴沢池、毛越寺、観自在王院、無量光院、柳之御所、伽羅御所などが散在している景観をいう。」つまり平泉一帯がすべてひとつの理想的な庭園をなしていて,後世に更に理想郷としての条件を書き加えていったと言うのである。
そしてそのモデルは、「北宋の名園「艮岳」に類似する。平泉の苑地の意義は、浄土・神仙世界の具現化、そして王城鎮守という意識であったと考える。」この北宋の名園「艮岳」の基本思想は,「左に山、右に水」といい、平泉の地形に当てはまる。
 「浄土思想が加味された苑池空間である平泉中心区を彼岸とすると、北上川をはさんだ東方地区は此岸である」

 歴史の中で遷都が行われる場合,条件を満たす地が選ばれる。その中で水に関する条件はとても大きいことは簡単に予想できることである。平城京から長岡京に遷都した理由の一つをWIKIでは
桓武天皇が、平城京から長岡京へ遷都を決めた理由の一つに、平城京の地理的条件と用水インフラの不便さにあった。平城京は大きな川から離れているため、大量輸送できる大きな船が使えず、食料などを効率的に運ぶことが困難であった。比較的小さな川は流れていたが、人口10万人を抱えていた当時、常に水が不足していた。生活排水や排泄物は、道路の脇に作られた溝に捨てられ、川からの水で流される仕組みになっていた。しかし、水がほとんど流れないため汚物が溜まり、衛生状態は限界に達していた。
と書いている。
 ここ平泉が1200年間豊かな地理条件に支えられながら,営々とした歴史を重ねられたのは,先端をいく都市計画と治水,それを支える思想があったからである。

 ならば,今,福島や宮城で原発や津波による被害のため,移転を考えている自治体がある。どの土地を選ぶのか。そしてインフラはどうするか。水や地理的な条件はどうか。平泉は少なくても300年かけて現在の地をつくりあげてきた。将来にわたる理想郷となる故郷となることを願う。

 さて,金鶏山そして遠くの栗駒山に日が沈んでいった。C61-20も汽笛を鳴らし,平泉の駅をたち,太田川鉄橋を白煙を残して去っていった。帰ることにしよう。わが故郷に・・・。


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