2012/10/28
朝の光に舞う 10/27伊豆沼
今日は本について書きます。よろしくお付き合い下さい。
今から20年以上も前,わたしはどうしようもなく彷徨っていました。多分,何か自分の心の置き処というものを探していたのだと思います。山に無性に出かけたのもその時期です。1990年代でした。今思えば,自分がもてあましていたその問題は,同時代に生きている人達の問題意識でもあったのだと思います。小説家の村上龍はしきりに社会の縛りを「システム」と言って,そこからの逃走を題材にしていました。うまく逃げることこそ大切だったです。
当時,浅田彰の「構造と力」からの諸作に社会のシステムや認識論の彼方にたどり着きたいという希望に似た感情を抱いていました。確かに分析した彼の言い口に,自分の未来へのキーワードを見つけた思いがしたのでした。しかし,浅田彰は,やがて正面から語らなくなりました。映画や音楽や美術に移っていったのです。彼も上手に適応したようにわたしには思いました。そして俗人のわたしに大切な答えは出されないままになったのでした。
そして,しばらく経ち,中沢新一が新しい視点で本を書き始めました。わたしは飛びつきました。浅田彰の続きにある地平が彼の考え方にあるのではないかと感じたからです。レヴィ・ストロースを師と仰ぐ彼の文化人類学の切り口もおもしろかったのでした。彼の考え方はカイエ・ソバージュという講義録になってまとめられました。
しかし,彼の新しい認識論は,新しい地平を見せ,刺激的ではあっても未来へのキーワードとしては,心もとないものでした。その彼が今年新しく本を出したのです。
ハクチョウの朝
早速よんでみました。
彼の理論が地勢学からの接近としてのアースダイバーの視点の分だけ,バージョンアップされ魅力的にはなっていますが,拡散的であることは変わりません。しかし,彼の考え方は実に1990年代を上手に脱してきた洒脱な軽さに満ちています。闘争がやがて逃走に変わったこの20年。時代の抱えている問題はただすり替えられてきたのでしょうか。それともこのような形で乗り越えられてきたのでしょうか。
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