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冬桜ふたたび-『舟を編む』-

冬桜 053s
朝日に冬桜

わたしたちは広い海をたった一人で進んでいる。
だから不安や不吉なことを始終考えながら一人であることにも耐え,希望をつくり,豆だらけになった手をみつめながらひたすら櫂を握り,進んでいく。過去の言葉を支えとして,未だ来ない未来の言葉を探しながら進む。

錆び付いた言葉だけが自分の心から発せられる。
うまくいかない。だめかも。あきらめよう。このままじゃ。あきた。だるい。わかってもらえないだろう。

しかし,そんなマイナスイメージの言葉を吐き切ると,やがて明るい言葉が自分の灰色の脳から出て来るらしい。あるカウンセラーが言っていた。
錆び付いて詰まってしまった言葉を吐き出すことで,元気だった時のようにどんどん明るい言葉が自分の中にも流れ始める。その明るい言葉が自分を浄化したり,健康にする。

三浦しをんの『舟を編む』は,人が人生の大海を進むための灯台となる言葉をつくりだす辞書編纂の仕事の話だった。しみじみと楽しく読んだ。いい本だった。

舟を編む舟を編む
(2011/09/17)
三浦 しをん

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たしかに何かを生み出すためには言葉が要る。
発見にも言葉が要る。自分の立て直しにも言葉が必要だ。曖昧さの中から一筋の光が現れる。それが魂の言葉となる。
「男」という言葉を辞書で引く。「女ではない性」ではリアルではない。そのような否定で始まらないもの。それがそれで,しっかりとした輪郭を伴って現れ出てくるリアリティー。それが辞書の中から生み出されてこなければ言葉の海でわれわれは途方にくれるだろう。

冬桜 011s

この本の中には,すてきな言葉やすてきなシチュエーションがたくさんあった。
アマゾンに寄せられたこの本に対する書評を読むと,結構批判的な意見も目立つが,自分のことはさておいてないものねだりをするのが人の常だと思えば,もっと素直にこの物語の舟に乗り込んで一緒にオールを漕ぐことを臆さなければ楽しめるのではないかと思う。

下弦の夜 053s

錆び付いた心から批判的で,とげのある言葉を出し切ろう。
そして明るい言葉が自分の身体からほとばしる瞬間を待って肯定してみよう。
松本先生は静かに言った。
「言葉は,言葉を生み出す心は,権威や権力とはまったく無縁な,自由なものです。また,そうあらねばならない。自由な航海をするすべてのひとのために編まれた舟。『大渡海』がそういう辞書になるよう,引き続き気を引き締めてやっていきましょう。」

その通りだと思った。

追伸 いやー。アイソン彗がこうなろうとは誰も予想できませんでしたね。がっかりしました。
   でもまだSOHOの画面を見てみると,見えていますよ。

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栗駒山訪ね歩き-ブナの黄葉-

栗駒10.23 373s
ブナの林を歩く

栗駒山の紅葉が有名になりましたが,山のてっぺんだけではなくブナ林の黄葉もいいものです。
むしろ人混みの時にこそ静かな紅葉を楽しむという裏技を(ただのひねくれかも)使ってみると,印象深い山歩きになるものです。

栗駒10.23 399s
ブナの黄葉を見上げる

どこの紅葉がいいですか。という質問があります。
どこの紅葉もいいでしょうが,地図や今まで行った山を思い出したりしながら,紅葉のマイベストスポットをさがすという行為がいいのでしょう。

SOHOの映像の中にアイソン彗星が入ってきましたね。マックノート彗星のように大化けするなんてことになったらいいなと思ったりします。今朝のタイトルは「Comet ISON: Faded Glory 」です。太陽の遮光板の中に入ってきましたよ。(SOHOの画面は こちら  )


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栗駒山訪ね歩き-日本一のクロベの木-

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栗駒山の中腹にある千年以上のクロベという木

栗駒山南面の地図を見ていると西の湯浜温泉と東の世界谷地を結ぶ道に湯浜道路と名付けられた昔の道がある。地図の説明には深いブナ林の中の古道とあり,栗駒古道と言われて,昔は宮城から秋田に抜ける道になっていた。

今日はこの道を世界谷地から入り,晩秋の葉を落としたブナの林を歩いて日本一という樹齢千年を越えるクロベの木を訪ねた。

世界谷地を過ぎて,ブナの巨木の林をゆっくりと登ると,ほどなく4叉路に出るここは広場のようになっていて変則十字路と呼ばれている。ここから湯浜温泉へ6.3㎞という表示板がある。湯浜温泉への道をとる。なだらかな道を進み,大地沢を越えるそして小桧沢に出たところで南を見るとひょっこりと林道の橋のガードレールが見える。
この橋を行くと消えかけた林道が続いている。この林道を辿って1㎞ばかり進むとクロベの大木群が見え始める。

栗駒クロベ11_tonemappedss-s
風雪に耐えたこの木はすばらしい。ねじ曲がり,皺を寄せ切った堅い樹肌は金属のような感触でもある。

もう何にも動ずることはないという。

どんなことがあってもこの場所で生き続けるという。

樹に触らせてもらったら,「お前ははかない者だ」と言われた。

私は気が遠くなり,身体の中で感じた千年以上の圧縮された時間に失神してしまいそうになった。

偉大であるとはこのことを言うのであろう。わたしごときの者がとてもかなうものではないという感覚。

この日からわたしの山歩きは次のステージに入った。
「崇高さ」とは何か。

19世紀の人々が抱いたあの山に対する感情。
そして後で知った。
あの哲学者のカントも書いていた。
『美と崇高の感情に関する観察』

美と崇高との感情性に関する観察 (岩波文庫 青 626-0)美と崇高との感情性に関する観察 (岩波文庫 青 626-0)
(1982/12)
イマヌエル・カント

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この本は今はないでしょうね。

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