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願いを永遠にすること

栗駒2.12 471s
 さて今日は久しぶりに宮澤賢治の話題です。
 私がリンクさせていただいている「宮澤賢治の詩の世界」を見ていたら,興味をそそる記事がアップされていました。(その記事は こちら )
記事のタイトルは「イーハトーヴの経塚」です。そこにあった賢治の手帳の「庚申」の文字に刺激されたのでした。賢治は庚申のことを詩に何回か取り上げています。

 庚申

   歳に七度はた五つ、    庚の申を重ぬれば、   

   稔らぬ秋を恐(かしこ)みて、    家長ら塚を理(おさ)めにき。   

   汗に蝕むまなこゆゑ、   昴(ぼう)の鎖の火の数を、   

   七つと五つあるはたゞ、  一つの雲と仰ぎ見き。

p165右
「雨ニモマケズ手帳」からp165

 「雨ニモマケズ手帳」の最終165ページに「◎ 七庚申 ◎ 五庚申 ◎ 五庚申」のスケッチに似た記述があります。この七庚申,五庚申の文字のそばに「湯殿山,月山」という小さい文字も添えてあります。これは満願成就のために「湯殿山や月山」にお詣りしたことを示しているのでしょう。
 そしてこの手帳の20ページ前に有名な「経埋ムベキ山」が載っています。
賢治が,この手帳に記録した時代は,昭和6年10月上旬から年末,もしくは翌昭和7年初めと考えられています。「この九月の末私はふたたび/東京で病み」という東京で倒れた年に書かれていた手帳です。
栗駒2.12 217sss
吹雪の日に

 この「七庚申」とは1年の中に庚申の日が7回ある年を指しています。珍しい年なのです。
 「庚申」というのは,「庚(かのえ)申(さる)」のことで十干十二支で割り当てられた日の呼び名です。この組み合わせになる日は60日ごとにやってきます。だから単純に計算して365÷60で1年に6回庚申の日はやってくることになります。ちなみに今年,2012年は,2/29日に庚申の日がやってきて,6回庚申の日があります。この6回庚申の日がある年を六庚申と言いたくなりますが,あまりそうは言いません。つまり六庚申は実に普通なのです。ところが1月の初めなどに庚申の日が来ると1年に7回庚申の日が来る年があります。「七庚申」なのです。珍しい年,つまり当たり年のような価値があります。また反対に,1年に5回しか庚申の日がない年もあります。これも珍しいので当たり年のように貴重な年と考えたのでした。

 今日の冒頭の賢治の詩「庚申」は,「歳に七度はた五つ、庚の申を重ぬれば、」という珍しい年に祈願のためによく建てられた「七庚申」「五庚申」の石碑のことを指しています。
コミミズク2.5 166s日暮れてコミミズク

 さて「雨ニモマケズ手帳」の最後に書かれたこの庚申碑文は,何のために賢治は記録したのでしょうか。
 どうも手帳をよく見ると,刻まれた字体や石へ一画一画の文字の刻み方に興味が行っているような気がしませんか。もし本物の庚申塔からスケッチされたならば,建立された年も記録されていませんし,実際に見て記録するためにメモを取ったとは思えない節があります。昔は,このような庚申塔は珍しい石碑ではありませでした。全国に普通にあり,庚申の日は,隣近所が集まり,眠らないで夜更かしをしたという庚申信仰が広く行き渡っていたことを示しています。
栗駒2.12 186ssカラマツの林

 経埋ムベキ山への埋経の準備なのでしょうか。

 ただ願いを永遠に保つためには石に刻むことが大切だと思います。
 願いこそ,永遠であり,時間を超えていくものです。時間を超えるためには半永久的なものに刻みつけて風化することを避けなければなりません。昔の人々はこの世で永久的なもの,つまり石に願いを刻みつけて願いを遂げようとしたことは確かでしょう。
 この心情と同じく,賢治は32の山の頂上に経を埋めることで,願いを永遠に成就させておこうとしたのだと思います。その石に字を刻むときの字の彫り方を知っておくことは,賢治にとって実に大切な準備だったということだったのでしょう。

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